長野県立歴史館 信濃史料

信濃史料

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目次


(巻一 考古資料編 未掲載)

(巻一 考古資料編 未掲載)

巻二 神代~

神代 建御名方神、諏訪に入ると伝ふ、

崇神四八 豊城命をして東国を治めしむ、

是代 神八井耳命の孫健五百健命、科野国造となる、

是代 皇子本牟智和気御子の為めに山辺の大鶙を遣はして、、、

景行四〇 日本武尊、東征の帰途、信濃国を過り、、、

景行五五 彦狭嶋王、東山道十五国の都督となり、、、

景行五六 彦狭嶋王の子御諸別王をして東国を治めしむ、、、

成務五 山河によりて国県を分ち、国郡に造長を立て、、、

応神五 諸国に海人部及び山守部を置く、

履中四 始めて諸国に国史を置き、言事を記して中央に通達せしむ、

雄略一一 信濃国直丁等、天皇をそしり、罪せられて鳥養部となる、

武烈三 信濃国の男丁を徴発して、城の形を水派邑に作る、

欽明一三 信濃国善光寺仏、百済より渡来すと伝ふ、

崇峻二 近江臣満を東山道に遣はし、暇夷の国の境を視察せしむ、

推古三 信濃国筑摩郡荒田郷五十烟を難波の荒陵寺、、

推古六 聖徳太子甲斐鳥駒に御し、富士山に至り、、、

推古一〇 信濃の人若麻績東人、善光寺如来を、、、

推古一五 各国毎に屯倉を置く、

推古二八 皇太子、大臣蘇我馬子と議し、、、

推古三五 蝿集りて信濃坂を越え、上野国に至りて散ず、

皇極元 若麻績東人、水内郡の宅を改めて草堂となす、、、

大化元 東国の国司を任じ、戸籍を作り田畝を校へしむ、

大化元 諸国の民を録す、

大化二 改新の詔を宣し、新令四ヶ条を下す、

大化二 東国の国司を詔して、新令を遵奉せしむ、

大化二 東国の朝集使に詔して、公私の物を取るを戒む、

大化四 越後磐舟の柵を治め、越と信濃の民を之に移す、

斉明六 信濃国、蠅群りて巨坂を飛踰え西に赴くを奏す、

天智五 百済の男女二千余人を東国に遷す、

天武元 天皇、吉野を出でて、是日、朝明郡の郡家に到り、、、

天武元 信濃国、赤鳥を献ずるを祥瑞となし、、、

天武二 信濃の民五十戸を高市大寺大安寺に、、、

天武一一 信濃国五穀実らざることを奏す、

天武一二 伊勢王等をして天下を巡行し、、、

天武一三 三野王、小錦下采女臣筑羅等を信濃に遣はして、、、

天武一四 信濃国に灰降り草木皆枯る、

天武一四 詔して、東山道美濃以東の諸国の有位者に課役を免ず、

天武一四 直広肆石川朝臣虫名を東山道に遣はし、、、

天武一四 軽部朝臣足瀬・高田首新家、、、

持統五 使者を遣はして、信濃国須波・水内等の神を祭らしむ、

文武四 巡察使を東山道に遣はし、非違を検察せしむ、

文武四 諸国をして牧地を定め、牛馬を放牧せしむ、

文武四 使を諸国に遣はして蘇を造らしむ、、、

大宝元 使を七道諸国に遣はして、、、

大宝元 信濃国、蝗害及び大風のために屋舎作物を損ふ、

大宝二 始めて新律を天下に頒ふ、

大宝二 信濃国、梓弓一千二十張を献ず、、、

大宝二 諸国の国造の氏を定む、

大宝二 始めて美濃国岐蘇山道を開く、

大宝三 従六位上多治比真人三宅麻呂を東山道に遣はし、、、

大宝三 信濃等の国に疫あり、薬を給せらる、

慶雲元 信濃国に疫あり、薬を給せらる、

慶雲元 鍛冶司をして、諸国の印を鋳しむ、

慶雲元 信濃国、弓千四百張を献ず、是日、、、

慶雲三 信濃等五国の十九社、祈年幣帛を給はるの列に入る、

和銅元 従五位下小治田朝臣宅持、信濃守となる、

和銅二 陸奥・越後二国の蝦夷叛するにより、、、

和銅二 従五位下藤原朝臣房前を東海・東山二道に遣はし、、、

和銅三 信濃国に疫あり、薬を給せらる、

和銅四 大初位上丹波史千足等、外印を偽造して、、

和銅六 諸国郡郷の名は好字を著け、其の風土記を上らしむ、

和銅六 信濃国をして石硫黄を献ぜしむ、

和銅六 信濃・美濃の国界、径道険隘なるを以て、、、

和銅七 太政官奏して、諸国に大中小の倉を造りて、、、

和銅七 信濃国等の民を割きて、出羽柵戸に配す

和銅七 従五位下佐伯宿祢沙弥麻呂、信濃守となる、

霊亀二 信濃等四国の民各百戸を出羽国に移す、

養老元 信濃等四国の民各百戸を出羽柵戸に配置す、

養老元 信濃等の国をして始めて絁の調を貢せしむ、

養老元 天皇美濃国に行幸するにより、信濃国司等、、、

養老三 始めて按察使を置く、美濃守笠朝臣麻呂をして、、

養老五 信濃国を割きて諏方国を置く、尋いで美濃按察使の管下となす、

神亀元 配流の遠近の程を定め、諏方国を中流となす、

神亀五 国毎に金光明経十巻を頒つ、

天平三 諏方国を廃して信濃国に併す、

天平三 外従五位下巨勢朝臣又兄、信濃守となる、

天平四 正三位藤原朝臣房前、東海・東山二道節度使となる、

天平四 東山道諸国の兵器牛馬を他所に売ることを禁ず、、、

天平五 信濃の民五十戸を、楽師寺に施入して封戸となす、

天平六 東山道等七道撿税使の算計法を定む、

天平九 国毎に釈迦三尊像を造り、大般若経一部を書写せしむ、

天平一〇 信濃国、神馬を献ず、

天平一〇 信濃の民二百戸を山階寺興福寺に施入して封戸となす、

天平一〇 谷綿麻呂信濃介たり、

天平一〇 東山道等諸国の健児を停む、

天平一〇 天下の諸国に各国郡図を造りて上らしむ、

天平一一 信濃国調布を貢す、

天平一二 国毎に法華経十部を写し、七重塔を建立せしむ、

天平一二 藤原広嗣の叛により、大野朝臣東人を大将軍となし、、、

天平一三 詔して国毎に金光明四天護国寺・法華滅罪寺を創建せしむ、

天平一三 小県郡、芥子を貢す、

天平一六 詔して、四畿内七道諸国、、、

天平一六 畿内七道に巡察使を遣はし、、、

天平一七 諸国出挙の正税数を定む、、、

天平一八 参議式部卿正四位上藤原朝臣仲麻呂、、、

天平一八 従五位下物部依羅朝臣人会、信濃守となる、

天平一九 勅旨により、小県郡の民五十戸を東大寺に施入して封戸となす、

天平一九 従五位下坂合部宿祢金綱、信濃守となる、

天平一九 詔して使を諸国に分遣し、、、

天平二〇 更級郡村神郷の人私部乙万呂、、、

天平勝宝二 東大寺に封戸三千五百戸を施入し、、、

天平勝宝二 水内郡大田郷芥子を貢す、

天平勝宝四 筑摩郡山家郷の人小長谷部尼麻呂、調庸布を貢す、

天平勝宝六 従五位下石川朝臣豊成、東山道巡察使となる、

天平勝宝七 信濃国の防人部領使、京に向ふ途上に病を得、、、

天平宝字元 信濃守佐伯大成、橘奈良麻呂の謀反に座して任国に配流せらる、

天平宝字元 従五位下忌部宿祢鳥麻呂、信濃守となる、

天平宝字元 諸国の公廨稲処分の式を定む、

天平宝字二 正六位下藤原朝臣浄弁を東海東山道問民苦使となす、、、

天平宝字三 諸国に常平倉を置き、東山道は左平準署をして之を管掌せしむ、

天平宝字四 従五位下石川朝臣公成を東山道巡察使となす、

天平宝字五 従五位下紀朝臣僧麻呂、信濃介となり、、、

天平宝字五 唐の求めにより、東山・東海等の諸国に命じて、牛角を貢せしむ、

天平宝字六 美濃・飛弾・信濃按察使藤原恵美朝臣真光、参議となる、

天平宝字六 信濃・美濃・飛弾等の国に地震あり、、、

天平宝字七 信濃国、飢饉のために賑給せらる、

天平宝字八 従五位下藤原朝臣継縄、信濃守となる、

天平宝字八 従五位下三川王、信濃守となる、

天平宝字八 東山・東海等諸国をして、騎女を貢せしむ、

天平宝字八 安曇郡前科郷の人安曇部真羊、調布を貢す、

天平宝字八 武蔵国の人、丈直山継、藤原仲麻呂の乱に座し、危く死罪を免れ、、、

天平神護二 従五位下太朝臣犬養、信濃守となる、

天平神護二 正五位上淡海真人三船、東山道使となる、

神護景雲元 少納言従五位下当麻王、信濃介を兼ぬ、

神護景雲二 信濃国牧主当伊那郡大領金剌舎人八麿の解、、、

神護景雲二 更級郡の人建部大垣、水内郡の人刑部智麻呂・倉橋部広人等、、、

神護景雲二 伊那郡の人他田舎人千世売 其の節を守れるを以て賞せられ、、、

神護景雲二 外従五位下濃宜公水通、信濃介となる、

神護景雲三 従五位上弓削宿祢大成、信濃員外介となる、

神護景雲三 従四位下藤原朝臣楓麻呂、信濃守となる、

神護景雲三 信濃の民廿戸を囗師寺に施入して、封戸となす、

宝亀元 従五位下田口朝臣水直、信濃員外介となる、

宝亀元 水内郡の人正七位下金剌舎人若嶋、外従五位下を授けらる、、、

宝亀三 信濃守従五位上菅生王、中務大輔を兼ぬ、

宝亀三 是より先、従五位上掃守王の男小月王、姓を勝間田と賜はりて、、、

宝亀三 従五位下多治比真人豊浜、信濃守となる、

宝亀三 正五位下佐伯宿祢国益、東山道巡察使となる、

宝亀三 中務大輔従五位上兼少納言信濃守菅生王、、、

宝亀四 信濃国小県郡跡目里の人他田舎人蝦夷死し、七日の後に甦りて、、、

宝亀五 従五位下石川朝臣望足、信濃守となる、

宝亀五 信濃国小県郡嬢里の人、大伴連忍勝、同族に殺され、、、

宝亀六 信濃国等、飢饉を以て賑給せらる、

宝亀七 正五位下石上朝臣家成、東山道撿税使となる、

宝亀八 外従五位下金剌舎人連若嶋、従五位下を授けらる、

宝亀九 従五位下大原真人浄貞、信濃守となる、

宝亀九 正五位下大伴宿祢不破麻呂、信濃守となる、

天応元 従五位下紀朝臣家継、信濃守となる、

天応元 高井郡墨坂神、越知神に封戸各一戸を充つ、

延暦三 正五位上巨勢朝臣苗麻呂、信濃守となる、

延暦四 従五位上中臣朝臣鷹主、信濃守となる、

延暦五 従五位下多治比真人賀智、信濃介となる、

延暦五 蝦夷を征せんため、紀朝臣揖長を東山道に遣はし、軍士を簡閲し、、、

延暦五 従五位下県犬養宿祢堅魚麻呂、信濃守となる、

延暦七 東山・東海・北陸三道諸国をして糒及び塩を陸奥国に転運せしむ、、、

延暦八 筑摩郡の人外少初位下後部牛養・無位宗守豊人等、田河造の姓を賜はる、

延暦八 信濃介多治比真人賀智、養民司となる、

延暦九 大蔵大輔正五位下藤原朝臣乙叡、信濃守を兼ね、、、

延暦九 蝦夷を征せんがため、東山道信濃以東、東海道駿河以東の諸国をして、、、

延暦一〇 蝦夷を征せんがため、藤原朝臣真鷲をして東山道諸国の軍士戎具を検閲、、、

延暦一〇 東山・東海二道の諸国に令して、征箭三万四千五百余具を作らしむ、

延暦一一 陸奥・出羽・太宰府等辺要の地を除き、諸国に兵士を廃し、、、

延暦一四 是より先、小県郡人久米舎人望足、信濃介石川朝臣清主を射て中らず、、、

延暦一六 信濃の人外従八位下前部綱麻呂、安坂の姓を賜はる、

延暦一六 信濃等四国をして造宮のための雇夫を進めしむ、

延暦一六 従五位上信濃守笠朝臣江人、民部大輔を兼ぬ、

延暦一六 従五位上守民部大輔兼行造西寺次官信濃守笠朝臣江人を右京職に遣はし、、、

延暦一六 信濃国監牧に始めて公廨田を賜ふ、

延暦一八 従五位上藤原朝臣継業、大学頭となる、、、

延暦一八 伊奈郡阿智駅の駅子、永く調庸を免ぜらる、

延暦一八 左大弁正四位下菅野朝臣真道に信濃の地百町を賜ふ、

延暦一八 信濃国の人、外従六位下卦婁真老等、十一人、、、

延暦二一 信濃等東国の浪人を発して、陸奥の膽沢城に配置す、

延暦二一 信濃等諸国の課欠駒は罪を科し馬を徴し、一も免ずる所なからしむ、、、

延暦二三 従五位下和朝臣弟長、信濃介となる、

大同元 従五位上坂本朝臣左太気麻呂、信濃介となる、

大同二 従四位下安倍朝臣兄雄、東山道観察使となる、

大同三 従五位下安倍朝臣真直・外従五位下出雲連広貞等、、、

大同三 従四位上藤原朝臣緒嗣、東山道観察使となる、

大同三 東山道観察使藤原朝臣緒嗣、上表、、、

大同三 東山道諸国の正税出挙のことを定む、

大同三 信濃の水田百八十四町五段余をそれぞれ左右馬寮に充つ、

大同四 東山道観察使藤原朝臣緒嗣、任地に赴かんとして内裏を辞見す、

弘仁二 信濃国、白烏を献ず、

弘仁三 信濃等諸国の課欠駒の価を毎疋稲二百束に改む、

弘仁四 少納言従五位下字智王、信濃守を兼ぬ、

弘仁四 陸奥・出羽両国をして非常に備へんがため、公廨を正税に混合、、、

弘仁六 僧最澄、東国に赴き、上野・下野両国に各一塔を建て、、、

弘仁七 信濃国、去年の凶作にて食乏しきを以て、穀一万斛を商布と交易、、、

弘仁八 信濃国飢饉あり、使者を遣はして賑給す、

弘仁一一 弘仁式成る、信濃国の正税・公廨乃牧馬・駅馬の事見ゆ、

弘仁一四 信濃諸牧の貢馬を武徳殿に牽進す、

天長元 信濃の牧子の苦を救はんがため、課欠駒の直を百束に減じ、、、

天長三 信濃等の貢馬・騎士等の数を定む、

天長三 弾正大弼菅原朝臣清公、信濃守を兼ぬ、

天長五 従五位下安倍朝臣安仁、信濃介となる、

天長五 信濃の貢馬を武徳殿に牽進す、

天長五 従三位紀朝臣百継、信濃守を兼ぬ、

天長六 信濃の貢馬を武徳殿に牽進す、

天長七 信濃の貢馬を武徳殿に牽進す、

天長八 信濃介安倍朝臣安仁、能治を褒せられ、従五位上に叙せらる、

天長一〇 参議従三位南淵朝臣弘貞、信濃守を兼ぬ、

天長一〇 従四位上源朝臣弘、信濃守となる、

天長一〇 弘仁中罪を犯して信濃に配流せられし元興寺僧永継、、、

天長一〇 参議従四位下清原真人長谷、信濃守を兼ぬ、尋いで卒す、

承和二 正四位下源朝臣弘、再び信濃守となる、

承和二 東山・東海両道の河津、渡舟少く橋梁備はらざる、、、

承和三 小県郡の公田十二町を弾正尹秀良親王に賜ふ、

承和五 信濃等十六国、七月以降連日降灰の異を奏す、

承和七 従五位上興世朝臣書主、信濃守となる、

承和七 諸国文珠会料不足のため、正税の中より出挙、、、

承和八 春宮亮従五位上藤原朝臣貞守、信濃介を兼ぬ、

承和八 信濃国地震、公私共に損あり、

承和八 従五位下紀朝臣綱麻呂、信濃権守となる、

承和九 諏方郡無位南方刀美神に従五位下を授く、

承和九 従五位下下毛野朝臣文継、信濃介となる、

承和九 無位健御名方富命前八坂刀売神に従五位下を授く、

承和一〇 信濃国、瑞雲見ゆと奏す、

承和一二 撿五畿内七道諸国損田・不堪佃田使等の程限を定む、

承和一三 従五位下判宿祢御園、信濃介となる、

嘉祥元 参議従四位下小野朝臣篁、信濃守を兼ぬ、

嘉祥元 従五位下左伯宿祢雄勝、信濃介となる、

嘉祥二 学問行者、戸隠寺を開くと伝ふ、

嘉祥三 御名方富命神・健御名方富命前八坂刀売命神に、並びに従五位上を授く、

仁寿元 参議正四位下藤原朝臣助、信濃守となる、

仁寿元 五畿七道、諸国内の諸神有位無位を論ぜず、等しく正六位上に叙す、

仁寿元 建御名方富命神・同前八坂刀売命神に、並びに従三位を授く、

仁寿二 正五位下久賀朝臣三夏、信濃守となり、、、

仁寿二 清原真人秋雄、信濃介となる、

仁寿三 信濃・武蔵に詔して、一切経各一部を書写せしむ、

仁寿三 従五位下平朝臣実雄、信濃守となる、

仁寿三 健御名方富命神・同前八坂刀売命神、両神の祝に把笏を許す、

斎衡元 紀朝臣道茂、信濃介となる、

天安元 従五位下藤原朝臣秀道、信濃介となる、

天安二 参議従四位上源朝臣多、信濃守となり、、、

天安二 信濃国の牧監を元の如く二人に復す、

天安三 従四位下南淵朝臣年名、信濃守となる、

貞観元 神祇官の生嶋神・足嶋神に並びに従四位上、健御名方富命神に従二位、、、

貞観元 建御名方富命に正二位、同前八坂刀売命神に従二位、、、

貞観元 無位守達神に、従五位下を授く、

貞観二 正六位上馬背神・飄別神・妻科地神・無位駒弓神・出速雄神等、、、

貞観二 信濃国の人、比叡山の僧慧亮寂す、

貞観三 散位従五位下橘朝臣安吉雄、信濃権守となり、、、

貞観三 正六位上国業比売神に従五位下を授く、

貞観三 是より先、信濃の人、壬生稲主、妻の母を殺す、国司断罪、法官覆案す、、、

貞観四 従四位上在原朝臣行平、信濃守となる、

貞観四 埴科郡大領外従七位上金剌舎人正長、小県郡権少領外正八位下他田舎人藤雄、、、

貞観五 従五位下守達神・妻科神・八櫛神に並びに従五位上を授く、

貞観五 諏方郡人金剌舎人貞長、大朝臣の姓を賜はる、

貞観六 信濃権守橘朝臣安吉雄、信濃守となる、

貞観六 信濃の人、従五位下越後介高橋朝臣文室麻呂卒す、

貞観六 従五位下藤原朝臣是縄、信濃権介となる、

貞観六 信濃国の勅旨牧の貢馬の期を改定す、

貞観七 主計頭兼木工権頭従五位上有宗宿祢益門、信濃権守となり、、、

貞観七 従五位上守達神に従四位下を授く、

貞観七 従五位下馬背神に従四位下を授く、

貞観七 信濃権守有宗宿祢益門、右相撲司の員となる、

貞観七 信濃諸牧の格は、料稲を給するを停め、牧内の浪人の徭を以て修造せしむ、

貞観七 建御名方富命神の社田として、諏訪郡水田二段を充つ、

貞観七 正六位上名立神に従五位下を授く、

貞観七 信濃勅旨牧と冷然院諸牧との貢馬の期、、、

貞観八 諏訪郡人太朝臣貞長等に外従五位下を授く、

貞観八 伊奈郡寂光寺・筑摩郡錦織寺・更級郡安養寺・埴科郡屋代寺、、、

貞観八 水内郡の三和・神部の両神、忿怒の心あり、、、

貞観八 無位武水別神に従二位、、、

貞観九 従五位上美濃守源朝臣頴、信濃守となる、

貞観九 右大臣藤原朝臣良相、筑摩郡大野荘の地百二町二段を貞観寺に施入す、

貞観九 正二位建御名方富命神に従一位、従二位同前八坂刀売命神に正二位、、、

貞観九 高井郡の人、従八位上物部連善常、山城国紀伊郡に本居を改む、

貞観九 従二位武水別神を官社に列す、

貞観九 信濃諸牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

貞観一〇 従五位下大外記滋野朝臣恒蔭、信濃介となる、

貞観一〇 従五位下八県宿祢命神に正五位下を授く、

貞観一〇 信濃勅旨牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

貞観一一 従五位上藤原朝臣水谷、信濃権守となる、

貞観一一 信濃諸牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

貞観一二 従五位上滋野朝臣善根、信濃守となり、従四位下興基王、同権守となる、

貞観一二 散位従五位下菅原朝臣峰嗣卒す、父出雲朝臣広貞、嘗て信濃権守たり、

貞観一三 信濃・上野貢馬使の多く雑色人を率ゐて公乗を用ふるを禁ず、

貞観一三 元興寺伝燈大法師位賢護の請、、、

貞観一三 紀朝臣有常、信濃権守となる、

貞観一五 従五位下出早雄神に従五位上、、、

貞観一五 信濃権介左伯宿祢子房の女、皇子長鑑・長頼を生む、、、

貞観一六 従四位下相模守在原朝臣守平、信濃守となる、

貞観一八 信濃諸牧の牧格の破損亡失多きを以て、牧監等をして一向二撿校せしむ、

貞観一八 神祇官陰陽寮火災の徴あり、、、

元慶元 従四位下信濃守在原朝臣守平、従四位上に、、、

元慶元 中臣・斉部両氏人を五畿七道諸国の神社に遣はして幣を班たしむ、

元慶二 民部大輔正五位下源朝臣包、信濃守となり、、、

元慶二 従五位上出速雄神に、正五位下を授く、

元慶二 信濃国をして梓弓二百張を献ぜしむ、

元慶二 東海・東山両道の諸国をして勇敢軽鋭の者を択び、、、

元慶二 正六位上蓼科神に従五位下を授く、

元慶三 信濃介橘朝臣茂蔭、従五位上に叙せらる、

元慶三 県坂山岑を以て信濃・美濃両国の境界と定む、

元慶四 信濃諸牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

元慶五 正六位上地生神・御厩中央御玉神に、並びに従五位下を授く、

元慶五 伊那郡の観音寺、天台別院となる、

元慶五 正六位上槻井泉神に従五位下を授く、

元慶七 信濃諸牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

元慶八 信濃守藤原朝臣有蔭、正五位下を授けらる、

元慶八 従五位下藤原朝臣有令、信濃介となる、

元慶八 従四位下橘朝臣良基、信濃守となる、

元慶八 信濃権守従五位下源朝臣近善、従四位上に叙せらる、

元慶八 信濃諸牧の貢馬を紫宸殿に牽進す、

元慶八 信濃国、木連理の瑞を獲たりと言上す、明年正月一日朝賀の庭に之を奏す、

仁和元 従五位下信濃権介良岑朝臣唯実、正介となる、

仁和元 信濃国に、乗田卅町を以て国厨佃を営むことを許す、

仁和元 是より先、筑摩郡の人辛犬甘秋子、坂名井子縄麻呂等の非行を太政官に訴ふ、、、

仁和元 太政大臣藤原朝臣基経、年中行事障子を献ず、、、

仁和元 信濃諸牧の貢馬を馬埒殿に牽進す、

仁和二 下野守従五位下源朝臣道、信濃権守となる、

仁和二 信濃権守源朝臣道、侍従となる、

仁和二 信濃国諸牧の貢馬、牧司の懈怠によりて式日を延引、、、

仁和三 藤原朝臣忠房、信濃掾となる、

仁和三 信濃国の例貢御贄の期を十月に、別貢御贄の期を十一月に定む、

仁和三 大納言藤原朝臣冬緒、老を以て致仕す、、、

仁和三 従五位上行少納言兼侍従藤原朝臣諸房、信濃守となる、

仁和三 大蔵卿正四位下兼行信濃権守源朝臣定有、相撲の右司となる、

仁和四 信濃国地震あり、山頽れ河溢れ、六郡の人屋流没す、、、

仁和四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

仁和四 従五位上夜坂神に正五位下を授く、

寛平元 信濃より人を食ふ鬼洛中に入るとの妖言あり、

寛平五 信濃等諸国勅旨牧の馬牛闕失の罪を牧子・長帳の外に、、、

寛平五 諸国の神社に各々位一階を進む、

寛平六 東山・東海の両道より勇士を召す、

寛平七 従五位下民部少輔藤原朝臣扶幹、信濃守となる、

寛平九 諸国より貢する采女の数を定む、信濃は一人とす、

昌泰元 従四位下藤原朝臣恒佐、信濃権介となる、

昌泰二 従五位上源朝臣実、信濃守となる、

昌泰二 上野国の申請により、始めて碓氷坂と足柄坂とに閞を設けて、、、

延喜元 信濃国飛騨使入京し、これに勅符を賜ふ、尋いで諸社に奉幣、、、

延喜五 信濃望月牧の貢馬の数、元卅疋を廿疋に改む、

延喜五 信濃諸牧、貢馬を牽進す、

延喜六 紀朝臣貫之、月次屏風八帖の料として、八月駒迎等四十五首の和歌、、、

延喜七 従四位上源朝臣清蔭、信濃権守となる、

延喜七 信濃等諸国の年料別納租穀の員数を定む、

延喜八 信濃諸牧の貢馬を南殿に牽進す、

延喜九 信濃諸牧の貢馬を南殿に牽進す、

延喜九 信濃国立名神に従五位下を授く、

延喜一〇 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

延喜一二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

延喜一二 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

延喜一二 勘解由使、国司の交替にあたり、信濃国の課欠駒の直のことを判定す、

延喜一四 信濃等諸国の雑田を収公し、其の地子稲を正税に混合せしむ、、、

延喜一四 信濃等諸国の例進地子雑物を定む、

延喜一五 信濃国飛騨、上野介藤原朝臣厚載の上毛野基宗等のために殺害せらるる、、、

延喜一五 従四位上源朝臣是茂、信濃権守となる、

延喜一五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

延喜一六 左近衛少将藤原朝臣忠房、信濃権守を兼ぬ、

延喜一七 信濃諸牧の貢馬を牽進す、牧監御船有文代、同春淵御前に奉仕す、

延喜二二 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

延長二 従四位下修理大夫平朝臣時望、信濃権守を兼ぬ、

延長二 信濃望月牧の貢馬を昭訓門前に牽進す、

延長三 右衛門佐藤原朝臣顕忠、信濃権介を兼ぬ、

延長三 藤原朝臣公葛、信濃守となる、

延長四 信濃・下野・越中国の損不堪佃田使を改め定む、

延長五 信濃の貢馬を朱雀院に牽進す、

延長五 左大臣藤原朝臣忠平等、延喜式五十巻を撰進す、、、

延長五 勘解由使、国司の交替にちなみ、信濃国定額寺修理のことを判定す、

延長八 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

承平元 信濃諸牧の別当の任限を二年延長せしむ、

承平元 勘解由使、国司の交替にちなみ、信濃国生嶋社の修填のことを判定す、

承平元 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

承平三 左大臣藤原朝臣忠平、信濃の封戸二十戸、讃岐の封戸二十五戸を醍醐寺に、、、

承平五 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

承平六 信濃守従五位上高階貞人師尚、本任の放還を待たずして任符を賜はる、

承平六 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

承平六 信濃守従五位下藤原朝臣良載卒す、

承平七 京都清水寺の僧慶兼、信濃国の御坂に於て大蛇に遭ひ、、、

承平七 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天慶元 平将門、同貞盛を追ひて、信濃国小県郡国分寺の辺に相戦ふ、、、

