第七編 近代都市札幌の形成
第二章 諸町村の近代化と行財政
第二節 ムラの変貌と近代化Ⅱ
一 藻岩村
山鼻村は主に屯田兵村として形成されたところで、明治三十二年(一八九九)に戸数は三六八戸、人口は二二二四人であった。それが三十八年には六五〇戸、三八六九人に及んでおり、この六年間に共に約一・七倍ほどの急激な増加を示している。これは三十四年以降に屯田兵給与地の売買が可能となったために、札幌区に近接した地区から漸次住宅地となっていき、都市住民のベッドタウン化現象が生じていたことによる。『町村誌資料』は都市化に向かう山鼻兵村の状況について、以下のように記している。
ここでは「半官半農的」な藻岩村の構成が、「施政上ニ最モ困難ナル所」とも指摘されているが、「境界変更ニ関スル書類」でも次のような同様な言及がみられている。 ……札幌区発達ノ余勢ハ漸次隣近各地ニ影響シ、同部落現在ノ状態ハ官公吏若シクハ商人ニシテ農業ヲ主トスルモノ殆ント稀ナルニ至レリ。従テ部落及札幌区ニ接スル区域ノ形勢ハ全ク市街ヲ為シ、現在耕地トシテ使用シツヽアル土地ノ如キモ、尚市街宅地ノ価格ヲ以テ売買セラルヽノ実況ニシテ生活ノ状態ハ勿論、人情・風俗等他部落農業地トハ全然相異ナルニ至リ、為メニ往々両者ノ間兎角円満ヲ欠キ村治上ニ影響スル処不尠。 兵村地区の急激的な市街化はさまざまな問題を惹起しており、市街地と農業地との分離が行政的に急務な課題となってきていたといえる。その一方でも山鼻村はやはり「半官半農的」な農村であり、四十二年の農地は九六九町歩、甜菜、亜麻、馬鈴薯、大豆などの栽培を主としていた。 |