札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第三章 周辺農村の発展と農業の振興

第一節 移民の増大と農村

一 諸村の発展

 手稲は二十一年八月に、上手稲、下手稲山口村の三カ村戸長役場手稲より移され、三カ村の行政の中心地となった。手稲の中でも軽川(手稲本町)は、十四年十月二十五日に幌内鉄道の簡易停車場が設置され、市街地の形成の端緒となっていた。軽川はもとより交通の要衝であったが、二十一年に石狩の花畔への新道が開削され、物資の集散地としての機能も高まってきた。
 手稲の二十二年の戸数は二〇八戸、人口は五七九人であったが、農業は六割でその他が四割とされており(佐藤喜代治 北海道旅行記)、雑業者が多いのも軽川の市街地形成と関係をもつ。手稲には二十五年に巡査駐在所がおかれ、二十八年に前田農場の軽川支場が開場し(小作は三十二年で四九戸、林顕三編 北海誌料)、三十一年には北海道造林合資会社が創設されるなど、変化が著しかった。三十一年に軽川に郵便局の設置を求めた陳情文によると、「軽川地方の住民は農業家のみにあらずして、全く諸種の住民多く」、「石狩港並に附近の村落は、冬春積雪の候は凡て物貨は我が軽川に運送し来り」、軽川には戸数二八一戸(手稲は二一五戸だが寄留の未届の者が多数あったという)を数え、軽川の市街地形成は相当なものであった。またこの頃は、軽川倉庫会社勝山農林場(小作四〇戸)もおこり(道毎日 三十一年十一月二十二日付)、軽川市街を中心とした手稲は大きな発展をむかえていった。
 なお二十五年には三樽別(宮の沢)に、小樽区の東幸三郎の経営になる硫鉱泉の温泉旅館光風館がつくられ、札幌近辺の遊客が利用する名所となった。