札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第1巻 通史1

第一編 札幌の自然史

第四章 台地と扇状地

第二節 最終氷期の堆積物

 図3は水井戸のボーリング資料を用いて画かれた支笏軽石流の下限の等高線図である。つまり、これは支笏軽石流堆積物をはぎとった、約三万年前の古地形を示しているのである。この図からもわかるように、当時の札幌東部地域は、現在の大谷地から厚別川ぞいにかなり大きな谷が発達し、その西側には、焼山や白旗山の突出部はあったにせよ、なだらかな丘陵性台地が、西縁を豊平川で境され、ほぼ南北方に延びていた。また、東側は東南の島松山から輪厚を経て野幌丘陵に至るなだらかな、しかし、かなり凸凹に富んだ丘陵性の台地がつらなっていたことは明らかである。ここで、注目してもらいたいのは、標高〇メートルの線が白石区の北郷あたりから大谷地にかけて大きく湾入して画かれていることである。この〇メートル線は、あくまでも、現在の海水準を基礎にしたものであるので、当時、ここまで海が入っていたことにはならない。では、当時の海水準面は、現在の標高でどの程度のものであったのだろう。

図-3 支笏軽石流噴出直前の古地形
―軽石流の基底の等高線(単位m)を画いたもの―

 支笏軽石流堆積物は、先に述べたように、支笏湖を中心に広範囲に分布している。いま、その堆積物の下限を、札幌市域外の低地部で探ってみると、千歳、恵庭付近で海面下四〇メートルであるが、南へ行くと次第に深くなり、白老町社台では、海面下七五メートルとなっている。しかも、これらの地域の軽石流堆積物も高温下での溶結作用がみられることから、水中で堆積したものではなく、陸上で固結したものと考えられるのである。事実、この軽石流堆積物の下盤には、しばしば泥炭層がみられ、軽石流が陸上の堆積物であることを示している。したがって、支笏軽石流の噴出時期には、海水面は少なくとも七五メートルは低下していたことになる。さらに、低地帯南部における軽石流の下底の等高線が示す古地形から、この時期には、千歳川や漁川(いざりかわ)はもちろん、夕張川、石狩川も太平洋に注いでいた可能性がある。となると、これらの河川が日本海へ流入するようになった要因は、千歳―美々―早来を結ぶ、ほぼ東西方向に流れた軽石流が形成した台地によって、太平洋への流路を遮断されたためと考えられるのである。