札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第六章 アイヌ社会とコタンの変貌

第二節 人別帳にみるアイヌ問題

一 人別帳の作成

 慶応元年(一八六五)の人別帳は、同じく田中家資料にあり、これは多くの部分が残存している。表紙に「慶応元年石狩土人惣人別取調書上帳 改会所帳場」(写真3)とあり、当時のイシカリ役所管轄内のアイヌの全総数を記したもので、しかも改会所で作成されたものであった。改会所アイヌ漁場の収納、軽物交易などを含めてアイヌ関係の全般を担当していたことがわかる。

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写真-3 「石狩土人惣人別取調書上帳」の表紙(石狩町 田中実氏蔵)

 この人別帳の最末尾とみられる断簡に、「合家数百拾五軒 此人数四百三十九人 内訳男弐百弐十七人女弐百十弐人」とある。また、ハッサム・中川・上川・ユウバリの四地域の総計もみられる(表2)。この総計によると、総軒数は一一五軒、男女合計数は四三九人となり、先の数値と一致する。これは慶応元年の人別帳は、先の四カ地域ごとに集計されていたことを示し、安政六年の場合と形式的に同一の可能性が高い。
表-2 慶応元年 イシカリアイヌ人別帳
場所軒数男女計
ハツサム28軒49人49人98人
中川22453883
上川51104105209
ユウバリ14292049
総計115227212439

 慶応元年の人別帳は、人数では三二四人、軒数では八五軒ほどを残存部分から確認できる。人数では全体の七三・八パーセント、軒数では六七パーセントにあたり、そのうち軒数で完全に残っているのは七一軒分である。
 ところで、四カ地域に番所が設置されるのは安政五年十一月以降である(村山家資料 新札幌市史 第六巻)。この時、上川チクツヘツ(現秩父別町付近)、中川トツク(現新十津川町付近)、ユウバリ、サッポロの四番所がおかれた。サッポロ番所の勤番人は足軽亀谷丑太郎となっているが、丑太郎は後にハッサム番所の担当となる。これはサッポロ番所はおかれず、ハッサム番所に変更になったためである。