札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第一編 札幌の自然史

第四章 台地と扇状地

第二節 最終氷期の堆積物

 江別市角山付近の旧豊平川畔に沿う台地上には、元野幌粘土層をおおって、断続的に砂丘状の高まりがみられる(現在は開発が進み原形はほとんどわからない)。この砂丘状の高まりは、細粒軽石と火山灰質砂の互層で、斜層理を示し、その傾斜は砂丘状地形に平行している。また、軽石の特徴からこの砂層は支笏軽石流堆積物に由来したものであることがわかる。
 同じような砂丘状の高まりは、千歳市祝梅の通称三角山や由仁町三川の市街地北端、追分町市街地北東の安平川左岸などでも確認されており(図5)、すべて、支笏軽石流堆積物起源の軽石や火山灰質の砂からなるものである。とくに千歳市祝梅の三角山は図6に示すように、三角山の砂層をおおい、恵庭降下軽石層a(一万三〇〇〇年前)におおわれるローム層から黒曜石のフレークが発見され、その包含層が千歳市教育委員会によって発掘された。それが小型ナイフ型石器、グレーバーなどで代表される三角山遺跡である。

図-5 石狩低地帯の内陸古砂丘の分布


図-6 千歳市三角山古砂丘の断面

 このように、広範囲に砂丘状の高まりを追跡してみると、これらは、当時、形成された内陸古砂丘群であることがわかる。これらの古砂丘群の分布で共通していることは、沖積面より一段高い平坦面の縁辺部で、しかも、河川の流路に沿っており、さらに、支笏火山噴出物の堆積地域の末端に位置していることである。こうしたことから、これらの古砂丘は河川により浸食され運ばれた支笏軽石流堆積物が、最終氷期の寒冷かつ乾燥的な気候下で、風に吹き上げられ二次的に堆積した結果形成されたものと考えられるのである。その形成時期は、三角山の旧石器包含層(砂丘の上限)の14C年代値と角山(江別砂層の直下、ほぼ砂丘の下限)の14C年代値から、およそ、二万八〇〇〇年前から二万一〇〇〇年前までの期間が考えられるが、支笏軽石流の噴出後さほど時間が経過しない時期、つまり、ヨーロッパの編年でいうならば、主ウルム亜氷期I(二万九〇〇〇年~二万六〇〇〇年前)の寒冷気候下の形成ではないかと考えられる。このような古砂丘は、残念ながら札幌市域にはみられない。