札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第七章 在住制とイシカリ在住

第一節 在住制の成立と展開

四 在住制改正の動向と終末

 開拓使の設置された明治二年七月、開拓使の石狩詰任用に関わる文書のうち、二人の肩書が在住となっている(開拓使庶務局 御人撰評議)。ほかに大友亀太郎がこの月兵部省(軍務官か)出張所石狩国開墾掛に任命されており、箱館府イシカリ在住六人のうち、不明なのは三人である。しかしこの間箱館戦争を経て多数の幕吏等が去っており、この三人も退去したものと思われる。そして多分この文書が在住の最終的な処理に関するものであり、在住制開拓使の設置とほぼ同時期に消滅したといえよう。
 なお、在住の総数は安政五年十二月で七〇人(モンヘツ御用所 御用状廉々控帳)、同六年五月一〇八人(函府人名録 旧幕府三巻四号)、文久二年には一一六人(蝦夷地御開拓諸書付諸伺書類)が数えられる。また慶応三年の『在住・御医師・同並明細短冊』では八九人の在住が数えられるが、同文書はかなり剝離が多いため、人数はこれより多かったと思われる。さらに文久二年における在住の元身分の内訳は、御目見以上二三人、同惣領・二三男厄介一九人、御目見以下一六人、同子弟厄介四一人、清水附一人、陪臣一四人、浪人三人で、旗本、御家人およびその子弟が大半を占めている。