宝塚市/たからづかデジタルミュージアム

宝塚市史 三巻
目次

〔口絵〕

凡例

宝塚史市第三巻 目次

第一章 明治の村―ふるい村から新しい村へ―

第一節 明治維新ページ

廃藩置県と兵庫県の成立

近代のはじまり

大政奉還への道

維新政府と幕府直轄領の没収

藩籍奉還と藩知事

市域周辺での農民一揆

廃藩置県と府県の統廃合

地方制度の創設

戸籍法の編製と区制の変遷

兵庫県区制の特色

区長・戸長・什長の規則

四民平等と解放令

第二節 諸制度の改革

地方制度の改革

明治初期の地方制度

大区小区制

町村の合併

大区小区制の矛盾

兵庫県の区制と民会

明治九年安場村の村会

大久保の地方制度改正の建議

明治十一年の三新法

明治十二年の市域町村

町村戸長と区町村会法

明治十三年波豆村の村会

明治十三年連合町村戸長制

地租改正とその後

地租改正の建議

改正準備

地租改正条例

地租改正事業

波豆村の歎願

地租改正の結果

土地所有の変化

徴兵制度

新政府の軍事的課題

最初の徴兵制度

徴兵反対一揆

徴兵適齢者の届出と免役

徴兵忌避とその対策

軍人教育と演習

第三節 教育制度と小学校

教育制度の改革

明治以前の教育

新政権の教育行政の端緒

文部省の設置

明治四年東京府共立小学校規則

「学制」発布

三新法と教育令

自由教育令

自由教育令の影響

十三年教育令改正

教員生徒の政治活動禁止

県令の学事行政掌握

教育内容の軍国主義化

十九年小学校令

明治前期の小学校

兵庫県の小学校

良元地区の小学校

川面地区の小学校

小浜地区の小学校

長尾地区の小学校

西谷地区の小学校

初期の就学率

十一年の合併

小学校教則

三新法下の小学校

定期試験

南部小学校試験問題

川辺郡教育会

川辺郡教育共進会

比較奨励会

不就学者の状況

十五年前後の小学校

二十年以後の小学校

学校設立維持の諸問題

学費

帰来小学校開校諸入費

経常費

学費負担の困難

補助金

明治十年代後半の情勢

学校学事の不振

小学校存立の危機

第四節 財政金融と産業経済

維新財政と会計基立金

維新政府の成立と会計基立金

伊丹御用所の会計基立金の応募と市域村々

商法会所と太政官札(金札)

