札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第三章 周辺農村の発展と農業の振興

第三節 農業生産の定着

二 農業生産の状況

 開拓使による導入奨励によって札幌に配布された果樹の苗木は、明治十年代後半から結果収穫期を迎え、二十年代になるとその収益性が広く認められるようになっていった。三十年発行『札幌沿革史』に当時の札幌名産品として「苹果(リンゴ)、桜桃(サクランボウ)、梨(ナシ)、阿蘭陀いちご(オランダいちご)、赤茄(トマト)、甘藍(キャベツ)、玉葱(タマネギ)、玉蜀黍(トウモロコシ)、燕麦(エンバク)、麦粉(ムギコ)」等の農産物が挙げられているが、中でもリンゴ(林檎、苹果)の名声はひときわ高かった。二十年代になると、一般農家で自家用に植えていたリンゴを副業的な商品栽培に転換するものが増え、さらにリンゴ専業農家が生まれ、市街地商人投資のリンゴ園も成立したのは、それまで地元消費中心だったリンゴが本州へ移出販売されるようになり、二十年代末からは海外市場も開かれていったためである。
 二十一年札幌区内の民間リンゴ樹数は、既結実のもの一二七一本、未結実のもの二九七〇本、計四二四一本であるが、その内一〇本を除き外来種である。札幌区の周辺農村(札幌郡)では三万三八二九本も植えられ、内五一一八本が既結実樹だった。道内では札幌のほか函館周辺、小樽余市、有珠地方に多く栽培されているが、札幌には民間のほか屯田兵村、道庁所管地、農学校農園、札幌測候所、真駒内種畜場などにリンゴ樹があり、二十年代の初夏はリンゴの花咲く里であったといえよう。一〇年後の三十一年の樹木数を比較すると、区内では一三九九本と三分の一に減少するが、周辺農村では実に七倍の二三万六八九五本に増えた。植付面積では区内が二五町二段歩(約二五ヘクタール)で、その内二三町歩ほどがリンゴ園、周辺農村は四九四町歩で、リンゴ園は二六二町歩余、残りは一般農家における栽培の見積面積と考えてよい。三十一年の収穫量は区内が八七八七斤、周辺農村が五三三万七八〇七斤で合計五三四万六五九四斤となり、全道収穫量の七七・八パーセントにあたり全道一のリンゴ産地の座を占め、青森リンゴの収量がさほど高くならない当時であったため、日本の大生産地となったのである。
 区内外の著名なリンゴ栽培者を二十七年第二回果実品評会の入賞者でみると、まず区内では南の水原寅蔵、北の阿部隆明が名をなした。水原リンゴ園は民間リンゴ園の道内最初の経営であり、中島公園周辺に位置して常に高品質の逸品を世に出した。阿部の経営するリンゴ園は現北区北七条から北大構内にかけて広がり、近くには大西長太郎大井上逸策等のリンゴ栽培者の名が知られ、南一条岩井信六、南四条津田教助大通原田伝弥等が入賞している。当時のリンゴ園の中心は札幌・苗穂両村にあって、札幌村では橘仁苗穂村では福本富吉灰野清太郎山口和三郎水森大次郎木藤良吉等が知られる。西部では上手稲村白井恒路山岸惟孝がおり、上白石加藤政吉加藤利道上野亀太郎の名がある。この頃からリンゴ園経営に力をそそぎ始め三十年代にかけて大きな発展をみせる平岸豊平地区では、山際祐松が入賞者に名をみせ、早くも苗木育成事業に従事していた。

写真-14 水原林檎園(札幌繁栄図録)

 こうした栽培農家の努力により着実な発展をみせていたリンゴではあったが、病虫害の難題が潜在していたのである。札幌近辺のリンゴの木に毛虫や青虫が目立つようになり、その害に注意が向けられ防除法が工夫されるのは二十年代はじめからのようである。渡島地方に被害を与えていたリンゴカキカイガラムシが進出し、ワタムシの蔓延に悩まされるようになり、二十一年には上手稲でシンクイが発生し猛威をふるった。さらに二十七年札幌で初めてモニリヤ病菌が発見され、三十年代に入り収量を半減させる大被害をもたらすにいたった。
 品種については開拓使以来今日まで札幌に植えられたものは一〇〇〇種にのぼるだろうと言われるが、次第に淘汰され経済品種が残るようになる。開拓使が導入したものだけで七五種というが、多くはアメリカからの苗木輸入で、その順に番号をつけて区別するのが一般的であった。輸入苗木であっても開拓使扱いと内務省勧業寮扱いでは番号が異なり、これにフランス系やカナダ系に和種が入り組み、各地で思い思いの和名が付されて混乱をまねきはじめたので、札幌のリンゴ栽培の隆盛を背景に北海道果樹協会が呼びかけ、二十五年から名称一定の話し合いが進められた。その結果三十三年協議を完了し、たとえば開拓使輸入番号一号で青森ではもっぱら金時といい、山形では三国一と呼んでいたものを「赤龍」に統一したが、のちに国光(四九号)紅玉(六号)として親しまれる品種の番号は開拓使の輸入番号ではない。
 ブドウ(葡萄)栽培も札幌で盛んであった。これはブドウ酒醸造の原料としての需要が多く、二十一年区内の樹数は一三七二本、周辺農村に一八万一六六二本、合計一八万三〇三四本あり、全道の七割にあたった。しかしブドウ酒醸造業の衰退に影響され大幅な減少をきたし、一〇年後の三十一年は区内八三〇本、周辺農村五万六七八九本、合計五万七六一九本となった。いずれもリンゴ同様ほとんど輸入の外来種で、三十一年の栽培面積は区内九段歩、周辺農村一四町三段歩、区内の収穫高は二〇〇斤にすぎず、周辺農村は一八万七八七七斤、合計の収穫高は全道の八一パーセントを占めている。

写真-15 谷葡萄園と葡萄酒工場(札幌区実地明細絵図)

 そのほかナシ(梨)の栽培も続けられ、二十一年区内の樹数二三四九本、周辺農村二万一六九〇本が三十一年区内六二三本、周辺農村二万一一三〇本となり、区内を除けば大きな変化はない。ただリンゴの品種とちがい日本在来種が六四パーセントを占め、外来種をはるかにしのいでいたのが注目される。桜桃(サクランボウ)、杏(アンズ)、李(スモモ)、桃、梅、栗等もこの期に栽培されていた。