第三編 イシカリ場所の成立
第四章 イシカリ十三場所の成立
第二節 場所請負制の成立と十三場所
一 享保・元文期
夏商とは、アイヌが狩猟・漁撈で得た産物、すなわち干鮭や熊の毛皮、熊の胆、鷹の羽など、いわゆる軽物類との交易である。イシカリの場合、場所内をいくつかに区切ってその場所内に居住するアイヌとの交易権を藩士に与えていたことは前述した。元禄十三年(一七〇〇)の『支配所持名前帳』にみられる「鳥屋」もその古い形であったかもしれない。
享保年代になると、場所名と一二人の知行主名が出揃ってくる次の記録がみられる。
これは、「商所支配」の知行主名と、「蝦夷之居所」とを書きあげたもので、知行主の交易相手であるアイヌが一定していたことを示したものであろう。しかも、この記録のつづきには、イシカリ川の「下川」より「はうかせ在所迄二日程」の距離があり、「御船商仕候節先年はてう間哥」まで松前の船がのぼっていたといった、興味ある事実に触れている。 元文年代(一七三六~四〇)になると、十三場所内へも請負制の導入を示す、次のような記録もみえてくる。
以上の記録から次のことがいえるのではなかろうか。まず第一に夏場所の知行主が藩主以下一三人いて、のちに「イシカリ十三場所」といいならわされる初源的かたちがみられる。第二に、夏商の商品には、干鮭、熊の皮、狐の皮、兔の皮、数の子、油の類があって、しかも「川上の蝦夷」と「浜辺の蝦夷」と出産物に違いがあるように記している。第三に、夏商にイシカリ川へ入る船は、五〇〇~二〇〇石積の船一六艘で、六月に来て七月に帰る。第四に、一六艘の船のうち、四艘分が藩主へ納める運上金で、あと一二艘が一二人の知行主の船で、運上金は年々異なっている。 このように、元文年代には、イシカリ十三場所の知行主たちは、いずれも運上金を設定してのいわゆる夏商の請負形式をとっていた。しかも、同書によれば三カ年で一四〇〇両であった。 |