札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第二章 諸町村の近代化と行財政

第二節 ムラの変貌と近代化Ⅱ

四 諸町村の比較と特性

 諸町村が位置する地理的条件により、農業、林業、鉱工業などの基幹産業の形態が異なってくるが、いまここでは諸町村がどのような生産形態をとっていたのかをうかがってみることにする。表6は大正九、十年における諸町村の生産額をあらわしたものである。この種のデータは明治末期から作成されるようになるが、石狩支庁管内の諸町村を網羅した数値が判明するのは大正九年以降のことであり、やや時期的に遅いものであるにせよ、当時の概況を知る上で重要なものなので使用しておくことにする。ただし、農産物の豊凶、経済・物価変動により高落がはなはだしいことに注意を要する。
表-6 諸町村の生産総額(大正9・10年)
農産畜産林産鉱産工産合計一戸平均
札幌村9年928,151円50,491円124,116円1,002,758円916円
92.6%5.0%12.4%
10年882,211102,137209,0831,193,431963
73.98.617.5
篠路村9年440,79718,5448,574471,6351,034
93.53.91.9
10年409,76030,3371,350445,005475
92.16.80.3
琴似村9年1,013,970100,656277,7391,392,3651,296
72.87.219.9
10年939,337113,426332,7971,385,5601,350
67.88.224.0
手稲村9年553,986134,30810,387301,06945,0821,044,8321,471
53.012.91.028.84.3
10年770,410147,1908,080123,81047,4191,097,1851,580
70.213.40.711.34.3
藻岩村9年365,67814,5102,94012,0009,020404,399706
90.43.60.73.02.2
10年308,22718,95220,3166,138354,271609
87.05.35.71.7
豊平村9年1,126,22674,060600,615429,40554,4402,284,7461,043
49.23.226.318.82.4
10年1,231,74995,931194,23073,660121,9441,717,514786
71.75.611.34.37.1
白石村9年499,277209,797474436,3391,172,8871,348
42.317.90.039.5
10年872,81696,81048,050299,8191,317,4951,406
66.27.33.622.8
1.上段-大正9年,下段-10年。産額の下は割合(%)。
2.養蚕(篠路,藻岩)・水産(篠路)額は省略するも合計に加算。
3.大正9年は『札幌支庁管内要覧』,10年は『札幌支庁管内統計書』より作成。

 まず諸町村の生産総額をみると、最高は豊平町で、九年の場合は二〇〇万円をこえている。少ないのは篠路、藻岩の小村であり五〇万円以下となっている。その他の諸村は一〇〇万円をこえ、琴似・白石村なども多い方である。
 割合をみると、九年の場合、農産が九〇パーセントをこえているのは札幌・篠路・藻岩村であり、これらは純農村であったといえるが、逆に手稲・豊平・白石村は五〇パーセントほどに過ぎない。手稲・豊平村は鉱産、白石村は畜産・工産が高い。また次の十年になると、経済不況の影響を受け鉱産・工産が大幅な減額をみ、いずれも農産の割合が高くなっている。逆に札幌村などでは工産が伸び、農産の割合が低下する現象もみられていた。
 以下やや個別的にみていくと、手稲村は鉱産の占める割合が高い。これは軽川日本石油北海道製油所(大1操業)があり、これがひとえに鉱産の割合を高めていた。豊平町も鉱産の割合が高かったが、ここには豊羽鉱山(大4操業)があったことによる。だが、同鉱は規模を縮小したために十年には割合が低下している。白石村は工産が格段に高いが、これは主にレンガ生産及び日本麻絲会社厚別製線工場(大6)によるものである。
 工産が顕著となっているところは、白石村のほかに琴似・札幌村である。琴似村は帝国製麻会社琴似製線工場(新琴似、明24操業)、日本製麻会社琴似亜麻工場(大9)によるものである。札幌村は十年に醸造が大幅に伸びたことによる。札幌村にも木工場などが存在していたが、工産額のほとんどが小規模工場の生産物によりになわれていた。
 林産が多いのは豊平町であった。これは豊平川上流域に帝室林野管理局が管轄する約五五〇〇町歩にわたる御料林があり、毎年三万石余りの用材を出していた。
 畜産は手稲、白石村が多い。手稲村には前田農場(明28開設)、極東煉乳会社軽川農場(大6)、農家でも副業として乳牛の飼育がさかんにおこなわれており、農家の約三七パーセントが従事していた。手稲村は当時、道内でも屈指の酪農村でもあったのである。白石村には宇都宮牧場(明45)などの優秀牧場が存在していた。両村の他にも琴似村、十年の札幌村が一〇万円をこえており、大規模牧場がなかったかわりに小規模な経営、あるいは農家副業として行われていた。琴似村でも農家の二六パーセントが乳牛の飼育を行っていた。
 以上の生産額をみていくと、手稲・白石村豊平町などがバランスのとれた産業の進展がみうけられ、札幌・琴似村も工業・畜産の興隆がうかがわれる一方、篠路・藻岩村などは農業偏重から脱しきれない状況であったといえる。ただし、藻岩村は次期になると円山を中心に都市隣接住宅地として大きな変貌を迎えていく。
 最後に先の表6をもとに町村民の一戸当たり生産額をみてみよう。まず最も高いのは手稲村であるが、これは農産以外の畜産・鉱産など生産額に支えられた結果といえる。同様なことは琴似・白石村にもあてはまる。豊平町の場合大正十年に鉱産が激減するにしたがい、九年と比べ二五〇円ほど減少している。
 生産額が概して低いのは、一応札幌・藻岩・篠路村、豊平町となるが、これは篠路村を除き都市住民が多く居住している町村である。この種のデータでは都市住民は〝非生産民〟となり、どうしても平均値が低下することになる。それゆえ、現実の生産額を必ずしも正しく表わしていないといえる。