札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第八章 イシカリ御手作場の経営

第二節 大友亀太郎の御手作場経営計画

二 御手作場の経営計画

 イシカリ御手作場の地所選定に基づき、そこに人間の手によって開墾地を切り開こうと意図していた大友には、当然それなりのプランが懐抱されていた。その内容は、木古内・大野両村において直接の門下生であった新妻・佐々木らから共同経営の経過の中で学び、さらにさかのぼれば自ら直接門をたたいて学ぼうとした、二宮尊徳の仕法に依拠していることは想像に難くない。ただここでは尊徳仕法との系譜や比較の検討はさて置き、大友自身がイシカリで展開しようとした仕法についてふれておきたい。
 さて大友は、一般に開拓の基本的方法を次のように述べている。
開拓之本源ハ、初メ新道新川共屈曲之無之様何分ニも里数を詰切開き、人夫歩馬之通行を助ケ、舟車之運送弁利を補へ、湿地ハ堀りを深く通し悪水絞り抜き乾地と成し、素より乾地ハ用水を流し耕耘を助ケ、居宅を出来、然ル上ニ人民を移し歩馬を与へ候順序ニ有之

とし、さらにその人民を移すに当たっては、
第一開墾人を移し、居宅家財農具迠与へ、扶助米を渡し、数万金を被為掛候上ハ、自分耕し券禹(眷属か)を扶助し独手に永続可相成筈ニ候得共、数百年之後迠永続来候内地と違ひ、発業之初メ三四ケ年之間ハ何程所業而已相励候共、風土ニ不馴民力ニテ脱力も可生義ハ必然之義、然ル時ニハ是非種々之以御世話不得止事、職業相貫候様父母之子を恤ミ候様思召不被下半(候脱か)テハ開拓難立義と奉存候。
(石狩郡トウヘツ御開墾之義ニ付伺 大友文書)

 この文書は佐々木長左衛門と連名の伺書中の一文である。要するに大友の開拓方法とは、新道・用排水路を開削して人馬・物資の流通と耕耘可能な環境を造成し、しかる上に、特に当初において、風土になれない移住農民に対し、居宅、家財、農具、飯米等におよぶ充分な扶助を与え、もって自立・自営の農民を創出することにあったといえよう。