札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第三章 諸藩のイシカリ調査

第二節 諸藩の関心

一 水戸藩

 大津浜グループのイシカリ進出がやっと実現した前年あたりから、斉昭と幕府のつながりはいささか怪しげな雲行きになってきた。斉昭を幕府につなぎとめていた阿部老中の死は、斉昭の幕政参与辞任をもたらし、日米通商条約の調印をすすめる堀田老中らと対立、尊王攘夷論者は水戸藩に依拠して運動しようとした。井伊大老の登場は水戸藩と幕府の対立を決定づけたといえよう。通商条約の調印強行に将軍継嗣問題がからみ、幕府は斉昭に謹慎を命じ、さらに安政六年八月国許永蟄居とし、藩主は差控になった。いわゆる安政の大獄と呼ばれる一連の弾圧の一環である。
 その後、水戸藩は反幕府運動の中心的存在となっていくから、幕府直轄地であり、しかも箱館奉行所の直捌地であるイシカリにおいて、水戸藩の息のかかった人々は活動しづらくなっていったであろうと思われる。井伊大老家臣による安政六年のイシカリ調査のねらいは、あるいはこうした点にもあったかもしれない。翌万延元年、永蟄居のまま斉昭は六〇年の波乱に富んだ生涯を閉じ、同じ年、堀利熙奉行は屠腹して果てた。両者の死はもりあがりかけた水戸藩イシカリ・サッポロのつながりを阻む結果となったであろう。