札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第2巻 通史2

第五編 札幌本府の形成

第一章 札幌本府の建設

第二節 島判官の札幌本府建設

二 豊平開墾

 まず豊平開墾の時期は、島判官一行が銭函に到着した直後から十一月中旬である。更に事業の内容を上記の史料①から推察しよう(表1)。
表-1 豊平開墾決算(案)
月日金額記事、但書き、付札など
10.18350両於石狩本陣に諸品買入札幌エ相廻候に付荒井使掌藤沢使掌エ相渡し 立合 楠元権少主典
10.21200両銭函諸色買上仕入方金に平田使掌并楠元権少主典右両人エ相渡す 但小樽内買上物
10.23300両札幌官員役宅建て方之義に付於銭函金穀掛より石山大主典受取
合金850両(朱書)
内 此訳
10.2060両山夫頭取平三郎小方山入に付頭取平三郎エ荒井使掌藤沢使掌より相渡す
11. 215両発作部百姓代源吉草刈人足其外沢庵漬物仕入金に相渡す
 立合 楠元権少主典并平田使掌
 (付札)此仕分草刈方何程にて沢庵何程に候也
11. 35両大工棟梁辰五郎職人召連度義に付貸渡 立合 楠元権少主典
11. 41両山夫世話役藤吉頭取平三郎遅参に付石狩へ差出す雑用金に相渡す 立合 楠元権少主典
11. 38両3分札幌より豊平迄運送諸掛同所百姓代宅四郎エ度々に相渡す
 立合 楠元権少主典(付札)此仕分石狩より御仕入物
11. 41両同札幌より豊平迄御買上物運送に付百姓代宅四郎承りに相渡す
 立合 平田使掌
11. 33分銭函より小樽内御買上げ物運送に付人馬賃相払
 但し米一升遣す 馬追なり 立合 藤沢使掌
11.晦2両札幌開墾場に有之候諸色運送方不埒明旦シノロ村両出役に付藤沢使掌え御入用より差出相渡す
11. 61分シノロ村御用達清太郎鍛冶木挽山夫等其外場所案内為致候に付謝金に御入用より遣す
 但し過日船にて石狩へ下り候節周旋に付御入用事
小計93両3分
差引残756両1分
その外15両ハツサフ村百姓源吉名主長之助たくわん其外御仕入代内渡し
 (付札)右十五両已ニ九拾三両三分之内に凡入居候、何故此エ出合金に調候也
合金108両3分
(以下付札)
850両
93両3分買受に付払
110両3分3朱
 永31文
小樽御買上物代
276両2分3朱
 永29文3歩
御仕入れ物大分
481両1分
 永90文3歩
八百五拾両之内五百六拾九両三分九拾壱文六歩の遣払何れの廉々にて其数に相成候哉
3. 25280両
 永158文2歩
石山より判官殿返納分
1.決算が不明確であるため(案)とした。
2.「巳十一月 諸受払附込 豊平金穀掛」(明治二年書類 道文153)より作成。

 最後の付札でも明らかなように、会計の精算が不十分のため費消した分は明確でないが、総額八五〇両のうちから五六九両余を費消していることになっている。更に小樽・石狩・銭函で諸品の買物をしていること、山夫の活動が始まっていること、早山清太郎が鍛冶、木挽、山夫等の道案内をしていること、札幌官員役宅の建設をしていることなどがわかる。ただ経費の計上が即ちその事項の執行かどうか確認できない。
 さらに上記史料②をみると、調達した道具類で目立つのは縄類の多いことである。十一月四日から十一日までで大間縄、中間縄、丈縄を合わせて二六丸購入している。その件数は一五件である。この帳簿は十月十三日から記載を開始しているが、全部で二五件の買物をしている。総額二七六両余である。それぞれの代金を記入していないので、縄購入が総額に占める割合は解明できない。他の購入物は半紙一しめ、大蝋燭一三挺、味噌二樽、越後酒一樽、沓見莚三束半、板付釘一抱であるから、縄の多さが目立つ。その内購入の集中しているのは、十一月四日から十一日、ほとんどが縄類であり、ほとんどが「丸小屋(江)入用」または「丸小屋江遣払」と但書のあるものである。
 豊平開墾の位置は不明である。しかし豊平という地名と「石狩大府指図」から判断して、豊平川の東側の千歳道沿であると思われる。そこで草刈りをして役宅を建てた、または建てる準備をしたということが現段階でいえることである。
 豊平開墾の意義は次のように考えられる。まず「石狩大府指図」の「豊平村」の記載と統一した「豊平」という文字の使用から推察して、この事業は島判官の石狩本府構想の一貫であった。そして実行されていた時期を考慮に入れると、島判官の「基本之取計」の一つであった。豊平に村をつくり、すでにある村落と共に石狩本府の物資補給(特に食料供給)を行おうとしたのである。ところが開拓使は、本府建設の開始などの際の役員の配置換えと共に、基本事業である「豊平開墾」を中止にしたのである。会計精算に関わる事情聴取のための書簡のやり取りの中で、豊平開墾の責任者であった石山大主典は、精算した金と共に購入品も、島判官の命により札幌丸小屋へ持参したことを記している。したがって十一月初めに縄の購入が多いことも考えあわせると、物資購入の一部は本府縄張用と考えることも可能である。また④の史料から、豊平開墾で働いた人夫たちは銭函新道や本府建設の方に回されている。