第六編 道都への出発
第三章 周辺農村の発展と農業の振興
第三節 農業生産の定着
三 畜産業の展開と林業
前述したように北海道の山林行政は、開拓使以来国有の「官林」で出発し、しかもその自由解放の歩みはきわめて緩慢であった。結局、移民を徐々に入植させての開拓であったため、山林行政は大部分を占める「国有林」経営に重点をおいてきた。表24は、十九年より三十二年までの札幌郡・石狩国・全道の官有林反別を示したものである。札幌郡の場合、途中二十二年より二十八年までの反別を欠くが、石狩国・全道の推移でおおよその流れがわかるであろう。この表で石狩国・全道の場合二十三年に一旦急激な減少をみせるのは、全道の国有林のうち二〇〇万町歩が皇室財産である御料林に編入されたためである。
官有林地の貸下は、二十七年の「官林貸渡規程」により、原則として宅地、田畑、森林、牧場など永久用のものには許可せず、郡区町村もしくは一集落の使用により牧場、溜池並公衆の利益に供するもののみ可とした。 ここで、十九年より三十二年までの札幌郡の官有林の貸下状況を示すと表25のごとくとなる。用途としては、炭がま敷地、鉱業用地、雑の三種に分けられていたが、二十九年以降では雑用地がもっとも多いことがわかる。
一方、森林・山野地の払下の方は、十九年の札幌郡の場合四六五町四反二畝六歩、この代価二〇九〇円四二銭四厘、払受人一四五人であった(北海道庁統計書)。 ところで、道内における土地払下は、十九年制定の北海道土地払下規則にもとづいて行われてきたが、二十七、八年の日清戦争を経た段階で、華族をはじめとして府県の地主・商人等も競って北海道の土地所有に乗り出す状況となり、土地払下規則が現状にそぐわないものとなってきた。そこで三十年国有未開地処分法が施行され、開墾・牧畜・植樹用地無償付与が規定された。 しかし、移民の増加はますます未開地への開墾をうながしたので、森林中へも食い込まねばならない状態となった。このような開墾による森林への進出に対し、三十二年に官林種別調査規程及細則を公布し、将来林地として保存すべき土地と、開拓に用いるべき土地とを区別して第一種から第四種に分け、第四種林のみを農耕地として選定することとした(北海道山林史)。官林内の農耕地貸下・払下にもとづいて、年々官林解除が増加したためである。三十年代の札幌郡の場合をみても、三十二年段階に官林が三万八三五八町歩あったが、三十八年には一万六〇八九町歩余、ほかに保安林(二十九年の森林法にもとづく官有林)八七五町歩余の計一万七〇〇〇町歩というぐあいに減少傾向にあった(北海道庁統計書)。 |