札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第六章 アイヌ社会とコタンの変貌

第二節 人別帳にみるアイヌ問題

一 人別帳の作成

 慶応三年の人別帳もやはり田中家資料で、わずか一紙、二軒八人分のみしか残っていない。年次の判定は、年齢に卯とあり、しかも記載されたモノクテ(三三歳)・イチヤンコエキ(七一歳)の年齢を逆算すると、慶応三年と判定できる。モノクテは安政三年に上カバトに二二歳、慶応元年に三一歳と人別帳から確認できる。またイチヤンコエキは、安政三年にトクヒタに六〇歳とある。以上の点から、わずか一紙ながらも慶応三年の人別帳が存在したことがわかる。
 以上、安政三・六年、慶応元・三年の四種の人別帳の存在が確認できた。この他、人別帳は残ってはいないが、後藤蔵吉蝦夷日記』には、安政五年のアイヌの人別を五四三人、軒数を一四四軒と記している。安政五年はイシカリ改革の年で、それ以前は阿部屋により人別帳が作成され、人別数も信頼のおけない面が多いが、それにひきかえ、この年の人別ははじめてイシカリ役所によっておこなわれたはずで、人別数も前回にくらべ大幅に減少している点も、正確な人別帳が作成された証左とみなすことができる。このようにみてくると、オタルナイ場所で人別帳が連年作成されていたように、イシカリでも同様におこなわれていた可能性がある。
 なお、慶応元年及び次の三年の人別帳の作成の際、出生・死亡の調査もされており、厳密な人別調査と戸口の移動確認がおこなわれていたことがわかる。