札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第三章 周辺農村の発展と農業の振興

第二節 周辺農村の行政機構

二 村自治と総代

 総代制は村治につき戸長の諮問機関として明治十三年十一月に設置されて以来、二級町村制の施行(豊平・手稲白石・札幌村は三十五年四月一日、藻岩・琴似・篠路村は三十九年四月一日)まで続けられた。任期は二年で村民の成年男子の選挙によっていた。
 総代の権限はいたって低いもので、村自治から遠いものであったが、実際の職務となるときわめて広範囲で多忙なものであったといえる。総代は村財政、土木、教育、衛生などすべての事項に関するまとめ役であると同時に、戸長役場と村民との仲介にたち、また名望も必要とされていた。
 札幌県では十六年三月に総代の名簿を作成したが(札幌県治類典 道文八六八三)、その時に財産・品行・名望まで調査している。総代の被選挙権は総代選挙法で一〇〇円以上の地券を有する者とされたので、やはり一〇〇円ないし二〇〇円以上とする者が大部分である。品行は「方正」「可なり」「方正と云難し」の三区にわけられているが、「方正」は一八人、「可なり」は一一人、「方正と云難し」は二人いる。また名望は「あり」「薄し」「僅あり」「なし」の四区分とされ、「あり」は一五人、「薄し」は一一人、「僅あり」は二人、「なし」は四人となっている。ただ以上は戸長の主観的判断によりまとめられたもので、村民一般の評価とは違っている面もあるだろう。発寒村の総代で品行は方正と云難し、名望は薄しと低評価しかうけていない人物が、三期以上にわたり総代に選ばれている例もある。しかし一般的にいえば、品行が方正ないし可なり、名望がありとされた人物が総代を長くつとめることが多い。札幌県でも総代による名望家支配を期待したからこそ、この種の調査もおこなったのだろう。
 表11は一七カ村の総代の変遷を示したものである。あいにく史料がそろっておらず、全時期にわたり変遷が追えるのは、平岸・白石村のみくらいである。表11によるとやはり名望家、徳望家と目される人物が再選を重ね、長期にわたり総代をつとめている例がある。山鼻村永田長蔵、神田直太郎、円山村上田万平、斎藤達蔵、琴似村宮坂坂蔵発寒村の大野儀蔵、豊平村阿部与之助、阿部仁太郎、佐藤珍平、平岸村中ノ目文平、砂金佐太郎、苗穂村の水森源五郎、丘珠村の後藤弥治右衛門、札幌村の菊地徳三郎、稲葉元助などが顕著な例である。いずれも開村当時からの草分けであることに特徴がある。以上のうちいく人かについて紹介しておこう。

表-11 各村総代の変遷(明治13年~39年) その1


表-11 各村総代の変遷 その2


表-11 各村総代の変遷 その3