札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第五章 教育の充実

第三節 中・高等教育の発展

一 中等教育の確立

 前述のように、明治二十年(一八八七)四月に、全道ほとんどの小学校が修業年限三年の簡易科に指定されたため、それらの小学校を卒業しただけでは上級学校への進学はできないことになった。その場合は、簡易小学校修了後補習科一年に進むか、尋常小学校に編入し、その上で高等科に進学しなければならなかった。一方札幌農学校でも二十年制定の予備科(四年制)が二十二年九月に修業年限五年の予科に改編され、原則として高等小学校卒業者を入学させることとした。しかし札幌農学校と小学校との接続はなお不完全であり、さらに学力をつけるための補習学校等もこの時期増加した。
 こうした状況下で、学校階梯上の欠陥を補い上級学校への進学意欲を高めるため、二十四年に前道庁理事官で北海道炭礦鉄道会社社長の堀基は、札幌農学校教授新渡戸稲造と相談し、「近来本道ノ学事ハ年々進歩シテ最早今日ハ全道ヲ通ジ高等小学校ヲ終ヘシモノ多ク、父兄ハ更二勉学セシメントスルモ良校ナキニ苦シムモノアリ」(北鳴学校紀事)との認識の下に、七月に各種学校として私立北鳴学校の設置認可を得、堀を校長、新渡戸を教頭として九月に開校した。
 同年十二月の「中学校令」改正で各府県に一校の中学校設置が義務づけられたが、道庁が設置にふみ切らなかったこともあり、北鳴学校は二十五年八月に校則を改正し、本科を尋常中学校の学科課程とし、九月から実施した。二十七年五月に第一回卒業式を挙行したが、翌二十八年三月に札幌尋常中学校が設置されたのにともない、同月に閉校した。なお二十六年一月現在の同校生徒数は表12のとおりである。
表-12 北鳴学校の生徒
年限生徒数
167 (47)
234 (51)
314 (16)
417 (8)
5   (3)
132 (125)
明治26年1月1日現在『開拓指鍼北海道通覧』による。( )は26年12月31日現在『大日本帝国文部省第21年報』による。