天慶元 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

天慶元 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天慶元 故信濃守源朝臣公家の女、中納言藤原朝臣実頼の奉る五節の舞姫に選ばれ、、、

天慶二 東西の賊徒鎮定のため、諸社及び東山・東海両道の名神に臨時幣帛使を、、、

天慶二 東海・東山・山陽・西海・丹波等諸国に、仏神に祈り、、、

天慶二 是より先、平将門・武蔵権守興世王等、下総に叛す、、、

天慶三 従五位下小野朝臣維幹、東山道追捕使となる、

天慶三 官符を東海・東山道に下して、殊功の輩に不次の賞を加へしむ、

天慶三 信濃国の飛駅、平将門の誅せらるる由を奏す、、、

天慶三 碓氷関、岐曽道使等を停止す、

天慶四 大外記従五位下三統宿祢公忠、信濃権介を兼ぬ、

天慶四 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天慶四 信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天慶四 上野国の御馬四十八疋を牽進す、但し一疋は腸病のため信濃国伊那郡に留る、、、

天慶四 国毎に御馬五十疋を撰進すべきの官符、、、

天慶五 大和守従五位上高階真人師尚、信濃国務の功により、正五位下に叙せらる、

天慶五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天慶七 大暴風雨あり、信濃国府の庁舎顛倒して、守従五位下紀朝臣文幹圧死す、

天慶七 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天慶八 大外記三統宿祢公忠、諸国参期を勘申す、信濃は十一月とせらる、

天慶八 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天慶八 信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天慶九 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天慶九 前信濃守源朝臣師保、大嘗会御禊の前駈に加はる、

天暦元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦三 故関白太政大臣従一位藤原朝臣忠平を葬る、、、

天暦三 左大臣藤原朝臣実頼、故忠平の信濃国の封物を辞す、

天暦三 諸牧の貢馬を行ふべきや否やを定む、

天暦四 侍従源朝臣重光、信濃権守を兼ぬ、

天暦五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦六 信濃等四国の国司及び牧監の貢馬の期に違ひ、例数を減ずるものを科責、、、

天暦七 従五位上源朝臣信明、信濃守となる、

天暦七 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦七 信濃望月牧の貢馬、延引して是日牽進す、

天暦八 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天暦一〇 信濃諸牧の貢の馬を牽進す、

天徳元 信濃望月牧の貢馬、逗留し、是日牽進す、

天徳二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天徳三 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

天徳三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

応和元 従五位上源朝臣惟正、信濃守となる、

応和元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

応和元 後院の信濃桐原牧の貢馬を牽進す、

応和二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

応和二 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

応和三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康保元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康保二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康保三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康保三 釈長明、信濃戸隠山に於て火定す、

安和元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

安和元 信濃国、藤原千常の乱を奏す、

天禄元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天禄元 信濃国の調布六百七十四端三丈を、春季御読経料として、、、

天延二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天延二 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

天延三 撿牧使を信濃・上野両国に遣はして、諸牧を撿校せしむ、

天延三 東国に風害あり、信濃の御坂の路崩壊す、

天元元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、是日始めて左近番長兼国を御馬使とす、

天元元 信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天元五 令宗朝臣允亮、信濃掾美努秀則の問に答へ、、、

永観二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛和元 信濃国、白雉を献ず、尋いで片足折れたるを以て、之を北山に放つ、

永延二 従四位上藤原朝臣在国、信濃権守となる、

永祚元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

永祚元 前信濃守藤原朝臣永年卒す、

正暦元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

正暦元 参議藤原朝臣実資、信濃の梨を円融法皇に献ず、

正暦四 従四位下藤原朝臣隆家、信濃権守となる、

正暦四 信濃等の諸国の越済のことを定む、

長徳元 菅野貞頼、信濃掾となり、秦員友、信濃権少掾となる、

長徳元 小舎人に例物として信濃布等を給ふ、

長徳二 縣召除目あり、信濃大目及び権少目闕く、

長徳二 信濃諸牧の貢馬、是日牽分く、

長徳三 太皇太后昌子大夫藤原朝臣実資に、後院領笠原牧の馬二疋を賜ふ、

長徳四 大外記正五位下中原朝臣致時、信濃守となり、、、

長徳四 延暦寺中堂の御諷誦料布として、前信濃守左伯朝臣公行の布を借用す、

長徳四 弾正忠右賢、信濃国の温泉に赴かんことを請ひて許さる、

長徳四 信濃権介景盛に計歴の宣旨を下す、

長保元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長保元 信濃守中原朝臣致時、藤原朝臣実資に桑糸廿疋を送る、

長保二 正六位上藤原朝臣有邦を信濃諸牧の牧監に補す、

長保二 左大臣藤原朝臣道長、信濃国の中の荘園を勧学院に進む、

長保二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長保二 正六位上久米宿祢滋延、信濃掾となる、

長保三 法興院に於て、故皇后定子の御法会あり、、、

長保三 右中弁源朝臣道方、信濃権守を兼ぬ、

長保三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長保三 信濃判官代高向弘信、極楽寺に鰐口を寄進す、

長保四 源朝臣済政信濃守となる、尋いで任国に赴く、

長保四 僧真隆、信濃国の講師となる、

長保四 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

長保四 令宗朝臣允亮、信濃国の私牧の牝馬、、、

長保四 左馬寮、望月牧の貢馬延期逗留の状を言上せざるを奏す、

長保五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長保五 相模守清重の女、五節舞姫となりて参入す、、、

寛弘元 信濃守源朝臣済政、任国より上京して、左大臣藤原朝臣道長の許に至る、

寛弘元 源朝臣済政、信濃守を辞し、藤原朝臣佐光、信濃守となる、

寛弘元 左大臣藤原朝臣道長、信濃国の減省解文を申さしむ、

寛弘二 御斉会終るの日の陣の料として、信濃の梨・棗未熱のため薯蕷を給ふ、

寛弘二 信濃守藤原朝臣佐光、任国に下向せんとする、、、

寛弘二 前信濃守源済政等の受領功課を定む、

寛弘二 賀茂祭、信濃国司の申請によりて、禊祭料紅花の色代を許し、、、

寛弘二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛弘三 信濃の馬を殿上人、左右馬頭等に給ふ、

寛弘三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛弘四 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

寛弘五 無品媄子内親王、信濃守佐光の郁芳門の宅に於て薨ず、

寛弘五 信濃国減省三年を申請し、是日之を許さる、

寛弘六 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

是代 信濃国の検校豊平、天皇秘蔵の鷹を馴養すと伝ふ、

寛弘八 信濃諸牧の貢馬を牽進す

長和元 信濃諸牧の貢馬、途中に逗留し、左馬寮逗留の解文を奉る、

長和三 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

寛仁元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛仁元 信濃望月牧の貢馬を牽進す、

寛仁元 京畿七道の諸神に一代一度の奉幣ある、、、

寛仁二 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

寛仁二 信濃望月牧の貢馬を牽進す、内一疋途中に於て斃死す、

寛仁三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛仁三 信濃国司、蔵人所召物料を申請し、是日宣旨を下さる、

治安元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

治安二 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

治安三 信濃守藤原朝臣惟任、任国に下向す、

治安三 前信濃守源朝臣道成、因幡守となる、

治安三 是より先、信濃国、減省解文を進む、是日、之を許さる、

治安三 信濃国をして、致行に位禄を給せしむ、

治安三 信濃守藤原朝臣惟任、右大臣藤原朝臣実資に馬一疋を献ず、

万寿二 信濃国に築垣の事を命ず、

万寿二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

万寿二 信濃国の減省解文、裁許せらる、

万寿三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

万寿四 信濃権守某に官符を下し、関白領遠江笠原牧の牧使を殺害せる犯人を追捕、、、

万寿四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元元 前上総介平朝臣忠常追討のため、東山・東海道に官符を下す、、、

長元元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元元 信濃国の申す三箇条のことにつき、宣旨を下す、

長元二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元四 御斉会の陣饗に、信濃の梨を供す、

長元四 知貞(姓を欠く)の位禄に信濃国を充つ、

長元四 是より先、信濃国解文を上り、別納の租穀の内を以て正税の不足に充てん、、、

長元四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元五 右少弁正五位下藤原朝臣家経、信濃守となる、

長元五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元六 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長元七 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

長元七 風損の殿舎・門廊・堂等を信濃等の諸国に分ち宛てて、修造せしむ、

長元八 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長暦二 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

長久元 信濃守菅原朝臣忠貞、去る五月廿五日に死去す、、、

長久元 信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

長久二 前大納言藤原朝臣公任薨ず、、、

寛徳元 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

寛徳二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

永承二 信濃・参河等の諸国に宣旨を下し、造興福寺の雑事を勤仕せしむ、

永承二 興福寺に納むべき信濃国の長久四年以後三箇年の封物、、、

永承二 信濃等の国に宣旨を下し、造興福寺用の赤土二十石を進納せしむ、

永承三 官符を下し、信濃国の民廿五戸を伊勢大神宮の封戸に定む、

天喜二 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

天喜五 従五位下橘朝臣俊通、信濃守となる、

天喜五 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

康平元 信濃国、神御坂の頽壊せしことを奏す、

康平二 信濃諸牧の貢馬、出水により途中に逗留し、是日牽進す、

康平三 信濃望月牧の貢馬、逗留の解文を奏す、

康平六 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康平七 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

治暦元 蔵人所、信濃国等に牒して、東對御簾用途料を進上せしむ、

治暦四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

治暦 信濃国水内郡多牟尼山の行人入道平円寂す、

延久二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

延久五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

承保二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

承暦元 前信濃守、藤原朝臣伊綱卒す、

承暦三 源朝臣国信、信濃権守となる、

承暦四 信濃守藤原朝臣敦憲等の所領、摂津国榎並庄の四至内に交はる、、、

承暦四 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

永保元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

永保三 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

寛治元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛治三 信濃守藤原朝臣家綱、石清水八幡宮臨時祭使の陪従を勤む、

寛治四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

寛治五 信濃国立后沙汰の請文を進めざるにより、高階朝臣為章を責めんとす、

寛治六 信濃諸牧の貢馬、洪水のために逗留し、是日牽進す、

嘉保元 県召除目、信濃国司、介以下六名を闕く、

嘉保元 信濃国司、伊勢太神宮地鎮祭の料物を弁済せざる、、、

嘉保元 白河上皇を呪咀するに依り、参河守源朝臣惟清及び父子兄弟を配流に処す、、、

嘉保元 信濃諸牧の貢馬、出水に依りて逗留し、是日牽進す、

嘉保二 信濃権守藤原朝臣定仲、石清水八幡宮臨時祭使の陪従を勤む、

永長元 信濃守従四位下藤原朝臣永清、病に依りて出家す、尋いで卒す、

永長元 臨時小除目、源朝臣師光、信濃守となる、

永長元 信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、

承徳元 是より先、信濃の神民、造豊受大神宮役夫工使を殺害す、、、

承徳二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康和元 源朝臣国房、信濃治国の功により、従五位上に叙せらる、

康和元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康和二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康和三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康和四 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康和五 御体御卜、神祇官、信濃国穂高神、小内神等の崇りあることを奏す、

康和五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長治元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

長治二 信濃守藤原朝臣斉長の子、僧斉尊寂す、

長治二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

嘉承二 信濃守高階朝臣為行卒す、

天仁元 本院蔵人大江朝臣広房、信濃守となる、

天仁元 信濃浅間山噴火す、 ○浅間山を詠める歌 四首

天永二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天永二 是より先、下野守、源朝臣明国、美濃に下向の途次、、、

天永二 穀倉院別当雅保、信濃守大江朝臣広房をして、、、

天永三 県召除目、藤原朝臣惟明、信濃守となる、

天永三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天永三 去る廿日より、京に於て東方に鳴動を聞くも、何たるかを知らず、、、

永久元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

永久二 善光寺別当の従者等、法勝寺の四至内に於て濫行す、

永久二 是より先、尊勝寺領信濃庄の年貢、貢上の途中美濃にて強盗に奪はれ、、、

元永元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

元永元 信濃守平朝臣盛基の五条烏丸の邸焼失す、

保安元 県召除目、藤原朝臣重時、信濃守となる、

大治二 京官除目、源朝臣重時、相模守に転じ、藤原朝臣盛重、信濃守となる、

大治四 信濃守藤原期臣盛重、白河法皇に馬を貢す、

大治四 興福寺衆徒乱発の帳本、当講恵暁以下を移郷せしめ、寛恵を信濃に移す、

大治五 女御藤原聖子に、立后宣旨を下し、輦車を許す、、、

大治五 信濃守藤原朝臣盛重、故白河法皇の料として、千僧の供物を具して叡山に、、、

大治五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天承元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天承元 京の城南寺の祭事あり、信濃守藤原朝臣盛重、流鏑馬の射手を献ず、

長承元 県召除目、大江朝臣季重、信濃権守となる、

長承元 信濃の長田・芳美両御厨の中、長田の外宮御厨たることを認め、、、

長承元 信濃守藤原朝臣盛重、五節舞姫の装束料布三十段を献進す、

長承元 除目、藤原朝臣親隆、藤原朝臣盛重に代わりて信濃守となる、

長承三 是より先、信濃国司、外宮長田御厨を新立の御厨と称して停廃せんとしたる、、、

保延元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

保延元 藤原朝臣祐房、春日神社境内に信濃の諏訪明神を勧請し、兵主神社を建つ、

保延二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

保延五 従五位上藤原朝臣朝隆・信濃守となる、

保延六 伊那群光明寺薬師如来坐像造立せらる、

康治元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

康治二 県召除目、従五位下藤原朝臣賢行、会昌門廊修造の功により、信濃守となる、、、

康治二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

天養元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久安元 院庁、下文を最勝寺領信濃小川庄の公文等に下し、平維綱の妨を停止し、、、

久安元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久安二 除目、藤原朝臣親康、信濃権守となる、

久安二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久安三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久安三 民部権大輔藤原朝臣親隆の解文により、不堪佃田の官符を尋ねず、、、

久安三 民部権大輔藤原朝臣親隆、信濃・上総の国務の功により、尾張守に任じ、、、

久安四 従五位下藤原朝臣清道、信濃守となる、

久安五 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久安五 左大臣藤原朝臣頼長の女多子入内のため、信濃等の諸国に料物を課す、

