第六編 道都への出発
第三章 周辺農村の発展と農業の振興
第三節 農業生産の定着
三 畜産業の展開と林業
牛は、もともと肉牛ないし役・肉兼用牛が一般的であったが、二十年ころをさかいに官民を問わずさかんに乳牛が移・輸入されはじめ、その比重も次第に高まった。搾乳業も、十九年には札幌で岩淵利助、ついで長谷川正司、寺口房五郎が開業、二十四年には前述のように宇都宮仙太郎も開業し、牛乳販売を手がけるようになった。このため搾乳業者間の販売価格の値下げ競争がおこり、二十五年には札幌牛乳搾取業組合を設立し、一合二銭と販売価格の協定を結んだ。また同組合では牛の飼料用として札幌麦酒会社と契約を結び、ビール粕の一括払下を受けるにいたっている。
乳用牛の数は、牛乳飲用の習慣化と併行して次第に増加し、二十九年には札幌区・札幌郡の官民合わせて二七三頭、その後多少減少して三十二年には一四六頭であった(表20)。搾乳量も札幌警察署管内(札幌区、札幌郡のほか石狩、浜益、厚田三郡と千歳郡を含む)の場合ではあるが三十一年六月一カ月の場合、搾乳頭数七三頭、四八石九斗一升であり、また翌三十二年三月一カ月の場合、一一三頭、五〇石二斗九升三合であった(北海道毎日新聞)。
札幌は当時このように函館と並んで搾乳業の先駆的役割を担っていたようである。 |