第五編 札幌本府の形成
第一章 札幌本府の建設
第三節 開拓使の体制整備と札幌本府建設
一 樺太分離
明治二年九月二十二日岡本開拓判官、丸山外務大丞、谷元外務権大丞らが農工民を伴って久春古丹に到着し、直ちに対露交渉を開始した。十月一日丸山は樺太事情を報告すると共に意見書を政府に提出し、また開拓大主典の堀と東を上京させて樺太開拓・対露交渉の状を上申させた。さらに十一月丸山は樺太施策改正意見を提出した。その要旨は以下の如くである。
というもので、現状に直面している現地派遣官員は、おしなべて対露強硬論を有していたが、丸山のはその代表的意見といえる。 それに対し政府は、二年九月北地出張の諸官員に与えた三条右大臣の諭示にみられるように、「樺太ハ魯人雑居之地ニ付、専ラ礼節ヲ主トシ、条理ヲ尽シ、軽卒ノ振舞曲ヲ我ニ取ルノ事アル可カラス、自然渠ヨリ暴謾非議ヲ加ル事アルトモ、一人一己ノ挙動アル可カラス」(公文録 開拓使伺)と、ひたすら隠忍自重を求めていた。 |