第六編 道都への出発
第四章 屯田兵村の再編
第二節 兵村の土地
二 公有地
二十三年にできた屯田兵土地給与規則第二条は「移住ノ屯田兵二百五十戸以内ヲ以テ屯田兵村トシ、一戸凡ソ一万五千坪ノ割合ヲ以テ、戸数ニ応シ其ノ村ノ公有財産トシテ土地ヲ給ス」と定めた。これにもとづき兵村に給与された土地を公有地と呼ぶことにする。前期兵村は二四〇戸なので一兵村三六〇万坪以内、後期兵村は二二〇戸で三三〇万坪以内、札幌四兵村合計で一三八〇万坪内外の土地が兵員共有の財産として、二十四年から三十四年にかけて下付されることになる。これは当面薪炭林等として活用できるが、むしろ将来へ向けての兵村安定資産で、兵村運営の財源となり、解隊後地方公共団体へ円滑に移行できるようにとの配慮にほかならない。
琴似兵村へは三十四年登記時に三三三万坪余の公有地が給与されていた。その多くは発寒川上流の官林を解除した山林地で、ほかに兵員給与地と交換した軽川谷地や山鼻村八垂別にあり、小面積とはいえ住区画内外の官用地編入替と兵員給与地没収分七件が貴重な財産となった。 山鼻兵村へは月寒村に薪炭林、秣場の名目で広い公有地を給与し、平岸村簾舞、山鼻村八垂別にもかなりの面積をもった。官有地編入替は琴似同様になされたが没収地の転換は一件にすぎない。 新琴似兵村へは琴似兵村公有地に隣接する発寒川上流の山林地が広く給与された。ほかに月寒村厚別、上下手稲村に分散するが、官用地とともに新琴似兵村に近接する土地の編入替が注目される。現北区新川地区の三〇万坪を越すまとまった土地が公有地になり、兵員給与地の集約とともに好条件であった。没収地転換は六件である。 篠路兵村へは山鼻村白川を主に給与したが、面積上は半分に達せず、残りは各地に分散した。山鼻村アシシベツ、平岸村簾舞、花畔村等は他兵村と同条件の土地であるが、給与地に続く石狩川右岸当別村五筆四七万坪余、さらに勇払郡厚真村ノヤスベ二五万坪という遠隔地にまで所在し、管理運営に不便をともなった。官有地の編入替は他兵村同様になされ、没収地転換は四件である。 札幌四兵村へ給与された公有地の実面積は合計一三四八万坪、すなわち約四四九三町歩(約四四五六ヘクタール)になる。前述の基準面積にくらべれば三二万坪ほど少ないが、そのほとんどは琴似兵村分の減である。全公有地のうち現札幌市域に九三パーセントが位置するから、給与地とともに公有地も今日の市民生活に深く関わり続けているのである。 なお表4の公有地面積のうち琴似兵村については、その一部(約一一三万坪)がすでに処分済のため含まれていないので注意されたい。
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