札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第五編 札幌本府の形成

第七章 社寺の創基とキリスト教の宣教

第二節 寺院・説教所等の創立

三 寺院・説教所設立等に関する諸問題

 当時の寺院・説教所設立の頃は、人口も少なくまた経済力も弱く、一村でこれらを維持することはむずかしく、したがって市中と数カ村が組合って設立する場合が多かった。再び中央寺の例になるが、寺号公称願に名を連ねたのは、市中の住民のほか札幌・丘珠・月寒・山鼻屯田・山鼻・円山・琴似・手稲の各村からほぼ二人ずつであり、同寺が非常に広い檀家区域をもっていたことを示しているが、他に曹洞宗寺院がない当時、当然といえばいえる。もう一つ例示すれば、経王寺は市中のほか、山鼻・琴似・白石・月寒・苗穂・平岸・豊平の各村からも総代が出ている。
 これは村落部説教所でも同じ傾向にあった。苗穂村の大谷派説教場は、苗穂村住民のほか丘珠・札幌・雁来から檀家総代が出ており、四村を区域としていることを示している。
 しかし苗穂村の説教場のような場合はともかく、手稲村の住民が中央寺に、あるいは琴似村の住民が経王寺に容易に往復できたかといえば、当時の道路交通事情を考えると、おそらくごく例外的・緊急事に限られたというべきであろう。そして次編の時代に至って村落部に寺院が相当数設立されるまで、このような状態が続いたといえる。
 したがって、住民としては出身地の、先祖伝来の宗派とは異なる寺院等の檀家となったものが少なくはなかった。これを次の時代も含めて例示すると、前出の石川正蔵中央寺の檀家総代に名を連ね、ついで新善光寺の檀家総代となっている。村落部では十七年に青森県から札幌に入植した山本徳太郎は、「禅宗であったが近くに寺もなく智徳寺(真宗大谷派、現厚別区)の檀家に」(智徳寺開教百年史 朝焼)なったという。また山形県出身者の多い伏見地区では、「禅宗最も多く真宗真言宗之に次ぐ。四年東本願寺の建設さるるや三部右衛門等其の世話方をなす。(中略)小教院(中央寺)の建設さるるや此信仰最も多数を占むるに至りぬ」(伏見史稿)と、檀家の移動のあったことを示している。このため、東本願寺では十三年にこのようなことのないよう末寺に達しており、また前述の「布教」もこの状況をふまえて行われたといえる。