札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第三章 産業化の模索と進展

第一節 工業

三 機械工業、木材工業

 札幌では開拓使の設立にかかる札幌器械製造場が営業していたが、明治三十八年一月に鈴木録三郎(電灯会社)、高桑市蔵(雑貨荒物問屋)、島口徳太郎(金物商)らにより資本金八万円の株式会社組織に改められた(北タイ 明38・1・29)。ところが翌年には井上角五郎(北海道炭礦鉄道)、国沢能長宇野鶴太大島六郎らによって札幌工作株式会社が設立され札幌器械はこれに吸収された(北タイ 明39・10・31)。専務取締役に国沢能長、取締役に大島六郎米倉清族仲田慶三郎磯谷熊之助が就任し、主な株主としては前記重役のほかに井上角五郎浅野総一郎田中平八五十嵐億太郎植村澄三郎宇野保太郎らがいた(北タイ 明40・1・29)。生産種目は農具を中心として車輌、木挽機械などであり(北タイ 明40・2・1)、職工数も二五〇余人を数えた(北タイ 明40・3・19)。
 表9に生産額の推移をまとめた。資料上の制約から他工場による生産を分離できないので、札幌区における機械生産を示している。札幌工作設立以降生産額が一桁増えていることがわかる。機械工業といっても在来の鍛冶屋や馬具製造業なども含み、大戦期には製造戸数が倍増した。ちなみに明治四十四年六月末に札幌商業会議所が行った調査によると、札幌区内の鉄工業従事者は七〇人、このうち組合(札幌鉄工組合)に加入している者四〇人、区会道会議員選挙有権者一四人、道具のみを所有する者二二人という状況であった(北タイ 明44・8・17)。零細多数の鉄工業者による機械生産もこの表には含まれている。
表-9 機械生産
機械
製造場数生産額
明33138,024円
 34129,122
 35128,105
 36123,889
 37119,977
 38136,524
 39157,768
 401120,000
 416278,400
 425144,707
 434144,707
 44441,390
 458124,184
大 210142,209
  311115,655
  422172,472
  521350,772
  610360,861
  7122,584,619
  8?286,000
  9?409,898
 10?1,182,356
 11?957,136
大正8年は『札幌区統計一班』(大10・11),その他は『北海道庁統計書』(各年)より作成。

 明治四十一年頃の札幌工作の生産状況は、新聞記事によりうかがうことができる。総坪数一四五四坪の工場敷地には客車、木挽、農具、旋盤、鋳物、製罐、仕上、組立、木型、塗物工場があった。四十一年上半期には、北海道炭礦汽船の石炭積貨車二〇〇台(一台約二〇〇〇円)の受注をはじめ、機関車三台の修繕を手掛けている。下半期は例年であれば付近農村から農具の注文が殺到するのであるが、四十一年下半期は「絶へて無きの状況なるなど何時如何なる花客(とくゐ)の現はるゝや測り難きものあり」(北タイ 明42・3・24、26)。常連は北炭の車輌製造、修繕と農具製造販売であったようである。そして、このような重厚長大型生産と軽薄短小型生産との共存が経営上のネックになっていたと思われる。しかし、札幌工作は経営不振を打開すべく「大小一般の需めに応じ零砕(ママ)の製作物をも歓迎して大に顧客の便益を計らんとし……百五十馬力の原動力を以て旋盤六呎(フィート)より十二呎迄各種十二台、ボール盤八台、ネヂ切盤四台、プレーニングマシン三台、スチームハンマー二台、其他斬新なる大小の機械五十個を据へ付け、加ふるにホヰールレース及び正面盤は目下本道に於て使用する凡ての大さの車類並に円形物を削り得へく……」(北タイ 明42・3・27)とますます総花的になろうとしていたのである。
 札幌工作の営業状況を表10に示した。表中の最初の年度の四十一年下半期に、一万五〇〇〇円余の当期損失金を出し、積立金を取り崩して繰越損金を減らしたものの、次期以降も損失を出し続け、四十五年に初めて当期利益金を計上している。四十一年半ばの状況は、「彼の北海道銀行より元機械工作所当時の旧債八万円は六ヶ年据置無利息にて十ヶ年間の年賦償還となり、三万円は本年より向五ヶ年間の年賦償還となり居り……財界不振に伴ひ製材固定し融通資金不足を告げしものゝ由にて」という有様であった(北タイ 明41・9・1)。
表-10 札幌工作の営業状況 (単位;円/%)
明41下42下43下4445大3478

不動産62,70055,37343,97343,78443,78442,09742,09727,09722,096
機械・器具136,885126,859113,55892,53292,71299,977100,15874,97380,603
貯蔵品・商品31,68027,29626,9256,3407,95412,29918,72613,67235,163
半製品4,2801,7331141142,4766,5825,71116,25412,312
売掛金・未収入金13,1046,9953,4781,9509,60714,68717,41090,78231,737
当期損失金15,237?6,869?2,993
次期繰越損金9,05736,54661,27717,54515,5497,6226,771

資本金125,000125,000125,000125,000125,000125,000125,000125,000125,000
諸積立金1,6451,1105188882,000
借入金・支払手形136,005132,709117,30943,00054,44853,66053,66035,29018,230
未払金4,84814,28915,8964,3053,10113,45316,78864,11816,747
当期利益金5,57285017,72518,237
資産(負債)合計275,097273,307263,196172,695188,960192,945199,438268,424204,624
払込資本金利益率-12.3?-5.5?4.5-2.40.714.214.6
1.明42下の未払金は「仮受金及未払金」。
2.『北タイ』(明42.2.27), (43.2.4), (44.5.18), (45.3.2), (大2.2.28), (4.3.1), (5.3.3), (8.3.2), (9.3.1)より作成。

 業績の悪いのに加えて重役の死亡が相次いだ。四十一年に専務取締役社長国沢能長が死去し、かわった朝山益雄も四十三年初めに死去し、他の重役は東京、室蘭などに点在しており解散説も出された。このときは札幌の金物商島口徳太郎を専務取締役に選出し継続している(北タイ 明43・2・4)。また四十五年三月二日付新聞に「都合ニヨリ本会社是迄休業ノ処来ル三月四日ヨリ従前ノ通リ営業開始仕候」(北タイ 明45・3・2)という広告を掲載していることから、一時休業に追い込まれていたことがわかる。
 大戦期の大正七、八年には当期利益金こそ計上しているものの、不動産、機械・器具などの資本は設立当初を大幅に下回り、旧債償還が済んだために利益が上がったにすぎないのではないかとも思われる。このような札幌工作の不振の大きな原因は、四十二年末の鉄道院札幌工場の成立により車輌製造、修繕の仕事が減ったことであろう。札幌工作は、設立後まもない鉄道院札幌工場の下請工場化を余儀なくされ、大正十二年にはその役割も終え解散するのである(札幌市史 産業経済篇)。