札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第二章 諸町村の近代化と行財政

第一節 ムラの変貌と近代化Ⅰ

二 篠路村

 明治三十九年四月一日に篠路村は琴似村と共に二級町村制が施行され、この折に篠路兵村琴似村に編入となった。この結果、篠路村の広袤は東西三里七町(一二・五キロメートル)、南北一里一二町(五・二キロメートル)、面積三・二六方里(五〇・三平方キロメートル)の村域となった。村内の行政区域としてはこの年八月に、以下の一七の部が設置された(字名改称地番変更)。
  第一部 字本村
  第二部 字五ノ戸
  第三部 字十軒
  第四部 字レツレツプ
  第五部 字中島・学田
  第六部 字横新道
  第七部 字茨戸(前田農場ヨリ市街中央マテ)
  第八部 字茨戸(市街中央ヨリ石狩川添ペケレト沼マテ)
  第九部 字興産社大野地
  第十部 字興産社沼方
  第十一部 字興産社地内
  第十二部 字山口
  第十三部 字カマヤウス
  第十四部 字当別太(移住者共有地界ヨリ中野開墾道路沿ヒ)
  第十五部 字当別太(当別渡道路沿ヒ対雁村界マテ)
  第十六部 字沼ノ端(苗穂村界マテ)
  第十七部 字中野開墾
 三十九年の戸数は五一二戸、人口は二九二五人であったが、かつては篠路村は一七の札幌区周辺村では一番の〝大村〟を誇っていた。しかしながら二級町村制の施行に際し、他村は二、三村が併合して実施したのに対し、篠路村のみは一村で施行しただけに、札幌区周辺の二級町村の中では逆に一番の〝小村〟となることになった。
 その後も世帯数、人口は伸びず大正四年以降は微減を続ける一方であった。この原因は篠路村が水害の被災地であるとともに、泥炭地が多いという地質的悪条件もあり、農業の振興がままならなかったことによる。このために石狩川の治水、潅漑溝の施設などが必要であったが、その解決は次の時期を待たなければならなかった。