商法司・通商司と酒造業・醤油業

酒造制度の変遷

宝塚市域の酒造家たち

明治四年の酒造規則改正と旧鑑札の没収

商法司・通商司管轄下の醤油業

朝田家「茶治店」の醤油醸造所

宿駅制度の廃止と陸運会社

宿駅制度の改変

駅逓司の設置

陸運会社の設立

陸運会社の規則と人馬継立賃銭

陸運元会社への統合

幣制改革と地方銀行

幣制改革の課題

金札と兵庫県札

市域の藩札とその回収

新貨条例と円・銭・厘

国立銀行の設立

私立銀行の設立

市域での地方銀行支店・営業所

第五節 明治の村の成立

明治十七年の地方制度改正

三新法時代の終わり

官選戸長管区制

明治二十一年の市町村制

新地方制度の準備

市制・町村制の特徴

町村制の内容

宝塚市域四カ村の成立

町村における選挙

第六節 むらの生活

村の人と土地

行政村と自然村

人口

家族

村の階層

農業と営業

小林村の農場

山林原野の所有

村の社会

家の系譜と親類

地縁関係など

村氏神と戸籍

神社と寺

若中

小学校の建設

コレラ流行と避病院

村々の接触

第二章 近代化へのあゆみ―電車とともに―

第一節 教育制度の整備

明治後期の小学校

国家主義教育と実業教育

戦争と教育

西谷村の小学校

長尾村の小学校

小浜村の小学校

良元村の小学校

大正期の教育

大正期の情勢

臨時教育会議の答申と実施

社会教育

青年団と実業補習教育

良元村青年会の青年団への統合

西谷村の実業補習学校

良元村の社会教育

第二節 阪鶴鉄道と箕面有馬電気軌道

阪鶴鉄道の開通

宝塚への鉄道計画

川面に川辺馬車鉄道路線の計画

摂津鉄道も伊丹まで

阪鶴鉄道創立への動き

阪鶴鉄道の設立

市域での用地買収

阪鶴鉄道の敷設工事

小浜村会、大阪府への所轄替えを決議

乗客数と貨物

阪鶴鉄道の国有化

貨物駅〝惣川〟

箕面有馬電気鉄道の設立

箕面有馬電気鉄道の創立

箕面有馬電気軌道への社名変更

線路敷設工事から営業開始へ

有馬―宝塚間の軌道敷設権の放棄

灘循環電気軌道の買収と神戸線の開通

西宮線(西宝線)の開通

第三節 長尾山事件

長尾山訴訟

奥長尾山保護組合

長尾山の所有

事件の発端

区会の設立

判決

長尾山共有町村組合

切畑区有財産の取得と処分

区有財産の取得

取得財産の処分

長尾山共有山林の分割

第四節 明治後期から大正期の産業

商業的農業

小作農の増加

武庫郡の地主経営

良元村の果樹

武庫郡農事試験場

甲東村の農園

武庫郡園芸同好会

養蚕その他

長尾村の園芸

園芸組合

大原野の箕

箕営業組合

勧農政策から近代的農政へ

明治期の農政

林遠里の農法

集約的稲作法

サーベル農政

武庫郡の米種塩水選など

良元村の共同販売

川辺郡の勧業会と農会

部落農事会

小作米品評会

米穀検査

小作争議と大正期の農政

第五節 温泉と歌劇

「宝塚」市名のいわれ

古記録にみる宝塚

地誌が語る宝塚

武庫川右岸の「宝塚」

宝塚温泉と湯の街

霊泉と塩尾寺

見返岩道の改修

近代宝塚温泉の発見

温泉場の建設

保生会社と村

温泉場持主組合

明治三十年代の温泉場

明治四十年代の宝塚

大正期の宝塚

寿温泉と武田尾温泉

宝塚少女歌劇と新温泉街

プロローグ

武庫川左岸

箕面動物園

宝塚新温泉とパラダイス

少女歌劇の幕あき

少女歌劇の理想

最初の帝劇公演

宝塚音楽歌劇学校

公会堂劇場

四〇〇〇人収容の大劇場

日本最初のレビュー

小林一三の経営方針

宝塚の管絃楽とオペラ

初期の栄町と消防組

新温泉の施設

運動場とプロ球団

新温泉の大火とガソリンポンプ

ルナパーク

第六節 むらの生活の変化

武庫川の両岸

良元村の砂防工事

良元村の水車場

小浜村の水害

伝染病対策

日清・日露戦争後の村財政

むらの階層

村の区としてのむら

小浜・長尾・西谷三カ村の自小作農

明治四十年の下佐曽利むら

長谷の村法

大正七年の米騒動

千苅水源池と波豆むら

千苅水源池の計画

西谷村の申入れ

神戸市の回答

波豆むらの対抗組織

波豆むらの陳情書

計画堰堤高の変更

委員長の辞職

再度の陳情

波豆むら組織の再建

水道工事認可と地鎮祭

西谷村の要請

西谷村・波豆むら間の問題

波豆むらの新規約

用地買収に対する波豆むらの準備

生野むらへ買収通知

波豆むらの抗議

波豆むらへ買収通知

神戸市の波豆むら説得

波豆むらの要求

買収に応諾

労働者救済の要求

被買収地の作付

竣工式

水道拡張第二期工事

波豆むら区長の陳情

むらの要求

工事終了

第三章 宝塚文化の開花―すみれの花ひらき―

第一節 沿線の開発と新しい街

新しい街

阪急沿線の住宅地開発

平塚嘉右衛門の果樹園経営

武庫川の改修

護岸工事

公有水面埋立計画

住宅用地の取得

住宅地諸条件の整備

温泉付貸別荘と住宅地

仁川住宅地の形成

昭和初期の分譲地一覧

宝塚ホテルとゴルフ倶楽部

長尾山南斜面の住宅地

山林精常園

日本最初のトロリーバス

交通機関の発達

宝塚と阪神間の所要時間の短縮

宝塚への鉄路計画

宝塚へのバス

宝塚・有馬・三田間のバス

西谷バス

第二節 宝塚レビュー

少女歌劇の黄金時代

モン・パリから花詩集へ

バレエと舞踊

大劇場火災

海外留学みやげ

戦争への行進曲

海外公演

北支軍慰問

大劇場の閉鎖

宝塚国民座

宝塚映画と宝塚ショウ

遊覧地宝塚

外園の経営

宝塚の名所

宝塚文化

第三節 昭和恐慌前後の村

昭和初期の街と村

人口の推移

人々の職業

風俗営業と街の状況

街の生活

