札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第四編 イシカリの改革とサッポロ

第一章 イシカリ役所とサッポロ

第二節 第二次直轄とイシカリ

二 村垣範正の廻浦

 範正は廻浦を終え、三月二十四日に箱館に帰着した。箱館では、堀利熙と連日のように種々の事柄を協議しているが、その中でイシカリに関しては、先述した長谷川儀三郎の「イシカリ兼持」を、四月二日にとり決めている。また翌日には、オタルナイ・タカシマ詰の高田重次郎を無役在住におとし、後任に宇津木頼母を任命している。
 さらに、飯田豊之助を「イシカリ当分出役」としている。豊之助は先の廻浦の折に、松浦武四郎にかわって手付として同行しており、所々で地理・山道調査にあたっていた。豊之助は四月十九日に箱館を出立し、六月十三日に立石元三郎にかわり下役出役となる。
 また、塩田準庵のイシカリ詰が差免され、四月三日に学問教授役に任じられている。準庵は小普請医師で、安政三年九月に在住に任じられていた。在住の身分で医師とされたのである。ただ、この四月の時点で、準庵がイシカリに赴任していたかどうかは不明である。三月十四日に島義勇は、箱館にて準庵に会っており、箱館に来ていたことは判明している。イシカリ詰に医師一人を差置くことは、すでに安政二年十二月に決められていた(松前箱館雑記)。準庵と同時に在住となった長坂与一郎・大竹慎十郎の両人は、四年二月二十八日頃にイシカリに到着しており、準庵も赴任してきた可能性がつよい。イシカリ詰の在住医師から学問教授役に変更になったのは、この頃、詰役・在住の子弟の教育のために、学問所の設置が決定されたことによるだろう。しかし準庵は、これより間もない六月二十三日に、箱館在住頭取に転任となり、さらに学問教授役となった(河野常吉 北海道人名字彙)。