久安五 摂政太政大臣藤原朝臣忠通の室准三后藤原宗子の侍所始あり、、、

久安六 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

仁平元 大師某、妙法連華経・無量寿経を経筒に収め、之を更級郡長谷寺に埋納す、

仁平元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

仁平元 是より先、少監物藤原朝臣仲盛、信濃国の沙汰を執行するに当り、、、

仁平二 信濃国の計歴官符に請印す、

仁平二 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

仁平三 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

久寿元 信濃諸牧の貢馬を牽進す、

巻三 久寿二年(1155)~

久寿二 源義仲の父義賢、武蔵大倉館に於て、源義平に討たる、、、

久寿二 是より先、源頼賢、義賢の仇を報ぜんがため、信濃に逃れ、、、

保元元 崇徳上皇、兵を白河殿に集む、信濃の人村上為国・同基国父子等、之に参ず、、、

保元元 平清盛・源義朝等、白河殿を襲ふ、片桐景重等信濃の人、多く之に従ふ

保元元 願西、伊那郡伊賀良庄光明寺の如法経を書写す

保元 藤原顕賢、信濃守に任ぜらる、

保元 平正弘の所領信濃麻続御厨並びに高田郷以下公卿領三箇郷等を没官、、、

保元二 定西、経筒を埴科郡坂城郷に埋納す、

保元三 藤原高尹、信濃守に任ぜらる、

保元三 是より先、更級郡小谷庄等の石清水八幡宮寺及び極楽寺領、、、

平治元 藤原通憲の子信濃守是憲、官を解かれ、源重成、信濃守に任ぜらる、、、

平治元 平清盛等、兵を大内に遣はして、藤原信頼・源義朝等を討ち、、、

永暦元 藤原伊輔、信濃守に任ぜらる、

永暦元 藤原親経、信濃権守に任ぜらる、

永暦元 関白近衛基実、信濃大宮庄の事につきて、御教書を下す、

応保二 是より先、修理大夫源資賢、天皇を呪咀するの罪に依りて解官せらる、、、

長寛元 是より先、太政大臣藤原伊通、信濃国司の重任のことを談ず、、、

長寛二 源資賢、宥されて信濃より召還さる、

長寛二 信濃に関する歌謡、

仁安三 藤原隆雅、信濃守に任ぜらる、

嘉応元 更級郡布施戸部に大雹降る、

嘉応二 藤原助弘、高井郡中野郷西条下司職に補せらる、

承安二 藤原実教、信濃守に任ぜらる、

承安四 大江泰友、信濃権守に任ぜらる、

承安四 東寺最勝光院別当、同院領小縣郡塩田庄年貢の事を後白河上皇に奏す、、、

安元元 是より先、鴨社祢宜祐季、同社領のことに就きて、延暦寺の僧徒と争う、、、

安元二 平康清、信濃介に任ぜらる、

治承二 大中臣盛実、信濃権守に任ぜらる、

治承二 信濃の人高野山沙門西念寂す、

治承三 藤井国兼、信濃大掾に、藤原康義、同掾に任ぜらる、

治承三 水内郡善光寺火く、

治承三 僧某、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、

治承三 仁科盛家、安曇郡藤尾郷の覚薗寺に千手観音像を造立、、、

治承四 藤原俊康、信濃小掾に任ぜらる、

治承四 源頼政、以仁王に請ひ、平家追討の令旨を得、、、

治承四 源行家、伊豆に至りて、以仁王の令旨を頼朝に伝へ、、、

治承四 平知盛等、源頼政を攻めて山城宇治川に戦ふ、、、

治承四 頼朝、兵を伊豆に起し、隣国を征す、、、

治承四 義仲、兵を信濃に起す、、、

治承四 頼朝、北条時政をして、甲斐の源氏を率ゐ、信濃を平定せしめんとす、、、

治承四 甲斐の人武田信義・一條忠頼等、諏訪大明神の神託に力を得、、、

治承四 武田信義・一條忠頼等、信濃の敵を討ちて、甲斐に還る、、、

治承四 義仲、上野に入る、

治承四 頼朝、軍を率ゐて駿河黄瀬川に至り、信濃・甲斐の源氏と会す、、、

治承四 平忠清、同景清を信濃守に任じ、追討使と為すべきことを、平宗盛に進言す、、、

治承四 義仲、藤原助弘をして、その所領を安堵せしむ、

治承四 越後の人城資永、信濃・甲斐の源氏を討たんことを請ふ、、、

治承四 義仲、上野多胡庄を去りて信濃に還る、

養和元 中原国盛、信濃権介に任ぜらる、

養和元 信濃の人笠原頼直、勘解由判官に任ぜらる、

養和元 頼朝、村山義直をして、所領高井郡村山・米持の地を安堵せしむ、

養和元 城資永の弟資職、信濃に攻め入る、、、

養和元 信濃等、大和興福寺造営のことを宛て課せらる、

養和元 平経正、義仲追討の為め、北陸道に進発す、尋で、平通盛、亦進発す、

養和元 義仲追討の功に依り、城資職を越後守に任ず、尋で、資職死す、

養和元 信濃擾乱するに依りて、駒牽の儀を停止す、

養和元 平通盛等、義仲の軍と越前水津に戦ひ、敗退して同国敦賀に拠る、、、

養和元 僧増秀、戸隠社の大般若経を書写す、、、

養和元 藤原良広、信濃権介に任ぜらる、

寿永元 信濃権守大江成棟罷めらる、

寿永二 藤原能成、信濃権守に任ぜらる、

寿永二 義仲、頼朝と隙あり、義仲、子義高を送りて質となし、和解す、

寿永二 義仲の兵、平維盛等の軍と、越前燧城に戦ひて敗る、

寿永二 平維盛等、軍を加賀に進め、、、

寿永二 義仲、進みて越中に入り、平軍の先鋒を同国般若野に破る、

寿永二 源義仲、進みて越中砺波山の東に陣す、、、

寿永二 源行家、平軍と越中志雄山に戦ひて、利あらず、、、

寿永二 義仲、行家と共に、平氏の軍を加賀篠原に破る、、、

寿永二 後白河法皇、伊勢太神宮以下十社に奉幣使を発遣し、義仲追討のことを祈る、、、

寿永二 義仲、進みて越前国府に入り、延暦寺僧徒等を誘ふ、、、

寿永二 是より先、平貞能、兵を率ゐて越前敦賀に至り、義仲の軍と戦ひて敗る、、、

寿永二 是より先、義仲の軍の先鋒、近江に入る、、、

寿永二 後白河法皇、義仲の軍に備へて、京都の警固を厳にす、

寿永二 義仲の軍、比叡山に登り、延暦寺東塔惣持院に拠る、

寿永二 後白河法皇、推問使を近江に遣はし、又院庁下文を義仲に与へ、之と和せん、、、

寿永二 義仲・行家の軍、京都に迫る、平資盛等、これを邀撃せんとして成らず、、、

寿永二 義仲・行家、京都に入り、蓮華王院に詣りて、後白河法皇に謁し、、、

寿永二 後白河法皇、廷臣等をして、義仲・行家・頼朝の勧賞の事、、、

寿永二 義仲、左馬頭兼越後守に、行家、備後守に任じ、並びに従五位下に叙せらる、、、

寿永二 平家没官領五百余箇所の中、百四十余箇所を義仲に、九十余箇所を行家に、、、

寿永二 是より先、義仲、故以仁王の子北陸宮を皇位に即けられんことを請ふ、、、

寿永二 是より先、後白河法皇、義仲をして、平氏を討たしむ、、、

寿永二 義仲及び其の兵等、京中に於て狼藉を尽し、上下貴賎、頼朝の上洛を待つ、

寿永二 頼朝、飛脚を以て、義仲の頼朝を討伐せんと図ることを後白河法皇に訴ふ、

寿永二 頼朝上洛の風聞あるに依り、義仲、播磨に滞留して、京都に還らず、

寿永二 義仲、備中に下りて、妹尾兼康を討つ、

寿永二 是より先、頼朝、東海・東山・北陸三道諸国の貢税、、、

寿永二 後白河法皇、義仲に信濃・上野二国を与へて、北陸道を掠むること、、、

寿永二 頼朝の上洛に依り、義仲、之と戦はんが為めに、播磨より帰京せん、、、

寿永二 義仲の将海野幸広等、平重衡等と備中水島に戦ひて敗死す、

寿永二 平宗盛、義仲に降を乞ひ、助命を願ふとの風説あり、

寿永二 是より先、義仲、播磨より備中に転戦し、入京せんとすとの風聞あり、、、

寿永二 義仲、平軍の憂ふるに足らざるを後白河法皇に奏し、、、

寿永二 是より先、義仲、後白河法皇を奉じて関東に赴かんと謀るとの説あり、、、

寿永二 是より先、頼朝、宣旨を施行せんが為め、使者を伊勢に遣はす、、、

寿永二 義仲、重ねて後白河法皇に奏し、源義広に備後国を与へ、、、

寿永二 義仲、平氏追討の院宣を顧みず、頼朝追討を策して、興福寺僧徒を誘ふ、、、

寿永二 是より先、義仲・行家、平家追討の為め、西下を志し、事に依りて延引す、、、

寿永二 後白河法皇、頼朝の使者義経の入京を許さん事を義仲に告ぐ、、、

寿永二 後白河法皇、義仲と互に兵を動かさんとすとの風説あるに依り、京中騒動す、、、

寿永二 後鳥羽天皇、義仲の叛に備へんが為め、密に法住寺殿に行幸す、、、

寿永二 義仲、法住寺殿を攻めて、後白河法皇の軍を破り、、、

寿永二 義仲、藤原光長以下百余人の首級を京都五条河原に梟す、

寿永二 義仲、藤原基房と謀り、摂政同基通を罷めて、、、

寿永二 義仲、権大納言藤原兼雅の出仕を停め、、、

寿永二 摂政藤原師家、義仲をして前摂政同基通の所領八十六箇所を領せしむ、

寿永二 行家、平軍と播磨室泊に戦ひて敗れ、、、

寿永二 後白河法皇、義仲をして平家没官領を総領せしむ、

寿永二 是より先、頼朝の代官義経等、伊勢に在り、義仲、兵を遣はして之を討つ、、、

寿永二 醍醐禅師全成、中野助弘を高井郡中野郷西条の下司職に補す、

寿永二 義仲、平氏追討の為め、西国に下向せんとし、、、

寿永二 後白河法皇、義仲の奏請により、頼朝追討の院庁下文を下す、

寿永二 義仲、左馬頭を辞す、尋で、従五位上に叙せらる、

寿永二 是より先、延暦寺衆徒等、義仲と隙あり、、、

寿永二 後白河法皇、鎮守府将軍藤原秀衡に院庁下文を下し、、、

寿永二 義仲、院の歳末御懺法の資を調進す、

寿永二 頼朝、義仲を討たんとし、延暦寺衆徒等を誘ふ、尋で、衆徒等、之に応ず、

寿永二 義仲、重ねて後白河法皇を擁して西国に赴かんとすとの風説あり、、、

元暦元 義仲、頼朝を超えて従四位下に叙せらる、

元暦元 義仲、征夷大将軍に任ぜらる、 義仲、征東大将軍に任ぜらる、

元暦元 是より先、平氏の軍、入京すとの風聞あり、又頼朝の兵、京都に迫る、、、

元暦元 伊勢大神宮、伊勢に怪異あるの由を、義仲に注進す、

元暦元 義仲の軍、頼朝の軍に圧せられ、近江より退きて京都に還る、

元暦元 義仲、樋口兼光を和泉に遣はして行家の叛を討たしめ、、、

元暦元 義仲の兵、山城の宇治、近江の勢多に敗れ、義経等、京都に入る、、、

元暦元 義仲の将樋口兼光、京都に於て、義経の兵に捕へらる、、、

元暦元 義仲・今井兼平・根井行親・高梨忠直等の首級を京都七條河原に梟す、

元暦元 源範頼・義経等の飛脚、鎌倉に至りて、義仲誅伐の由を頼朝に報ず、

元暦元 宣旨を五畿七道に下して、義仲の余党を追捕せしむ、、、

元暦元 樋口兼光、京都に斬られ、是日、梟首せらる、

元暦元 義経等、平氏を討たんとして、摂津に入り、、、

元暦元 範頼・義経、摂津一の谷に平氏の軍を破る、、、

元暦元 尾籐太知宣、旧領高井郡中野牧及び紀伊田中庄等を安堵せしめられんことを、、、

元暦元 頼朝、東條庄内高井郡狩田郷領主職を平繁雅に還付す、

元暦元 醍醐禅師全成、藤原助弘を高井郡志久見山地主職に補す、

元暦元 頼朝、平頼盛をして、播磨布施庄以下家領十六箇所を安堵せしむ、、、

元暦元 義仲の子志水義高、身の危難を怖れて鎌倉を脱出す、

元暦元 堀親家の郎従藤内光澄、武蔵入間河原に義高を討取り、、、

元暦元 頼朝、志水義高の与党を討伐せんが為め、小笠原長清等を甲斐に、、、

元暦元 是より先、片切景重、平氏の為めに所領伊那郡片切郷を没収せらる、、、

元暦元 頼朝、信濃の人井上光盛を駿河国蒲原駅に誅す、、、

文治元 頼朝、範頼に書を送り、小笠原長清を寵用せんことを勧む、

文治元 義経、平氏の軍を讃岐屋島に攻む、、、

文治元 是より先、義仲の妹宮菊、平政子の猶子となりて京都にあり、、、

文治元 宮菊、鎌倉に至る、頼朝、美濃遠山庄内の一村を之に充行ふ、、、

文治元 小除目、源氏、信濃等六箇国を受領し、加々美遠光、信濃守に任ぜらる、

文治元 頼朝、相模勝長寿院の供養に臨む、小笠原長清・小諸光兼等、随兵を勤む、

文治元 頼朝、義経・行家を討伐せんが為め、鎌倉を発して京都に向ふ、、、

文治元 信濃の人村上経伊、義経の与党藤原時実を京都に捕ふ、

文治二 是より先、頼朝、二位に叙せらる、、、

文治二 頼朝、島津忠久を小県郡塩田庄地頭職に補す、

文治二 頼朝、諏訪社上下社に神馬を進献す、

文治二 後白河法皇、頼朝をして、信濃等関東知行国内、院宮領以下諸庄の未済乃貢、、、

文治二 頼朝、信濃等関東知行国並びに豊後の去年以前の未済乃貢を免ぜられんこと、、、

文治二 北条時政、京都を発し、鎌倉に向ふに当り、信濃の人桑原二郎等をして、、、

文治二 後白河法皇、春近並びに伊那郡郡戸庄の年貢を進済せしむべきことを、、、

文治二 伊那郡伴野庄地頭小笠原長清、同庄乃貢の送文を鎌倉に送る、、、

文治二 是より先、藤沢盛景、諏訪社領伊那郡黒河内・藤沢に於ける御狩を抑留し、、、

文治三 頼朝、相模三浦義澄第に宴遊し、高井郡保科宿の遊女長者を召し、、、

文治三 僧良円、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、、、

文治三 頼朝、信濃国目代並びに同国御家人等に命じて、善光寺の再興に合力せしむ、、、

文治三 是より先、諏訪社下社大祝金刺盛澄、捕へられて鎌倉に在り、、、

文治三 頼朝、藤沢清親等弓場御的勤仕の士に弓を頒つ、

文治三 頼朝、閑院造営並びに新斎宮用途備進の賞として、、、

文治四 是より先、右衛門佐局、更級郡四宮庄地頭某の、年貢並びに領家得分、、、

文治四 頼朝、鶴岡八幡宮大法会に臨む、加々美遠光等、随兵を勤む、

文治四 後白河法皇、頼朝をして、八條院領佐久郡大井庄並びに伊那郡伊賀良庄等、、、

文治四 後白河法皇、頼朝をして、春近領の未進年貢究済の催促を加へしむ、

文治四 加々美遠光の女、頼朝の子万寿(頼家)、に近待す、、、

文治四 頼朝、後白河法皇の旨を承け、、、

文治五 源頼家、弓始を行ふ、藤沢清親・海野幸氏等、射手を勤む、

文治五 加々美遠光等、鶴岡八幡宮の塔供養の布施として馬を献ず、、、

文治五 頼朝、藤原泰衡征討の為め、奥州に進発す、、、

文治五 藤沢清親、陸前阿津賀志山の合戦に先登を競ふ、

文治五 源義経・同義仲及び藤原秀衡の子等、鎌倉を窺はんとする風聞ありしむ、、、

建久元 頼朝、藤原泰衡征討の為め、信濃・上野の御家人に出陣を命ず、、、

建久元 藤原資経、信濃守に任ぜらる、

建久元 後白河法皇、頼朝をして、諸国地頭等の造太神宮役夫工米を進、、、

建久元 鶴岡八幡宮祭あり、海野幸氏等、流鏑馬の射手を勤む、

建久元 頼朝、諸国地頭の造太神宮役夫工米未済の子細、並びに信濃・越後両国の分、、、

建久元 信濃国、主殿寮所管の年別油の進済を懈怠するに依り、、、

建久元 頼朝、故一條忠頼の追善供養を行ふ、、、

建久元 頼朝、信濃の造太神宮役夫工米未済の所々に、催促を加ふ、

建久元 頼朝、権大納言兼右近衛大将に任ぜらるるを以て、京都に赴き、、、

建久元 頼朝、京都六條若宮並びに石清水八幡宮等に参詣す、、、

建久元 某、平康家の請文の旨に任せ、六條院領安曇郡千国庄小谷・飯森両所をして、、、

建久二 頼朝、弓始を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、

建久二 頼朝、箱根・三島両社に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、

建久二 頼朝、捧紀五近永の諏訪社下社領筑摩郡塩尻西條の所当を懈怠するを停め、、、

建久二 鎌倉に火災あり、幕府及び村上義国等の屋敷この難に遭ふ、

建久二 頼朝、新亭成るに依り、移徙の儀を行ふ、村上頼時等、随兵を勤む、

建久二 頼朝、相模稲村崎に遊び、小笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、

建久二 善光寺新造せらる、是日、供養を行ふ、

建久二 某、長講堂領安曇郡住吉庄並びに水内郡市村高田庄等の年中課役、、、

建久三 頼朝、的始を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、

建久三 後白河法皇院庁、同法皇寵妾高階栄子の所領安曇郡住吉庄等、、、

建久三 頼朝の室政子、男子千万(実朝)、を生む、、、

建久三 伊勢神宮の祢宜等、信濃等の神領の子細を注進す、

建久三 頼朝、永福寺供養に臨む、加々美遠光等、供奉す、

建久三 頼朝、浜御所に於て、加々美遠光等に千万の擁護を依頼す、、、

建久三 頼朝、藤原助弘を高井郡中野郷西条並びに同郡樒山の地頭職に補す、

建久四 頼朝、下野那須野・信濃三原に猟せんとし、是日、鎌倉を発す、、、

建久四 頼朝、武蔵入間野に追鳥狩を行ふ、、、

建久四 是より先、頼朝、信濃等十一箇国の正税を以て、、、

建久四 頼朝、駿河富士野に猟せんが為め、鎌倉を発す、、、

建久四 海野幸氏等、富士野に於て曽我祐成・時致兄弟と戦ひ、疵を蒙る、

建久四 頼朝、曽我時致を御前の庭上に引かしむ、小笠原長清等、此の座に候す、

建久四 曽我祐成の妾虎、出家す、尋で、善光寺に赴く、

建久四 頼朝、鶴岡八幡宮放生会に流鏑馬を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、

建久四 頼朝、永福寺薬師堂供養に臨む、村上頼時等、随兵を勤む、

建久四 神鳳鈔成り、伊勢太神宮領信濃近麻続御厨等、、、

建久五 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、

建久五 北条義時の嫡子金剛(泰時)、元服す、加々美遠光等、其の儀に列す、

建久五 是より先、頼朝、東大寺造営を助成せんとし、、、

建久五 幕府、佐久郡大井庄年貢の今年究済の期日を定む、

建久五 頼朝、相模日向山薬師堂に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、

建久五 頼朝、相模三浦に小笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、

建久五 頼朝、小山朝政の第に臨み、金刺盛澄等弓馬堪能の士を召して、、、

建久五 鎌田正清の女、旧主義朝及び父正清の菩提の為めに、、、

建久五 頼朝、鶴岡八幡宮の三嶋別宮に参詣し、千番小笠懸を行ふ、、、

建久五 頼朝、相模永福寺新造薬師堂供養に臨む、小笠原長清等、之に供奉す、

建久六 頼朝、鶴岡八幡宮に参詣す、海野幸氏等、之に供奉す、

建久六 頼朝、東大寺供養に列せんが為め、奈良に到る、、、

建久六 頼朝、東大寺供養に臨む、海野幸氏・藤沢清親等、選ばれて惣門の警固を、、、

建久六 頼朝、摂津天王寺に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、

建久六 善光寺沙門定尊、同寺阿弥陀三尊仏を摸造す、尋で、寂す、

建久六 頼朝、鶴岡放生会に臨む、望月重隆等、之に供奉す、

建久六 頼朝、鶴岡八幡宮に参詣し流鏑馬を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、

建久六 是より先、頼朝、善光寺参詣の志あり、、、

建久六 頼朝、信救得業を箱根山に閉居せしむ、 信救得業の伝記、

建久七 五節、信濃国、舞姫を献ず、

建久八 頼朝、善光寺に参詣すと伝ふ、

建久八 信濃諸牧、貢馬を牽進す、藤原定家、同資実と桐原駒の和歌を贈答す、、、

建久九 小県郡塩田庄地頭嶋津忠久、左衛門尉に任ぜらる、

正治元 除目、卜部兼直、信濃権守に任ぜらる、

正治元 頼家、鎌倉の士庶に令して、中野能成等五人の従類に抵抗するを禁じ、、、

正治元 頼家、中野能成を遣はし、安達景盛の妾を小笠原長経の宅に拘禁せしむ、、、

正治元 頼家、中野能成等をして、安達景盛を討たしめん、、、

正治元 頼家、諏訪社上社に神馬を、又同社下社に剣を献ず、

正治二 幕府弓始、藤沢清親等、射手を勤む、

正治二 頼家、鶴岡八幡宮に参詣す、中野能成等、之に供奉す、

正治二 頼家、伊豆藍沢原に猟す、海野幸氏等、射手として之に供奉す、

正治二 頼家、宮城家業の奥州追討に餞せんが為め、中野能成をして馬を牽かしむ、

正治二 頼家、相模小壺の海辺に遊び、笠懸を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、

建仁元 幕府的始、望月重隆等、射手を勤む、

建仁元 是より先、越後の人城資盛叛す、、、

建仁元 頼家、中野能成等をして猟犬を飼はしむ、

建仁元 頼家、遊興に耽りて、政務を怠る、、、

建仁二 幕府弓場始、海野幸氏等、射手を勤む、

建仁二 除目、信濃国を以て藤原良経の知行国となす、

建仁二 信濃諸牧、貢馬を牽進す、

建仁二 頼家、鶴岡八幡宮に参詣す、中野能成等、之に供奉す、

建仁二 頼家、伊豆・駿河両国に猟す、、、

建仁二 頼家、新田忠常第に小笠懸を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、

建仁二 是より先、信濃国司等、不動倉を開検せんことを奏す、、、

建仁三 幕府的始、金刺盛澄等、射手を勤む、

建仁三 除目、藤原公信、信濃権守に任ぜらる、

建仁三 滋野兼忠等、阿弥陀如来坐像並びに脇侍像二躯を造立す、

建仁三 藤原資頼、信濃守に任ぜらる、

建仁三 信濃国目代・同国守護比企能員、頼家と謀りて北条氏を滅さんとす、、、

建仁三 北条時政、比企能員の与党中野能成等を拘禁、、、

建仁三 中野能成等、比企能員の事に依りて、所領を褫はる、、、

建仁三 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、

建仁三 幕府、中野能成等を遠流に処すべきことを定む、

元久元 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、

元久元 源実朝、相模由比浜に笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、

元久元 幕府、中野四郎の高井郡中野郷内同能成の名田・屋敷等を妨ぐるを停め、、、

元久元 藤原兼実、同家所領の処分状を書す、、、

元久二 幕府弓始、藤澤清親等、射手を勤む、

元久二 除目、藤原祐康、信濃介に任ぜらる、、、

元久二 藤原家時、信濃守に任ぜらる、

元久二 北条時政、同義時を遣はして、畠山重忠を武蔵二股川に殺す、、、

建永元 藤原実嗣、信濃介に、同実親、信濃権介に任ぜらる、

建永元 信濃の人桜井五郎、鵙を用ひて鳥を獲る、実朝、之を賞す、

建永元 東大寺重源寂す、是より先、重源、善光寺に参詣すと伝ふ、

建永元 臨時除目、藤原基綱、信濃守に任ぜらる、

承元元 僧源空(法然)、罪に依り土佐に流さる、是日、京都を発す、、、

承元元 後鳥羽法皇、藤原定家に命じて、最勝四天王院の障子絵を画工に画かしむ、、、

承元四 藤原隆綱、信濃守に任ぜらる、

承元四 幕府、近江園城寺の請に依りて、善光寺地頭長沼宗政を罷む、

承元四 幕府、守護地頭に令して、諸国の勅旨牧を興行せしむ、

承元四 仁科盛家の室、仏母尼、遍照光院本堂を建立すと伝ふ、

建暦元 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、

建暦二 幕府弓始、藤沢清親等、射手を勤む、

建暦二 幕府、諸国守護地頭に令して、鷹狩を禁ず、、、

建保元 是より先、信濃の人泉親平、信濃・下総等の士を誘ひ、、、

建保元 和田義盛、鎌倉に叛す、海野幸広等、之と戦ひて討死す、

建保元 実朝、新御所に移徙す、小笠原長清等、随兵を勤む、

建保元 藤原隆衡、信濃国を賜はり、五節舞姫を献ず、

建保二 是より先、僧仲円、頼朝の為めに、鶴岡八幡宮に長日仁王会・法華会を修し、、、

建保二 是より先、延暦寺衆徒、園城寺衆徒と争ひ、園城寺を焼く、、、

建保三 僧行顕、美濃恵那郡遠山庄馬籠村法明寺の大般若経を校合す、

建保三 内裏名所百首和歌会、其の詠題中に、信濃更級里あり、、、

建保三 幕府、絹布等を善光寺僧徒に施す、

建保四 筑前安楽寺の悪僧等、官使刃傷のことに依りて、流刑に処せらる、、、

建保四 実朝、諸人庭中の言上を聴く、海野幸氏、上野三原堺の事に就きて言上す、

建保四 小笠原長清、甲斐の所領内にある堂舎を修造し、頼朝の菩提に資し、、、

建保五 藤原親輔、信濃権守に任ぜらる、尋で、解任せらる、

建保年間 宇治拾遺物語成る、其の中に信濃に関する説話あり、

承久元 藤原盛兼、信濃介に任ぜらる、

承久元 中野助能、公暁の党、阿闍梨勝円を捕ふ、、、

承久元 信濃の人入道上人、京都清水寺に百箇日参籠す、是日、結願す、

承久元 左大臣藤原道家の子三寅、鎌倉に着す、小笠原時長等、随兵を勤む、

承久元 諏訪社上社、社領諏訪郡田沢以下十郷の田地及び在家の目録を注す、

承久元 幕府、左馬寮使の諏訪社下社領岡野・立野両村を違乱するを停む、

承久二 諏訪社上社、正月一日の神事次第を注す、

承久二 滋野某夫妻、逆修供養を行ひ、石造宝塔二基を造立す、、、

承久二 左馬寮、信濃国十九牧の牧司等をして、、、

承久三 幕府、嶋津忠久を水内郡太田庄地頭職に補す、

承久三 是より先、北条義時、後鳥羽上皇の北面仁科盛遠の所領を奪ふ等、、、

承久三 是より先、後鳥羽上皇、北条義時追討の宣旨、、、

承久三 北条義時、その子泰時を大将軍となし、東海道より京都に攻め上らしむ、、、

承久三 市河六郎、北陸道軍の来着に先んじて越後の京軍を攻め、功を致す、

承久三 京軍、北条氏の軍を防がんが為め、諸道に進発す、、、

承久三 小笠原長清等、諏訪信重等を率ゐて、美濃大井戸に至り、京軍を破る、、、

承久三 北条泰時、小笠原長清等に西路へ先発を命ず、、、

承久三 京軍の将仁科盛遠等、越中に北条朝時の軍と戦ふ、

承久三 諏訪社上社大祝諏訪盛重、北条氏の軍の戦勝を社前に祈り、、、

承久三 法印尊長、日吉社領小県郡浦野庄以下の所領を道覚親王に譲る、

