札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第七章 在住制とイシカリ在住

第二節 イシカリ在住の動向

二 在住の移動

 おそらく安政五、六年ころに最多数に達したイシカリ在住は、その後漸減し、明治元年八月現在で中村兼太郎荒井好太郎、永嶋玄造、同芳之助、井上斧太郎渡辺鼎斎畠山万吉松井八右衛門、同小申吾、大友亀太郎の一〇人となっていた(箱館裁判所評決留)。
 このうち中村はヤウスバに入地したとされているが、実態は兼定役代すなわち行政官として、主としてイシカリ役所に出仕していたとみられる。荒井好太郎も本拠をシノロにおきながらも、やはりイシカリ役所に出仕していたとみられるが、荒井については、第九章第二節(シノロ村)で記述する。他の八人については、若干居住場所の不明のものもあるが、大友を除きすべて沿海地域にあり、ハッサムなど山麓地域の在住は、全員退去したと思われる。すなわち第一に大友亀太郎文書中、明治元年に在住に関する廻状がいくつかみられるが、その宛先記載順序はすべて永嶋玄造(オタルナイ川)、同芳之助(同)、井上斧太郎渡辺鼎斎畠山万吉(ワッカオイ)、松井八右衛門(オタルナイ川)、同小申吾(同)、最終が大友亀太郎となっていて、これからすれば入地場所不明の井上、渡辺もほぼこの範囲の在住と推定される。第二には、同文書中、慶応二年に退去したハッサム在住山岡精次郎の差し出した「同人幷取開候場所幷御手作場」の年貢収納に関する記述があり、他に在住がこの地に残っていれば、当然それが管理すべき処置がとられたと思われる。この理由については、在住の兼務・同手当のところで記述する。
 明治元年八月に、前記在住のうち中村、荒井、永嶋玄造、井上の四人が箱館府に任用され、残る六人は引き続き在住として手当を支給された。そして明治二年七月、すなわち開拓使の設置された際、それへの任用に関する文書で渡辺鼎斎畠山万吉の二人が現身分を在住と記されており、この二人が最後のイシカリ在住と思われる(御人撰評議)。