札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第五編 札幌本府の形成

第二章 開拓使本庁と札幌

第一節 開拓使行政と札幌

一 黒田清隆の開拓構想

 明治三年八月に全権を委任されて黒田開拓次官は樺太に出張し、十月に帰京して北地問題に関する建議をなしたことは先にふれた(前章三節)。その意見封事において、黒田が指摘した当面の施策を再び列挙してみると、一、全道の中央に位置して四方の控制に便利な石狩国に鎮府を置き、二、大臣より選出してその鎮府の総轄に任命し、三、北海道を地勢に応じて諸県を分立し、四、北海道・樺太の定額を年一五〇万両とし、五、樺太も石狩鎮府の管轄に帰一させ、六、諸藩等の分領を廃して全道を政府の一円支配とすること、などを陳述していた。さらに北海道開拓の一定不易の大綱とその方法を樹立するため、大臣・納言の実地巡見と、風土の適当する外国から開拓に長ずる者の雇用、ならびに開拓有用の生徒を海外に派遣することをも要請していた(公文録 樺太開拓使伺)。

写真-1 黒田清隆(『黒田清隆』より)

 この建議に対して政府は、まず三年十一月十七日諸外国の開発の実情視察と外国人雇用のため、黒田をヨーロッパならびに清国へ派遣することを決し、さらに十一月二十九日三条右大臣は黒田に対し、以下の口達を令した。
来年春夏ノ間北海道巡見トシテ大臣納言ノ内出張、大綱御決定可被仰出事
 但細目ノ処ハ次官帰朝ノ上実地検分御決定ノ事
 大臣納言巡見相済候迄ハ是迄ノ通長官へ御委任ノ事
 開墾ニ長シ候外国人雇入ノ儀次官へ御委任ノ事
 次官出張外国人雇入実地検知ノ上屹度見込相立候ハヽ定額費ノ外増方可被仰出事
 開墾器械ハ米国へ注文可相成事
 開墾有用ノ生徒同行被仰付候間人撰可申出事
    庚午十一月              実美花押
(同前)

 ここに黒田は、四年正月四日留学生をともなってアメリカへ向け出帆した。そして当時アメリカ政府の農務長官の職にあったホレス・ケプロン、ならびにその推挙によるアンチセル、エルドリッジ、ワーフィールドの雇用を決定し、さらにケプロンに依頼して開拓機器等の購入に当たっている。その後黒田はロシアに赴いているようであるが、ヨーロッパにおける足跡は不明であり、また当初予定の清国には渡っていない。そして同年六月七日アメリカより帰朝した。
 この間、札幌本府建設工事の進捗にともなって、四年四月二十四日東久世長官はその拠を函館から札幌に移し、五月には札幌に開拓使庁を置くに至った。また同月参議の副島種臣が来道し、政府要人による北海道巡見も実現している。
 中央においては四年七月十四日に、黒田も希求していた「内政斉理」の発現としての廃藩置県が断行され、さらに七月二十九日太政官三院制の官制改革をみた。このような中央集権体制の整備を背景として、八月八日に樺太開拓使は廃されて、北海道開拓使に合併吸収された。さらに同月十九日には従来の開拓使定額を廃止して、来たる五年より一〇カ年間総額一〇〇〇万円という長期的財政の決定をみた。そしてその翌二十日、従来の諸藩・県、士族、寺院等に割渡していた、いわゆる分領支配体制を廃して、開拓使による北海道(渡島国の四郡を除く)・樺太の一円管轄が実現したのである。
 以上の一連の道内での動向をみると、それらは三年十月提出の黒田意見封事の内容にほぼ応えたこととなり、いうならば、明治四年を画しての北海道は、黒田の意図に即して作動を開始したといえるであろう。そして四年十月十五日東久世長官が侍従長に転出して以降も、長官は任命されずに黒田が次官のまま統括し、七年八月二日に参議兼開拓長官に昇任するが、明治四年以降の開拓使時代の北海道は、黒田によって差配されていくのである。