札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第二章 諸町村の近代化と行財政

第二節 ムラの変貌と近代化Ⅱ

二 豊平村・豊平町

 豊平村は豊平・平岸・月寒村の三村をもって明治三十五年四月一日に二級町村制が施行され、村内は三村の大字で編成されることになった。豊平村は東西九里二二町(約三八キロメートル)、南北八里三二町(約三五キロメートル)、面積五二方里(約八〇一平方キロメートル)という広域であった(約八割が山林で占められていた)。この年の戸数は一五一八戸、人口は八四一三人であり、札幌区の周辺七カ村の中では面積とともに最大の村であった。四十四年の農地面積は、水田四〇〇町歩、畑一〇四〇町歩を数え(豊平町勢一般 明44)、やはり最大の面積を誇る農村であった。
 しかしながら豊平村は全域が純農村とはいえず、大字豊平村が商業地域、大字平岸・月寒村は農業地域という具合に性格の異なる三村が併合していたために、地域的な利害も異にし、村治上では対立する問題も多く〝難治村〟とされていた。豊平村は四十年には戸数一八八一戸、人口一万三九七人を数え人口も一万人を超えたので、四十一年四月一日から二級町村の豊平町となった。そして大字豊平村の商業地域は四十三年四月一日に札幌区に編入され、〝難治村〟が解消されることになった。豊平町はその後、大正十年までには戸数二一九〇戸、人口一万一四二五人となり順調な発展をみせていく。
 村内には三十五年の二級町村の施行にともない、大字豊平村に八部、大字平岸村に一二部、大字月寒村に一二部、合計三二の部が置かれていたが、豊平村の大部分が札幌区に編入された後の四十三年以降は、以下の三四部となっていた(同前)。〔大字豊平村〕豊平、〔大字月寒村〕月寒東通、月寒西北通、月寒東北通、月寒西通、月寒上西山、月寒下西山、二里塚、牧場、厚別、厚別北通、厚別南通、公有地、三里塚、三里塚北通、器械場、〔大字平岸村〕平岸下本村、平岸上本村、東裏、中島、精進川、真駒内、石山、土場、穴ノ沢、丸重吾沢、野々沢、東簾舞、西簾舞、御料地、砥山、滝ノ沢、一ノ沢、定山渓。