札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第四章 資本主義確立期の経済

第一節 産業構造と景気変動

二 札幌の景気変動

 日清戦後から第一次世界大戦期まで、札幌経済はどのような推移をみせるのだろうか。経済諸指標を図1に掲げた。まず会社資本金総額だが、明治三十五、六年に大きく増加し、三十七年に激減し、以後漸増を続けながら、大正七年頃から急増していく。三十七年の激減は、北海道炭砿汽船株式会社が本社を岩見沢に移転したからである。北炭移転後は漸増しているものの、その内容をみると、銀行を除いた事業会社のみでは三十九年から四十一年まで減少を続けている。日露戦後はやはり不況が続いたとみてよいだろう。そして第一次世界大戦のいわゆる大戦ブームの開始は遅く、そのかわり戦後恐慌の減少は小さく、大正十年には増加に転じている。また北炭転出の痛手は大きく、大正九年に至ってようやく日露戦争前の水準に達している。

図-1 経済活動諸指標

 次に工業生産価額をみよう。会社資本金総額と似て日露戦後から大正四年まで漸増を続け、五年から八年まで急増し、九年戦後恐慌により激減した。会社資本金の急増が大戦末なのに対し、工業生産の急増は大戦中から始まっている。いずれも日露戦後の長期にわたる低成長過程を経て、工業はひと足先に、資本金総額はやや遅れて大戦ブームの影響を受けているのである。
 これに対して鉄道発送貨物数量、鉄道到着貨物数量は、価格指標ではなく数量指標であることもあって比較的順調に増加している。それでも到着における大正三年の減、発送における七年の減が目立つ。
 札幌経済の長期変動のもう一つの指標として、工場数、会社数をみてみよう。表4にこれらをまとめた。ここに取り上げた会社には原資料の関係で銀行は含まれていない。しかし札幌に本店を置く銀行はすべて株式会社で、その数はこの期間では三ないし五である。したがってそれを加味しても表4の大勢には影響はない。さて工場数の推移をみると日露戦争前後は一進一退し、明治四十年から大正二年まで増加傾向を続けている。これは先の工業生産価額の推移とも照応している。日露戦後の不況過程において、工場数、工業生産価額が着実に伸びていることに注目したい。しかし第一次世界大戦期には逆に工場数の増加傾向は止まり、むしろ減少さえしている。増加に転じるのは大正六年以降で、九年にピークの一二一を記録している。これに対して会社数はどうであろうか。株式会社、合資会社、合名会社の小計についてみると、やはり日露戦後は停滞ないし減少傾向が続き、明治四十二年頃からやや増加をみせ、第一次世界大戦期にも、凹凸はあるものの増加傾向が顕著となる。ピークはやはり大正九年の一四三であった。右欄にあるように札幌に本州企業の支店設置が本格化するのも第一次世界大戦期である。これらの多くは生命保険、火災保険会社であった。
表-4 工場数・会社数
工場会社小計会社支社支店
株式会社合資会社合名会社
明33(1900)16?
34(1901)121011425?
35(1902)101120536?
36(1903)101115531?
37(1904)17612422?
38(1905)1499523?
39(1906)15913628?
40(1907)241310629?
41(1908)351613332?
42(1909)42151510405
43(1910)44142112477
44(1911)471318134410
45(1912)52141713448
大 2(1913)56162120478
3(1914)50191819569
4(1915)512123206424
5(1916)481919175527
6(1917)522021155631
7(1918)593122207326
8(1919)9460332812126
9(1920)12168453014333
10(1921)11653272010031
1.札幌区所在の工場,会社。ただし銀行は除く。
2.各年『北海道庁勧業年報』『北海道庁統計書』,明治42年(1909)以降は,各年『札幌区統計』『札幌区統計一班』より作成。