札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第八章 イシカリ御手作場の経営

第四節 御手作場経営の実態

二 開発田畑と開墾手当

 慶応四年においては、農民は前年の一九戸に、一月に一戸(幸吉)、御手作場組入れが六月に一戸(与惣次)、七月に一戸(茂八)と、七月に別家による一戸(馬吉)の計四戸が加わり、二三戸となった。これらの農民ならびに大友・黒鍬の第次郎・木挽の安之助などの起こし分を含めて、慶応四年の開墾地積は畑二三町二反四畝一八歩であった。ここに慶応二年より四年に至る三カ年間のイシカリ御手作場の開発田畑は、田が四反四畝、畑が四六町一反六畝二三歩で、総起返し田畑地積は四六町六反二三歩をみたのである。
 なお慶応四年における各戸の新規開墾畑面積をあげると、長蔵(一町五反八畝二〇歩)、万次郎(三町二反六畝一四歩)、宅四郎(五反六畝二八歩)、弥平次(一町二反六畝五歩)、松太郎(二町六反六畝四歩)、勘右衛門(五反二畝一三歩)、吉之助(一町七反八畝一一歩)、寅吉(三反八畝一歩)、寅助(三反一八歩)、久八(六反二六歩)、三九郎(二反二畝四歩)、磯吉(一町三反二畝二六歩)、三太郎(九反三畝二五歩)、嘉蔵(一町一反五畝二六歩)、幸吉(二町一反四畝四歩)、与惣次(五反歩自分起し)、馬吉(一町二畝二四歩)、大友織之助(慶応三年より同四年にかけて三反三畝一八歩)、第次郎(五反五畝一九歩)、安之助(慶応三年二反歩、同四年二反四畝歩)となっている。なお徳三郎・卯之助・佐次右衛門・長八ならびに荷三郎らには、四年時の新規開発は見られず、ただ佐次右衛門と長八には前者に一町五反三畝一八歩、後者に九反九畝一六歩がそれぞれ持分として開墾取扱所より渡されている。慶応四年における農民(二三戸)のみの一戸平均起返しは八反八畝、また慶応三年までに入植した農民(一九戸)が二年目に起返した一戸平均地積は八反七畝となる。