第六編 道都への出発
第七章 札幌進展期の社会生活と文化
第一節 明治中期札幌の諸相
三 家庭生活のあり方と風紀問題
伊東山華の「北海道と女性」にも触れられている私生児の増加は、ことに二十年代後半になって問題視されるようになった。三十年二月二十七日の『北海道毎日新聞』は、全国と北海道の出生数のうち私生児の割合をとりあげ、全国よりも北海道の方がきわめて多いことを明らかにした。表4は、二十三年より二十七年までの全国と北海道の私生児数の比較である。これをみてもわかるように出生数に占める私生児数は北海道の場合全国よりも三倍から四倍も多い。これについて同紙では、北海道が全国に比べ道徳上に原因があるのか、あるいは戸籍上に問題があるのではなかろうかといった解説を付している。戸籍上の問題とは、婚姻外すなわち事実婚である内縁関係におかれたまま、あるいは戸籍の手続が遅れているといった理由であろうか。ところで、三十二年十一月二日の同紙では、札幌区内本籍者のうちの私生児・庶子数の調査を掲載し、大通を基点に北は八条通、南は七条通まで通りごとに一六のブロックに区切り数字を掲げている。それによれば、私生児八一〇人、庶子一四六人の計九五六人を数え、一六のブロックでは南一条から南六条にいたる間が七七一人と、全体の八割を占めている。このことは、この地域がいわゆる商業地域で、特に南四条から南六条にかけては薄野遊廓も有することから貸座敷業や芸娼妓、飲食店を営む者が多いことが関係しているのであろうか。本籍者のなかにさえこのように婚姻外の子供で父親の認知しない私生児、あるいは認知した庶子が多いということは、寄留者をも加えるとこの何倍かの数字になることは間違いないであろう。
二十年代後半の札幌では、このように私生児の問題が即地域社会の問題として云々される時期でもあった。 |