札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第五章 サッポロ越新道

第一節 箱館奉行の新道計画

二 サッポロ越新道の計画

 これをうけて六月二十二日に、堀・村垣より「西地ヲタルナイ領セニハコより東地千歳川迄新道切開之儀ニ付申上候書付」が提出された(公務日記)。この「書付」文は、木村家文書の『御用留』巻二に写しがあり、また『札幌区史』でも全文紹介されている。重要な史料なので、ここでも再掲しておくことにしたい。
印 力石勝之助
同 奥村季五郎
同 井上 茂輔
  向山栄五郎
西地ヲタルナヰ領セニハコより東地千歳川迄新道切開之儀申上候書付印 堀 織部正
印 村垣淡路守
西蝦夷地石狩場処之儀ハ、蝦夷地中央ニテ遠山遥ニ四辺ヲ囲ミ、平原沢野打続水草之弁利宜、在住之向も追々移住致候儀ニテ、実ニ蝦夷地之咽喉とも可申土地柄ニ御座候、然ル処西地より之通路是迄千歳川より石狩川通船ノミニして陸路往来無之、殊ニ年々十月より三月迄ハ積雪竪(堅)氷ニテ通路難相成、冬春六ケ月ハ通路絶候間、何れニも陸路切開通行在自ニ無之候テハ、非常之御要害ハ勿論、都(すべ)テ差支不少候ニ付、淡路守廻浦之砌新道切開之儀、場処受負人共エ申諭候処承伏仕、然ル処石狩川添草原ニハ候得共、谷地多く新道ニハ入費も不少、殊更木立無之雪中往来差支、夏分ハ出水も有之候間、セニハコ漁場よりサツホロハツサフ山麓ニ添ひ千歳川え新道切開候方可然見受候得共、深雪中ニ付場処詰之者共え取調申付置、此度織部正廻浦之上猶又見分仕候処、石狩運上家有之場処ハ全川口之漁場ニテ、風当強く災も有之永住ニハ不便之場処故、同処より拾里程南発作部山麓ハ、山添ニテ地味水利之便も宜敷、海岸セニハコ漁場より三四里も隔都テ弁利之場処故、在住之者共え同処ニテ夫々屋敷地割渡開発等も取掛候儀ニ有之、ヲタルナヰ領セニハコより発作部山麓通り東地千歳川迄、凡弐拾里程新道切開方ニ治定仕、西地イシカリヲタルナヰ東地ユウフツ三場処請負人共え篤と申諭候処、何れも御主意相弁自分入用ヲ以新道切開キ、休泊所取建人馬継立方等無差支様仕度段願出候ニ付、承届手操次第早々取掛り候様申渡候、追テ成功之上ハ御賞誉被成下候様仕度、依之絵図面相添此段申上置候以上

 この書付によると、イシカリ・千歳間は、石狩・千歳両川の河川通路のみで、しかも十月から三月までの冬季間は、「積雪竪(堅)氷にて通路難相成」い状況であった。それゆえ、冬季の通行もかなうような陸路を切り開くというもので、ルートは銭箱からサッポロ・ハッサムの山麓を経由するもので、特にこのルートがとられたのは、二つの理由があった。第一にイシカリ川の流域は湿地が多く、道路の敷設・利用に不便であったからだ。そして第二には、運上屋のあるイシカリ川口は永住に向かないのに対し、ハッサム山麓は地味・水利とも便利な地域で、在住も入植し、将来の開発と発展がみこめるためであった。以上の理由により設定されたサッポロ越新道は、これ以降の札幌市域の開発と建府論に決定的なおおきな意味をもつようになった。