承久三 北条泰時の軍、京軍と山城宇治川に戦ひ、春日貞幸、溺れんとす、、、

承久三 信濃の人福地俊政、京軍に属し、近江勢多の合戦に、強弓を以て奮戦す、

承久三 北条泰時等、六波羅に戦功を議す、、、

承久三 北条時氏の馬、宇治の戦に傷く、、、

承久三 北条泰時、合戦の軍忠並びに討死・手負の交名を幕府に進む、、、

承久三 幕府、島津忠久をして水内郡太田庄地頭職を安堵せしむ、

承久三 小笠原長清、京軍の与党、前中納言源有雅を甲斐稲積庄に誅す、

承久三 幕府、諏訪社上社に越前宇津目保を寄進し、戦勝を報賽す、、、

承久三 信濃望月牧、貢馬を牽進す、、、

貞応元 幕府弓始、小笠原時長等、射手を勤む、

貞応元 茂木知基、小県郡依田庄内五箇村等の所領を、其の子一王に譲る、

貞応元 藤原実雅、相模大倉亭に、百日小笠懸を始む、小笠原時長等、射手を勤む、

貞応元 北条義時、男子平産により、験者以下に賞を授く、、、

貞応二 諏訪信時、諏訪社上社大祝の位に即く、

元仁元 是より先、北条義時の室伊賀氏、伊賀光宗と謀り、、、

元仁元 是より先、幕府、中野能成の高井郡志久見郷地頭職を罷め、、、

元仁元 是より先、北条泰時、祐通を遣はして、上野国を検注せんとして、、、

嘉禄元 藤原親季、信濃権介に任ぜらる、

嘉禄元 嶋津忠義、水内郡太田庄津野郷地頭代職に補せらる、

嘉禄元 信濃守護北条重時、中野能成の高井郡志久見郷地頭職の安堵を施行す、、、

嘉禄元 幕府評議始、将軍御所の定番人を定む、桜井次郎等、その結番に入る、

嘉禄元 伊賀光宗、罪を許され、是日、信濃より鎌倉に帰参す、

嘉禄二 幕府に於て草鹿勝負あり、小笠原時長等、射手を勤む、

嘉禄二 臨時除目、前大納言藤原実宣、信濃国を知行す、、、

巻四 安貞元年(1227)~

安貞元 信濃の僧承仙、山城泉涌寺維那職となる、

安貞元 藤原定家、信濃の国務を覧る、定家の伝記、

安貞元 水内郡太田庄地頭嶋津忠久卒し、子忠時嗣ぐ、太田庄相伝系図、

安貞元 藤原定家の使者、信濃より京都に帰り、国情を報ず、

安貞元 是より先、藤原定家、信濃国司の補任を待つ、、、

安貞元 幕府、島津忠時をして、水内郡太田庄小嶋・神代・石村南・津野、、、

安貞元 水内郡千田郷庁官貢進の貢物、藤原定家の許に到る、

安貞元 藤原定家、信濃より貢進の干桑・梨・銭等を収納す、、、

安貞二 将軍藤原頼経、相模由比浜に犬追物を覧る、小笠原時長等、射手を勤む、

安貞二 将軍頼経、小笠原時長等をして、馬場殿に流鏑馬を行はしむ、

安貞二 将軍頼経、相模杜戸浦に遊び、遠笠懸等を行ふ、、、

安貞二 将軍頼経、三浦義村の相模田村の山荘に逗留す、、、

安貞二 北安曇郡社村木舟の鉄製鰐口成る、

安貞二 信濃国知行主藤原為家、今年五節舞姫を献ずベきを定めらる、

寛喜元 幕府弓始、藤澤光清等、射手を勤む、

寛喜元 藤原兼頼、信濃介に任ぜらる、

寛喜元 将軍頼経、相模杜戸浦に遊び、犬追物を覧る、小笠原時長等、射手を勤む、

寛喜元 将軍頼経、相模由比浜に流鏑馬を覧る、小笠原時長等、射手を勤む、

寛喜元 是より先、中野能成、その所領高井郡志久見山の鷹ノ子のことに就きて、、、

寛喜元 是より先、藤原隆仲、信濃の吏務を執る、是日、隆仲出家す、

寛喜二 将軍頼経、相模由比浜に笠懸等を覧る、小笠原時長等、作物を射る、

寛喜二 幕府、中野助能をして、その所領筑前勝木庄を本主勝木則宗に返付せしめ、、、

寛喜二 将軍頼経、相模由比浜に犬追物を覧る、小笠原時長等、射手を勤む、

寛喜二 鎌倉の諸士、幕府及び北條泰時第の門前に群集して騒動す、、、

寛喜二 加々美遠光卒す、

寛喜三 県召除目、大江景頼、信濃権介に任ぜらる、

寛喜三 信濃国、源雅親の知行国となり、同頼俊、信濃守に任ぜらる、

寛喜三 信濃守源頼俊、信濃異損の由を奏上す、

貞永元 相模和賀江嶋の修築成る、幕府、諏訪盛重等をして、之を巡検せしむ、

貞永元 源輔通、信濃守に任ぜらる、

天福元 幕府垸飯、小井弖師貞等、之に参仕す、

天福元 藤原宗範、信濃権守に任ぜらる、

天福元 後堀河上皇、京都新日吉社小五月会に赴き、流鏑馬を覧る、、、

天福元 石清水八幡宮寺所司等、更級郡小谷庄地頭等、、、

文暦元 京都北野社火く、尋で、信濃国、同社拝殿再興の事を課せらる、

文暦元 北條泰時の孫経時、元服す、諏訪盛重等、参仕す、

嘉禎元 善光寺三尊像、京都に写し造らる、道俗、競ひて之を拝す、

嘉禎元 鎌倉法華堂辺の湯屋火け、諏訪盛重、消火につとむ、、、

嘉禎元 信濃の僧覚心(無本、心地房)東大寺戒壇院に受戒す、、、

嘉禎二 幕府、善光寺僧徒の訴に依り、同寺前地頭長沼宗政の代官等の非法を停む、

嘉禎二 信濃の人平林頼宗、豊後毛井社頭職に補せらる、、、

嘉禎二 将軍頼経、鎌倉若宮大路新造御所に徙る、、、

嘉禎二 幕府弓始、藤澤光清等、射手を勤む、

嘉禎二 北條泰時、新第を営み之に徙る、諏訪盛重、その南角に居を構ふ、

嘉禎三 幕府垸飯、小井弖師貞等、之に参仕す、

嘉禎三 幕府弓始、小笠原時長等、射手を勤む、

嘉禎三 幕府、近習の番を定む、平賀三郎兵衛尉等、その結番に入る、

嘉禎三 将軍頼経、源頼朝ノ室政子追善のために、相模大慈寺内に丈六堂を建立、、、

嘉禎三 幕府、小笠原時長をして、明年の摂津箕面堂供養の請僧布施を沙汰せしむ、

嘉禎三 将軍頼経、丈六堂供養に臨む、平賀三郎兵衛尉等、之に供奉す、

嘉禎三 海野幸氏、北條泰時の命に依り、泰時の子時頼に流鏑馬の故実を指南す、

嘉禎三 幕府、諏訪社の明年五月会の神事等のことを沙汰す、

嘉禎三 善光寺五重塔婆供養あり、僧生仏、善光寺に参詣す、

暦仁元 幕府垸飯、小井弖師貞等、之に参仕す、

暦仁元 幕府弓始、藤澤光清等、射手を勤む、

暦仁元 将軍頼経、京都に入る、大井光長等信濃の諸士、多く随兵を勤む、

暦仁元 是より先、将軍頼経、権中納言等に任ぜらる、是日、拝賀を行ふ、、、

暦仁元 諏訪重信、諏訪社上社の大祝の位に即く、

暦仁元 将軍頼経、大和春日社に参詣す、大井光長等、随兵を勤む、

暦仁元 北條経時、相模大庭野に猟す、小笠原時長等、之に随ふ、

延應元 幕府弓始、藤澤光清等、射手を勤む、

延應元 北條泰時、小県郡小泉庄室賀郷内の田地を、善光寺不断念仏料所として寄進、、、

延應元 幕府、信濃国司初任検注の時、諏訪社上社五月会・御射山会頭人の所領、、、

延應元 覚心(無本、心地房)行勇(退耕、荘厳房)の相模寿福寺住持となり、、、

仁治元 幕府垸飯、小井弖師貞等、之に参仕す、

仁治元 幕府弓始、小諸左衛門尉等、射手を勤む、

仁治元 幕府、信濃の人落合某の後家尼と、その子太郎との争論を裁して、、、

仁治元 将軍頼経、二所参詣のために、鎌倉を発す、大井光長等、之に随ふ、

仁治元 五節の儀あり、信濃国知行主源輔通、五節舞姫を献ず、

仁治二 幕府垸飯、小井弖師貞等、之に参仁す、

仁治二 幕府弓始、小笠原時長等、射手を勤む、

仁治二 将軍頼経、馬場殿に射的の儀を行ふ、海野幸氏・望月重隆等、見證に候す、

仁治二 藤原雅平、信濃権介に任ぜらる、

仁治二 僧光具、諏訪社仁王会料所として、田地を寄進す、

仁治二 海野幸氏、武田信光と、上野三原庄と佐久郡長倉保との境を争論す、、、

仁治二 善光寺金剛五鈷鈴成る、貞應三年八月一八日、比丘栄忍等、金剛五鈷鈴を、、、

仁治二 北條経時、父時氏の遺命に依り、信濃の人奈古又太郎の承久勲功の追賞を、、、

仁治二 北條経時、海野長氏等を随へて、伊豆藍沢に猟す、、、

仁治二 将軍頼経、秋田義景ノ武蔵鶴見の別荘に、笠懸を行ふ、、、

仁治三 小笠原長清卒す、

仁治三 覚心(無本、心地房)山城極楽寺に道元に参じ、菩薩戒を受く、

寛元元 幕府、将軍臨時供奉人の結番を定む、小笠原時長等、之に加へらる、

寛元元 信濃の人平林頼宗、豊後毛井社地頭職を、同頼忠に譲る、

寛元元 将軍頼経、鶴岡八幡宮に流鏑馬を行ふ、小笠原時長等、射手を勤む、

寛元元 滋野光氏、所領小県郡海野庄加納田中郷地頭職を、子経氏等に譲る、

寛元二 東筑摩郡坂北村碩水寺の阿弥陀如来像成る、

寛元二 是より先、信濃の人市村景家、千田蓮性の人勾引をなす由を幕府に訴ふ、、、

寛元二 佐久郡落合新善光寺の阿弥陀如来像、、、

寛元二 幕府、市河高光の、旧妻藤原氏の密通にかかる讒訴を斥け、、、

寛元二 幕府、滋野経氏をして、小県郡海野庄加納田中郷地頭職を安堵せしむ、

寛元三 幕府弓始、小笠原七郎等、射手を勤む、

寛元三 源季遠、信濃権守に、藤原公斉、同権介に任ぜらる、

寛元三 将軍藤原頼嗣、鶴岡八幡宮に、流鏑馬を行ふ、小笠原時長等、射手を勤む、

寛元三 諏訪盛重、左衛門尉に任ぜらる、

寛元四 幕府弓始、大井光長等、射手を勤む、

寛元四 善光寺供養あり、

寛元四 是より先、執権北條経時卒し、同時頼嗣ぐ、北條光時等、之に乗じて、、、

寛元四 法興院御八講始、信濃等の諸国、所課の料物を進めず、

寛元四 将軍頼嗣、馬場殿に笠懸を行ふ、小笠原長澄等、射手を勤む、

寛元四 幕府、藤原惟家をして、諏訪社上社領筑摩郡白河郷地頭職を安堵せしむ、、、

寛元四 幕府、金刺為頼をして、和田郷地頭職を安堵せしむ、

寛元四 諏訪盛重等、北條時頼の命に依りて、幕府臺所乱入の徒を尋問す、

宝治元 将軍頼嗣浜出始、小笠原長澄等、犬追物の射手を勤む、

宝治元 某、水内郡戸隠社の大般若経を書写す

宝治元 是より先、三浦泰村の族叛す、是日、北條時頼、諸将をして之を討たしむ、、、

宝治元 八田知定、疑状を幕府に呈し、恩賞に與らんことを請ふ、、、

宝治元 小笠原長経卒す、

宝治元 将軍頼嗣、馬場殿に遠笠懸を覧る、小笠原長澄等、射手を勤む、

宝治元 覚心(無本、心地房)上野長楽寺に到り、同寺住持栄朝(釈円坊)、、、

宝治二 将軍頼嗣、相模由比浜に百番小笠懸を行はしむ、、、

宝治二 諏訪盛重、北條時頼の子宝寿時輔、の乳人となる、、、

宝治二 覚心(無本、心地房)朗誉(蔵叟、悲願房)と共に、、、

宝治二 将軍頼嗣、鶴岡放生会に臨む、小笠原長澄等、随兵を勤む、

建長元 藤原茂通、信濃権介に任ぜらる、藤原公佐、先に信濃守りたり、

建長元 覚心(無本、心地房)筑前博多を発して入宋し、、、

建長元 僧幸万、懸仏を筑摩郡岩殿寺に寄進す、

建長元 中野能成、高井郡中野・志久見両郷の惣地頭職を、子忠能に譲る、

建長二 幕府垸飯、諏訪盛頼等、之に参仕す、

建長二 僧行西、佐久郡福王寺の阿弥陀如来像を修理す、

建長二 幕府、閑院内裏造営を諸士に課し、その目録を作り、、、

建長二 将軍頼嗣、方違のために、北條時頼第に入る、、、

建長二 平林西仏、弟故頼宗の旧妻尼行阿と、、、

建長二 将軍頼嗣、相模由比浜に犬追物を行ふ、小笠原長澄等、射手を勤む、

建長二 藤原道家、家領を処分す、、、

建長二 覚心(無本、心地房)湖州護聖万寿寺(道場)に、同寺住持如珏(荊叟)、、、

建長三 幕府弓始、諏訪盛頼等、射手を勤む、

建長三 諏訪社辺に鳥群斃死す、

建長三 小井弖能綱、伊那郡小井弖・二吉両郷の地頭職等を子師能に譲る、、、

建長三 是より先、諏訪社々頭の湖面に大島並びに唐船等幻出す、、、

建長三 幕府、諏訪盛重に命じ、陰陽師をして、風災を攘ひ、豊稔を祈らしむ、

建長三 将軍頼嗣、相模由比浜に於て遠笠懸、犬追物等を行ふ、、、

建長三 是より先、鎌倉の人心動揺す、是日、幕府、謀叛人僧了行等を捕へ、、、

建長三 信濃の僧普門(無関)、入宋して、杭州霊隠景徳寺如珏(荊叟)、に参じ、、、

建長四 幕府弓始、海野助氏、相手射手なきに依りて、射手を罷めらる、

建長四 宗尊親王、鎌倉に下向し、是日、相模片瀬に到る、、、

建長四 将軍宗尊親王、始めて鶴岡八幡宮に参詣す、小笠原長澄父子等、之に随ふ、

建長四 幕府、平林頼敏をして、埴科郡英多庄八郎丸名平林内桑井屋敷を安堵、、、

建長四 是より先、小井弖師能、弟宮熊と伊那郡春近領内井弖・二吉両郷内の田堺、、、

建長四 十訓抄成る、その中に信濃に関する説話あり、

建長四 将軍宗尊親王、新第に移徙す、平賀惟時等、之に供奉す、

建長四 将軍家新第的始、信濃の人薩摩祐広等、射手を勤む、

建長四 幕府、中野西願の訴を斥け、弟同忠能をして高井郡中野西條、、、

建長四 幕府、中野正康をして、高井郡中野郷内の屋敷・田地及び志久見郷内、、、

建長四 覚心(無本、心地房)天台山に上り、石橋に羅漢の応現を拝す、

建長五 将軍宗尊親王行始、諏訪盛経等、之に供奉す、

建長五 幕府弓始、海野助氏等、射手を勤む、

建長五 僧某、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、

建長五 善光寺の修造成り、是日、供養を行ふ、

建長五 是より先,僧覚心(無本、心地房)明州大梅山に登り、法常の塔を拝し、、、

建長五 藤原兼経、所領目録を注す、その中に伊那郡蕗原庄等信濃の庄園六箇所あり、、、

建長五 諏訪盛重、故北條泰時の菩提を弔はんがため、鎌倉山内に一堂を建立、、、

建長六 幕府的始、海野助氏等、射手を勤む、

建長六 是より先,僧覚心(無本、心地房)杭州護国寺住持慧開(無門)に告別帰国、、、

建長六 僧覚心(無本、心地房)宋より帰朝し、高野山禅定院に同院住持行勇、、、

建長六 幕府、滋野経氏をして、小県郡海野庄加納田中郷地頭職を安堵せしむ、

建長六 幕府、中野能成の女藤原氏をして、高井郡中野西條内田在家を安堵せしむ、

建長七 源通教、信濃介に任ぜらる、

康元元 将軍宗尊親王御行始、諏訪盛時等、之に参仕す、

康元元 幕府的始、藤沢時親等、射手を勤む、

康元元 高野山禅定院首座覚心(無本、心地房)杭州護国寺住持慧開(無門)に書信、、、

康元元 将軍宗尊親王相模最明寺に参詣す、小笠原時直等、随兵を勤む、

正嘉元 相模大慈寺の修理成り、是日、供養を行ふ、将軍宗尊親王、之に臨む、、、

正嘉元 覚心(無本、心地房)高野山禅定院住持となり、嗣香を慧開(無門)に焼き、、、

正嘉二 諏訪盛重、的始の射手の選定にあたり、信濃の人知久信貞を推す、、、

正嘉二 佐久郡釈尊寺観音堂成る、

正嘉二 源泰清、信濃守に任ぜらる、藤原教房、さきに信濃守たる、

正嘉二 将軍宗尊親王、相模勝長寿院供養に臨む、小笠原時直等、随兵を勤む、

正嘉二 将軍宗尊親王、鶴岡八幡宮放生会に臨む、小笠原政直等、随兵を勤む、

正嘉二 是より先、諏訪刑部左衛門入道、伊具四郎入道殺害の疑に依りて捕へらる、、、

正嘉二 覚心(無本、心地房)高野山禅定院を退院し、紀伊由良に赴き、、、

文応元 幕府弓始、藤沢光朝等、射手を勤む、

文応元 源通頼、信濃権守に、同具守、信濃介に任ぜらる、

文応元 信濃の僧性円(慧静房)、大和戒壇院円照より、受戒す、

弘長元 幕府垸飯、諏訪盛頼等、之に参仕す、

弘長元 僧租円(規庵)水内郡長池に生る、

弘長元 幕府的始、望月師重等、射手を勤む、

弘長元 故三浦義村の子僧良賢等、謀叛の企あり、諏訪盛重等、良賢を鎌倉亀谷に捕、、、

弘長元 将軍宗尊親王、鶴岡八幡宮放生会に臨む、小笠原時直等、随兵を勤む、

弘長元 前信濃守護北條重時卒す、

弘長元 普門(無関)、杭州淨慈報恩光孝寺住持妙倫(断橋)、より、法衣・頂相、、、

弘長二 覚心(無本、心地房)紀伊浜宮八幡宮に利生方便の成就を祈る、

弘長二 普門(無関)、宋より帰朝して、薩摩にあり、

弘長三 幕府垸飯、諏訪盛頼等、之に参仕す、

弘長三 幕府的始、松岡時家等、射手を勤む、

弘長三 是より先、北條時頼、水内郡深田郷の地を買得し、是日、之を善光寺に寄進、、、

弘長三 北條時頼、臨終にあたり、諏訪蓮仏の極楽住生を引導せんことを契る、

文永元 覚心(無本、心地房)紀伊西方寺に愛染法及び五大尊法を修して、、、

文永元 信濃の僧観実房、大和戒壇院円照より受戒す、、、

文永元 紀伊西方寺開基葛山景倫(願性)、同寺及び同寺領を開山、、、

文永元 小笠原長忠卒す、

文永元 普門(無関)、東福寺に圜爾を省覲し、尋で、寿福寺に朗誉、、、

文永二 幕府弓始、海野泰信等、射手を勤む、

文永二 是より先、中野為泰、父忠能の遺領高井郡中野・志久見両郷地頭職を、、、

文永二 藤原資兼、更級郡藤長御厨年貢未進の代として、伊勢継橋郷内の地を、、、

文永二 是より先、幕府、奉行人を置き、善光寺警固に充つ、、、

文永三 幕府弓始、海野泰信等、射手を勤む、

文永三 是より先、木工権頭親家、京都より鎌倉に帰り、後嵯峨上皇の諷詞を幕府に、、、

文永三 覚心(無本、心地房)、信濃に帰り、母を省す、、、

文永四 藤原季顕、信濃権介に任ぜらる、

文永四 御嵯峨上皇、石清水八幡宮寺領更級郡小谷庄に造伊勢大神宮役夫工米の徴収、、、

文永四 覚心(無本、心地房)、の母尼妙智寂す、、、

文永四 亀山天皇、石清水八幡宮寺領更級郡小谷庄に、造豊受大神宮役夫工米の徴収、、、

文永四 嶋津忠時、水内郡太田庄等の所領を妻子等に譲る、

文永五 善光寺焼く、

文永五 信濃の僧戒円房、大和戒壇院円照より受戒す、明日、寂す、

文永五 相模寿福寺覚心、(無本、心地房)を同寺住持に請ず、覚心、固辞、、、

文永六 祇園御霊会、神人等闘諍す、信濃の人某、少将井社の神輿を射る、

文永六 信濃の僧観勇寂す、

文永八 智真(一遍)、善光寺に参籠す、

文永八 笠原信親、某と争論す、是日、信親、幕府に証文目録を提出す、

文永八 日蓮、相模龍口に斬られんとするに臨み、旨を伊那郡殿岡の地頭四條頼基に、、、

文永八 善光寺堂供養あり、鶴岡八幡宮寺社務隆弁、その導師を勤む、

文永八 幕府、平林親継をして、埴科郡英多庄八郎丸内平林屋敷内桑井傔仗屋敷等、、、

文永九 信濃・越後・佐渡等の僧俗、佐渡塚原に日蓮を誹謗し、却って、その説法に、、、

文永九 源通雄、信濃権介に任ぜらる、

文永九 尼寂阿弥陀仏、(袈裟)、高井郡志久見郷下条平林地頭職併びに中野西條内、、、

文永九 信濃の僧祖円(規庵)、紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)の会下にあり、、、

文永一一 藤原為雄、信濃介に、藤原実時、信濃権介に任ぜらる、

文永一一 幕府、市河盛房をして、高井郡中野郷西條内屋敷・筥山並びに志久見郷、、、

文永一一 日蓮、幕府の赦免に遇ひて、佐渡の配所を出で、信濃を過ぎ、、、

文永一一 是より先、中野仲能、市河盛房の高井郡志久見郷南北境を違乱するを、、、

文永一一 信濃の僧妙意(慈雲)生る、

建治元 智真(一遍)、覚心(無本、心地房)に参禅す、淨阿、覚心に参ず、

建治元 北條実時、水内郡太田庄大倉・石村両郷等を藤原氏に譲る、、、

建治二 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同寺開基葛山景倫(願性)、、、

建治三 薩摩入来院塔原郷地頭渋谷重経、子重員・頼重勘当の旨、、、

建治三 北條義政、出家して鎌倉を出奔す、、、

建治三 将軍惟康親王、北条時宗に肥前・肥後安富庄地頭職を与へんとす、、、

弘安元 藤原長忠、信濃権介に任ぜらる、

弘安元 平氏女、懸仏を安曇郡仁科神明に寄進す、

弘安元 高梨朝定、亡母の菩提のために、碑を建つ、

弘安元 是より先、中野忠能後家蓮阿、市河重房と、忠能の女釈阿の遺領、、、

弘安元 伊那郡殿岡の地頭四条頼基、佐渡に新知を給せらる、、、

弘安二 尾張長母寺住持道暁(無住、一円房)、沙石集を選述す、、、

弘安二 小笠原光長、佐久郡落合新善光寺に銅鐘を寄進す、

弘安二 智真(一遍)、佐久郡伴野庄に踊念仏を行ふ、

弘安二 長野市最勝院の板碑成る、長野県に現存する板碑、

弘安三 智真(一遍)、善光寺に詣づ、山内入道、善光寺如来の霊夢により智真に、、、

弘安三 亀山上皇、京都新日吉社小五月会に臨み、流鏑馬を覧る、、、

弘安三 幕府、信濃等諸国の地頭・御家人等に令して、石清水八幡宮放生会以前の、、、

弘安三 是より先、四條頼基、日蓮に米を贈る、是日、日蓮、書を贈りて之を謝す、

弘安三 東福寺住持圜爾、病篤きを以て、普門(無関、普門房、)をして、同寺住持、、、

弘安三 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同国熊野妙法寺に登る、

弘安三 祖円(規庵)、建長寺に、同寺住持祖元(無学、)に参ず、

弘安三 僧覚勇、紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)の行実縁起を撰す、

弘安四 嶋津久経、子久長に水内郡太田庄神代・津野両郷地頭職等を譲る、

弘安四 信濃の人有坂弥二郎等、竹崎季長の元冦軍忠の評定に、証人となる、、、

弘安四 北條義政、小県郡塩田庄に卒す、

弘安四 藤原実経、普門(無関、普門房)を東福寺住持となす、

弘安四 亀山上皇、紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)を招請して禅門を問ひ、、、

弘安五 北条時宗、相模に円覚寺を開剏して、建長寺住持祖元(無学、)を開山に請、、、

弘安六 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同寺景倫(願性)、追薦のため、、、

弘安六 知久敦幸、伊那郡文永寺に五輪塔及び石室を造立す、、、

弘安七 是より先、紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、紀伊報恩寺の大殿を造営、、、

弘安七 幕府、近国諸社の修理・祈祷・訴訟・所領寄進等の事を引付に沙汰せしむ、、、

弘安七 是より先、興福寺造営料国信濃国目代定尭、検注物並びに年貢等を違乱す、、、

弘安七 北條時宗、相模円覚寺をして、正観寺上畠等の地を安堵せしむ、、、

弘安七 嶋津某、水内郡太田庄内大倉・石村両郷の検注居合請料及び除田の勘料銭を、、、

弘安八 藤原定藤、信濃権守に任ぜらる、

弘安八 幕府、嶋津久長をして、水内郡太田庄内神代・津野両郷等の地頭職を安堵、、、

弘安八 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、弟子覚円の請に応じて頂相に自賛、、、

弘安八 信濃の人伴野長泰、安達泰盛の謀叛に与し、誅せらる、

弘安八 内大臣藤原師継、山城鳴滝の別業を禅寺となし、妙光寺と号し、、、

弘安八 妙意(慈雲)、越後五智山に出家して、具足戒を受く、

弘安九 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、予め安骨の石櫃を造り、、、

弘安九 建長寺住持祖元(無学)、寂す、、、

弘安九 信濃の僧相模建長寺住持道然(葦航)、同寺正続院年分打給の規式を定む、

弘安九 尼妙法、安曇郡仁科神明に懸仏を寄進す、同郡神城村神明宮ノ懸仏

弘安一〇 是より先、信濃守藤原親世、大和春日社造営を勤む、是日、同社遷宮あり、、、

正応元 安倍雅遠、信濃守に任ぜらる、

正応元 信濃国司、鈎匙を給ひ、不動倉を開検せんことを奏請す、

正応元 伊那郡鳩ヶ嶺八幡宮の神像成る、

正応元 是より先、小井弖道覚、同盛綱の伊那郡小井弓・二吉両郷河成加增分の年貢、、、

正応元 深澤有経、佐久郡平賀郷内滑瀬村内の地等を、子信経に譲る、

正応元 妙意(慈雲)、建長・円覚両寺を往来して参禅す、

正応二 藤原雅任、信濃守に任ぜらる、

正応二 紀淑氏の母円覚尼、その母平氏の十三回忌追善のため、、、

正応三 是より先、嶋津久長、越後彦三郎政国と水内郡太田庄内神代郷地頭職を争ふ、、、

正応三 幕府、屋代乙王をして、埴科郡倉科庄東條内の地を安堵せしむ、

正応三 下伊那郡大下條村早稲田神社の鰐口成る、

正応三 是より先、中野泰重、同仲能・小田切実道等と、高井郡中野郷堀内・町田及、、、

正応四 隕石、紀伊西方寺の東南の山中に落つ、、、

正応四 藤井真里、信濃目に任ぜらる、

正応四 是より先、亀山法皇の東山離宮(松下殿)に妖怪の変しばしば起る、、、

正応四 禅林寺(南禅寺)開山普門(無関、普門房)、寂す、、、

正応四 亀山上皇、禅林寺(南禅寺)、開山普門(無関)の推挙に依り、祖円、、、

正応五 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同国粉河寺誓度院の規式を定む、、、

正応五 上野松井田の一結衆十二人、佐久郡今熊野社に銅鐘を寄進す、

正応五 是より先、嶋津忠時女子尼忍覚、甥同久長と水内郡太田庄神代郷、、、

正応五 宋僧円空、大般若経を書写して、筑摩郡浅間社に納む、、、

正応五 亀山法皇、禅林寺開山普門(無関、普門房)の一周忌に当り、その頂相に賛、、、

正応五 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)紀淑文の画像に賛す、

永仁元 南禅寺住持祖円(規庵)、同寺仏殿梁牌に銘す、

永仁元 東福寺、その前住普門(無関、普門房)の三回忌仏事を行ひ、、、

永仁元 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)の徒弟等、覚心の寿像を造顕す、

永仁二 源長通、信濃介に任ぜらる、

永仁二 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、後鳥羽天皇の神霊より、、、

永仁二 小笠原長政卒す、

永仁二 僧良栄、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、

永仁二 僧観海、諏訪社上社神宮寺の釈迦三尊像を造立し、是日、供養を行ふ、

永仁二 幕府、深澤信経をして、佐久郡平賀郷内滑瀬内田屋敷等を安堵せしむ、

永仁二 伊賀頼泰、筑摩郡麻績御厨内矢倉村等を、子光貞に譲る、、、

永仁二 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、その受業の師行勇(退耕、荘厳房)、、、

