札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第五編 札幌本府の形成

第四章 周辺村落の展開と農業

第二節 村落の行政機構

二 新副戸長と総代、副総代

 開拓使副戸長人選にあたっての態度は、平岸村の例でよくわかったが、もう一例円山村の場合をみておきたい。
 円山村副戸長は当初阿部仁太郎であった。彼は五年以来副戸長をつとめ、七年九月に再選されたのであったが十月七日に辞職した。辞表によると彼は、「無学無文之者」で「御布達之趣不相通儀等有之」と述べている。当時はまだ識字率も低く、農民出身の副戸長にはこのような問題がともなっていたのであろう。それ故、〝戸籍吏〟としての副戸長には、識字が要件とされていた。七年二月に副戸長伍長の廃止がはかられた時も、「文盲之者而已多く取締向も不行届にて御用弁不相成」といわれていた。
 阿部仁太郎が辞任しても後任の補充はすぐには行われなかった。人物の選考にあたって、その頃検地のため円山村へ巡回していた権少主典高畑利宜に、「実際目撃之状及問合」をおこなった結果、
高橋善次郎義ハ質直之者ニテ村内人望モ有之、御用弁可相成見込之趣申越候問、先試ニ総代ニ繰上能否勤惰ヲ検シ、追テ副戸長ニ御撰挙相成候様仕度

と述べ、総代高橋善次郎総代とし、「能否勤惰」を試したあと副戸長とすることの伺が七年十一月十七日に出されている(開拓使公文録 道文六〇一三)。善次郎は翌八年一月九日に総代になった(市史 第七巻九四二頁)。しかしその後副戸長への昇進がないために、九年九月十八日に円山村から五人組長八人、総代二人より副戸長拝命の願書が出され(区戸長進退録 道文一五八九)、それをうけて九年九月二十七日に彼は副戸長に任ぜられた(辞令録 道文一五五六)。
 総代総代などにくらべ、副戸長は直接開拓使と交渉をもち得る村吏なので、村治上のために村民側にも副戸長設置の要求が強かったのである。