札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第七章 札幌進展期の社会生活と文化

第五節 都市衛生の整備と災害

五 水害とその他の災害

 札幌区豊平村上白石村苗穂村との境を流れる豊平川は、春先の融雪期と秋の台風の季節には毎年のように決まって氾らんをくりかえしていた。『札幌消防百年の歩み』によって札幌の水害の歴史をみても、豊平川の出水は五年、六年、九年、十年、十二年、十四年、十五年、二十二年、二十三年、二十四年、二十五年、三十一年とくりかえしていたことがわかる。豊平川の氾らんは、さらにその支流の小河川の氾らんをしばしばひきおこしたことはいうまでもない。しかも開拓使以来開始されたところの豊平川の治水工事は、二十二年三月ひとまず竣工したが、同年九月の札幌地方を襲った暴風雨はたちまち豊平川を決壊させ、このため市街は洪水に見舞われた。
 ことに三十一年の場合は、春・夏・秋と三度も暴風雨に見舞われたため、市街のみならず村においても大きな被害を受けている。同年の暴風雨による被害状況を当時の新聞等から拾いあげて総括してみよう。
〈四月二十五日〉 札幌郡篠路村字茨戸近傍暴風雨により、石狩、篠路二河川増水すること平常より一丈五尺以上。二十六日強風をともない水面一層膨張し、篠路村字札幌太番外地松田石吉ほか二戸の家屋流失す。被害拡大し、札幌より石狩に通ずる新道、すなわち篠路屯田兵村四番地より茨戸太巡査駐在所にいたるおよそ一里余の道路不通。家屋の浸水、茨戸太五〇戸、札幌太二〇戸。ともに床上四尺以上。篠路村字釜屋ウス二〇戸、床上七、八尺。篠路村字山口開墾四〇余戸。同村字中野開墾四四戸。同村字ビトエ二〇戸、うち家屋一戸、小屋二戸流失。被害を受けた畑およそ二四〇町歩。
〈七月十八日〉 この日以来の降雨のため石狩川をはじめ篠路川、篠津川等氾らんし、付近の札幌郡篠路村字当別太、同村字茨戸の家屋・畑浸水す。浸水家屋篠路村八八戸、同村字当別太七三戸、冠水田畑篠路村二八〇町歩、同村字当別太一六七町歩。焚出しを受けた人員篠路村字当別太二一戸、男四一人、女四一人、計八二人。篠路村字茨戸太五戸、男七人、女六人、計一三人。
〈九月六日〉 この日より八日にいたる三九時間三〇分の間の降雨量、第一測候所によれば一五五ミリメートル。七日より烈風も加わり、石狩、空知、後志方面各所で出水し、空知方面では死者も出す。鉄道途絶し、二十三年以来の大洪水となる。
―各地の被害状況(直後の報告)―
札幌市街〉 北五条西二丁目低地のため床下浸水する家屋多し。豊平橋仮橋流失。南一、二条東四丁目の十数戸床上浸水。
豊平村〉 浸水家屋数戸。
〈篠路、丘珠両村〉家屋浸水二八戸、冠水田畑一三〇町歩余、新川堤防破壊、茨戸川氾らんによる。
〈篠路村字茨戸太〉 木材の流失甚しく、耕地の被害三〇〇町歩におよぶ。蕎麦、諸作物全滅。
篠路屯田兵村〉 第五線より前田農場茨戸付近各戸床上浸水。前田農場全部浸水。興産社被害反別一五町歩余。佐藤農場被害反別一〇町歩余。家屋流失続出、馬匹の流失多し。興産社農場に避難所収容者四〇〇余人。一粒の食料なしと。
下手稲村役場部内〉 三樽別川橋梁破損甚しく交通途絶。二、三十戸浸水か。
発寒川付近〉 銭函街道仮橋流失。それより六、七町下流の橋も流失し、琴似村発寒村間交通途絶。琴似村の床上浸水家屋数戸。
苗穂村〉 苗穂監獄署近傍農家床上浸水。焚出し。
雁来村〉 浸水家屋四〇戸。
 しかし、時間がたつにつれ被害状況はさらに大きいことが札幌支庁の調査で明らかとなった(表27)。
表-27 明治31年札幌支庁管内水害罹災調査表
村名・字名浸水家屋流失家屋浸水田畑
漁村漁太 508戸  -戸 9700反
篠路兵村 208  3 1600
茨戸太   -  3 3000
手稲外2村 158  -14000
札幌外4村 140  - 6000
江別外2村 654304    -
山鼻外1村  29  - 1503
広島村  54  - 5500
親船・花畔 288  9 7750
白石外1村   8  - 1080
琴似外1村  20  7 2500
豊平外2村  42  - 1150
当別1148  7    -
千歳村  22  -    -
新篠津村 600  -    -
387923353783
北海道毎日新聞』明治31年9月23日付より作成。