昭和恐慌と農村不況

宝塚の農産物価格の暴落

農家の副業など

長尾村の園芸

上佐曽利の花卉園芸

西谷村の千本鉱山

農業構造の変化

不況下の安倉部落会

部落の組織

部落会の機能

部落会の構成

水利および水利施設

農業団体

土木工事

消防

むら氏神および寺院

部落会の会計

部落の窮状

時局の影響

第四節 戦時体制下の宝塚

戦時体制の進展

迫りくる戦争への足音

小浜村防護団の結成

防空演習の実施

警防団への改組

戦時体制下の国民生活

隣保制度と銃後の守り

小浜村部落会

銃後奉公会の結成

興亜奉公日の制定

応召軍人の歓送

大政翼賛会の創立

物資欠乏と配給制

安倉の土地区画整理

国民健康保険組合の設立

戦争の激化と敗戦

軍需生産の増強

宝塚にも軍需工場進出

徴用と勤労動員

本土空襲

宝塚の空襲と被害

鳴尾競馬場の移転と宝塚ゴルフ場の接収

宝塚新温泉の接収と宝塚海軍航空隊

第四章 宝塚市の誕生―住宅都市へ―

第一節 第二次大戦後の宝塚

敗戦と戦後の混乱

戦争の終結

占領政策の開始

連合軍の進駐

勤労動員の解除

公職追放

地方自治の確立

市域での諸施設の接収とその解除

宝塚ゴルフ場の接収と競馬場問題

宝塚ゴルフ場の米軍接収

競馬場問題の再燃

阪神競馬場の用地問題解決

芸術祭賞に輝く宝塚歌劇

歌劇団宝塚にもどる

宝塚新芸劇場

歌劇第二の隆盛期へ

歌劇四〇周年と海外公演

小林一三の死

菊池寛賞受賞

清荒神の鉄斎コレクション

富岡鉄斎

清荒神と鉄斎

第二節 農地改革とその後

第一次農地改革

終戦直後の農業立国論

農地改革論とその反応

松村謙三の農政

第一次改革案要綱

第八九議会の審議

総司令部の覚書

兵庫県における第一次農地改革

第二次農地改革

総司令部の第一次農地改革批判

対日理事会の検討と「勧告」

第二次農地改革法

農地委員の選挙と行政の機構

小作料の金納化

小作契約

農地の買収

農地の売渡

買収と訴願

未墾地開拓事業

未墾地の買収

開拓地の入植

旧川西航空機株式会社宝塚製作所跡地をめぐる紛争

阪神競馬場移転の問題

跡地の利用

仮競馬場誘致と反対運動

はげしい対立

県農地委員会の決定

調停の成立

改革後の農業の変化

自小作別農家数

農家の経営土地面積

変化する農作物の種類

進む農家の兼業化

農村家族と都市家族

経営耕地規模別農家数

非農家化・兼業化

兼業の種類

農業協同組合

農業会の民主化

第三節 新制中学校の創立

戦後の教育改革

米国教育使節団と日本教育家委員会

使節団の報告書

教育刷新委員会の建議

教育財政の貧困

市域における新制中学校の創設

小浜村の中学校

良元村の中学校

雲雀丘学園

第四節 むらの変ぼう

むらの農業

村と「むら」

農地改革による変化

改革後の農家の動向

雇用農家と被雇用農家

以上の要約

雇用・被雇用関係と他の社会関係

賃耕や労力交換関係と社会関係

むらの社会関係と集団

農地改革以前と以後の地主・小作関係

さまざまの社会関係と集団

本家・分家の集団と墓同行

「かぶうち」の伝承

いろいろある講

講の最近の変化

むら氏神の祭祀組織

伝統的祭祀組織と行事

祭祀行事の簡略化

祭りの都市化

むらの定め

生産と生活におけるむら定め

むら共有財産に関するむら定め

新規居住者に関する定め

最近の変化

むらの生活の変化

村落社会史の要約

現在のむら

むらの生活のリズム

ふたつの生活リズムの交錯

第五節 町村から市へ

戦前の合併問題

宝塚市成立のあらまし

生産・生活の協同体としてのむらの合併

小浜・良元村合併の議

戦後の合併問題

戦後の地方制度改革と地方財政

シャウプ勧告

北摂都市建設の計画

伊丹市の合併への誘い

長尾村における合併説明会と公聴会

長尾村村民大会

長尾村会の合併決議と村会解散要求

小浜・良元両村合併問題

西宮市を中心とする合併問題

山口・塩瀬・鳴尾村の西宮市への合併

良元村の住民投票

魔の三月十七日

良元村会に西宮市との合併案上程

西宮市会、良元村合併を議決

良元村の再度の住民投票

町村合併促進法制定以後

宝塚市の成立

川辺郡の情勢

西谷村の合併きまる

長尾村の合併きまる

花屋敷付近の分市問題

警察制度の改革

宝塚の急速な変化

別章 いまの宝塚

第一節 人口の急膨張

人口の推移

市制施行時の宝塚

人口の増加

年齢別人口

人口動態

産業別・職業別人口

自然・土地

恵まれた自然

土地利用

阪神大都市圏と宝塚

朝夕の人口流動

大阪市・神戸市の影響

阪神間六市一町との関係

第二節 発展する都市

都市環境の変化

宅地造成

市街化区域と市街化調整区域

都市基盤の整備

道路

公園・緑地

上水道

下水道

ごみ・し尿

消防

商業

工業

観光業

ゴルフ場と競馬場

交通・通信

自動車交通

通勤・通学

神姫バスの西谷乗入れ

郵便・電話

第三節 市民生活と市民福祉

住宅

住宅水準

公的住宅

市民の消費生活

市民所得の特徴

家計消費の構造

教育と文化

幼稚園

保育所

義務教育

高校教育

特殊学級

朝鮮人学校

社会教育と文化活動

保健医療

医療施設

国民健康保険

社会福祉

生活保護

老人福祉

身障者福祉

同和対策

第四節 住宅・レクリエーション都市をめざして

行政と財政

行政組織・機構

財政

広域行政

あすの宝塚

第三巻をふりかえって

〔別章〕図・表

〔口絵解説〕

富岡鉄斎

古仏龕図

〔執筆担当〕

〔奥付〕

〔デジタル版公開に伴う正誤表〕