札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第五編 札幌本府の形成

第九章 札幌生成期の社会生活と文化

第一節 草創期札幌の人びとの諸相

二 食料の確保

 米の生産を期待できなかった草創期札幌の農家では、開拓当初から食料になりそうな作物を植付けている。六年の札幌の一三の村(丘珠、上手稲、苗穂、平岸、発寒、雁来、白石、月寒、札幌、篠路、琴似、下手稲、円山)のおもな収穫物を調べてみると、米は札幌村でわずかに収穫されているのみで、大部分の村では、麦、粟、稗、黍、蕎麦、大小豆であったことがわかる(摘要録 市史 第六巻)。なかでも蕎麦は地味の悪い土地にも適していたので収穫も容易だったようである。十文字龍助関係文書のなかには、開拓使へ「蕎麦切」を納入した証書がみられるし、十文字龍助の日記にも「蕎ヲ喫」すという語句が頻繁に出てくる。また、十四年岩手県から篠路村へ入植した大萱生家(おおがゆけ)の場合も、入植するやいなや蕎麦の種一斗五升を蒔いて秋収穫していることなどからも、蕎麦は農家にとって重要な食料の一つであった(舳中鏡)。
 雑穀以外に農家でよく収穫できたものに五升芋(じゃがいも)があり、主食の補給源にされた。また白石村の場合、大根が予想外に収穫できたが販路がないため、開拓使で買上げてもらっている。この場合、大根は越冬用の糠漬にされたという。さらに札幌付近に自生していた山菜は、大切な補給源となった。わらび、たらの芽、ふき、せり、みつば等食用にできるものは何でも利用している。特に山鼻付近にはわらびが豊富にあり、六、七年の不景気の時にはわらびの根から澱粉をとり食したという(札幌昔日譚)。また、鹿や兎等もたくさん生息していたので、肉は食用にし、皮は履物や衣服等に用いている。定山渓の温泉守美泉定山は、鹿の毛皮を売買する仕事もしていた。また付近の河川には秋になると鮭が溯上してきたので、捕獲した鮭を四つに裂いて乾燥させおやつ代わりにしたという(平岸村開拓史)。
この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいないため掲載しておりません。
 
写真-1 美泉定山より石川正蔵宛の鹿皮の不猟により借金が返済できないとの書簡
(南区定山渓 定山寺蔵)