永仁三 是より先、水内郡太田庄雑掌道念、領家年貢の収納を、絹を以てせん、、、

永仁三 山内時通、筑摩郡下平田郷内公田地頭職等を、子通綱・通氏等に譲る、

永仁三 是より先、大工宗仲、嶋津久長と水内郡太田庄内津野郷のことを争論す、、、

永仁三 僧宗昭(覚如)、更級郡康楽寺の僧淨賀と共に、親鸞上人絵伝を著す、

永仁三 幕府、望月重直をして、小県郡海野庄賀沢村田在家を安堵せしむ、

永仁四 尼道しやう、小県郡海野庄三文條今井村内田在家地頭職を、甥望月重直に、、、

永仁四 藤原時盛、筑摩郡福満寺に、般若心経等を読誦せしむ、

永仁四 妙意(慈雲)、越中の関野に到りて庵居す、

永仁五 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同寺に寿塔思遠庵を営む、、、

永仁五 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同国護国寺を開剏す、、、

永仁五 知久敦幸、諏訪社上社神宮寺に銅鐘を寄進す、

永仁五 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同国粉河寺大門慶賛供養の導師、、、

永仁五 妙意(慈雲)、覚明(孤峯)に見え、その誘導に依りて、紀伊西方寺に至り、、、

永仁六 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、病む、

永仁六 紀伊西方寺住持覚心(無本、心地房)、同寺規式を定む、

永仁六 藤原氏女、筑摩郡麻績御厨大吉原郷田在家等を養子かくふんに譲る、

永仁六 宮某、山城高山寺をして、同国仁和寺領更級郡四宮勅旨・無量寿院領木曽、、、

永仁六 是より先、伊達念性女子尼妙海、嶋津久長と水内郡太田庄神代郷内中尾村、、、

永仁六 僧行祐(円琳坊)、水内郡戸隠社の観音菩薩坐像を造立す、

永仁六 紀伊西方寺(興国寺)、山城妙光寺開山覚心(無本、心地房)、寂す、

永仁六 紀伊西方寺、同寺開山覚心(無本、心地房)の舎利及び遺骨の一部を、、、

正安元 僧明円(禅実房)、僧善豪(教釈房)、の勧進により、水内郡戸隠社の大般若経、、、

正安元 善光寺塔供養行はる、永仁四年十一月十一日、慈阿弥陀仏・願阿弥陀仏、、、

正安元 妙意(慈雲)、覚明(孤峯)の指示に依り、越中二上山の旧隠に東松寺、、、

正安二 幕府、中野幸重をして、論所高井郡中野郷西條内の田地並びにその押領得分、、、

正安二 金刺満貞、建長寺住持一寧(一山)に参禅し、諏訪郡に慈雲寺を開創す、、、

正安二 幕府、奥春近領高井郡志久見郷を地頭請所となし、請料を段別銭二百文と定、、、

正安三 幕府、藤原秀信をして、小県郡国分寺南条内の田在家を安堵せしむ、

正安三 僧明空、宴曲集を編む、その中に善光寺に関する曲あり、

正安三 前建長寺住持道然(葦航)、寂す、

乾元元 諏訪社上社の上空に、白竜現ると伝ふ、

乾元元 越中東松寺(国泰寺)、住持妙意(慈雲)、覚明(孤峯)を請じて陞座説法、、、

乾元元 一寧(一山)、円覚寺住持となり、入院す、、、

乾元元 是より先、市河盛房、小田切実道女子性阿と高井郡中野西条並びに志久見郷、、、

嘉元元 南禅寺住持祖円(規庵)、達磨の像に賛す、

嘉元元 南禅寺開山普門(無関)、十三年忌、後宇多天皇、普門に仏心禅師の号、、、

嘉元二 東筑摩郡坂北村碩水寺阿弥陀如来坐像の修理成る、

嘉元二 紀伊西方寺(興国寺)開山覚心(無本、心地房)七年忌、、、

嘉元二 南禅寺住持祖円(規庵)、偈を東福寺の師錬(虎関)に贈り、、、

嘉元三 武蔵称名寺、同国金沢瀬戸橋造営のために、同寺領水内郡太田庄大倉・石村、、、

嘉元三 嶋津久長、水内郡太田庄神代郷上山熊野権現に、料田を寄進す、

嘉元三 某、水内郡太田庄津野・神代両郷の領家年貢の員数を注進す、

嘉元三 薄葉景光、水内郡太田庄神代郷代官職に補せられ、是日、請文を島津久長に、、、

徳治元 後宇多上皇、昭慶門院をして筑摩郡捧勅旨等の所領を安堵せしむ、

徳治元 是より先、中沢真直・同真光、兄為真後家と為真遺領伊那郡中沢郷中曽蔵村、、、

徳治二 北条貞時、円覚寺毎月四日大斉に勤仕すべき直臣を結番す、、、

延慶元 僧覚元、木曽池口寺に鰐口を施入す、

延慶元 山城醍醐寺報恩院憲淳、諏訪左衛門尉に託して、弟子隆勝を関東祈祷僧に、、、

延慶元 下高井郡夜間瀬村出土の鉦鼓成る、南佐久郡岸野村平見堂出土の鉦鼓の銘、

延慶元 諏訪社上社神宮寺五重塔鉄露磐成る、

延慶元 南禅寺住持祖円(規庵)、建長寺正続院に赴き、祖元(無学)の塔を拝し、、、

延慶二 望月重直、その女姫夜又に小県郡加沢村内の田在家を譲る、

延慶二 信濃国司某、高井郡志久見郷地頭中野家仲の所領同郷湯山田在家に、、、

延慶二 是より先、南禅寺開山普門(無関)の門弟等、同寺住持祖円(規庵)の、、、

延慶二 是より先、山城醍醐寺報恩院隆勝、傍輩と法流相承のことを争ふ、、、

延慶三 幕府、尼永忍の申請に依りて、水内郡太田庄大倉郷地頭職を、武蔵称名寺に、、、

延慶三 幕府、慈野経長をして、小県郡田中郷内田在家を安堵せしむ、

延慶三 藤原盛世、若狭倉見庄御賀尾浦に勧請の諏訪社下社に、神田を寄進、、、

延慶三 幕府、甲斐柏尾寺修造のため、同寺をして、信濃国中に、棟別銭を徴、、、

延慶三 伏見上皇、山城高山寺をして木曽小木曽庄・更級郡四宮庄を安堵せしむ、

延慶三 小笠原長氏卒す、

延慶三 紀伊西方寺(興国寺)開山覚心(無本、心地房)、十三年忌、、、

応長元 滋野経長、小県郡海野庄田中郷地頭職を、孫宮一丸に譲る、

応長元 円覚寺住持昭元(無為)、退院せんとし、妙意(慈雲)を、その後任に起用、、、

応長元 小県郡大門村の宝篋印塔成る、

応長元 石清水八幡宮寺検校善法寺尚清、権別当同康清に検校職並びに更級郡小谷庄、、、

応長元 南禅寺住持祖円(規庵)、法衣・湯瓶・水瓶を建長寺正続院に施入す、、、

正和元 是より先、信濃の人中沢円性等、出雲淀本庄雑掌経範と同庄地頭職を争論す、、、

正和二 善光寺火く、僧某、善光寺に参詣す、、、

正和二 佐久郡大井法華堂源覚、大井一家・依田一族等の熊野二所の先達職となる、

正和二 南禅寺住持祖円(規庵)、寂す、

正和二 是より先、貝新座寄人故四郎の女犬女、亡父の信濃の人右馬太郎に預けし銭、、、

正和二 尼たうしやう、所領水内郡越郷田在家地頭職を曽孫曽我資光に譲る、、、

正和二 一寧(一山)、南禅寺住持となり、入院す、、、

正和三 藤原盛世、若狭倉見庄御賀尾浦に勧請の諏訪社下社に、神田を寄進す、

正和三 山城醍醐寺報恩院隆勝、諏訪左衛門入道に託して、弟子隆舜を関東祈祷僧に、、、

正和三 南禅寺住持一寧(一山)、山城妙光寺歳寒庵に覚心(無本、心地房)の塔を、、、

正和四 伊賀頼泰、所領筑摩郡麻績御厨矢倉郷等の地を、子光貞に譲る、、、

正和四 某、若狭倉見庄御賀尾浦刀祢百姓等をして、諏訪社下社に毎年贄魚を献、、、

正和四 南禅寺住持一寧(一山)、紀伊西方寺(興国寺)、住持心開(鉄関)の請に、、、

正和四 平繁長、小県郡霊泉寺木造阿弥陀如来坐像並びに阿弥陀堂を造立す、、、

正和四 北条実時後家(慈性)、水内郡太田庄石村南郷を金沢貞顕に譲る、、、

正和五 是より先、若狭倉見庄御賀尾浦百姓等、諏訪社下社御贄運送人夫役、、、

文保元 是より先、山内通資、同通忠と筑摩郡下平田郷地頭職等につき争論す、、、

文保元 嶋津久長、子宗久に水内郡太田庄神代郷等を譲る、、、

文保元 良聰(聞渓)、諏訪郡慈雲寺住持仁恭(石梁)の、筑前聖福寺住持となり、、、

巻五 文保二年(1318)~

文保二 嶋津忠宗、水内郡太田庄内南郷等を嫡子貞久に譲る、、、

文保二 幕府、茂木長典をして、所領筑摩群神林郷等を安堵せしむ、

元応元 僧宗昭、学如、三河より伊那郡飯田に入る、尋で、北陸を経て帰洛す、

元応元 是より先、白河有忠、筑摩郡竹淵郷地頭泰経等の、諏訪社上社御射山頭役に、、、

元応元 近江日吉社祢宜祝部俊貞等、同社領を注進す、、、

元応二 僧実秀、更級郡富部御厨神明社の大般若経を書写す、

元応二 是より先、高野山蓮花乗院学侶、藤原貞親の同院領紀伊南部庄、、、

元応二 信濃の人鶴岡八幡宮寺供僧頼証、寂す、

元応二 後醍醐天皇、妙意滋雲、を請じて、禅要を問ひ、清泉禅師の号及び紫衣を授、、、

元応二 小県郡長泉寺の板碑成る、、、

元亨元 藤原正長、法華経版木を戸隠社中院に施入す、、、

元亨元 幕府、小笠原道円知行分の地等を、武蔵称名寺に寄進す、

元亨元 筑摩郡光輪寺の鰐口成る、

元亨元 市河盛房、子女等、に所領を譲り、子助房に高井郡志久見郷惣領職等を、、、

元亨元 後醍醐天皇、山城石清水八幡宮寺愛染明王堂を勅願寺となす、、、

元亨元 信濃の僧霊見、性海、家塾に就きて学ぶ、

元亨二 曽我資光、水内郡こいの郷田在家地頭職等を、父光頼に譲る、

元亨二 諏訪新左衛門尉病む、依りて、是日、近江明王院、冥道供を修す、

元亨二 筑摩郡若沢寺の金剛力士像成る、

元亨三 上伊那郡川島村観音堂の十一面観音像成る、

元亨三 遍照院頼印の母、諏訪社下社に祈りて、頼印を生むと伝ふ、

元亨三 嶋津久長、子ほうしゆに、水内郡太田庄神代郷内の田地を譲る、、、

元亨三 是より先、前南禅寺住持崇喜、見山、更級郡興禅寺を開剏す、是日、寂す、

元亨三 幕府、先に武蔵称名寺に寄進せる小笠原道円知行分の地の替として、、、

元亨三 是より先、諏訪社下社大祝金勅時澄、同社領筑摩郡塩尻郷東条地頭塩尻重光、、、

元亨三 是より先、島津宗久、父久長相伝所領水内郡太田庄神代・津野両郷等、、、

元亨三 筑摩郡光輪寺の日光・月光両菩薩像成る、

元亨三 幕符、北条貞時十三回忌仏事を相模円覚寺に行ふ、、、

元亨三 後醍醐天皇、南禅寺開山普門無関普門房、の三十三年忌、、、

正中元 小県郡霊泉寺開山源興、雲峰、寂す、

正中元 是より先、京都よりの使、後醍醐天皇に討幕の議あることを、鎌倉に報ず、、、

正中元 信濃国雑掌則能、書を幕府に送り、高井郡志久見郷地頭市河盛房以下名主等、、、

正中二 東寺公文大江某、山城東寺最勝光院領の年貢公事等を注進す、、、

正中二 山城三千院別当任禅、同院門跡領寺院・本尊・聖教・坊舎並びに庄園・所領、、、

正中二 幕府、武蔵称名寺領水内郡太田庄雑掌の訴により、同庄大倉・石村両郷地頭、、、

正中二 霊見、性海、建長寺に同寺住持正澄清拙、の室に入つて出家す、

嘉暦元 是より先、臼田重経、咎に依りて、その所領三分一を没収せらる、、、

嘉暦元 曽我光頼、光称、西浜合戦出陣にあたり、所領水内郡こいの郷内田在家等を、、、

嘉暦元 是より先、後醍醐天皇、山城蓮花王院領安曇郡矢原庄のことに就き、綸旨、、、

嘉暦元 正澄、清拙、信濃の僧筑前円覚寺住持元中秀山、に道号頌を与ふ、

嘉暦二 九条房実、信濃の人祢津貞直の、朝廷に献ぜし白鷹につき、白鷹記を著す、

嘉暦二 是より先、嶋津弥三郎、称阿、所領水内郡太田庄下浅野郷内田在家を、、、

嘉暦二 諏訪新左衛門尉病む、依りて、是日、近江明王院、冥道供を修す、

嘉暦二 是より先、市河盛房、中野次郎後家の正和五年分諏訪社五月会頭役用途を、、、

嘉暦三 後醍醐天皇、祖円規奄、に南院国師の諡号を授く、

嘉暦三 後醍醐天皇、妙意滋雲、の住持せる越中東松寺を国泰寺と改称せしめ、、、

元徳元 阿曽沼某、伊那郡飯田郷を諏訪社上社に寄進す、

元徳元 大徳寺住持妙超、宗峯、信濃の僧慧玄関山、に、道号関山の二大字、、、

元徳元 幕府、諏訪社上社五月会御射山頭役等の結番を定め、、、

元徳元 僧明円、禅実房、水内郡顕光寺寶光院の大般若経修理を始む、

元徳元 信濃の僧勇健、大歇、伊那郡長岡に生まる、

元徳元 市河盛房後家尼せんかう、子助房等に、高井郡中野郷西条並びに志久見郷内、、、

元徳元 信濃の僧妙在、此山、元国湘州石霜山にあり、重顕隠之、の三寶讃の韻を、、、

元徳元 是より先、武蔵称名寺領水内郡太田庄雑掌、重ねて、同庄大倉・石村両郷、、、

元徳元 小県郡安楽寺開山惟僊樵谷、の像成る、尋で、同寺二世恵仁㑃牛、の像成る、、、

元徳二 重阿、水内郡今溝庄北条内の地を、その女神氏に譲る、、、

元徳二 三条実治、信濃権守に任ぜらる、

元徳二 塩田国時、明年諏訪社上社七月頭役勤仕のため、所領小県郡塩田庄に赴く、、、

元徳二 花園上皇、山城大徳寺に、佐久郡判野庄等を寄進す、

元徳二 山内通資、所領筑摩郡下平田郷地頭職等を、子通時に譲る、

元徳二 是より先、幕府、友梅雪村、を諏訪郡慈雲寺住持となす、、、

元徳二 大徳寺住持妙超、宗峯、慧玄関山、を印可す、

元徳二 建長寺住持楚俊、明極、至遠孤山、の請に応じ、、、

元徳二 紀伊西方寺興国寺、開山覚心無本、心地房、三十三年忌、、、

元徳二 諏訪郡慈雲寺住持友梅、雪村、上堂して、同門友桂月山、の、頭首として、、、

元徳二 金剌満貞卒す、

元弘元 諏訪郡慈雲寺住持友梅、雪村、元旦により、上堂説法す、

元弘元 諏訪郡慈雲寺住持友梅、雪村、上元の節により、上堂説法す、

元弘元 諏訪郡慈雲寺住持友梅、雪村、仏涅槃日により、上堂説法す、

元弘元 諏訪郡慈雲寺住持友梅、雪村、同寺を退院す、尋で、再住す、

元弘元 花園上皇、山城大徳寺をして、同寺領佐久郡伴野庄等の知行を全うせしむ、

元弘元 是より先、日野俊基等、後醍醐天皇の討幕の議に与し、事露はれて、、、

元弘元 島津貞久、子宗久に水内郡太田庄内南郷地頭職等を譲る、、、

元弘元 諏訪為頼、筑摩郡徳雲寺を開剏し、諏訪郡慈雲寺住持友梅雪村、を開山に請、、、

元弘元 北条氏の軍、諸道より、楠木正成を河内赤坂城に攻む、、、

元弘元 護良親王、大和般若寺を出でて紀伊熊野に向ふ、村上義光等、之に供奉す、

元弘元 某、武蔵称名寺領水内郡太田庄大倉郷内名田を同寺に注進す、、、

元弘二・正慶元 諏訪時継、筑摩郡吉田・赤木両郷を諏訪社上社に寄進す、

元弘二・正慶元 筑摩郡福満寺、日光菩薩像の造立を始む、尋で、月光菩薩像の造立、、、

元弘二・正慶元 金沢貞将、水内郡太田庄石村郷等の地を、武蔵称名寺に寄進す、

元弘二・正慶元 平宗経、信濃権守に任ぜらる、

元弘二・正慶元 諏訪時継、神長守矢真頼に御柱迎の装束のことを問ふ、

元弘二・正慶元 護良親王、紀伊熊野を出でて大和に赴く、村上義光等、之に随ひ、、、

元弘二・正慶元 是より先、京方の軍、畿内・西国に蜂起す、、、

元弘二・正慶元 是より先、市河助房、中野幸重後家円阿と高井郡中野西条内、、、

元弘二・正慶元 是より先、市河助房、中野幸重後家円阿の、高井郡志久見郷内、、、

元弘二・正慶元 筑摩郡徳雲寺住持友梅、雪村、同寺を退院、、、

元弘三・正慶二 吉野城落つ、村上義光、子義隆と共に、身をもつて護良親王を救ふ、、、

元弘三・正慶二 諏訪盛高、道通大川、をして金剛経を書写せしむ、

元弘三・正慶二 是より先、足利高氏、後醍醐天皇の命に依り、天皇の軍に参ず、、、

元弘三・正慶二 足利高氏の子千寿、鎌倉を出奔す、、、

元弘三・正慶二 高井郡中野郷並びに湯山郷等一分地頭中野定心の子家平、京都合戦、、、

元弘三・正慶二 新田義貞、兵を上野に起し、鎌倉に向はんとす、、、

元弘三・正慶二 幕府、北条泰家をして、武蔵関戸に新田義貞の軍を禦がしむ、、、

元弘三 新田義貞の軍、鎌倉に迫る、幕府、信濃等の兵をして、鎌倉極楽寺切通等に、、、

元弘三 幕府の軍敗れ、北条高時、鎌倉東勝寺に自害す、諏訪真性等、之に殉ず、

元弘三 諏訪盛高、北条高時の子亀寿丸時行、を奉じて、信濃に逃る、

元弘三 後醍醐天皇、山城大徳寺をして、佐久郡伴野庄等同寺領を安堵、、、

元弘三 是より先、小笠原宗長、関東静謐の事を、足利高氏に報ず、、、

元弘三 高井郡志久見郷地頭市河経助・同助房甥助泰、新田義貞の軍に会す、

元弘三 後醍醐天皇、山城大徳寺に、佐久郡伴野庄地頭職を寄進す、

元弘三 市河助房・同経助等、足利高氏の軍に会す、

元弘三 後醍醐天皇、大徳寺をして、佐久郡伴野庄地頭職を安堵せしむ、

元弘三 是より先、後醍醐天皇、北条高時の党類の外、普く諸人をして当知行地を、、、

元弘三 後醍醐天皇、小笠原貞宗に、美濃中河御厨を宛行ふ、

元弘三 信濃国司清原某、望月重直女神氏姫夜叉、申請に任せ、神氏をして、、、

元弘三 信濃国司清原某、市河助房の申請に任せ、助房をして、高井郡中野西条、、、

元弘三 後醍醐天皇、大徳寺をして、佐久郡伴野庄内臼田原を安堵せしむ、

元弘三 足利尊氏、安保光泰をして、小県郡小泉庄内室賀郷地頭職を安堵せしむ、

元弘三 小県郡大法寺の三重塔なる、

元弘三 霊見、性海、建仁寺に同寺住持正澄清拙、の会下にあつて、請客侍者を掌る、、、

元弘三 足利尊氏、諏訪社上社をして、伊那郡飯田郷を安堵せしむ、

建武元 坊門清忠、、信濃権守に、久我通相、信濃権介に任ぜらる、

建武元 諏訪頼重、諏訪社上社神長官守矢有実の年貢得分中の除分を定む、

建武元 西筑摩郡大桑村白山神社本殿・白山神社境内社蔵王神社社殿、、、

建武元 白川資英王、信濃守に任ぜらる、

建武元 是より先、後醍醐天皇、佐久郡伴野庄内臼田原郷を、誤りて玉井為直等に、、、

建武元 佐久郡伴野庄雑掌水沼実真、同庄領家方年貢を大徳寺に注進す、、、

建武元 山城城興寺雑掌、屋代下条一分地頭彦四郎姓闕く、等の、同寺領倉科庄の、、、

建武元 是より先、越後の人小泉持長等叛す、同国守護代官屋蔵与一等、兵を発し、、、

建武元 後醍醐天皇、大徳寺住持妙超宗峯、の泰請に依り、同寺領佐久郡伴野庄等を、、、

建武元 是より先、後醍醐天皇、佐久郡伴野庄内高柳郷を誤りて継義姓闕く、に与ふ、、、

建武元 是より先、後醍醐天皇、越後国薗田保地頭職を村山隆義に宛行ふ、、、

建武元 後醍醐天皇雑訴決断所の寄人を増し、その結番を八番となし、、、

建武元 後醍醐天皇、京都北山第に笠懸を覧る、小笠原貞宗等、射手を勤む、、、

建武元 信濃の人、前建長寺住持徳璇玉山、寂す、

建武元 是より先、仁恭、石梁、佐久郡慈寿寺を開剏す、是日、仁恭、石梁、寂す、、、

建武二 平長胤、後醍醐天皇の綸旨を、市河助房に伝へ、信濃の敵軍を討たんがため、、、

建武二 後醍醐天皇、山城大徳寺の訴に依り、伴野弥三郎等の同寺領佐久郡伴野庄、、、

建武二 信濃の僧、下伊那郡千代村法全寺開山正久、自明、寂す、

建武二 市河助房等、信濃守護小笠原貞宗の軍に属し、敵軍を水内郡常岩北条城に破、、、

建武二 市河助房・同経助等、信濃国司某同国下向にあたり、之に馳参ず、

建武二 市河助房・同倫房・同親宗等、信濃守護小笠原貞宗の軍に馳参じ、、、

建武二 諏訪頼重、その子時継・滋野一族等と共に、北条時行を擁して兵を信濃に、、、

建武二 北条時行等の軍、信濃を進発して、武蔵に入る、、、

建武二 後醍醐天皇、五壇法を宮中に修して、北条時行・諏訪頼重等の討滅を祈る、、、

建武二 市河倫房・同助保、小笠原経氏の軍に属し、北条時行の党を、、、

建武二 是より先、足利尊氏、北条時行を討たんとして、京都を発す、、、

建武二 是より先、山城城興寺所司、埴科郡倉科庄の事につき、如意寺僧正雑掌と、、、

建武二 北条時行の将諏訪次郎・塩田陸奥八郎等、足利尊氏の軍と、駿河国府に戦ひ、、、

建武二 足利尊氏、相模の相模川に北条時行の軍を破る、、、

建武二 足利尊氏、北条時行の軍を相模辻堂・片瀬原に破り、鎌倉に入る、、、

建武二 大友貞載、諏訪頼重追討の綸旨を、某に伝へ、兵を率ゐて出京すべきことを、、、

建武二 堀口貞政、北条時行の党追討の綸旨を、村山隆義に伝へ、、、

建武二 堀河光継、信濃守に任ぜらる、

建武二 市河倫房等・同助保、小笠原貞宗の軍に参ず、、、

建武二 是より先、市河経助、村上信貞の軍に属して、北条時行の党、、、

建武二 足利尊氏、軍忠の賞として、小笠原貞宗に、安曇郡住吉庄等を、、、

建武二 是より先、山城大徳寺雑掌、倉沢弁芳等の同寺領佐久郡伴野庄に違乱するを、、、

建武二 小笠原貞宗等、信濃国司堀河光継に下向するを、筑摩郡浅間に迎ふ、、、

建武二 山城大徳寺領佐久郡伴野庄雑掌水沼実真、同庄の年貢員数を同寺に注進す、

建武二 後醍醐天皇、花園上皇の、院領を光厳上皇に譲与するにあたり、、、

建武二 足利尊氏、村上信貞をして、後醍醐天皇の綸旨に任せ、、、

建武二 足利直義、信濃の人市村八郎左衛門入道跡の地を、勲功の賞として、、、

建武二 是より先、足利尊氏、鎌倉に叛す、、、

建武二 新田義貞、足利直義の軍を三河鷺坂に破る、、、

建武二 是より先、足利直義、新田義貞を討たんがため、檄を諸国に発して、、、

建武二 村上信貞、足利直義の軍に属して、新田義貞の軍を相模竹の下に破る、、、

建武二 小笠原貞宗等、遠江今井見付に、西走の新田義貞の軍を阻まんとして敗る、

建武二 越後の人村山隆義、信濃に兵を進むるにあたり、その所領の処分のことを、、、

建武二 是より先、後醍醐天皇、軍を東海・東山両道に発して鎌倉に進め、、、

南朝延元元・北朝建武三 小笠原貞宗、甲斐守護武田政義と共に諏訪郡に入り、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利尊氏の軍、京都に迫るに依り、後醍醐天皇、、、

南朝延元元・北朝建武三 村上信貞、市河経助・同助泰等を率ゐて、埴科郡英多庄、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利尊氏の将細川定禅、近江園城寺に拠る、、、

南朝延元元・北朝建武三 信濃国司堀河光継、洞院実世等と共に近江坂本、、、

南朝延元元・北朝建武三 是より先、信濃の人香坂心覚等、牧城に拠りて兵を挙ぐ、、、

南朝延元元・北朝建武三 是より先、北条高時の残党同時興、信濃の人深志介知光等、、、

南朝延元元・北朝建武三 信濃の僧妙在、此山、潭州崇勝院石霜山、にあつて秉払、、、

南朝延元元・北朝建武三 武者所の結番を定む、仁科盛宗・高梨義繁等、二番に加へ、、、

南朝延元元・北朝建武三 是より先、後醍醐天皇の軍、足利尊氏の軍と摂津湊河に戦、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利直義、近江東坂本に、後醍醐天皇の軍を攻む、、、

南朝延元元・北朝建武三 村上信貞・高梨経頼並びに小笠原経義等、重ねて、、、

南朝延元元・北朝建武三 是より先、足利直義、近江延暦寺に、新田義貞の軍を破る、、、

南朝延元元・北朝建武三 幕府、望月重直の女神氏姫夜叉、をして、所領小県郡、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利尊氏、小笠原貞宗をして、近江東坂本に赴き、、、

南朝延元元・北朝建武三 智明、蒙山、その師祖円規庵、の行状を撰し、、、

南朝延元元・北朝建武三 後醍醐天皇、近江延暦寺より京都に還る、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利尊氏、新田義貞北国に赴くと聞き、信濃守護代、、、

南朝延元元・北朝建武三 上杉兵庫助等、牧城に楯篭る、、、

南朝延元元・北朝建武三 光厳上皇、山城大徳寺をして、同寺領佐久郡伴野庄を安堵、、、

南朝延元元・北朝建武三 村上信貞、市河親宗・同経助等を率ゐて越後に攻入り、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利直義、武蔵称名寺をして、同寺領水内郡太田庄大倉郷、、、

南朝延元元・北朝建武三 足利直義、安保光泰をして、所領小県郡室賀郷地頭職等を、、、

南朝延元元・北朝建武三 是より先、市河経助・同親宗、高師泰の将大高重成の軍に、、、

南朝延元元・北朝建武三 勇健、大歇、紀伊大慈寺住持慈照高山、に参ず、

南朝延元二・北朝建武四 是より先、足利尊氏、高師泰・村上信貞等をして、、、

南朝延元二・北朝建武四 後醍醐天皇、恒明親王の子明光宮を越後沼川に下向せしむ、、、

南朝延元二・北朝建武四 新田義貞の党越後の池長久等、兵を挙ぐ、、、

南朝延元二・北朝建武四 東寺に落雷して、同寺塔婆角柱を損ず、、、

南朝延元二・北朝建武四 石見河本郷一方地頭小笠原貞宗代桑原家兼、、、

南朝延元二・北朝建武四 足利尊氏、摂津多田院諏訪盛経跡同国善源寺東方地頭職、、、

南朝延元二・北朝建武四 足利尊氏、小笠原政長の軍功を賞して、美濃中河御厨、、、

南朝延元二・北朝建武四 中野家氏、越後守護高師信に属して、越後符須厩に、、、

南朝延元二・北朝建武四 足利尊氏、小笠原貞宗に令して、近江兵主社の年貢を究済、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利尊氏、志水実俊の勲功を賞し、更級郡小山田村地頭職、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利尊氏、嶋津宗久の勲功を賞し、水内郡太田庄内大倉郷、、、

南朝延元三・北朝暦応元 小笠原貞宗、北畠顕家の軍と、美濃青野原に戦ひて敗る、、、

南朝延元三・北朝暦応元 是より先、高梨定仏の女源氏、弟忠保と、高井郡東条庄、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利尊氏、村上河内権守をして、保巣長俊の武蔵称名寺領、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利尊氏、小笠原貞宗に、その所領近江兵主社の替地を、、、

南朝延元三・北朝暦応元 是より先、小笠原貞宗、南禅寺住持正澄清拙、より受戒、、、

南朝延元三・北朝暦応元 是より先、脇屋義助、斯波高経の軍と越前に戦ひ利あらず、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利尊氏、諸国守護に令して、その職務に違はざらしむ、、、

