札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第五章 交通・通信の近代化

第二節 通信事業の整備と発達

二 札幌の郵便

 明治の札幌では数年に一度大きな火事が起こり、公的施設をはじめ多くの家屋が焼失する。その際札幌郵便(電信)局も焼失している。明治二十五年三月、前年竣工したばかりの局舎が焼失した。翌年木造で再建するが、三十三年六月九日未明大通西二丁目で火事となり、札幌郵便電信局は一部の付属建物を残して焼失した。罹災後直ちに郵便電信の取扱仮設所を設けた。発着郵便物・現金取扱は南一条西四丁目元〓呉服店跡で、書留・小包郵便・切手売下所は同隣旧山際洋物店に仮設、電信取扱所は大通西二丁目西角建築課前などに設けた。また建築・庶務・会計・監理四課は、当分北二条西七丁目の元鉱山監督署跡で事務を取り扱うことにした(道毎日 明33・6・10)。おそらくこれらの設置場所は罹災直後の臨時的なもので、正式な臨時施設にその後また移動したものと思われる。そのため、札幌の郵便電信事業の沿革の写しと思われる『札幌区史史料九』では、局長・監理・会計・工務課・庶務係は北三条西七丁目の北水協会、郵便課は南一条西四丁目、電信課は大通西二丁目九番地の郵便電信局倉庫で事務を取り扱ったことにしている(札幌区史史料九)。
 この焼失した郵便局舎は、郵便電信事業の発展のため手狭になっていた。そのため、三十年には当時建築が決定していた電話交換所同様に、レンガによる局舎の新築が検討され(道毎日 明30・7・17)、三十三年には逓信省では石造として予算に計上していたという。この焼失にあわせて新築するとしても、本格的建築には最低三年かかるということであった。それまで三カ所に分かれての業務は不便であるので、とりあえず予備金より支出して、大通の焼跡に仮局舎を建築することにした(以上道毎日 明33・6・15)。十月までに落成予定であったが(道毎日 明33・8・12)、完成は翌年二月であった(札幌区史史料九)。

写真-5 札幌郵便局仮局舎(大通西2)
明治34年2月竣工,木造二階建,361坪,代価21,959円余。33年6月9日に
焼失した局舎にかわって,40年5月10日の焼失まで使用された。

 その後、郵便電信局本局舎の建築計画を進めている様子は、『北海タイムス』では確認できない。しかし、仮局舎は明治四十年五月十日札幌大火で焼失した。そのため局長・監理課・郵便課・庶務係は北二条西二丁目の札幌農学校跡、工務課は大通西二丁目札幌電報局舎、会計課・電信課は大通西二丁目九番地札幌郵便局倉庫、鉄道郵便課は同倉庫第六号官舎において分離して事務処理された。その後八月二十一日には会計課を倉庫内に、十月二十五日には局長・監理課・庶務係・鉄道郵便課を大通東二丁目の元偕行社跡に、電信課を北一条西二丁目の農学校跡に移転した。さらに翌年五月二十五日には大通西二丁目八番地に仮局舎が新築され、局長・監理課・庶務係・鉄道郵便課を移転した。この仮住まいでの事務も狭隘であったため、四十二年十二月から大通西二丁目八番地に石造で工務課室を増築した(以上札幌区史史料九)。

写真-6 札幌郵便局の臨時局舎(明治42年頃)   明治40年5月10日の札幌大火で仮局舎が焼失し,
そのため札幌農学校跡(北2西2)へ郵便局の一部を移した。この建物は元の札幌農学校演武場である。

 四十一年頃から局舎の狭隘もあり、新局舎の建築が予定にのぼり、四十二年九月には入札者も決定し、年内の地均し、翌四十三年融雪早々からの本建築着工の予定が、『北海タイムス』に報じられている(明41・6・17、42・9・26)。『札幌区史史料九』にある札幌の逓信省関係施設の事業沿革の写しと思われるものでは、四十二年九月二十六日起工、四十三年十一月二十五日竣工、二階建て四二〇坪、平家建て一二六坪、代価一二万三六四二円、設計者逓信省経理局営繕課、工事請負人伊藤亀太郎、工事監督逓信技手石渡喜三郎大島鎌太郎他一人となっている(札幌区史史料九)。