札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第五章 サッポロ越新道

第三節 定山渓ルートと温泉開発

一 松浦武四郎の探索

 虻田町から喜茂別町をへて、中山峠を横断して定山渓温泉から札幌市内に入る、現在の国道二三〇号線は道南と道央を結ぶ捷径(しょうけい)であるが、このルートの探査は、松浦武四郎によりはじめておこなわれた。武四郎は安政四年(一八五七)に、「追々山道切開、土地御開墾の一助」(燼心餘赤)を目的とし、シイシリベツ(現喜茂別町)まで調査をおこなっていた。そして翌五年に、定山渓越えをなすのであった。
 武四郎は安政五年(一八五八)一月に、アブタ(虻田)よりトヨヒラ(樋平)への「山道御切開方の得失実検」を命じられ、二月にこのルートの探索に入る。積雪の多い厳寒の二月におこなったのは、草木が繁茂する時期より歩行しやすいためであった。この折の調査日誌が、「作発呂知志日誌(さつほろしりべしにっし)」(戊午日誌)及び『後方羊蹄日誌(しりべしにっし)』である。また同年九月十日には、シツカリ(現長万部町)より、ルウサン(喜茂別町)──ツイシカリ(江別市)──トツク(新十津川町)──チユクベツフト(秩父別町)──テシホ、サツテクナイ(士別市)──ホロナイ(雄武町)まで、蝦夷地を縦断する新道につき、探索の結果を箱館奉行に報告している(燼心餘赤)。
 この報告で武四郎は、「当地第一枢要の石狩場所上川へ陸路無之、幷に口蝦夷より奥地南海岸より北海岸え差通しの大新道無之候」と述べ、これらの新道がないことは「万事不便利」と指摘している。武四郎の調査によると、新道が開削されれば全行程は、一六日くらいと推測している。このうち、ルウサン・ツイシカリ間は三日で、両地間に休泊施設の笹小屋五カ所の建設を提起している。札幌市域では、ユウナイ(定山渓)、トイビラ(豊平)、及びこの間にもう一カ所──ヲヤバルシ(簾舞付近か)、計三カ所をあげている。そして、前述したようにトイビラには渡舟場を設けることを指摘している。