札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第六章 アイヌ社会とコタンの変貌

第三節 コタンとアイヌの人々

一 上・下サッポロとモニヲマ

 モニヲマの家族は人別帳では、次のようになっている。
家サツホロニ有 元同所
小使モニヲマ三十七歳
イメクシユラ七十七歳
[叔母]女トシキラン五十三歳
サツホロ家有
クシリモン三十三歳
モニヲマ妻也 番人六太郎
[同人]娘一人当 歳
[同人]妹チシルイ三十歳
家有 アイクシテ妻也
不知イヨク二十八歳
ホロイカラ五十五歳
  

 以上のうち、安政四年五月十八日現在では(丁巳日誌)、母イメクシユラはこの春に死亡し、妹チシルイはハッサムのアイクシテと結婚し他出していた。妹イヨク、女(『丁巳日誌』では伯父)ホロイカラもすでに死亡していた。
 娘クシリモンは、人別帳に武四郎の注記があるように実はモニヲマの妻であった。しかし、番人六太郎(『丁巳日誌』では藤吉)の妾とされてしまう。二人の間にはまだ乳児の子供がいたが、母親とひき離されたことにより子供は餓死する。人別帳にある当歳の娘は、番人との間の子供であった。モニヲマは妻を奪われ、子供を失う悲惨な状況に見舞われ、さらに浜に呼ばれて労働に従っている間に、母(祖母)も寒さと飢えのために四年春に死亡する。
 玉虫左太夫は、モニヲマなどの話を聞き、イシカリ場所のアイヌの窮状を堀利熙に訴えたが、『入北記』にはモニヲマの話が以下のように記録されている。
一 サツホロ小使モニヲマと申者、細工第一ト相習候者御座候処、当節祖母一人ノミニテ妻子ナシ、其上祖母もサツホロ山奥へ一人相残り、当人ノミ此処ニ罷在暫時ナリ共、祖母ノ機嫌相伺可申ト存候得共、支配人ヨリ堅ク被相禁、無拠其儘機嫌モ不相伺、尤モ前妻ヲ迎候得共、当処番人藤吉ト密通、遂ニ同人ニ被奪扨(さて)々残念次第ニ御座候由、相噺居申候。

 ここにみえる祖母とは、人別帳の母イメクシユラのことで、モニヲマは祖母へ「機嫌相伺」に行きたいけれど支配人に禁じられ、昼夜にわたり労働に駆使されているために、それもできなかったのであった。しかしこのころ、イメクシユラはすでに死亡し、叔母(姉)トシキランがひとりで埋葬をすませていたはずである。モニヲマはイメクシユラの死も知ることなく、彼女の「機嫌」を案じていたのであった。
 『入北記』には、続けてモニヲマの農業への願いが記されている。モニヲマは、稷(きび)・稗(ひえ)などを植え畑を開き、祖母・両親を養いたいと念じていた。実際、モニヲマは畑を開いたこともあり、多少の種も蓄積していた。しかし、農業は漁業の妨げとなるために支配人に禁止され、山中へ行くことも制限され、イシカリの運上屋に緊縛されている状態であった。モニヲマは、「何卒シテ御上様ヨリ畠地相開不苦旨被仰渡、右印ノ鍬ナリ共頂戴被仰付候ハバ、至極難有仕合ニ奉存候」と述べ、農業許可の印に鍬の給与を願っている。この請願が功を奏したことは、前述したとおりである。
 モニヲマは祖母の「機嫌相伺」を願っていたように、大変な家族思いであった。自分が番人たちよりうけた責苦を彼女に及ぼすまいと、一緒に他所への出奔をすすめたりしている。これに対しイメクシユラは、「此処を捨て他え行時は、此屋敷に残し置墓所え誰壱人御酒を上呉るものも無ば、生たる我に孝行とも成べけれ共、死したる父や祖母・祖父は如何に何事をも云はざれども如何思ふことやらん……」と述べ、先祖供養のためにとどまることをさとしている。モニヲマは彼女の言葉に従い、出奔をあきらめたが、先祖を思い家族を思うモニヲマ一家のあり方は、ひいてはアイヌ一般の家族愛をあらわしているのかもしれない。