札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第七章 札幌進展期の社会生活と文化

第五節 都市衛生の整備と災害

三 伝染病とその対策

 この時期の札幌区札幌郡において猖獗(しょうけつ)をきわめたおもな流行病を年代順に列挙すると次のとおりである(表25)。
表-25 札幌区札幌郡伝染病患者及び死亡者数(明治19~33年)
コレラ腸チフス発疹チフス赤痢ジフテリア疱瘡
明治
19年

80人 (57)8人 ( 3)-人 --人 -4人 ( 2)41人 (16)133人 (78)
144 (96)-  --  -1  --  --  -212 (135)
20 -  - 12 ( 5)-  --  -7 ( 2)181 (80)200 (87)
-  - 12 ( 1)-  --  --  - 61 (33)72 (34)
21 1 ( 1)40 (14)-  --  -16 ( 8)1  -58 (23)
-  -20 ( 4)-  --  -7 ( 1)-  -28 ( 5)
22 -  -21 ( 7)-  -2 ( 1)19 (11)-  -42 (19)
-  -22 ( 6)1 ( 1)-  -12 ( 9)-  -35 (16)
24 -  -116 (20)-  -1  -11 ( 2)1  -129 (22)
-  -26 ( 9)-  --  -4 ( 1)-  -30 (10)
25 1 ( 1)69 (20)1  -2 ( 2)22 (13)1049 (392)1114 (428)
-  -23 ( 4)-  --  -12 ( 9)319 (131)354 (144)
26 -  -51 ( 6)-  -1  -11 ( 5)70 (44)133 (55)
-  -17 ( 1)-  -1  -13 ( 8)64 (37)95 (46)
29 -  -67 ( 7)-  --  -32 ( 7)-  -99 (14)
-  -34 ( 3)-  -3 ( 1)9 ( 4)2 ( 1)48 ( 9)
33 -  -210 (38)-  -3 ( 1)30 ( 6)-  -243 (45)
-  -45 (11)-  -29 (16)27 ( 6)-  -101 (33)
1.明治23,27,28,30,31,32年は石狩国全体の統計のため割愛。2.( )内は死亡者数。3.『北海道庁統計書』より作成。

コレラ〉 明治十九年七月横浜から函館に入港した汽船中に患者が発生し、これが全道に広まった。札幌区でも九月頃猖獗をきわめた結果患者数八〇人におよび、死者五七人を出した。病勢は郡部にもおよび、札幌郡患者数一四四人、死者九六人を出した。ちなみに函館区の患者数は一〇二二人で、死者八四六人を出した。二十八年出征兵、軍夫によって日本に持ち込まれ、全国では五月から十二月まで流行した。道内では患者数七七人、死者五三人を出し、札幌でも八月五日にコレラ患者を円山の避病院に隔離したが詳しいことは不明である。
〈腸チフス〉 十九年における患者数八人、死者は三人であったが、その後次第に増加し、コレラ・痘瘡などの一時的に流行するものと異なり、毎年のように流行した。とくに人口密集地域の札幌区札幌郡などに多く発生し、二十四年は六月頃から流行しはじめ十二月末までに札幌区の患者数一一六人、死者二〇人、札幌郡の患者数二六人、死者九人を出した。
〈痘瘡〉 十九年から二十年にかけての全国的な大流行が北海道にも蔓延し、二年間の札幌区内の患者数二二二人、死者九六人、また札幌郡内の患者数六一人、死者三三人を出した。ついで二十五年より二十七年にかけても大流行し、二十五年の場合札幌区内患者数一〇四九人、死者三九二人、また札幌郡内患者数三一九人、死者一三一人に達した。
〈赤痢〉 気候温暖な本州に多く発生する伝染病なので、北海道ではあまり発生しなかったが、札幌区札幌郡では発生の年には患者数一~三人を出し、二十五年には札幌区で患者二人の発生をみ、二人共死亡している。
〈ジフテリア〉 小児の罹患者が圧倒的に多い病気で、十九年には札幌区内で四人の患者が発生し、死者二人を出したが、その後毎年のように増加し、二十九年には札幌区札幌郡で患者数四一人、死者一一人に達した。
〈発疹チフス〉 虱(しらみ)を媒体とした伝染病であるが、北海道では発生は比較的少なかった。札幌区札幌郡では、二十二、二十五年に発生がみられる。
〈その他の伝染病〉 この時期全道に広まっていった伝染病に結核があった。不治の病といわれたこの伝染病は、年を追って増加の傾向にあったが、独立の伝染病に指定されたのが四十四年八月で、具体的予防策はその後のことである。前時代以来大きな問題となっていた梅毒は、開拓の進展に伴って私娼が新開地に進出して病毒を散布し、さらに増加の傾向を示した。二十年には札幌駆黴院を設置し、開業医を嘱託して予防業務にあたらせた。また生活程度の低さによる不潔が原因のトラコーマも非常に多かった。