南朝延元三・北朝暦応元 足利直義、嶋津宗久をして、武蔵称名寺領水内郡太田庄、、、

南朝延元四・北朝暦応二 是より先、南禅寺住持正澄清拙、寂し、、、

南朝延元四・北朝暦応二 畑時能、越前金津・長崎・河合・河口等の諸城を攻め陥す、、、

南朝延元四・北朝暦応二 石見河本郷一方地頭小笠原貞宗代武田弥三郎入道、、、

南朝延元四・北朝暦応二 東筑摩郡坂北村碩水寺阿弥陀如坐像の修理成る、

南朝延元四・北朝暦応二 近衛基嗣、同家領水内郡太田庄等を、山城東福寺海蔵院に、、、

南朝延元四・北朝暦応二 後醍醐天皇・吉野に崩ず、、、

南朝延元四・北朝暦応二 光厳上皇、南弾寺住寺師錬虎関、の奏請により、、、

南朝延元四・北朝暦応二 豊受大神宮政所、同宮領高井郡長田御厨・更級郡藤長御厨、、、

南朝延元四・北朝暦応二 少弐頼尚、幕府恩賞方仁科盛宗に、深堀政綱の恩賞のこと、、、

南朝延元四・北朝暦応二 足利尊氏、山城等持院に、後醍醐天皇百箇日曼荼羅供、、、

南朝延元四・北朝暦応二 幕府、播磨法雲寺を諸山に列す、、、

南朝延元四・北朝暦応二 光明天皇、越中国泰寺住持妙意慈雲、に禅要を問ひ、、、

南朝興国元・北朝暦応三 安保光泰、子泰規等に小県郡室賀郷等の所領を処分す、

南朝興国元・北朝暦応三 越中国泰寺住持妙意、慈雲、光明天皇の請に応じて上洛、、、

南朝興国元・北朝暦応三 天竜寺造営木造始、諏訪円忠、之に参候、、、

南朝興国元 ・北朝暦応三 北佐久郡春日村康国寺の板碑成る、、、

南朝興国元・北朝暦応三 伊那市笠原阿弥陀堂の薬師如来像成る、

南朝興国元・北朝暦応三 足利直義、諏訪円忠の天竜寺造営奉行の功を賞し、、、

南朝興国元・北朝暦応三 新田義宗等、越後より高井郡志久見山に攻入り、長峯に陣、、、

南朝興国元・北朝暦応三 安保光泰、子泰規等に小県郡室賀郷等を譲る、、、

南朝興国元・北朝暦応三 佐久郡福王寺阿弥陀如来像の修理成る、

南朝興国元・北朝暦応三 斯波高経の軍、畑時能を越前畑城に攻む、尋で、之を降す、、、

南朝興国元・北朝暦応三 是より先、北条時行、伊那郡の大徳王寺城に兵を挙ぐ、、、

南朝興国元・北朝暦応三 足利直義、嶋津宗久をして水内郡太田庄内神代郷地頭職等、、、

南朝興国元・北朝暦応三 信濃の僧玄提、玉山、日向大慈寺を開剏すと伝ふ、

南朝興国二・北朝暦応四 信濃の僧、甲斐立正寺開山日法、寂す、

南朝興国二・北朝暦応四 斯波高経の将上木家光等、畑時能を越前鷹巣城に攻めて、、、

南朝興国二・北朝暦応四 妙在、此山、漂州崇勝院石霜山、にあつて、再び秉払、、、

南朝興国二・北朝暦応四 市河倫房等、信濃守護小笠原貞宗等の軍に属して、、、

南朝興国二・北朝暦応四 越中興化寺開山運良、恭翁、寂す、、、

南朝興国二・北朝暦応四 是より先、山城後醍醐寺座主覚済、高井郡小菅寺大進、、、

南朝興国二・北朝暦応四 是より先、恵藤職成等、諏訪円忠の所領近江赤野井村を、、、

南朝興国二・北朝暦応四 畑時能、越前伊地山に、斯波高経と戦ひ、疵を蒙る、、、

南朝興国二・北朝暦応四 美濃白河山、造豊受大神宮御杣に定めらる、

南朝興国二・北朝暦応四 勇健大歇、剃髪受具して、建仁寺に掛搭す、

南朝興国三・北朝康永元 花園上皇、山城仁和寺花園御所跡の地を、、、

南朝興国三・北朝康永元 是より先、幕府、犬追物を禁制す、、、

南朝興国三・北朝康永元 小笠原貞宗、市河親房等を率ゐて、常陸大宝城を攻む、、、

南朝興国三・北朝康永元 是より先、武蔵称名寺、嶋津宗久跡代官等の、同寺領、、、

南朝興国三・北朝康永元 霊見、性海、入元す、

南朝興国三・北朝康永元 勅使並びに足利尊氏・同直義、天竜寺上棟綱引及び禄引、、、

南朝興国三・北朝康永元 勇健、大歇、建仁寺住持竺源東海、の会下にあり、

南朝興国三・北朝康永元 信濃の僧良標無格、入元の途次、船中に寂す、

南朝興国四・北朝康永二 信濃守護小笠原貞宗、同兼経をして、嶋津宗久跡代官等の、、、

南朝興国四・北朝康永二 仁科盛澄、茂木入道某後家如海御前、と和談し、、、

南朝興国四・北朝康永二 市河助房、高井郡中野郷内西条・志久見郷惣領職等を、、、

南朝興国四・北朝康永二 僧宗昭、覚如、親鸞上人絵伝を書写す、、、

南朝興国四・北朝康永二 勇健、大歇、紀伊楞厳寺住持慈照高山、より、、、

南朝興国五・北朝康永三 北朝除目、中原重直、信濃大掾に任ぜらる、

南朝興国五・北朝康永三 幕府弓始、小笠原行嗣等、射手を勤む、

南朝興国五・北朝康永三 幕府、引付衆結番を定む、諏訪円忠等、その列に加へらる、、、

南朝興国五・北朝康永三 光明天皇、越中国泰寺を紫衣出世道場となし、、、

南朝興国五・北朝康永三 宗良親王、伊那郡大河原にあり、

南朝興国五・北朝康永三 足利直義、山城新熊野社に詣づ、、、

南朝興国五・北朝康永三 諏訪円忠、近江赤野井村内勘解由田を山城法観寺に寄進す、、、

南朝興国五・北朝康永三 北朝京官除目、藤井正次、信濃目に任ぜらる、

南朝興国五・北朝康永三 小笠原貞宗、信濃守護職並びに伊那郡伊賀良庄等の所領を、、、

南朝興国六・北朝貞和元 光厳上皇、幕府の奏請に依り、国毎に建立の寺院の通号を、、、

南朝興国六・北朝貞和元 花園上皇、河内下仁和寺庄地頭職を妙心寺住持慧玄関山、、、

南朝興国六・北朝貞和元 是より先、越後の新田義貞の党祢智盛継・仁科右馬助等、、、

南朝興国六・北朝貞和元 近衛基嗣、中原師守をして、近衛家領水内郡芋河庄の知行、、、

南朝興国六・北朝貞和元 南禅寺住持梵僊、竺仙、同寺帰雲院の門徒の請に依り、、、

南朝興国六・北朝貞和元 脇屋義治、児島高徳に擁せられて、京都を攻めんとし、、、

南朝興国六・北朝貞和元 越中国泰寺開山妙意、慈雲、寂す、

南朝興国六・北朝貞和元 是より先、吉良満良、建武年間の信濃発向にあたり、、、

南朝興国六・北朝貞和元 信濃の僧妙在、此山、元より帰朝す、、、

南朝興国六・北朝貞和元 足利直義、諏訪円忠等をして、天竜寺供養装束のこと等を、、、

南朝興国六・北朝貞和元 足利尊氏・同直義、天竜寺供養の儀に臨む、、、

南朝興国六・北朝貞和元 足利尊氏、岡本良円に、高井郡中野郷内中野佐藤太跡、、、

南朝興国六・北朝貞和元 勇健、大歇、建仁寺に同寺住持友梅雪村、に参ず、

南朝正平元・北朝貞和二 幕府的始、小笠原源蔵人等、射手を勤む、

南朝正平元・北朝貞和二 高師直・小笠原貞宗等、三宝院賢俊を訪ふ、

南朝正平元・北朝貞和二 北朝除目、園基隆、信濃権守に任ぜらる、

南朝正平元・北朝貞和二 足利直義、山城高山寺方便智院領木曽小木曽庄雑掌の訴を、、、

南朝正平元・北朝貞和二 是より先、諏訪円忠、山城天竜寺に所領更級郡四宮庄、、、

南朝正平元・北朝貞和二 是より先、中原章有等、石清水放生会のことに就きて、、、

南朝正平元・北朝貞和二 是より先、武蔵称名寺雑掌、嶋津宗久跡代官等の、同寺領、、、

南朝正平元・北朝貞和二 是より先、山城大徳治雑掌、伴野長房の、同寺領佐久郡、、、

南朝正平元・北朝貞和二 幕府、文書紛失者の訴訟等に就き、法規を定め、、、

南朝正平元・北朝貞和二 是より先、南条高光、久下仙阿と丹波小椋庄内田畠在家に、、、

南朝正平元・北朝貞和二 東福寺菩提院塔主士曇、乾峯、信濃の僧竺雲の請に応じて、、、

南朝正平二・北朝貞和三 足利尊氏、小県郡浦野庄西馬越郷薩摩十朗跡半分を、、、

南朝正平二・北朝貞和三 信濃の僧良本、その師友梅雪村、の遣物を播磨法雲寺、、、

南朝正平二・北朝貞和三 光明天皇、天竜寺に行幸し同寺住持志玄、無極、陞座説法、、、

南朝正平二・北朝貞和三 除目、北朝清原長有、信濃小目に任ぜらる、

南朝正平二・北朝貞和三 是より先、市河助房跡藤原氏女、高井郡志久見郷、、、

南朝正平二・北朝貞和三 足利尊氏、小笠原貞宗に、筑摩郡塩尻・島立等、、、

巻六 南朝正平二年・北朝貞和三年(1347)~

南朝正平二・北朝貞和三 足利尊氏、小笠原政長をして、信濃守護職並びに所領等、、、

南朝正平二・北朝貞和三 前信濃守護小笠原貞宗、卒す、

南朝正平二・北朝貞和三 信濃の僧良中、大本、建仁寺大龍庵造営の化緑疏をつくる、、、

南朝正平二・北朝貞和三 花園法皇、慧玄関山、に、妙超宗峯、の門派再興及び、、、

南朝正平二・北朝貞和三 花園法皇、妙心寺内の法皇の寿塔玉鳳院を同寺住持慧玄、、、

南朝正平二・北朝貞和三 妙在、此山、山城真如寺主持となり、入院す、

南朝正平二・北朝貞和三 是より先、諏訪社上社大祝諏訪頼嗣、信濃国司を望みて、、、

南朝正平二・北朝貞和三 是より先、大徳寺雑掌宗秀、同寺領佐久郡伴野庄地頭、、、

南朝正平二・北朝貞和三 足利直義、光厳上皇の旨に任せ、味方に馳参ずべきを、、、

南朝正平二・北朝貞和三 北党小笠原信濃守、山名時氏・細川顕氏に属して、、、

南朝正平二・北朝貞和三 山内通時、所領筑摩郡下平田郷地頭職等を子熊寿丸通継、、、

南朝正平二・北朝貞和三 宗良親王、吉野へ上らんとして、伊那郡大河原を発し、、、

南朝正平三・北朝貞和四 小笠原某、高師直の軍に属し、河内四条畷に楠木正行の、、、

北朝貞和四・南朝正平三 是より先、妙心寺住持慧玄、関山、彦部七郎の、同寺領、、、

北朝貞和四・南朝正平三 是より先、勇健、大歇、建仁寺住持円旨別源、の会下に、、、

北朝貞和四・南朝正平三 信濃の僧周祭、鑑渓、天龍寺に於て、蔵主寮に拠つて乗払、、、

北朝貞和四・南朝正平三 霊見、性海、元国に疾み、鎮江府龍遊寺金山、に掛塔せる、、、

南朝正平四・北朝貞和五 小槻匡遠、山城大徳寺領佐久郡伴野庄の役夫工米所課の、、、

南朝正平四・北朝貞和五 北朝除目、源有範、信濃介に任ぜらる、

南朝正平四・北朝貞和五 是より先、幕府、武蔵称名寺雑掌の訴に依り、、、

南朝正平四・北朝貞和五 北朝県召除目、源利治、信濃守に任ぜらる、

南朝正平四・北朝貞和五 光厳上皇、妙心寺住持慧玄関山、の訴に依り、、、

南朝正平四・北朝貞和五 信濃の僧前筑前聖福寺住持元中、秀山、寂す、

南朝正平四・北朝貞和五 是より先、出雲杵築社祠官千家孝宗、甥同資孝と、、、

南朝正平四・北朝貞和五 上田市宗吽寺の石造燈籠成る、

南朝正平四・北朝貞和五 足利直義、越中守護桃井直常をして諏訪松犬丸康嗣、の、、、

南朝正平四・北朝貞和五 是より先、高師直、足利直義と隙あり、、、

南朝正平四・北朝貞和五 足利尊氏、高師直の訴に依り、直義の党上杉朝定等を、、、

南朝正平四・北朝貞和五 北朝、延暦寺衆徒の訴により、毘沙門堂僧正実尊の、、、

南朝正平四・北朝貞和五 幕府、山城等持寺に法華八講を修す、、、

南朝正平四・北朝貞和五 大徳寺住持義亨、徹翁、同寺領庄園文書目録を注す、、、

南朝正平五・北朝観応元 幕府的始、小笠原六郎等、射手を勤む、

南朝正平五・北朝観応元 山城祇園社領越中高木村前給主諏訪円忠代官使者石瀬二郎、、、

南朝正平五・北朝観応元 幕府、武蔵称名寺雑掌光信の訴に依り、大井光長等をして、、、

南朝正平五・北朝観応元 北朝県召除目、安部豊房、、信濃権守に、、、

南朝正平五・北朝観応元 北朝除目、藤原行盛、信濃守に任ぜらる、

南朝正平五・北朝観応元 山城祇園社正禅等、善光寺等参詣のため、下向す、、、

南朝正平五・北朝観応元 阿曽沼秀親、所領伊那郡飯田郷地頭職等を嫡子に譲る、

南朝正平五・北朝観応元 信濃・越後・常陸等に叛徒蜂起すとの風聞京都に達す、、、

南朝正平五・北朝観応元 是より先、諏訪貞継、上洛し、京都四条坊門に居をとす、、、

南朝正平五・北朝観応元 下伊那郡三穂村興徳寺の阿弥陀如来像成る、

南朝正平五・北朝観応元 足利尊氏、九州鎮定に下向せんがため、信濃守護、、、

南朝正平五・北朝観応元 足利直義、知久四郎左衛門尉を伴なひ、京都を出奔す、

南朝正平五・北朝観応元 諏訪頼嗣、諏訪社上社に所領を寄進す、、、

南朝正平五・北朝観応元 足利直義、諏訪三郎左衛門尉跡代官の、摂津夛田院領、、、

南朝正平五・北朝観応元 勇健、大歇、伊那郡に帰郷して、同郡の澄心庵に寓す、、、

南朝正平六・北朝観応二 是より先、諏訪直頼、足利直義に党し、京都より信濃に、、、

南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長父子等、足利直義の山城八幡の陣に参ず、

南朝正平六・北朝観応二 宗良親王、叡山に至るとの風聞あり、

南朝正平六・北朝観応二 足利義直党諏訪直頼、市河経助等を率ゐて、、、

南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長、京都の居館を焼き、足利直義の軍に奔る、

南朝正平六・北朝観応二 是より先、諏訪直頼、市河経助等を率ゐて、高師冬等を、、、

南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長、所領美濃中河庄内の地を石王丸政清、に譲る、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利直義、知久四郎左衛門をして、僧好専を誅せしむ、

南朝正平六・北朝観応二 道善卒す、尋で、宝篋印塔成る、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の軍、摂津兵庫に至る、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利義詮、丹波より京都に攻入らんとすとの風聞あり、、、

南朝正平六・北朝観応二 北朝除目、源秀時、信濃守に任ぜらる、

南朝正平六・北朝観応二 霊見、性海、元国より帰朝す、

南朝正平六・北朝観応二 是より先、毛見実綱、木嶋五郎二郎の、高井郡毛見郷、、、

南朝正平六・北朝観応二 是より先、僧房玄、相模久遠寿量院別当職につき、、、

南朝正平六・北朝観応二 幕府、武蔵称名寺雑掌光信の訴に依り、祢津宗貞等をして、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原為経・同光宗等、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利直義、京都を脱れ北国に赴く、諏訪直頼等、之に随ふ、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原為経の軍、足利直義の党香坂美濃介と、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、小笠原政長をして、足利直義の軍の信濃入国を、、、

南朝正平六・北朝観応二 畠山直顕、祢寝清成一族の戦功を、足利直冬に披露、、、

南朝正平六・北朝観応二 光厳上皇、慧玄関山、を再び妙心寺住持となす、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、丹波瓦屋庄を山城天龍寺に寄進す、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原政長の軍、信濃より遠江に入り、、、

南朝正平六・北朝観応二 諏訪円忠、所領近江赤野井村及び三宅十二里を、、、

南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、諏訪直頼をして、高梨経頼等の、武蔵称名寺、、、

正平六 諏訪社上社大祝諏訪信嗣、神長守矢頼実をして、伊那郡飯田郷を安堵せしむ、、、

正平六 足利尊氏の党小笠原為経の軍、足利直義の党諏訪直頼の軍と、、、

正平六 足利尊氏、小笠原政長の信濃に於ける戦功を賞し、、、

正平六 足利義詮、信濃春近領半分上杉藤成跡、地を、小笠原政長に宛行ふ、

正平六 足利直義、伊豆国府津に、同尊氏の軍と戦ひて敗る、、、

正平六 滋野光重、所領小県郡海野庄田中郷内の地を叔父宗氏・大熊女子等に譲る、

正平六 足利尊氏の党小笠原政長の軍、甲斐に入り、足利直義の党武田貞政を、、、

正平六 勇健、大歇、美濃大円寺に同寺住持祖一峰翁、に参じて、省悟あり、

正平六 田代基綱、諏訪円忠の、基綱の所領近江三宅郷十二里地頭職等を押領するを、、、

正平七 前東福寺住持義冲、大陽、寂す、、、

正平七 足利尊氏、小笠原政長をして信濃春近領を、同長基をして同所欠所分を、、、

正平七 高梨経頼、高井郡北笠原上条郷内夜交村を宛行はる、

正平七 諏訪円忠、洞院公賢を訪ひ、世事を談ず、

正平七 後村上天皇、宗良親王を、征夷将軍に任ず、、、

正平七 足利直冬の将仁科盛宗、吉河経兼等をして、石見三隅城を守らしむ、

正平七 是より先、新田義宗・同義興等、兵を上野に起し、武蔵を攻略す、、、

正平七 宗良親王、新田義宗等と共に信濃等の軍を率ゐ、足利尊氏の軍と、、、

正平七 上杉朝定、信濃に卒す、

正平七 足利尊氏、諏訪左近蔵人をして、陸奥の南党討伐に合力せしむ、

正平七 是より先、小笠原政長、鎌倉より信濃に帰り、諏訪直頼の党を攻む、、、

正平七 宗良親王、諏訪社上社大祝及び滋野氏等の軍を率ゐ、信濃を発して、、、

正平七 足利尊氏、同義詮に命じ、山城臨川寺をして、諏訪円忠の寄進にかかる、、、

正平七 足利尊氏、信濃春近領並びに同欠所分を、小笠原政宗に宛行ふ、

正平七 前南禅・東福両寺住持師錬虎関、七周忌、、、

正平七 武蔵称名寺雑掌幸円、嶋津宗久跡の輩の、同寺領水内郡太田庄大倉郷を、、、

南朝正平七・北朝文和元 真壁光幹、常陸真壁郡山田郷内の田在家を、、、

南朝正平七・北朝文和元 信濃国、所役を弁済せざるに依り、、、

南朝正平八・北朝文和二 武蔵称名寺雑掌光信、重ねて、嶋津宗久跡代官並びに、、、

南朝正平八・北朝文和二 南党楠木正儀等、足利義詮の軍を山城神楽岡に破る、、、

南朝正平八・北朝文和二 小笠原長基、南党仁科右馬助・香坂美作守等と合戦し、、、

南朝正平八・北朝文和二 僧成俊、姨捨山の麓に、万葉集を注す、

南朝正平八・北朝文和二 埴科郡屋代町出土の板碑成る、、、

南朝正平九・北朝文和三 足利直冬、河原太郎右衛門尉に、石見国角井村等の地の、、、

南朝正平九・北朝文和三 法性、多重塔を佐久郡熊野社に寄進す、

南朝正平九・北朝文和三 足利尊氏の将石塔義基、諏訪二郎三朗をして、陸奥の南党、、、

南朝正平九・北朝文和三 勇健大歇、美濃大円寺住持祖一峰翁、より印可を受く、

南朝正平一〇・北朝文和四 勇健、大歇、美濃大円寺住持祖一峰翁、より払子を附与、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 小笠原政長、足利尊氏の軍に属し、南党足利直冬の軍を、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、足利尊氏、その母上杉清子十三回忌追善、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、北党小笠原長基、南党上杉憲将・祢津宗貞等、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 南朝、矢嶋正忠を従五位下に叙す、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、宗良親王、諏訪社上社並びに下社祝、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 伊那郡開善寺、洪鐘を鋳造し、同寺住持清誾、中山、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、春日社領播磨志深庄雑掌源尊、同庄の、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、京都緒五山の尊宿、諏訪貞継のために、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、村上貞頼、山城平等院末寺善縁寺並びに、、、

南朝正平一〇・北朝文和四 山城臨川寺住持契愚、柳渓、寂す、、、

南朝正平一一・北朝延文元 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一一・北朝延文元 妙心寺住持慧玄、関山、門弟宗弼授翁、を印可す、

南朝正平一一・北朝延文元 諏訪円忠、諏訪社祭絵を再興せんとし、、、

南朝正平一一・北朝延文元 足利義詮、嶋津貞久をして、水内郡太田庄、、、

南朝正平一一・北朝延文元 足利義詮、小笠原政長跡同長基等一族に貢馬を徴す、

南朝正平一一・北朝延文元 足利直義の党上杉憲将、高井郡に陣し、足利尊氏の党、、、

南朝正平一一・北朝延文元 幕府、諸国関津に令して、園城寺造営料木を勘過せしむ、、、

南朝正平一一・北朝延文元 是より先、諏訪円忠、諏訪大明神画詞を再興す、、、

南朝正平一一・北朝延文元 是より先、嶋津貞久、諏訪社を薩摩山門院に勧請、、、

南朝正平一一・北朝延文元 幕府、妙在此山、を建仁寺住持となす、、、

南朝正平一二・北朝延文二 洞院公賢、山城長福寺開山道皎月林、に国師号追諡、、、

南朝正平一二・北朝延文二 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一二・北朝延文二 是より先、山城永円寺如導、無人、善光寺に詣で、、、

南朝正平一二・北朝延文二 鶴岡八幡宮寺供僧賢重寂す、

南朝正平一二・北朝延文二 是より先、勇健、大歇、建仁寺に徳見竜山、円月中厳、、、

南朝正平一二・北朝延文二 是より先、西寺別当深源、祐厳と同寺別当職を、、、

南朝正平一二・北朝延文二 足利尊氏・同義詮、疎石夢窓、七年忌法要参列、、、

南朝正平一二・北朝延文二 幕府、高梨永高をして、高井郡吉田郷等の地を領知、、、

南朝正平一三・北朝延文三 佐久郡新海社の御魂代石成る、

南朝正平一三・北朝延文三 僧了妙、水内郡沼尻琵琶嶋弁才天に大般若経を施入す、、、

南朝正平一三・北朝延文三 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一三・北朝延文三 北朝県召除目、久我具通、信濃権守に任ぜらる、

南朝正平一三・北朝延文三 足利尊氏薨ず、尋で、諏訪円忠、遺骨のことにつき、、、

南朝正平一三・北朝延文三 足利義詮、諏訪円忠をして、故足利尊氏の贈官のことを、、、

南朝正平一三・北朝延文三 諏訪円忠、洞院公賢に書を遺りて、足利尊氏位牌の、、、

南朝正平一三・北朝延文三 諏訪円忠、将軍足利義詮の除服以下のこと等につき、、、

南朝正平一三・北朝延文三 建仁寺天潤庵塔主宗任、大用、景徳伝燈録を重刊、、、

南朝正平一三・北朝延文三 是より先、足利義詮、征夷大将軍に任ぜらる、、、

南朝正平一三・北朝延文三 是より先、天龍寺焼け、同寺住持徳見竜山、退院す、、、

南朝正平一三・北朝延文三 是より先、信濃の僧良中、大本、元国より帰朝す、、、

南朝正平一三・北朝延文三 神道集成る、、、

南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利義詮参内の装束・行粧等のことにつき、、、

南朝正平一四・北朝延文四 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一四・北朝延文四 是より先、崇光天皇、天龍寺開山疎石夢窓、に普済国師、、、

南朝正平一四・北朝延文四 天龍寺化主周信、義堂、同寺造営の募縁を終へて、、、

南朝正平一四・北朝延文四 北朝県召除目、八木重治、信濃権目に任ぜらる、

南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌法華八講証義の請定の手続、、、

南朝正平一四・北朝延文四 光林放牛、を南禅寺住持となす、、、

南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌追善等持寺結縁灌頂の、、、

南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌追善法華八講につき、、、

南朝正平一四・北朝延文四 幕府、足利尊氏一周忌追善のため、庭儀・結縁灌頂、、、

南朝正平一四・北朝延文四 後醍醐天皇妃藤原廉子(新侍賢門院)、崩ず、、、

南朝正平一四・北朝延文四 東寺雑掌頼憲、飽間光泰の、同寺領播磨矢野庄、、、

南朝正平一四・北朝延文四 天龍寺住持妙在、此山、偈をつくりて、、、

南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、醍醐寺房玄を訪ふ、

南朝正平一四・北朝延文四 足利義詮、諏訪社下社大祝をして、天下静謐を祈らしむ、、、

南朝正平一四・北朝延文四 将軍足利義詮、後村上天皇を河内観心寺に討たんがため、、、

南朝正平一四・北朝延文四 勇健、大歇、伊豆修禅寺に大蔵経を閲読す、

南朝正平一五・北朝延文五 山内資綱、子通綱に筑摩郡下平田郷内地頭職等の、、、

南朝正平一五・北朝延文五 二条為定薨ず、、、

南朝正平一五・北朝延文五 北党の将畠山義深、南党四条隆俊の軍を紀伊竜門山に、、、

南朝正平一五・北朝延文五 前開善寺住持明千、古鏡、寂す、

南朝正平一五・北朝延文五 小笠原長基、高井郡志久見郷欠所地を、兵糧料所として、、、

南朝正平一五・北朝延文五 信濃の人、妙心寺開山慧玄、関山、寂す、

南朝正平一五・北朝延文五 後村上天皇、摂津住吉より、信濃の宗良親王に旨を伝へ、、、

南朝正平一六・北朝康安元 信濃の僧妙心寺微笑庵塔主宗峨、雲山、同寺開山慧玄、、、

南朝正平一六・北朝康安元 北朝除目、浦地浪康、信濃権少目に任ぜらる、

南朝正平一六・北朝康安元 沙弥道春、所領水内郡小嶋郷内の屋敷等を公忠に譲る、

南朝正平一六・北朝康安元 僧覚明、孤峰、寂す、是より先、覚明信濃に住す、

南朝正平一六・北朝康安元 近畿大地震に依り、摂津四天王寺金堂顛倒す、、、

南朝正平一六・北朝康安元 諏訪貞継、卒す、

南朝正平一六・北朝康安元 諏訪円忠の弟園城寺僧朝幸、寂す、

南朝正平一六・北朝康安元 幕府、諏訪円忠をして、丹波畑庄欠所地のことを沙汰、、、

南朝正平一六・北朝康安元 北党畠山国清、伊豆に叛す、、、

南朝正平一六・北朝康安元 足利義詮の軍、京都に迫る、、、

南朝正平一六・北朝康安元 勇健、大歇、和泉大雄寺に覚明孤峯、に見えて印可を、、、

南朝正平一七・北朝貞治元 是より先、慧星見はる、、、

南朝正平一七・北朝貞治元 健二寺如是院主妙在、此山、易書記の請に応じて、、、

南朝正平一七・北朝貞治元 南党桃井直常、信濃より越中に兵を進め、、、

南朝正平一七・北朝貞治元 是より先、諏訪貞継、天野遠政と能登能登嶋御厨東方、、、

南朝正平一七・北朝貞治元 後村上天皇、摂津住吉に中秋の名月を賞して和歌を詠じ、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 南禅寺住持妙在此山、同寺維那寮の回向冊子に跋す、

南朝正平一八・北朝貞治二 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、幕府、諏訪円忠をして、河原院の申請に、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 炎旱に依り、木曽川等の河水涸れ、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、山城三聖寺僧玄光、近衛道嗣所領水内郡、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 僧観実、山城六波羅蜜寺造営の資を募る、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 嶋津貞久、同師久に水内郡太田庄内大倉・石村南両郷、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、幕府、妙葩春屋、を天龍寺住持となす、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 幕府、霊見性海、を山城三聖寺住持となす、、、

南朝正平一八・北朝貞治二 紀伊大慈寺住持勇健、大歇、一百箇日の祈祷を行ふ、

南朝正平一九・北朝貞治三 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平一九・北朝貞治三 秋田尭勢、信濃に卒す、

南朝正平一九・北朝貞治三 前開善寺住持霊巨、鼇峰、寂す、

南朝正平一九・北朝貞治三 武田希円等、佐久郡追分大明神に大般若経を奉納す、

南朝正平一九・北朝貞治三 良中、大本、相模に来りて疾む、

南朝正平一九・北朝貞治三 幕府、奉行諏訪円忠、卒す、

南朝正平一九・北朝貞治三 紀伊大慈寺住持勇健、大歇、同国かたえ文殊に参詣す、

南朝正平二〇・北朝貞治四 足利義詮、同基氏に命じて、石清水八幡宮法印永清の、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平二〇・北朝貞治四 前信濃守護小笠原政長、卒す、

南朝正平二〇・北朝貞治四 良中、大本、円覚寺白雲庵の徒円方無外、の請に応じて、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 山内通継、弟通忠を嗣となし、筑摩郡下平田郷地頭職等、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、同寺の僧一渓の請に、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 信濃守護小笠原長基、同清政に兵糧料所として、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周誾延和、の請に応じて、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 関東管領足利基氏、高尾張五郎をして同師義と共に、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 武田信光、諏訪社上社に、諏訪郡北大塩内又六在家、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 信濃の僧天誾、如仲、上田に生る、

南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺住持契聞不聞、の、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 小笠原長基、筑摩郡塩尻郷春近折中分を、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一以清、の請に応じて、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 小笠原長基、諏訪直頼と筑摩郡塩尻金井に戦ひ、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 沙弥朝阿、小県郡善福寺に浦野庄内田在家を寄進す、、、

南朝正平二〇・北朝貞治四 法忻大喜、建長寺住持となる、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝正平二一・北朝貞治五 小笠原長基、筑摩郡塩尻郷内東条を、諏訪社下社に寄進、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、周信義堂、を相模善福寺住持となす、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、蘭隠の請に応じて、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周信義堂、に代りて、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 幕府、上杉朝房をして、武蔵金陸寺領小県郡浦野庄、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、建長寺玉雲庵塔主良中大本、をして、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、上杉朝房をして、筑摩郡神林郷下村、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 是より先、武蔵称名寺雑掌光信、嶋津師久の、同寺領、、、

南朝正平二一・北朝貞治五 二条良基第年中行事歌合、僧宗久、信濃勅旨牧駒牽の、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 天龍寺住持妙在、此山、上元の節によつて、両班を交替、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 滋野至中、子直連に小県郡海野庄内田中郷内の地等を、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 嶋津師久、嫡子伊久等に、水内郡太田庄南郷等の所領を、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 関東管領足利利基氏、重ねて、上杉朝房をして、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 信濃十九牧大使幸舜、諏訪社下社領伊那郡辰野・諏訪郡、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 信濃の僧円覚寺の徒俊侍者、父の喪に帰郷す、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 北朝、駒牽を延引す、尋で、之を追行す、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 近衛道嗣、所領水内郡芋川庄の知行有名無実なるに依り、、、

南朝正平二二・北朝貞治六 幕府、妙在此山、を再び南禅寺住持となす、、、

南朝正平二三・北朝応安元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝正平二三・北朝応安元 幕府、滋野直連をして、小県郡海野庄内田中郷、、、

南朝正平二三・北朝応安元 諏訪郡慈雲寺の梵鐘成る、

南朝正平二三・北朝応安元 市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、武蔵河越に、、、

南朝正平二三・北朝応安元 市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の、、、

南朝正平二三・北朝応安元 市河頼房、難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の、、、

南朝正平二三・北朝応安元 前上野長楽寺住持良中、大本、筑摩郡保福寺に寂す、

南朝正平二三・北朝応安元 勇健、大歇、大和定祖庵に隠居す、

南朝正平二三・北朝応安元 小笠原長秀、将軍足利義満の旨をうけて、、、

南朝正平二四・北朝応安二 幕府的始、屋代蔵人大夫等、射手を勤む、

南朝正平二四・北朝応安二 水内郡飯縄山地蔵菩薩像成る、

南朝正平二四・北朝応安二 上杉朝房等、伊那郡大河原に、宗良親王を攻む、

南朝建徳元・北朝応安三 南党新田義宗の将馬淵某・中村某・上杉朝房・畠山基国等、、、

南朝建徳元・北朝応安三 信濃守護小笠原長基、水内郡常岩御牧南条五箇村を、、、

南朝建徳元・北朝応安三 上杉朝房、旨をうけ、藤井下野入道をして、水内郡、、、

南朝建徳元・北朝応安三 経秀、長講堂領但馬七美庄上方の内友真・包弘両名を、、、

南朝建徳元・北朝応安三 南禅寺住持妙在、此山、祖禅定山、の一以大道、を悼む、、、

南朝建徳元・北朝応安三 善光寺焼く、

南朝建徳元・北朝応安三 高梨朝高、高井郡安田郷並びに水内郡大倉郷を宛行はる、

南朝建徳元・北朝応安三 是より先、妙在、此山、至勲の帰郷を送る頌をつくり、、、

南朝建徳元・北朝応安三 諏訪広嗣、その父故円忠の七周忌仏事を営む、

南朝建徳二・北朝応安四 僧存覚、本願鈔を書写し、水内郡善教寺付す、

南朝建徳二・北朝応安四 道妙、鉄剣を鋳造し佐久郡松原明神に寄進す、

南朝建徳二・北朝応安四 直仁親王、伊賀長田庄の替として、近江伊香庄内古橋郷を、、、

南朝建徳二・北朝応安四 是より先、懐良親王、信濃の宗良親王に、九州より和歌を、、、

南朝建徳二・北朝応安四 信濃の僧東源、帰郷す、諸友詩偈を唱和して、之に贈る、、、

南朝文中元・北朝応安五 幕府、師振起山、を山城真如寺の住持となす、、、

南朝文中元・北朝応安五 建仁寺如是院主妙在、此山、周防高山寺住持賢仙某山、の、、、

南朝文中元・北朝応安五 前建仁寺住持良聡、聞渓、寂す、

南朝文中元・北朝応安五 建仁寺如是院主妙在、此山、同寺前住持仁球石麟、の、、、

南朝文中元・北朝応安五 幕府、諏訪郡小井川・山田両郷を諏訪兵部大輔入道に預く、、、

南朝文中元・北朝応安五 信濃の僧曇仲、霊芳、その師興伊大円、に随侍して、、、

南朝文中二・北朝応安六 是より先、建長寺天津橋新造成り、同寺の諸僧、偈を、、、

南朝文中二・北朝応安六 是より先、至鈍大徹、伊那郡飯島に西岸寺を再興す、、、

南朝文中二・北朝応安六 佐久郡津金寺の良慶、善光房、穩海、天台円宗四教五時の、、、

南朝文中二・北朝応安六 経秀、長講堂領但馬七美庄上方の内萩山名を、、、

南朝文中二・北朝応安六 丹後雲門寺住持妙葩、春屋、実際寺に遊び、その門弟、、、

南朝文中二・北朝応安六 信濃守護使重義等、高井郡志久見郷の国司初任正検田、、、

南朝文中二・北朝応安六 明使朱本、詩を丹後雲門寺住持妙葩春屋、に贈る、、、

南朝文中二・北朝応安六 後光厳上皇、妙心寺開山慧玄関山、の塔所微笑庵主宗峨、、、

南朝文中二・北朝応安六 中円、月憚、京都より鎌倉に帰り、妙在此山、の書信を、、、

南朝文中二・北朝応安六 造豊受大神宮御杣美濃白河山採取の用材、伊勢大湊に着く、、、

南朝文中二・北朝応安六 南党新田義宗等、上野新田より、信濃を経て、四国に奔る、、、

南朝文中二・北朝応安六 天誾、如仲、伊那郡上穂山に恵明について経典を習ふ、

南朝文中三・北朝応安七 是より先、印元、古先、信濃盛興寺を開創す、、、

南朝文中三・北朝応安七 嶋津伊久代官本田泰光、重ねて、水内郡太田庄、、、

南朝文中三・北朝応安七 是より先、霊見、性海、一清無夢、の遺偈を分けて、、、

南朝文中三・北朝応安七 幕府、関東執事上杉能憲をして、武蔵称名寺内敷地の、、、

南朝文中三・北朝応安七 東福寺住持霊見、性海、東福寺の徒、孝上人の請に応じて、、、

南朝文中三・北朝応安七 宗良親王、信濃を出でて、吉野に到る、、、

巻七 南朝天授元年・北朝永和元年(1375)~

南朝天授元・北朝永和元 建仁寺如是院主妙在、此山、同寺妙喜庵主円月中厳、の、、、

南朝天授元・北朝永和元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝天授元・北朝永和元 神祇伯白川顕那王、信濃権守に任ぜらる、

