札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第一編 札幌の自然史

第五章 石狩海岸平野の形成

第三節 海岸および後背低地の堆積物

 五七〇〇~五八〇〇年前の海は紅葉山礫州(→砂丘)に浸入を阻止され、その内側には浅い潟湖の環境が展開されたにちがいない。その範囲は、正確には解明されていないが、おそらく、現在の標高で一〇メートル以下の低地部が湖底になっていたと思われる。
 この浅い湖は、石狩川・豊平川・発寒川などから運ばれた土砂で次第に埋積されていった。とくに、豊平川は晩氷期から引き続き、大量の砂礫を運び、札幌扇状地を形成しつつ、浅い湖をも土砂で埋め立てたのである。そして、五〇〇〇年前ころまでには、その湖水域もほとんど埋めつくされ、沖積低地が形成された。しかし、白石区大谷地から厚別―江別市対雁にかけた地域は、かなり後まで沼地として取り残されていたと考えられる。こうした沼を最後に埋積したのが泥炭堆積物なのである。
 沖積低地となった東区、北区の大部分および西区の一部などの地域は、その後も、豊平川、琴似川、発寒川などが自由奔放にその上を流れ、度重なる洪水を起こし、そのつど、大量の土砂を流域に堆積させ自然堤防を形成したり、あるときはそれを破壊したりしながら流路を変えていった。たとえば、古豊平川の初期は、おそらく、札幌扇状地の西縁からJR札沼線の東側に沿う流路であったが、次第に東へ移動し、最終的には札幌扇状地の東縁から苗穂―雁来―江別対雁方向の流路に落ち着いたのである。伏篭川やモエレ沼は、その移動を語る名残りである。また、このような河川氾らんにともなう堆積物を母材とした土壌は、農業的にも良好なものが多い。かつて、札幌近郊のタマネギ栽培地として有名だった東区丘珠地域(伏篭川流域)に分布する丘珠埴壌土は、まさに、豊平川が運んできた細砂とシルトを母材とした土壌なのである。
 ともあれ、河川の流路変更は、地表の微地形を形成する。当然、自然堤防と自然堤防の間は窪地状の低地となる。また、平地といっても、緩い起伏は当然形成される。そうした自然堤防間の低地や窪地で排水不良の土層地帯は湿地化し、そこに泥炭が生成されはじめる。古豊平川古発寒川の形成した氾らん原の地域にもいくつかの小規模な泥炭地が分布している。