札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第二章 商工業の進展

第一節 官営工場の払下げと民間企業の勃興

一 官営工場の払下げ

官有諸工場の処分

 十九年十二月一日、札幌麦酒醸造場は大倉商会の大倉喜八郎へ地所、建物、器具、備品代共総計二万六六七二円二三銭三厘で払下げられ、支払は二カ年据置き二十一年より八カ年賦とした。原料の大麦は当地方産のものを用い、買入価格はその年の東京、大阪、宮城三カ所の平均相場を下らず、醸造高は七〇〇石を減じてはならないという条件がついていた。
 なお十九年中麦酒醸造場の職員職工及経費製造額等は表1のようであった。
表-1 明治19年札幌麦酒醸造場経費及び製造高
【職員4人/職工(男)18人】
科目金員製造品名(麦酒)数量代価販売品名数量代価
俸給1548円000四合瓶詰4003打8瓶6005円500四合瓶詰4139打6123円000
諸給1278.130四合瓶函詰366603.900四合瓶函詰338 544.500
庁費256.417弐合瓶詰108.400弐合瓶詰43.720
農工事業費3498.346弐合瓶函詰2422.320
営繕費239.245樽詰25石904302.628樽詰23石500293.751
総計6820.1386942.7486964.971
1.数量欄の「打」はダース(12本)。
2.販売額の製造額超過は前年度製造の越品による。
3.『北海道庁第一回勧業年報』より作成。

 我が国の麦酒の消費高が漸次増加して来たことから渋沢栄一浅野総一郎らもその経営に加わり、二十一年資本金七万円、存続期間二〇カ年の札幌麦酒会社が設立された。この段階で北海道庁は、大倉喜八郎に対し土地建物器械その他一切の払下代金を二十一年から八カ年賦としたのを二十四年十二月から八カ年賦に変更している。
 麦酒の醸造は旧開拓使時代において中川清兵衛が当たっていたが、二十年九月にはドイツ人醸造師マックス・ポールマンを招聘し、三カ年間道庁雇とした。生産高も二十一年の四〇七石から二十二年には八三九石と増産された。ついで二十三年には資本金一〇万円に増資して、ドイツから新式の醸造・製氷機械を購入し、工場を新設してこれを設置、一年の醸造高二五〇〇石も可能な増産体勢に入り、その年末には前期の損失を償却した上、七五九円余の利益を収め、翌二十四年には八七〇八円余の純益を計上している。
 醸造高が逐年増加するにしたがい製麦事業も拡張し、三十年前後には予約耕作反別は六〇〇町歩余に上り、ホップについても多年優良種を輸入して自給の途を構じ、三十年には苗穂村でホップ栽培を再興している。なお京浜地方の需要が増加してきたことから三十三年には東京市本所区に分工場を建設するまでに至った。
 容器についてははじめ輸入麦酒の空壜(びん)を東京方面より移入して使用していたが、販売高が増加するにしたがい三十三年二月に製壜工場を建設するに至った(大日本麦酒株式会社三十年史)。