札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第五章 教育の充実

第二節 初等教育の諸問題

一 就学率と財政の問題

 村落部においては、当時の一七カ村の就学率を個別に明らかにする史料は見出していない。このためのち大半が札幌市に編入された札幌郡全体、あるいは若干の個別例を示してそれから類推することとする。まず前記区内と同様、二十五年の札幌郡の数字をみると、就学者三九四三人、不就学者四〇一七人、計七九六〇人で、就学率は男六一・三パーセント、女三四・四パーセント、平均四九・五パーセントとなっている(北海道教育雑誌 一)。札幌区と比較すればもちろん低く、全道の男女平均四九・三パーセントとほぼひとしい。札幌郡は内陸開拓地としては先進地であるが、当時はまだ道内の内陸開拓がそれほど本格化せず、人口も旧開の道南、沿海部が多かったため、このような結果となったと考えられる。
 また、二十八年における豊平戸長役場管内の就学・不就学者数を示すと表7のとおりである。就学率は男子が三六・八パーセント、女子が二四・九パーセント、平均で三二・七パーセントとなり、区内に比して相当に低い。この管内の小学校は豊平、白石、信濃、大谷地、平岸、月寒の各校と思われるが、この中でもすでに尋常高等小学校となっている豊平と、創立ほどない信濃、大谷地などとはかなりの差違があったと思われる。また『北海道毎日新聞』三十二年一月二十六日付の記事によれば、山口村では学齢児童九一人中就学者は五二人と記され、就学率は五七パーセントとなる。いずれにせよこの時期、就学率の向上は、区内・村落部を問わず依然として重要な問題であった。
表-7 豊平戸長役場管内就学状況(明治28年)
就学不就学就学率
432人742人1174人36.8%
154 465 619 24.9 
586 1207 1793 32.7 
1.『豊平町史資料』11-教育による。
2.誤植と思われる数値については修正した。