南朝天授元・北朝永和元 東福寺住持霊見、性海、近衛道嗣を訪ふ、

南朝天授元・北朝永和元 東福寺住持霊見、性海、一雅大全、の請に応じて、、、

南朝天授元・北朝永和元 相模保寿院住持周信、義堂、建仁寺の諸僧の、、、

南朝天授元・北朝永和元 上杉朝房、市河頼房をして、本領並に買得地を安堵せしむ、、、

南朝天授元・北朝永和元 前建仁寺住持慈照高山、三十年忌、同寺如是院主妙在、、、

南朝天授二・北朝永和二 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝天授二・北朝永和二 是より先、建仁寺如是院主妙在此山、・東福寺退畊庵主、、、

南朝天授二・北朝永和二 水内郡大安寺開山妙霖雷峰、の門弟等、報恩のために、、、

南朝天授二・北朝永和二 是より先、幕府、前建仁・天竜・南禅寺住持妙在此山、を、、、

南朝天授二・北朝永和二 長慶天皇、内裏百番歌合を行ひ、宗良親王をその判者と、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、同寺に入院す、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に、、、

南朝天授二・北朝永和二 仁科盛国、安曇郡仁科神明の社殿を造替し、是日、遷宮、、、

南朝天授二・北朝永和二 埴科郡戸倉町佐良志奈神社の宝篋印塔、成る、、、

南朝天授二・北朝永和二 全賢、小県郡浦野庄竜泉寺の梵鐘を造る、

南朝天授二・北朝永和二 南佐久郡野沢町長命寺出土の板碑、成る、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、周信義堂、に同寺造営、、、

南朝天授二・北朝永和二 中秋、円覚寺住持妙在、此山、上堂して、周信義堂、の、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、同寺都幹縁周信義堂、に偈頌、、、

南朝天授二・北朝永和二 冬至、関東管領足利氏満、円覚寺に詣る、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、足利義満と共に、同寺仏殿の、、、

南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、遺誡を制して、滅後の仏事を、、、

南朝天授二・北朝永和二 某僧、京都より鎌倉に下向して、円覚寺住持妙在此山、に、、、

南朝天授二・北朝永和二 相模報恩寺住持周信、義堂、信濃の僧真月天心、の請に、、、

南朝天授二・北朝永和二 是より先、建仁寺の徒夢堂、円覚寺住持妙在此山、を省覲、、、

南朝天授三・北朝永和三 円覚寺住持妙在、此山、寂す、

南朝天授三・北朝永和三 諏訪社上社明年神使御頭保科某、卒す、

南朝天授三・北朝永和三 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、

南朝天授三・北朝永和三 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、

南朝天授三・北朝永和三 幕府、諏訪社上社雑掌円心の訴に依り、上杉朝房をして、、、

南朝天授三・北朝永和三 宗良親王、吉野より信濃に下向せんと志す、

南朝天授四・北朝永和四 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝天授四・北朝永和四 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、

南朝天授四・北朝永和四 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、

南朝天授四・北朝永和四 宗良親王、信濃に下向す、

南朝天授五・北朝康暦元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝天授五・北朝康暦元 東福寺住持霊見、性海、同寺開山圜爾百年忌斉の、、、

南朝天授五・北朝康暦元 幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、を南禅寺住持となす、

南朝天授五・北朝康暦元 是より先、南禅寺住持霊見性海、未だ入院せざるに、、、

南朝天授五・北朝康暦元 近衛道嗣、天竜寺住持霊見性海、を東福寺海蔵院に訪ふ、

南朝天授五・北朝康暦元 天竜寺住持霊見、性海、同寺に入院す、

南朝天授五・北朝康暦元 小笠原長基、建仁寺禅居庵に、その祖父貞宗の三十三回忌、、、

南朝天授五・北朝康暦元 天竜寺住持霊見、性海、その頂相に自賛を加ふ、

南朝天授五・北朝康暦元 是より先、小県郡安楽寺の僧秋巌、寿福寺の首座たり、、、

南朝天授六・北朝康暦二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝天授六・北朝康暦二 後円融天皇、妙心寺玉鳳院塔主宗峨雲山、をして、、、

南朝天授六・北朝康暦二 信濃の僧周登、岳雲、周信義堂、の建仁寺入院の儀式を、、、

南朝天授六・北朝康暦二 南禅寺住持霊見、性海、管領斯波義将第の斉会に列す、

南朝天授六・北朝康暦二 某、小早川盛義をして、伊那郡遠照寺薬師堂領に諸役を、、、

南朝天授六・北朝康暦二 僧録司妙葩、春屋、日向大慈寺八景の詩をつくり、、、

南朝天授六・北朝康暦二 東福寺退畊庵主霊見、性海、宗然可翁、会下の某居士の、、、

南朝天授六・北朝康暦二 大工光宗、小県郡山王宮に鰐口を寄進す、

南朝天授六・北朝康暦二 東福寺退畊庵主霊見、性海、その頂相に自讃を加ふ、

南朝天授六・北朝康暦二 東福寺菩提院主士曇、乾峯、信濃の僧景琳の請に応じて、、、

南朝天授六・北朝康暦二 宗良親王、信濃より河内山田に移る、

南朝弘和元・北朝永徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝弘和元・北朝永徳 行得、伊那郡文永寺に住す、

南朝弘和元・北朝永徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、智勝の請に応じて、、、

南朝弘和元・北朝永徳元 是より先、長慶天皇、新葉和歌集を勅撰集に擬せらる、、、

南朝弘和元・北朝永徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満に随伴して、、、

南朝弘和二・北朝永徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝弘和二・北朝永徳二 和泉海蔵寺住持勇健、大歇、偈頌を彦貞正仲、に与ふ、、、

南朝弘和二・北朝永徳二 東福寺海蔵院焼け、元亨釈書の版木を失ふ、、、

南朝弘和二・北朝永徳二 足利義満、その室日野宣子の尽七忌仏事を山城等持院に、、、

南朝弘和二・北朝永徳二 是より先、信濃の僧東福寺の徒鳳侍者、帰郷せんとす、、、

南朝弘和二・北朝永徳二 幕府、小笠原清政をして、美濃中河御厨を安堵せしむ、

南朝弘和二・北朝永徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招に応じて、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝弘和三・北朝永徳三 小笠原清順、長基、伊那郡伊賀良庄等の所領を、子長秀に、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 小笠原清政、美濃中河御厨を、同政康に譲る、

南朝弘和三・北朝永徳三 東福寺退畊庵主霊見、性海、同寺永明院の徒明兆、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句を行ふ、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 仏光派の門徒等、円覚寺正続院舎利塔の規式を定む、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 幕府、疎石夢窻、の三十三回忌仏事を天竜寺に行ひ、、、

南朝弘和三・北朝永徳三 信濃権守神祇伯白川資方王、従三位に叙せらる、

南朝弘和三・北朝永徳三 南党某宮・新田一族等、信濃の北党のため、、、

南朝元中元・北朝至徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中元・北朝至徳元 足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句会を行ふ、、、

南朝元中元・北朝至徳元 諏訪頼寛、頼継、諏訪郡今泉村を諏訪社上社に寄進す、

南朝元中元・北朝至徳元 是より先、全快、鈍夫、高井郡善応寺を開剏す、、、

南朝元中元・北朝至徳元 相模宝寿寺渓雲庵塔主勇健、大歇、同庵敷地を定む、

南朝元中元・北朝至徳元 足利義満、霊見性海、をして南禅寺に再住せしむ、

南朝元中元・北朝至徳元 東福寺海蔵院塔主勝洸、虎渓、同院領水内郡太田庄年貢を、、、

南朝元中元・北朝至徳元 是より先、山城大慈院造営成る、、、

南朝元中元・北朝至徳元 某、佐久郡追分大明神の大般若経を書写す、

南朝元中二・北朝至徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中二・北朝至徳二 信濃守護斯波義種、市河頼房をして、高井郡中野郷、、、

南朝元中二・北朝至徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招請に応じて、、、

南朝元中二・北朝至徳二 諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、、、

南朝元中二・北朝至徳二 是より先、諏訪頼寛、頼継、信濃国人の諏訪社上社々領を、、、

南朝元中二・北朝至徳二 木曽家信、木曽御嶽権現の社殿を造立す、、、

南朝元中二・北朝至徳二 紀伊大慈寺住持禅慧、海雲、寂す、、、

南朝元中二・北朝至徳二 小笠原政経、諏訪社下社々領諏訪郡岡屋・伊那郡辰野両牧、、、

南朝元中二・北朝至徳二 信濃守護斯波義種、市河庶子一族に、惣領市河頼房と共に、、、

南朝元中二・北朝至徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、仮桟を設けて、、、

南朝元中二・北朝至徳二 山城真如寺、同寺開山祖元無学、の百年忌仏事を、、、

南朝元中二・北朝至徳二 足利義満、山城東福寺海蔵院をして、同寺領水内郡、、、

南朝元中二・北朝至徳二 足利義満、山城楞伽寺をして、同寺領、、、

南朝元中三・北朝至徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中三・北朝至徳三 南禅寺住持周信、義堂、足利義満を同寺に請ず、、、

南朝元中三・北朝至徳三 北安曇郡北城村諏訪社の鰐口、成る、

南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、、、

南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護代二宮氏泰、高井郡小菅社別当某の信濃守護に、、、

南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護代二宮氏泰、市河頼房の昨年暮の戦功を褒し、、、

南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、本年御射山祭の雅楽勤仕の役を定む、

南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、明年同社御射山祭左頭役を埴科郡船山庄に、、、

南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護斯波義種、市河頼房等の戦功を褒す、

南朝元中三・北朝至徳三 佐久郡安養寺開山勇健、大歇、寂す、

南朝元中三・北朝至徳三 南禅寺住持霊見、性海、東福寺永明院の徒明兆、、、

南朝元中三・北朝至徳三 松岡貞政、亡父道山居士三十三年忌追善のために、、、

南朝元中三・北朝至徳三 幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、をして、同院領及び、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪信有、諏訪郡栗林南方の地を、諏訪社上社に寄進す、

南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国・小笠原清順長基、・高梨朝高等、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 源豊重、筑摩郡牛伏寺の地蔵菩薩像を造立す、

南朝元中四・北朝嘉慶元 円覚寺黄梅院塔主昌遵、用仲、同院華厳塔重建の用途を、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国等、守護所水内郡平芝を攻めんとす、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 幕府、信濃守護代二宮氏泰を信濃に遣はし、子同種氏を、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 二宮種氏、高井郡犬甘北條・同中村の地を市河頼房に預く、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 上杉朝貞、水内郡常磐中條郷内飛倉郷地頭職半分の地を、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪頼寛頼継、小笠原清順長基、の軍を伊那郡田切に破る、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 足利義満、諏訪社上社をして、同社神領を安堵せしむ、

南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪社上社、埴科郡船山庄をして、本年同社御射山祭、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 善光寺、多宝塔を重建せんとす、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国等、信濃守護代二宮氏泰を善光寺横山城に攻む、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 信濃守護斯波義将、市河頼房の水内郡横山合戦の戦功を、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 北党諏訪頼寛頼継、の兵、小笠原清順長基、の軍と、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 信濃守護斯波義将、水内郡常岩牧不動堂分を、料所として、、、

南朝元中四・北朝嘉慶元 河内守某、水内郡常盤中条東広江の屋敷・田、併に、、、

南朝元中五・北朝嘉慶二 伊那郡実際寺の雲、板成る、

南朝元中五・北朝嘉慶二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中五・北朝嘉慶二 僧国阿、善光寺に詣づ、

南朝元中五・北朝嘉慶二 信濃守護代二宮氏泰、水内郡加佐郷内新屋分を、、、

南朝元中五・北朝嘉慶二 東福寺退畊庵主霊見、性海、備中真光寺六湛庵主法昌、、、

南朝元中五・北朝嘉慶二 信濃守護斯波義将、右衛門蔵人某をして、水内郡大滝村等、、、

南朝元中六・北朝康応元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中六・北朝康応元 諏訪社上社副祝某、卒す、

南朝元中六・北朝康応元 東福寺退畊庵主霊見、性海、退居偶成の詩を長遠韶陽、に、、、

南朝元中六・北朝康応元 明阿弥陀仏、小県郡国分寺内田在家を、河内入道に譲る、

南朝元中六・北朝康応元 下伊那郡神原村坂部観音堂の鰐口、成る、

南朝元中七・北朝明徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中七・北朝明徳元 中山満親、信濃権介に任ぜらる、

南朝元中七・北朝明徳元 更級郡興禅寺の梵鐘成る、

南朝元中七・北朝明徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、餞偈を賦して、士旭日山、の、、、

南朝元中七・北朝明徳元 僧大樹、華厳経を、佐久郡大井庄慈寿寺帰元庵に書写す、

南朝元中七・北朝明徳元 小県郡海禅寺南光坊法名闕く、大乗大方等日蔵経を書写す、、、

南朝元中七・北朝明徳元 僧栄順、筑摩郡光輪寺の大般若経を書写す、、、

南朝元中七・北朝明徳元 僧時芸、綽如、越中瑞泉寺を剏む、、、

南朝元中八・北朝明徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中八・北朝明徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、僧印正の請に応じて、、、

南朝元中八・北朝明徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、同寺永明院の徒明紹業仲、の、、、

南朝元中八・北朝明徳二 山城三聖寺住持霊見、性海、同寺仏殿上梁銘を書す、

南朝元中八・北朝明徳二 小笠原清順、長基、幕府の軍に属し、京都内野合戦に、、、

南朝元中九・北朝明徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

南朝元中九・北朝明徳三 高梨朝高、高井郡安田郷等の所領を安堵せられんことを、、、

南朝元中九・北朝明徳三 是より先、久我具通、同家知行の信濃国国衙正税を、、、

南朝元中九・北朝明徳三 足利義満、相国寺落慶供養に臨む、、、

明徳四 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

明徳四 某、埴科郡坂城南条・十蔵郷並に水内郡檬原庄等の地を、小笠原辰寿丸に、、、

明徳四 能登定光寺住持良秀、実峰、安曇郡に霊松寺を開創す、

明徳四 是より先、屋代師国、青蓮院門跡領山城粟田庄下司職を押領す、、、

明徳四 南禅寺焼け、同寺開山普門無関、の塔院天授庵も類焼す、、、

明徳四 下水内郡太田村五束の宝篋印塔、成る、

明徳四 幕府、天竜寺雑掌の訴により、備中守護細川満之をして、同国成羽庄に、、、

明徳四 東福寺退畊庵主霊見、性海、自画の頂相に自賛を加ふ、

応永元 幕府的始、幕府、屋代師国、酩酊して射手を勤むるを罰し、その所帯を、、、

応永元 赤須為幸、伊那郡赤須郷公田惣田数を注す、

応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、細川満春の請により、一以大道、の頂相に賛す、、、

応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、伊予常定寺前住重淵回塘、の頂相に賛す、

応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、頂相に自賛を加ふ、

応永二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

応永二 上水内郡信州新町の宝篋印塔、成る、、、

応永二 下伊那郡平岡村の鰐口、成る、

応永二 諏訪社上社祢宜勝間某、前宮阿弥陀堂に於て殺害せらる、

応永二 北佐久郡小沼村真楽寺の金剛力士像、成る、

応永二 信濃の僧融珪、璋山、豊後泉福寺に住す、

応永二 山城常在光院住持霊見、性海、柿本人麻呂の像に賛す、

応永三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、

応永三 関東管領足利氏満、小山若犬丸・田村清包等の陸奥に叛くを討たんとして、、、

応永三 信濃の僧前山城三聖寺・東福寺・天竜寺・南禅寺住持、山城常在光院住持、、、

応永三 足利義満、美濃中河地頭職を、小笠原長秀に還付す、

応永三 更級郡八幡宮の梵鐘、成る、

応永三 仁科盛房、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

応永三 南禅寺開山塔天授庵の徒生会、雲荘、同寺開山普門無関、の行状及び、、、

応永三 是より先、融珪、璋山、豊前護聖寺を開創す、、、

応永四 諏訪社上社、本年神使頭番役を、諏訪郡小坂郷並に小県郡祢津郷に充つ、

応永四 諏訪社上社、高井郡中村郷並に井上郷をして、本年花会御堂頭番役を勤仕、、、

応永四 信濃守護斯波義将、市河頼房知行分山の巣鷹に違乱する者の非法を禁ず、

応永四 南党某、水内郡静間郷地頭職を、中野中務少輔に宛行はんとす、

応永四 諏訪社上社、明年同社御射山祭加頭番役を、埴科郡船山郷に充つ、

応永四 山城妙光寺住持明麟、聖徒、同寺開山覚心無本、心地房、の百年忌仏事、、、

応永四 諏訪有継、諏訪社上社大祝の位に卽く、

応永四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、、、

応永四 更級郡昭和村の青面金剛石仏、成る、

応永五 県召除目、秦治徳、信濃大目に任ぜらる、 吉田兼敦、信濃権守に任ぜらる、、、

応永五 斯波義重、筑摩郡高出村を諏訪社上社に寄進す、

応永五 足利義満、安曇郡住吉庄及び春近領を小笠原長秀に還付す、

応永五 諏訪社上社大祝諏訪頼寛、頼継、平井弖に戦ひて勝つ、、、

応永五 南禅寺雲門庵の徒真玄、要中、太白、信濃の僧明中の帰郷を送る詩軸に序す、、、

応永五 是より先、関東管領足利氏満、病み、子満兼等、諏訪社等にその平癒を祈る、、、

応永五 足利義満、幕府職制を定む、小笠原・武田両氏、共に弓馬礼式奉行となる、

応永六 足利義満、小笠原長秀をして、信濃春近領を安堵せしむ、

応永六 小笠原政康、右馬助に任ぜらる、

応永六 是より先、嶋津国忠、小笠原長秀の信濃守護として入部するを肯んぜず、、、

応永六 是より先、大内義弘、和泉に叛す、是日、小笠原長秀、幕府の召に応じ、、、

応永六 市河興仙、頼房、小笠原長秀の催促に応じ、長秀の軍に属さんとして、、、

応永六 足利義満、小笠原政康をして、信濃守護小笠原長秀に属し、大内義弘を、、、

応永六 是より先、足利義満、小笠原長秀をして、京極高詮と共に、近江に出陣、、、

応永六 是より先、中野頼兼、小笠原長秀に属し、和泉堺に、大内義弘の軍と戦ひて、、、

応永七 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永七 幕府、山城海蔵院雑掌の訴に依り、信濃守護小笠原長秀をして、同院領、、、

応永七 是より先、市河興仙、頼房、高井郡烏帽子形城を攻めて、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、市河義房の軍忠を賞し、水内郡若槻新庄加佐郷庶子分、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、市河興仙頼房、をして、高井郡中野西条村内及び、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、諏訪社下社大祝をして、筑摩郡春近領、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、和泉より帰国し、是日、佐久郡大井光矩の館に、、、

応永七 足利義満、小笠原長秀の請により、美濃守護土岐頼益をして、同国中河荘、、、

応永七 是より先、信濃守護小笠原長秀、善光寺に国務を始むるにあたり、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、善光寺を発し、是日、村上満信等の軍と、、、

応永七 是より先、小笠原長秀の部将坂西長国等、更級郡大塔に篭城して、、、

応永七 村上満信・大文字一揆等、更級郡四宮に小笠原長秀を攻む、、、

応永七 信濃守護小笠原長秀、市河興仙頼房、をして、高井郡志久見山・水内郡、、、

応永八 幕府的始、屋代蔵人等、射手を勤む、

応永八 斯波義将、信濃守護に補せらる、

応永八 県召除目、十市定之、信濃少掾に任ぜらる、

応永八 諏訪氏泰、諏訪社上社大祝の位に即く、

応永八 信濃守護代嶋田常栄、信濃に下向す、

応永八 堀内入道某、善光寺に参詣す、

応永八 信濃守護斯波義将、市河興仙頼房、をして、高井郡志久見山等の所領を安堵、、、

応永八 下伊那郡富草村八幡社の神像、成る、

応永九 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永九 県召除目、高橋富里、信濃掾に、椿戸花棟、同権目に任ぜらる、

応永九 幕府、信濃国を幕府料国と定め、飯尾左近将監等を代官として、下向せしむ、、、

応永九 幕府、信濃国代官飯尾左近大夫等に命じて、東大寺の信濃国衙領知行の、、、

応永九 幕府の信濃代官細川慈忠、幕府の旨を受け、市河興仙頼房、をして高井郡、、、

応永九 佐久郡平賀の僧宗椿、同郡熊野社に神鏡を寄進す、

応永一〇 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永一〇 水内郡粟野神等の神事過穢あるに依り、崇あり、是日、御体と奏あり、

応永一〇 足利義満、市河興仙頼房、をして、その所領を安堵せしむ、

応永一〇 是より先、幕府の信濃国代官細川慈忠、信濃に入部す、、、

応永一一 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一一 能登定光寺住持良秀、実峰、その徒見方中明、を安曇郡霊松寺に赴かしむ、、、

応永一一 水内郡霊山寺の水盤、成る、

応永一一 幕府の信濃国代官細川慈忠、足利義満の旨をうけ、市河興仙頼房、をして、、、

応永一一 是月、是より先、信濃国代官細川慈忠、市河氏貞等を率ヰて、水内郡、、、

応永一一 天誾、如仲、近江洞寿院に庵居す、尋で、同院をその徒道空真巌、に譲る、、、

応永一二 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一二 僧見方、中明、安曇郡霊松寺住持となる、

応永一二 高井郡小菅社観音三十三身の板絵、成る、

応永一二 南禅寺の徒某、柴門新月の図に題詩して、東福寺の徒南渓に贈る、、、

応永一二 小笠原長秀、所領を弟政康に譲る、

応永一二 埴科郡松代町源関神社に社殿、成る、

応永一二 山科教言、同家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢を収納す、

応永一二 埴科郡松代町明真寺の釈迦如来像、成る、

応永一二 相国寺鹿苑院塔主明応、空谷、竜福寺の覚心無本、心地房、の頂相に賛す、、、

応永一三 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一三 山科教言、清幸をして、同家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄、、、

応永一三 県召除目、菅原長方、信濃権守に任ぜらる、

応永一三 尼某、伊那郡上横厩の所領を赤須某に売渡す、

応永一三 山科家領水内郡市村高田等五箇庄奉行人清幸、同庄年貢請人建徳庵主某を、、、

応永一三 山科教言、同家領住吉庄並に市村高田等五箇庄のことにつき、同庄奉行人、、、

応永一三 山科家領水内郡市村高田等五箇庄年貢請人建徳庵主某、同庄年貢未済分を、、、

応永一四 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一四 是より先、山科家領安曇郡住吉庄並に、、、

応永一四 南佐久郡臼田町弥勒寺の花瓶、成る、

応永一四 山科家領水内郡市村高田等五箇庄年貢請人建徳庵主某、、、

応永一四 県召除目、掃部里久、信濃大目に任ぜらる、

応永一四 島田益直、宣陽門院御領目録を注進す、、、

応永一四 山科教言、同家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄のことにつき、、、

応永一四 幕府料所埴科郡船山郷代官真晃、市河越中守及び倉科帯刀をして、、、

応永一四 善光寺多宝塔落慶法養あり、

応永一四 善光寺塔供養あり、

応永一四 前信濃守護小笠原清順長基、卒す、

応永一四 山科家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢、山科教言の許に到る、

応永一五 上高井郡小布施町淨光寺の薬師堂、成る、

応永一五 山科家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄奉行人清幸、、、

応永一五 山科家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢、山科教言の許に到る、、、

応永一五 下伊那郡三穂村立石寺の鰐口、成る、

応永一五 頼舜、伊那郡文永寺に住す、

応永一六 佐久郡安養寺修正看経仏事満散す、

応永一六 安保宗繁、信濃守に任ぜらる、

応永一六 僧成園、亡母の三十三年忌に当り、、、

応永一六 沙弥道円、筑摩郡熊野社社殿を造立す、

応永一七 県召除目、御笠山高、信濃目に任ぜらる、

応永一七 僧雄誓、佐久郡諏訪社の大般若経を修補す、

応永一七 前信濃守護斯波義将、卒す、

応永一七 伊那郡立石寺の鰐口、成る、

応永一八 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一八 諏訪頼有、諏訪社上社大祝の位に即く、

応永一八 山城石清水八幡宮公文所院尊、同宮及び諸堂の供料所等のことを注す、、、

応永一八 幕府、飛騨国司姉小路尹綱を討つ、小笠原持長、甲斐・信濃の兵を率ヰて、、、

応永一八 僧心見、埴科郡坂城町満泉寺の大般若経を書写す、

応永一八 信濃の人小田切某、越後小川庄細越に移る、高井郡中野如法寺住持源慶、、、

応永一八 信濃の僧天誾、如仲、遠江大洞院を開剏す、

応永一九 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、

応永一九 信濃守護小笠原長秀、出家す、

応永一九 僧昌山・民部伸盛、伊那郡新野村に二善寺を再興す、

応永一九 信濃の僧伊那郡文永寺行得、寂す、

応永一九 満幸、性関く、伊那郡山室郷天福寺を、谷室山法華堂坊主に預く、

応永一九 木曽馬篭法明寺の大般若経の修理、成る、

応永一九 信濃の僧性讃、喜山、備中洞松寺を開剏す、

応永二〇 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二〇 信濃の僧南禅寺首座有諸、無漏、大有、天下南禅寺記を撰述す、

応永二〇 水内郡大安寺住持大徹、寂す、

応永二〇 善光寺金堂修造成り、是日、落慶法養を行ふ、

応永二〇 伊那郡の人宗和、玄涼、卒す、

応永二〇 下伊那郡神原村八幡社の鰐口、成る、

応永二一 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二一 焦仙、鰐口を高井郡今里宝績寺に寄進す、

応永二二 幕府的始、村上三河守等、射手を勤む、

応永二二 市河越中守、須田為雄討伐の軍に加はる、尋で、幕府、その軍忠を褒す、

応永二二 小笠原某、畠山常忠と山城今比叡社笠懸馬場に闘諍し、共に死す、

応永二二 足利義持、安曇郡住吉庄並に春近領を小笠原正捷長秀、に還付す、、、

応永二三 幕府的始、村上三河守等、射手を勤む、

応永二三 仁科盛房、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

応永二三 仁科某、八朔の礼として、太刀等を貞成王後崇光院、に献ず、

応永二三 上杉禅秀、氏慶、足利満隆と共に、関東管領足利持氏に叛し兵を集む、、、

応永二三 信濃の僧豊前護聖寺開山融珪、璋山、寂す、

応永二三 佐竹義憲、幕府の命により、上杉禅秀氏憲、等を討たんがため越後を発し、、、

応永二三 足利義持、小笠原政康をして、本知行を安堵せしむ、

応永二四 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二四 足利義持、小笠原政康の上杉禅秀氏憲、討伐の功を褒す、

応永二四 尼全従、水内郡沼尻弁才天社の大般若経を修補す、

応永二五 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二五 是より先、足利義持、武田信元を甲斐守護となし、、、

応永二五 足利義持、安曇郡住吉庄並に春近領を小笠原政康に還付す、

応永二五 足利義持、小笠原政康の甲斐守護武田信元の為めに尽瘁するを褒し、、、

応永二五 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の堂並に釈迦如来像を修理す、

応永二六 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二六 足利義持、甲斐武田信元の請に依り、小笠原政康をして、、、

応永二七 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二七 上田市上塩尻出土の板碑、成る、 埴科郡屋代町唐木善武氏旧蔵の板碑銘

