第七編 近代都市札幌の形成
第三章 産業化の模索と進展
第二節 鉱業・エネルギー産業
一 鉱業
手稲鉱山は本格的に操業するのは昭和にはいってからである。しかし、その試掘は明治二十六年頃から行われていた。手稲村星置の農民鳥谷部弥平が試掘権を得て、明治四十年頃まで私財を投げうち瀧ノ沢付近を探鉱したが成功しなかった。続いて大正五年、北海道庁技師石川貞治が試掘権を得て手稲鉱山と称して開発に着手した(手稲鉱山史 昭和十四年十二月末日迄)。
新聞記事によると、石川貞治は五年十一月東京の白石鉱業所と試掘採鉱の契約を交わし、同鉱業所佐野正二技師が調査を行った。その結果有望な鉱床を発見したので、槇鉄男を主任として採鉱することになったという(北タイ 大5・12・23)。翌年一月の記事にも、「最近手にせる鉱石の品位は頗る良好なり」といわれている(北タイ 大6・1・20)。しかしその後資金難に苦しみ、閉山のやむなきに至った。投資額二万五〇〇〇円といわれている(手稲鉱山史)。 このほかに現札幌市域において試掘、探鉱が行われた鉱区は数多くあった。表14に大正九年七月現在の旧札幌郡内試掘鉱区一覧を掲げた。二五人(社)の事業者が、四一鉱区の鉱業権を得ていることがわかる。登録年月はすべて大正七年以降であり、それ以前に試掘された所はすでに放棄されているのであろう。地域的には豊平町がもっとも多く、事業者数にして一四、実数にして二九鉱区をしめている。久原鉱業のほかに日本製鋼所、古河鉱業などの大企業が試掘権を得ている。しかし、これらの鉱区のほとんどは本格的な鉱山経営に至らず断念されることになるのである。
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