第三編 イシカリ場所の成立
第四章 イシカリ十三場所の成立
第一節 商場知行から商場請負へ
二 秋味船請負
『松前年々記』享保五年(一七二〇)の記事に、「此以前ハ一ケ年ニ鷹払代金三千両前後程宛御座候処、近年御存之通鷹一円時花(ハヤリ)不申、金山透ト絶」とあるように、鷹も金山も松前藩の財源でなくなり、しかも藩主の蝦夷地への手船交易も思うにまかせなくなり、藩の財政も窮迫していった。
享保二年(一七一七)の幕府巡見使の編になる『松前蝦夷記』には、
とある。藩主は以前は八艘の手船を出していたが、今は六艘に減らしアイヌと取引しており、しかも近年は出もの少なく、なお状況がおもわしくないので、財政を補うために運上金を取って、支配所持や商人に秋味などの交易船の請負を認めるに至った。 |