札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第六編 道都への出発

第一章 北海道庁と札幌

第二節 札幌の行政機構と自治への胎動

二 自治への胎動

 札幌区長は道庁で任命され札幌駐在となる官吏なので、区役所は道庁の出先機関でしかない。全国地方自治制度として施行された市制・町村制は北海道に適用されず、したがって札幌区民は区長を公選し議会を開く権利を持たなかったのである。その理由として、北海道には函館小樽のような市街もあれば、ついこの間引越した村々もあって、均一の組織を施行できないこと、鉄道工事などで今日は盛んな市街でも、工事が終わると極く淋しくなってしまうようなところもあり、一つの制度が長期にわたって適用できるか疑わしいこと、出稼人寄留人が多く、どの範囲まで選挙権を与えるべきか定めがたいこと、一町村は広大で住民は少なく、その境界のわからない地域があり、選挙会を組織することさえ困難なこと、人口増と負担力が必ずしも比例せず、一様に義務をも負担させるのは得策でないこと、投機的でまだ儲蓄の精神が乏しく、公共事業に影響を及ぼすこと等があげられた。すなわち広大未開という地域性、財政負担力の不均衡、地域社会の流動性、地方行政荷担層の不確定、漁業にみる季節的繁忙と一方の冬期間の行動の制約から自治権が認められなかったという(鈴江英一 北海道町村制度史の研究)。
 札幌区民の自治待望論は高まっていくが、札幌区だけで解決しうる問題ではなく、全道的な世論の盛り上がりが課題となった。当面の対応として総代人会の機能をより住民に密着させる改善意見が生まれ、総代の補助機関として住民公選の代表者による協議会を設けたり、村中寄会の伝統を生かす村総会を定期的に開いて、議決した内容を総代が尊重して役職にあたる仕組が生まれるが、札幌区の組制度はこうした方向をめざさなかった。二十八年の札幌区総代通常会についてみると、前年度の決算と新年度の予算案等をわずか二日でほぼ区役所原案通り議了したことに対し「此の如く議事の進行迅速なりし所以は、其時日を費耗するを以て五月蠅となし、何は兎も角早速に結了せしめんことを希望したるの結果にあらざるか、若し果して然る事情ありしものとすれば、総代人会は寧ろ議事に冷淡なりと謂はざる可からす」(市史 第七巻一〇六〇頁)という批判があり、実権のともなわぬ制度の改善が強く求められた。「今や本道の町村は頗る発達し、自治問題さへ起りたるに、斯る無力の総代を置くは町村政治の上に何等の効をも見ざるは世人の斉しく認むる所なり。急に自治制を布くとすれば言ふを要せざれども、尚ほ早しとすれば責めて総代規則に改正を加へて、今日よりも多大の権利を与へ、町村政治に干与するの力を有せしめざるべからざるは、時勢既に到来せるを見るなり」(市史 第七巻一〇七一頁)との新聞論調は広く区民の支持するところだったと思われる。
 区民が市制・町村制の適用を求め、本州同様の地方公共団体となることを強く願ったのは、二十三年から開かれた帝国議会に区民の意志を反映することができない無念さからといえよう。二十二年に帝国憲法が発布され、翌年帝国議会が開かれると札幌区民はその度ごとに盛大な祝賀会を催したが、地方自治制施行除外の北海道からは衆議院議員を選出できないと規定され、「本道の首府たる札幌区民」は「頗る之を遺憾としたりき」(札幌区史)という。特に二十四年衆議院予算委員会で北海道関係予算が大幅に削減されたため北海道選出議員の必要を痛感したのである。そこで市制・町村制を北海道にも施行し、道議会(植民議会)を設置し、衆議院議員の選挙を札幌で実施しなければならないとの世論が盛り上がった。