札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第三章 周辺農村の発展と農業の振興

第二節 周辺農村の行政機構

一 戸長役場と戸長

 札幌周辺村の行政は明治十三年(一八八〇)二月以来の戸長役場制がとられ、数カ村で一戸長役場をおく制度がとられていた。すなわち、(一)山鼻・円山村(戸長役場山鼻村に設置)、(二)琴似・発寒村(琴似)、(三)上手稲・下手稲山口村(上手稲)、(四)豊平・平岸・月寒・上白石白石村(豊平)、(五)札幌・苗穂・丘珠・雁来・篠路村(札幌)、以上の五ブロックにわかれていた。しかしこの時期にいたり、人口の増加や開拓の進展にともない、戸長役場の移転や分立が行われてくる。
 まず上手稲ほか二村の戸長役場は、これまで上手稲村におかれていたが、三カ村の中央に位置する下手稲村の軽川に二十一年八月十七日に移され、これと同時に従前に設置されていた山口村派出所は廃止となる。
 次に分立をみると、豊平村ほか四カ村は村域が広く人口の多い平岸、月寒、白石の三村をかかえていた。月寒村は現在の広島町までを含んでおり広域であった。そのために大曲などの広島開墾地の戸口の増加にともない、二十六年十二月十六日に広島村の設置が告示され、二十七年二月十日に広島村戸長役場が設置され月寒村から分村となった。白石上白石村もやはり戸口の増加、及び厚別方面の発展にしたがい連絡事務が増し、白石村に二カ村の戸長役場が三十年六月十三日に設置の告示が出された。当初の役場庁舎は民家を借りて七月十五日に開庁し、そのあと戸長役場を新築し十月十七日に落成式が挙行された。
 篠路村は白石村とならび人口の多い〝大村〟であった。三十二年五月十日に篠路村戸長役場の設置が告示されたが、設置理由については以下のように説明されている(道毎日 三十二年五月十九日付)。
篠路村は是迄札幌外四ケ村戸長役場の所轄に属し、土地肥沃にして頗る農耕に適するのみならず、札幌市に接近せるを以て将来益々移民増殖の状況あり。去三十年末の調査に依るに戸数八百七十八、人口四千三百六十八を有し、加之(しかのみ)ならず屯田兵村の設置あり。他の三村とは自ら状態を異にするを以て、施政上従来の戸長役場にては周到を期し難きものあり。即ち同村を割き一役場を設置したり。

 これによると篠路村は、戸数・人口の多さと共に屯田兵村があり、「三村とは自ら状態を異にする」ことが理由とされている。篠路村戸長役場はひとまず教願寺の一部を借用して七月一日に開庁し、十月二十七日に新築庁舎がなり落成式が行われた。
 なお戸長役場の新築・移転をみると、豊平ほか四カ村戸長役場はそれまで民家を借用したものであったが、新たに豊平尋常小学校の付属建物を移設・修理し、二十四年六月二十七日に移転式が行われている。山鼻・円山村戸長役場山鼻尋常小学校に併設されていたが、二十三年二月七日に火事で焼失する。その後南一三条西一一丁目に新築されたらしいが詳細は不明である。