札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第八章 イシカリ御手作場の経営

第三節 御手作場の造成と農民移住

一 御手作場の造成事業

 慶応二年における家作建築は、開墾取扱所(御手作場開墾取扱掛の大友が居住し事務所となる)に関するものが主体である。ただこの家作は、「我等(大友)当分引移り居、追テ九六(黒)鍬用ニ相成候小屋掛」とあるように、開墾取扱所といっても仮の取扱所であった。この家作の規模の明記はないが、木挽人足の欄に「行間拾間、梁間四間小屋掛伐木」とある注記が、この仮開墾取扱所の規模を表しているものであろうか。
 さてこの家作にかかわる費用は、中間縄(五丸)代銭三貫二五〇文以外はすべて人足賃銭で、それは屋敷苅払人足(五人)、小屋掛伐木木挽人足(一〇人)、伐木人足(一九人)、小屋茅苅人足(一〇人)、茅運送人足(一六人半)、小屋掛ならびに屋根葺人足(三二人)、それに開墾取扱所の井戸籆(わく)(一丈、口籆とも)製作の木挽人足(六人)と井戸堀・籆立の人足(八人)を含み、合計一〇六人半の人足等への賃銭一九〇貫二一八文となっている。さらにこれより以降に建築予定の本開墾取扱所ならびにその他の家作の地所整地の人足(四二人)および本開墾取扱所に利用する明き宅の解体人足(三八人)の費用、合わせて銭一三六貫文が支出されており、以上合算すると、慶応二年の家作に関しては、人足等延一八六人半、建築等費用銭三二九貫四六八文を要した。
 慶応三年には五軒の家作が建築されている。以下それぞれに従事した人足ならびに費用をあげると、
 ①開墾取扱所一軒。これは明き宅を移転したものであるが、旧家屋の規模とまた何に使用されていた家屋であるのか明示はない。ただし相当老朽化しており、「足し木」として補強の材料を多く要している。すなわち伐木(三三石四斗目)、樌(二四挺)、五分板(三六坪)、六分板(二八坪)、七分板(四坪)、垂木(六二本)、畳(二四畳)、釘などで、以上の建材費用は金一三両二分と銭三一一貫八四四文である。人足等に関しては、大工(一四五人)、木挽人足(二八人)、伐木運送人足(三四人)、地形・立前・その他大工手伝人足(二七人)、屋根廻し・屋根葺人足(一〇人)、以上、人足等二四四人、その賃銭は(大工に賃銭の外に米一升一合を、また木挽人足には同じく賃銭に米一升二合と味噌五〇目を支給しているが、それらを含め)、合計五四六貫八〇八文である。ここで建材費と人足等賃銭を合計すると、開墾取扱所の建築に要した費用は金一三両二分と銭八五八貫六五二文であった。
 ②板倉一軒(桁間四間・梁間三間)。この家作の建材としては、伐木(土台・柱・梁・根引・小根太・その他使用、七七石六斗三升)、一寸五分板(落し板使用、三四坪)、樌(幅四寸・厚さ一寸二分、四〇挺)、八分板(二七坪)、一寸板(一五坪)、敷居・鴨居(二挺)、三寸角小割(三〇本)、本五寸釘(九本)、四寸已下釘、戸前金具、錠(一張)、鍵(一挺)、縄(七丸)があげられ、以上の費用は銭四九五貫七一〇文である。他方人足等は、大工(一四二人)、整地人足(二五人)、立前・屋根葺人足(三四人)、木挽人足(一二人)の計二一三人で、その賃銭(米噌代も含む)四七七貫九六九文である。建材・人足の両費用を合わせると、板倉建築費は銭九七三貫六七九文であった。
 ③穀物入蔵一軒(塩噌・縄莚・板類その外穀物等を入れ置く、桁間四間・梁間三間)。建材は、伐木(一七石八斗目)、樌(三三挺)、五分板(二四坪)、釘(大小)、錠(一張)、鍵(一挺)、坪金(一ツ)、以上の費用銭一〇九貫五〇八文、ついで人足等は、大工(一三人)、人足(一〇人)の二三人で、その賃銭(米代を含み)四八貫七五二文、合計すると穀物入蔵の建築費は銭一五八貫二六〇文であった。
 ④農夫家作一軒(桁間六間・梁間三間)。建材は、五分板(五坪)、板敷板(一三坪)、樌(三六挺)、六尺小割(一八本)、釘(大小)でもってその代価銭七二貫六七六文であり、人足手間賃は(米代を含み)大工(五四人)の銭一三一貫八九五文、よって農夫家作建築費は銭二〇四貫五七一文であった。
 ⑤鍛冶小屋一軒。これは人足(一五人)賃銭のみの二五貫五〇〇文である。
 以上慶応三年の家作は、開墾取扱所、板倉、穀物入蔵、農夫家作、鍛冶小屋の各一軒、計五軒で、これらの建築に従事した人足等は延五四九人、総家作費は金一三両二分と銭二二二〇貫六六二文であった。
 最後に慶応四年の家作としては、「農夫家作壱軒」として金三〇両が計上されている。ただしこれは農夫長蔵が火盗除のために板倉を建築したい旨の出願があったので、未支給の農夫家作の代替えとして、その支給家作分の代金三〇両を正金をもって下付したものであるが、いちおう農夫家作分としてこの項に含めておく。
 以上、慶応二・三・四年の三年間における家作建築は、人足等延七三五人半をもって、総額四三両二分と銭二五五〇貫一三〇文を要したのである。