札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第三章 周辺農村の発展と農業の振興

第一節 移民の増大と農村

一 諸村の発展

 平岸村豊平川の上流域の定山渓までを村域とする広い範囲にわたっていたが、この時期になると石山、簾舞の方面まで開拓が進展していった。
 石山は軟石、硬石の採掘地として名高く、二十九年には一四人の採掘者がおり、毎年の採掘高は四万五〇〇〇余切(一切八尺立方)に及んだという(道毎日 二十九年十一月一日付)。三十二年には五七戸、二五二人を数えていた(同前 三十二年五月三日付)。三十二年八月二十三日に石山尋常小学校も開校しているが、この付近の発展は著しく、三十四年には二二六戸、八三七人にも及び村医の設置がはかられている(同前 三十四年七月二十三日付)。
 簾舞は二十八年三月に札幌農学校の第四農場(六四七町)がおかれ、この年二七戸の小作が入場したのをはじめとし、農場の小作戸が大部分をしめていた。『東北帝国大学農科大学農場成績報告』によると、三十二年には四三戸、四十一年には六八戸の小作を数えていた。また三十一年には御料局の御料農場もおかれ、盤の沢には一二戸の小作が入地しており(道毎日 三十一年十二月二日付)、大正四年には農地六五〇町余、小作一八五戸に達していた(簾舞沿革志考)。簾舞は三十二年には戸数四六、人口二五二とされていたが、農学校や御料農場の拡充にともない戸数も年々増加していった。