札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第八章 イシカリ御手作場の経営

第四節 御手作場経営の実態

一 農民扶助の状況

 イシカリ御手作場に農夫家屋一軒(桁間六間・梁間三間)が慶応三年に建築され、その費用は銭二〇四貫五七一文(金に換算すると三〇両永八四文となる)であったことは前節でふれた。この建物の構造は、慶応三年六月の『石狩農夫本家作壱軒仕法書』(大友文書)によると、図1のごとく、六坪の土間、六坪の荒鉈掛けの板敷間、四坪と二坪の鉈掛けなしの板敷間よりなるものであった。

図-1 イシカリ御手作場農夫本家作図

 本来この農夫家作が建築されて各移住農民に支給されることになっていたのであるが、結果的に三カ年の間にこの一軒のみの建築に終わり、その家作は松太郎に支給された。また長蔵が支給予定の本家作の代わりに板倉を自己普請せんと、その本家作分代金三〇両の支給を受けたことも前述した。この間大友は「本家作被下ニ相成候筈ニ御座候得共、一時ニハ出来兼申候ニ付、此度仮ニ家作敷板之内六坪ツヽ相渡置候事」(慶応四戊辰年六月 石狩御手作場開墾御用金請払書上下書 大友文書)と、暫定的に仮家作のために本家作の材料の一部(八分板各六坪あて)を支給することによって、急場をしのごうと計っている。この敷板の支給は長蔵を除き一八戸におよび、その代は銭三二四貫文であった。
 以上、農民への家作支給は、松太郎への支給のみで、その外は長蔵への代金支給と、残りの戸へ敷板の現物支給という、きわめて不充分の状況に終わった。