札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第九章 村の形成と幕末のサッポロ

第一節 ハッサム村

二 ハッサム村の農民と農地

 明治三年九月二日にこの地を通過した東久世開拓長官は、「一村落也。十年前移住人家弐拾軒斗」(東久世通禧日録)と、概況を記している。しかし人名を把握し得る当時の史料は見出していないので、ここでは明治六年の『札幌外十一ケ村検地野帳』(以下『検地野帳』と略記)を基とし、これに加籍・土地割渡年月の記載されている『地価創定請書』(明治十一年)をあわせることによって、明治二年中までに加籍・土地割渡をうけ、かつ明治六年に居住していた人名等を記したのが、表1の一七人である。これ以外には、村山家資料中安政五年(一八五八)八月に「ハツシヤフ紫根掘渡世 佐渡 第次郎」(安政五年石狩改革一件)、五十嵐勝右衛門文書中万延元年八月に「ハサフ永住 忠吉」(石狩御用留 七)、大友亀太郎文書(以下大友文書と略記)中慶応二年に「喜代松」(石狩御手作場開墾御入用請払仕訳書上帳)の名がある。また後年の聞取りでは、吉蔵(安政四年頃)、常吉、喜助などもみられる。さらに明治元年のオタルナイ騒動の主要人物の一人として「先年山岡精次郎家来ニ相成江戸エ行立帰ル」と注記された「永住 豊次郎」という名前が見える(木村家文書 穂足内騒立一件書類)。おそらく山岡が引き連れて来た農夫の一人と思われる。このほか中田儀右衛門など手稲村民となったものについては、次項で記述する。
表-1 明治2年中までのハッサム村農民(明治6年居住者)
加籍・土地
割渡年月
氏名明治6年における状況備考
家族数宅地耕地
安政6.8浜田安左衛門28114
(安政4.10)鈴木長之助410412明治11年冨作か
安政6.7鈴木熊吉124265
八重樫直助111616山岡精次郎引連農夫といわれる
万延1.8笹布源吉308905
明治1.6坂本令宜明治1年八重樫直助に譲渡
明治1.6山中勘之丞明治12年坂本令宜に譲渡
安政6.9青木力蔵513710
慶応2.4理勘吉兵衛13926
明治1.7石塚市太郎61130826
明治2.9成田藤吉510311
(安政6.3)河野六右衛門510714明治11年栄太郎か
慶応3.8笠井八五郎39406
(慶応3.9)和田吉蔵106224明治11年亀蔵か
明治1.10平山常八24816
慶応2.9森山与兵衛7910
慶応3.9轟精吉2105
1. 開拓使『札幌村十一ヶ村検地野帳』(明治6年)、および同『地価創定請書』(明治11年、道文02503)より作成。
2. 「加籍・土地割渡年月」は『地価創定請書』によったが、年月を( )で囲んだものは『検地野帳』には備考欄の名が記されており、それが「氏名」欄の後継者と思われる場合を示した。
3. 配列は原則として『検地野帳』の順によったが、坂本、山中は『地価創定請書』により関係分の下においた。
4. 坂本は明治6年~11年の間の再入地と思われるが、便宜上ここに記した。

 なお前記以外に『地価創定請書』には、明治九年六月の割渡しとして木杣卯七発寒小紋太、能戸岩次郎、伴六多気安甫規也里の六人のアイヌ住民の名があげられているが、これはアイヌの戸籍作成と関わった措置であろう。発寒小紋太はもとハッサム乙名コモンタであり、この六人の中には、開拓使設置以前からここに居住していたものも多かったと思われる。