応永二八 山城妙光寺歳寒庵塔主一大、遠芳、同寺開山覚心無本、心地房、、、

応永二八 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、

応永二八 足利義持、射的を覧る、屋代師国等、射手を勤む、

応永二八 足利義持、病気平癒を謝せんがため、屋代師国等を豊受大神宮に遣はす、

応永二八 幕府、僧忠意をして、京都禅林寺若王子社別当職並に、、、

応永二八 源為治、信濃権守に任ぜらる、

応永二八 信濃の僧南江、諏訪郡安国寺住持となる、 南江の師周登岳雪、の事蹟

応永二八 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の大威徳明王像を修理す、

応永二九 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の奪衣婆像を造立す、

応永二九 諏訪社上社御柱立神事延引す、尋で、之を追行す、

応永二九 木曽定勝寺僧正心、同寺の年貢納下帳を注す、

応永二九 僧行俊、埴科郡青沼南方年貢三分一の内半分を、弟僧信方に譲る、

応永二九 足利義持、病気平癒を謝せんがため、、、

応永二九 下伊那郡大鹿村の鰐口、成る、

応永三〇 幕府的始、小笠原持長等、之に参仕す、

応永三〇 関東管領足利持氏、幕府に叛す、是日、幕府、市河義房をして、、、

応永三〇 幕府、下野山入祐義に、小笠原政康等信濃勢の上野発向のこと等を報ず、

応永三〇 幕府、足利持氏誅伐のため、小笠原政康をして、臼井峠より兵を発し、、、

応永三〇 管領畠山道端、満家、小笠原政康に書を遣り、、、

応永三〇 足利義持、小笠原政康・高梨朝秀の足利持氏討伐の功を賞し、、、

応永三〇 小笠原政康、上野に発向す、尋で、足利義持、之を褒す、

応永三一 足利義持、関東管領同持氏と和するに依り、、、

応永三一 諏訪満有、諏訪社上社大祝の位に即く、

応永三一 小笠原政康、諏訪社下社大祝をして、、、

応永三一 本願寺玄康、巧如、水内郡長沼郡淨興寺性順に、空覚書写の顕名鈔を授く、、、

応永三一 悦堂、諏訪郡安国寺住持となる、

応永三二 幕府弓始、屋代時貞等、射手を勤む、

応永三二 小笠原政康、大膳大夫に任ぜらる、 足利義持、政康の物を贈るを謝す、

応永三二 臼田定勝、小県郡海野庄内田中郷惣領職等を、孫貞氏に譲る、

応永三二 本願寺円兼、存如、法華問答集を書写し、水内郡長沼淨興寺性順に授く、

応永三二 小笠原正捷、長秀、卒す、

応永三二 南佐久郡野沢町仁王堂の石造燈篭、成る、

応永三二 藤原経吉、水内郡白山権現の本殿を造立す、

応永三二 善光寺炎上の風聞、京都にあり、

応永三二 本願寺円兼、存如、、、

応永三二 幕府、小笠原正透政康、を、信濃守護に補す、

応永三三 是より先、信濃守護小笠原正透、政康、初めて信濃に入部す、是日、、、

応永三三 是より先、諏訪の人某、白鷹を捕へて之を細川満元に贈り、、、

応永三三 善光寺供養、

応永三三 足利義持、山城海蔵院をして、同院領水内郡太田庄等を安堵せしむ、

応永三四 是より先、足利義持、信濃守護小笠原正透政康、の上洛を促す、、、

応永三四 善光寺焼く、

応永三四 足利義持、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、

応永三四 幕府、伊那郡開善寺を十刹に列し、信濃の僧清禅、伯元、、、

応永三四 本願寺玄康、巧如、水内郡淨興寺周観に口伝鈔を授く、 玄康、、、

応永三四 足利義持、小笠原正透政康、に令して、越後国堺まで出向せしむ、

巻八 正長元年(1428)~

正長元 前南弾寺住持霊見性海、三十三年忌、足利義持、明兆吉山、をして、、、

正長元 遠江大洞院住持天誾、如仲、越前竜沢寺住持となる、尋で、天誾、入院す、

正長元 木曽家友、木曽白山社社殿を再興す、

正長元 僧頼慶、水内郡戸隠社の大般若経を修補す、 頼慶、、、

正長元 将軍足利義宣、義教、小笠原正透政康、をして、、、

正長元 是より先、関東管領足利持氏、越後守護代長尾邦景等を誘ひ、、、

永享元 諏訪社上社大祝諏訪頼有、諏訪を去りて甲斐に赴き、尋で、同国に卒す、

永享元 是より先、関東管領足利持氏、白河結城氏朝を討つ、幕府、、、

永享元 幕府、足利満貞・結城氏朝の請に依り、信濃・越後・駿河三国の軍勢をして、、、

永享元 水内郡西巌寺の宝篋印塔、成る、、、、

永享元 幕府、祖淳朴庵、朴堂、を佐久郡慈寿寺住持となす、

永享二 是より先、小笠原正透、政康、太刀・馬等を将軍足利義教に献ず、是日、、、、

永享二 諏訪頼満、諏訪社上社大祝の位に即く、

永享二 幕府、結城氏朝の請に依り、信濃・越後・駿河三国の兵をして、、、

永享二 本願寺円兼、存如、水内郡長沼浄興寺周観に、執持鈔を授く、、、

永享二 伊那郡定継寺の雲板、成る、

永享三 伊那郡市田安養寺、梵鐘を鋳造し、同寺住持寿苟、その銘文を作る、

永享三 山城聖護院、佐久郡大井法華堂宮内律師をして、、、

永享三 将軍足利義教、山城東福寺海蔵院をして、、、

永享三 東福寺の諸僧、豊後万寿寺の僧温崗の請に応じて、古寺春雲図に題詩す、、、

永享四 南禅寺雲門庵塔主有諸、大有、その祖友梅雪村、の行道記を撰述す、

永享四 幕府、村山頼清及びその一族被官人の、、、

永享四 彦洞、明叟、山城建仁寺住持となりて入院す、同寺禅居庵塔主清禅、伯元、、、

永享四 幕府、美濃守護士岐頼益に命じ、妻篭兵庫助ををして、、、

永享四 中沢右衛門尉、香坂宗たねに、伊那郡中沢郷諸族等の一揆を結びたるを報ず、、、

永享五 甲斐守護武田信長、関東管領足利持氏に叛き、鎌倉を逐電す、、、

永享五 西筑摩郡大桑村白山神社の鰐口、成る、

永享五 信濃守護小笠原正透、政康、上洛の途次、、、

永享五 波多腰清勝、筑摩郡鉢伏権現に妙法華経一部を納む、

永享五 是より先、延暦寺衆徒等、蜂起す、是日、幕府、、、、

永享六 水内郡長沼浄興寺周観、上洛して、愚禿鈔を書写す、、、

永享六 水内郡長沼浄興寺六世芸範並に同七世性順、寂す、

永享七 将軍足利義教、信濃守護小笠原正透政康、を召し、、、

永享七 幕府、信濃守護小笠原正透政康、を帰国せしめ、越後守護代長尾邦景と共に、、、

永享七 将軍足利義教、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、

永享七 幕府、斯波義郷に替地を充行ふにより、美濃中河御厨地頭職を、、、

永享七 聖護院、佐久郡大井法華堂宮内律師をして、、、

永享七 幕府、建仁寺禅居庵塔主清禅伯元、を差定して、、、

永享七 玉珠丸、筑摩郡光輪寺の大般若経を書写す、

永享七 幕府、秀明を伊那郡建福寺住持となす、、、

永享七 陸奥足利満貞及び佐竹義憲等、足利持氏の、、、

永享七 将軍足利義教、村山頼清をして、その被官人との闘諍を停め、、、

永享八 是より先、信濃守護小笠原正透、政康、芦田下野守を討たんがため、、、

永享八 木曽長福寺開山前建長寺住持自厳、竹隠、寂す、

永享八 信濃守護小笠原正透、政康、小県郡祢津・海野の戦功を幕府に報ず、、、

永享八 仁科持盛、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

永享八 是より先、芦田下野守、信濃守護小笠原正透政康、に降る、是日、、、、

永享八 相国寺鹿苑院陰涼軒主真蕊、季瓊、、、

永享八 幕府、斯波義郷の尽七忌拈香仏事勤仕を有諸大有、に差定す、

永享八 是より先、村上頼清、信濃守護小笠原正透政康、と戦ひ、、、

永享九 信濃の僧遠江大洞院開山天誾、如仲、寂す、

永享九 伊那郡野池社の鰐口、成る、

永享九 信濃の人井上某、銭並に太刀を幕府に献ず、

永享九 是より先、関東管領足利持氏、上杉憲直をして、、、

永享九 小県郡浅井寺の鰐口、成る、

永享九 村上頼清、幕府に降り、是日、上洛して将軍足利義教に謁す、

永享九 是より先、小県郡祢津善福寺大覚坊、、、

永享九 幕府、聖幢を小県郡安楽寺住持となす、

永享一〇 木曽定勝寺住持正心、同寺領並にその常什物の校割を注す、

永享一〇 相国寺鹿苑院陰涼軒主真蕊、季瓊、一色義春の義母の百箇日忌に、、、

永享一〇 幕府、真倪大元、を佐久郡慈寿寺住持となす、

永享一〇 幕府、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、

永享一〇 中納言飛鳥井雅世、新続古今和歌集四季部を後花園天皇に奏覧す、、、

永享一〇 是より先、関東管領足利持氏、将軍足利義教に叛す、是日、義教、、、、

永享一〇 小県郡四阿山白山権現の懸仏、成る、

永享一〇 信濃守護小笠原正透、政康、関東管領足利持氏追討のため関東へ進発す、、、

永享一〇 信濃守護小笠原正透政康、等、関東管領足利持氏の軍と相模箱根山に戦ひ、、、

永享一〇 将軍足利義教、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、

永享一〇 将軍足利義教、信濃守護小笠原正透政康、の忠節を褒す、

永享一〇 幕府、信濃の僧清在竜田、を、伊那郡開善寺住持となす、

永享一〇 信濃の僧前建仁寺住持清禅、伯元、寂す、

永享一一 将軍足利義教、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、

永享一一 信濃守護小笠原正透、政康、上杉憲実等と共に、、、

永享一一 幕府、足利義詮年忌に、南禅寺雲門庵塔主有諸大有、をして、、、

永享一一 波多信盛、筑摩郡若沢寺に梵鐘を寄進す、

永享一一 木曽殿村白山社の鰐口、成る、

永享一一 相国寺鹿苑院陰涼軒主真蕊、季瓊、、、

永享一一 本願寺兼寿、蓮如、念仏往生要義抄を書写し、水内郡勝善寺了慶に授く、

永享一一 幕府、日野業子年忌に、南禅寺雲門庵塔主有諸大有、をして、、、

永享一一 将軍足利義教、小笠原正透政康、に、美濃中河御厨地頭職を還附す、

永享一一 幕府、宗幢を諏訪郡慈雲寺住持となす、

永享一一 伊那郡坂部八王子社の鰐口、成る、

永享一二 幕府、相国寺勝定院に於ける足利義持十三回忌法要に、、、、

永享一二 是より先、結城氏朝、足利持氏の遺子春王丸・安王丸をその城に迎へ、、、

永享一二 関東管領執事上杉清方、諸軍をして、結城城を攻めしむ、、、

永享一二 大井持光、結城氏朝に応ぜんがため、兵を起して、唯氷峠に陳を進む、、、、

永享一二 幕府、南禅寺雲門庵塔主有諸大有、、、

永享一二 小県郡四阿山白山権現の懸仏、成る、

永享一二 是より先、関東管領執事上杉清方、結城城攻撃のことを諸将に諮る、、、

永享一二 上杉長棟、憲実、安保宗繁の信濃勢出帳に就きて報知せしを謝す、

永享一二 幕府、全雍を伊那郡西岸寺住持となす、

永享一二 南佐久郡田口青沼村の石幢、成る、

嘉吉元 是より先、信濃守護小笠原正透政康、等、結城城を陥れ、、、

嘉吉元 是より先、将軍足利義教、赤松満祐に殺害せらる、是日、管領細川持之、、、、

嘉吉二 中原康富、諏訪忠政持参の諏訪大明神縁起絵巻を伊勢貞親邸に覧る、

嘉吉二 信濃の僧備中洞松寺住持性讃、喜山、寂す、

嘉吉二 信濃守護小笠原正透、政康、卒す、 一純、雪叟、筑摩郡広沢寺に入院す、

嘉吉二 是より先、伏見宮貞成親王、諏訪大明神縁起絵巻閲覧の意あり、是日、、、、

嘉吉三 源大夫、更級郡八幡宮に灯篭を寄進す、

嘉吉三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安元 伊那郡福徳寺薬師如来像の彩色、成る、

文安元 佐久郡安養寺の徒有通、同寺年中諷経回向書に識語を加ふ、

文安元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安二 佐久郡熊野社社殿、成る、

文安二 幸覚、法華経を書写す、

文安二 常安、守矢満実をして、諏訪社上社神長祝職を安堵せしむ、

文安二 建仁寺大統院嘉隠軒の徒周孫、龍渓、信濃に赴かんとし、、、

文安二 是より先、小笠原宗康、従兄同持長と亡父正透康政、の遺領を争ふ、、、

文安二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安三 竜惺、瑞巌、建仁寺住持となり、是日、入院す、同寺禅居庵塔主清啓、、、

文安三 小笠原宗康、従兄同持長と隙あり、是日、宗康、萬一を虜り、、、

文安三 是より先、甲斐守護武田信重、小笠原宗康の戦死を幕府に報ず、是日、、、、

文安三 武蔵入西郡の人若林情金、小県郡白山権現に鰐口を寄進す、

文安三 諏訪社上社御射山祭、高井郡井上庄等、その頭役を勤む、、、

文安三 弁永、水内郡戸隠社に般若心経版木を施入す、 戸隠山物忌令

文安三 方林、雪岡、東福寺住持となり、入院す、祖黙、存耕、道旧疏を作りて、、、

文安三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安三 是より先、建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、東福寺栗棘庵の徒慧照雪窓、、、、

文安三 佐久郡平賀に乱あり、

文安三 信濃国大飢饉あり、

文安四 諏訪社上社御室焼く、

文安四 大町市盛蓮寺の薬師如来像、成る、

文安四 幕府、南禅寺雲門庵塔主有諸大有、を同寺住持となす、尋で、有諸、、、、

文安四 相国寺、故足利義満の年忌仏事を行ひ、南禅寺住持有諸大有、をして、、、

文安四 諏訪社上社御射山祭、佐久郡岩村田郷等、その頭役を勤む、

文安四 足利義成、義政、弓始、小笠原持長、その師範を勤む、

文安四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安五 諏訪頼長、諏訪社上社大祝の位に卽く、

文安五 諏訪社上社花会、水内郡高田郷等、その頭役を勤む、

文安五 山城南禅寺、木曽山等より出す同寺仏殿修造材木の刻印を注す、

文安五 諏訪社上社五月会、埴科郡坂木郷等、その頭役を勤む、

文安五 諏訪社上社御射山祭、小県郡塩田郷等、その頭役を勤む、

文安五 豊受大神宮神主度会文里、、、、

文安五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

文安五 信濃飢饉并に、長雨あり、

宝徳元 諏訪社上社花会、高井郡中村郷等、その頭役を勤む、

宝徳元 諏訪社上社五月会、高井郡大岩郷等、その頭役を勤む、

宝徳元 是より先、諏訪上下社神人等、互に争ふ、是日、下社焼く、

宝徳元 足利持氏の遺子永寿王、成氏、千野加賀守の忠節を褒す、

宝徳元 性金、小県郡白山権現に鰐口を寄進す、

宝徳元 諏訪社上社御射山祭、佐久郡伴野郷等、その頭役を勤む、

宝徳元 建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、相国寺寿徳庵塔主周鳳瑞渓、を訪ふ、

宝徳元 高梨道高等、一族の規式を定む、

宝徳元 諏訪社上社神人等、筑摩郡塩尻に、同社下社神人と戦ひて、之を破る、

宝徳元 木曽岩殿山、造豊受大神宮御杣に定めらる、

宝徳元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

宝徳元 後花園天皇、南禅寺住持一慶雲章、の請に応じて、、、、

宝徳元 祢津信貞、小県郡祢津に定津院を開剏し、甲斐東林院住持宗英拈笑、、、

宝徳二 建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、同門霊謙享伯、のために、、、

宝徳二 鎌倉円覚寺黄梅院に疎石夢窓、の百年忌を行ふ、信濃在住の夢窓門徒、、、

宝徳二 諏訪社上社五月会、高井郡須田郷等、その頭役を勤む、

宝徳二 筑摩郡若沢寺の鰐口、成る、

宝徳二 小笠原光康、遠江守に任ぜらる、

宝徳二 諏訪社上社御射山祭、高井郡井上郷等、その頭役を勤む、

宝徳二 幕府犬追物、小笠原光康等、射手を勤む、、、

宝徳二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、是日、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

宝徳二 建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、信濃に帰省せんとす、相国寺寿徳庵塔主周鳳、、、

宝徳二 浅間山、噴火す、

宝徳三 是より先、越後守護上杉房定、守護代長尾邦景を殺す、仍りて、、、

宝徳三 南禅寺禅栖院の徒霊朔、雪岫、紀伊興国寺に赴きて、同寺住持殊楞伯厳、、、

宝徳三 建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、相国寺寿徳庵塔主周鳳瑞渓、を訪ふ、

宝徳三 小笠原宗持長、諏訪社下社大祝をして、、、

宝徳三 小笠原持長、諏訪社下社大祝をして、、、

宝徳三 是より先、幕府、前天竜寺住持允澎東洋、を遺明正使に任ず、是日、允澎等、、、

宝徳三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

宝徳三 信濃の僧建仁寺の徒成甫、相国寺寿徳庵に同庵塔主周鳳瑞渓、を訪ひ、、、

宝徳三 梵清、天宙、筑摩郡広沢寺住持となる、

享徳元 諏訪社上社花会、高井郡志久見郷等、その頭役を勤む、

享徳元 諏訪社上社五月会、筑摩郡捧庄等、その頭役を勤む、

享徳元 諏訪社上社御射山祭、伊那郡飯田郷等、その頭役を勤む、

享徳元 長野市大門町出土の五輪塔、成る、

享徳元 允澎、東洋、筑前博多を出帆す、建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、之に随伴す、、、

享徳元 藤原宣光、筑摩郡神明社社殿を造立し、是日、上棟す、

享徳元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

享徳元 元方、天佑、法華経を書写し、之を小県郡常楽寺に埋納す、

享徳元 上田市上塩尻出土の板碑、成る、

享徳二 清啓天与、等、遺明使の一行、五島に著岸す、

享徳二 清啓天与、等、遺明使の一行、普陀落山に著岸す、

享徳二 清啓天与、等、遺明使の一行、定海県に著岸す、

享徳二 清啓天与、等、遺明正使の一行、杭州寧波府に著岸す、

享徳二 諏訪社上社御射山祭、高井郡犬飼郷等、その頭役を勤む、

享徳二 慶導等、小県郡善福寺の大般若経を書写す、

享徳二 遺明使従僧清啓天与、等、貢馬を運送して明国首都北京に到著す、尋で、、、、

享徳二 小県郡中禅寺の鰐口、成る、

享徳二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、、

享徳二 是より先、幕府、、、、

享徳三 諏訪信満、小井弖上総をして、諏訪郡栗林南方の地を安堵せしむ、

享徳三 諏訪社上社花会、水内郡市村郷等、その頭役を勤む、

享徳三 諏訪社上社五月会、埴科郡坂木郷等、その頭役を勤む、

享徳三 清啓天与、等、遺明使の一行、北京への朝覲を終へて、、、

享徳三 是より先、清啓天与、等、遺明使の一行、杭州寧波府案遠駅を出発して、、、

享徳三 清啓天与、等、遺明使の一行、補陀落山に著岸す、

享徳三 清啓天与、等、遺明使一行、補陀落山を発して、五嶋に向ひ、途中漂白して、、、

享徳三 清啓天与、等、遺明使の一行、雄山に著岸す、

享徳三 清啓天与、等、遺明使一行、筑前志賀嶋に著岸す、

享徳三 清啓天与、等、遺明使の一行、長門赤間関に帰著す、、、

享徳三 諏訪社上社御射山祭、水内郡南高田郷等、その頭役を勤む、

享徳三 諏訪社上社、同社明年御射山祭の頭役を、小県郡塩田郷等に充つ、

享徳三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

享徳三 建仁寺禅居庵塔主前能登安国寺住持清啓、天与、相国寺寿徳庵塔主周鳳瑞渓、、、

享徳三 関東管領足利成氏、兵を遣はして、執事上杉憲忠を鎌倉に殺す、尋で、、、、

康正元 関東管領足利持氏、故上杉憲実の子房憲の武蔵に攻めんとす、是日、、、、

康正元 木曽家賢、慧厳香林、を木曽定勝寺の住持となす、

康正元 建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、山城鹿苑寺に同寺住持澄听東岳、を訪ふ、

康正元 原氏長、木曽定勝寺垣内田を同寺に寄進す、

康正元 筑摩郡広沢寺開山、近江新豊寺住持一純雪叟、寂す、

康正元 相国寺寿徳庵塔主周鳳、瑞渓、南禅寺雲門庵に同庵塔主有諸大有、を訪ふ、、、

康正元 諏訪社上社、明年五月会頭役を、伊那郡名子郷等に充つ、

康正元 関東管領足利成氏、上杉房顕の党信濃・甲斐等の軍勢を討たんがため、、、

康正元 知久頼矯の子宮寿丸、宗詢、、、

康正元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、筑摩郡会田郷に充つ、

康正元 宮寿丸、宗詢、後花園天皇の召により参内す、、、

康正元 伊那郡無量寺阿祢陀如来像の修理、成る、

康正元 諏訪湖上に、諏訪大明神渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

康正元 宮寿丸、宗詢、山城後醍醐寺理知院に入院せんとして、暇乞のため参内す、、、

康正元 将軍足利義政、小笠原光康に、関東管領足利成氏討伐の為め、、、

康正元 幕府、前能登安国寺住持建仁寺禅居庵塔主清啓天与、を、、、

康正二 将軍足利義政、小笠原国松政秀、をして、所領を安堵せしむ、

康正二 木曽家定、木曽谷の諸関をして、、、、

康正二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡河田郷等に充つ、

康正二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、更級郡桑原郷等に充つ、

康正二 細川道賢、持賢、小笠原光康に関東出陣を促す、

康正二 仁科持盛、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

康正二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡宮田郷等に充つ、

康正二 将軍足利義政,小笠原光康の足利成氏征伐の功を褒し、、、

康正二 諏訪湖上に、諏訪大明御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

康正二 後花園天皇、伊那郡文永寺をして、太元堂を建立せしむ、

長禄元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡桐原郷等に充つ、

長禄元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、佐久郡内山郷等に充つ、

長禄元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡鷹野郷等に充つ、

長禄二 信濃の僧、備中法泉寺住持仁泉、古澗、同寺の規式を定め、、、

長禄二 幕府、宗閭を諏訪郡慈雲寺首座となす、

長禄二 信濃の僧、備中法泉寺住持仁泉、古澗、寂す、

長禄二 幕府、周桃を、諏訪郡安国寺住持となす、

長禄二 信濃の僧、遠江海蔵寺住持性応、物外、寂す、

長禄二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、水内郡窪寺郷等に充つ、

長禄二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、伊那郡大草郷等に充つ、

長禄二 筑摩郡薄宮の狛犬像、成る、

長禄二 僧有通、戸隠山顕光寺流記を編述す、

長禄二 将軍足利義政、小笠原光康をして、上野岩松尚純を援けて、、、

長禄二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、高井郡小嶋郷等に充つ、

長禄二 将軍足利義政、小笠原光康被官並に赤沢一族等に、足利成氏討伐のため、、、

長禄二 細川道賢、持賢、木曽宮俊をして、、、

長禄二 幕府、瑞洵を、信濃西光寺住持となす、

長禄二 佐久郡相沢寺の仏面、成る、 相沢寺所蔵の仏面中、、、、

長禄二 是より先、小笠原清宗、同光康の関東出陣に合力せんとす、是日、、、、

長禄二 幕府、周璉を伊那郡西岸寺住持となす、

長禄二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねのて御渡あり、、、

長禄二 松本市薄宮の唐獅子像、成る、

長禄二 幕府、継佑を、諏訪郡慈雲寺住持となす、

長禄二 小諸市柏木の地蔵菩薩像、成る、

長禄二 筑摩郡若沢寺観音堂の鰐口、成る、

長禄三 東福寺永安院塔主見進、惟精、紀伊興国寺西方寺、開山覚心無本、、、、

長禄三 滋野井教国、信濃権守に任ぜらる、

長禄三 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡毛見郷等に充つ、

長禄三 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、佐久郡小諸郷等に充つ、

長禄三 高梨教秀、卒す、

長禄三 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、高井郡亘里郷等に充つ、

長禄三 相国寺鹿苑院塔主周鳳、瑞渓、山城退蔵庵及び微笑庵に詣り、、、

長禄三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

長禄三 山城竜安寺住持玄承、義天、その派祖妙心寺開山慧玄関山、の百年忌仏事、、、

寛正元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡大嶋郷等に充つ、

寛正元 井上政満、卒す、

寛正元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、佐久郡田口郷等に充つ、

寛正元 幕府、伊那郡開善寺住持清啓天与、を遺明正使となす

寛正元 相国寺鹿苑院蔭凉軒主真蕊、季瓊、伊那郡開善寺住持清啓天与、の遺明正使、、、

寛正元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、高井郡大岩郷等に充つ、

寛正元 幕府、伊那郡開善寺住持、遺明正使清啓天与、を建仁寺住持となす、

寛正元 幕府、曇郁文紀、を伊那郡建福寺住持となす、

寛正元 幕府、建仁寺住持清啓天与、の請に依り、同寺禅居庵の喝食智載の度僧を、、、

寛正元 建仁寺住持清啓天与、同寺に入院し、翌日、同寺を退院す、

寛正元 是より先、光暁、堀川具世、善光寺参詣の帰途、伊那郡山田郷に逗留す、、、

寛正元 幕府、充松を、諏訪郡慈雲寺住持となす、

寛正元 前南禅寺建仁寺住持竜惺、瑞巌、寂す、建仁寺住持宗永、江宇、之を祭る、、、

寛正元 東福寺退畊庵塔主慧桑、旭昇、その祖前南禅寺住持霊見性海、の逸事を、、、

寛正元 幕府、恵鑑希曹、を諏訪郡安国寺住持となす、

寛正元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正二 幕府、景伝を、伊那郡開善寺住持となす、

寛正二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡河田郷等に充つ、

寛正二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、水内郡風間郷等に充つ、

寛正二 某、木曽定勝寺に禁制を掲ぐ、

寛正二 幕府、宗襲を、信濃西光寺の住持となす、

寛正二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、埴科郡船山郷等に充つ、

寛正二 遣明正使清啓、天与、小笠原遠江守の死を弔はんがため、信濃下向、、、

寛正二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正二 信濃の僧、建仁寺の徒成甫、杏仁を同寺大統院栖芳軒主周曮東沼、に贈る、、、

寛正二 信濃飢饉、

寛正二 僧宗穆、悦堂、小県郡定津院に同院住持宗英拈笑、に参ず、

寛正三 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、佐久郡長倉郷等に充つ、

寛正三 皇大神宮祢宜荒木田兼弘、同宮杣木曽美濃山に於て卒す、

寛正三 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡深志郷等に充つ、

寛正三 小笠原持長、卒す、

寛正三 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、筑摩郡会田郷等に充つ、

寛正三 幕府、光文を伊那郡西岸寺住持となす、

寛正三 行久、更級郡八幡宮に鰐口を寄進す、

寛正三 山田石見守、山城東福寺海蔵院領水内郡太田庄絹役を請負ふ、

寛正三 幕府、聖勝を小野郡安楽寺住持に、寿材を伊那郡開善寺住持となす、

寛正三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正四 久我嗣通、信濃権守に任ぜらる、

寛正四 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡桐原郷等に充つ、

寛正四 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡須田郷等に充つ、

寛正四 諏訪社上社、同社明年御射山頭役を、高井郡須毛郷等に充つ、

寛正四 相国寺鹿苑院陰涼軒主真蘂季瓊、遣明正使伊那法全寺住持清啓、天与、、、

寛正四 是より先、信濃の僧建仁寺禅居庵の徒智云、古雲、書信及び詩偈を、、、

寛正四 幕府、周繹を諏訪郡安国寺住持となす、

寛正四 幕府、小笠原持清の、不壊化身院領近江伊部郡公文職を押妨するを停む、

寛正四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正四 幕府、良湫を佐久郡慈寿寺住持となす、

寛正四 越後上杉右馬頭、高井郡高橋に攻入り、是日、敗死す、

寛正五 幕府、遣明正使伊那郡法全寺住持清啓、天与、の上洛を促す、

寛正五 諏訪社上社、同社鳥居の用材引出しを始む、

寛正五 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、更級郡川井郷等に充つ、

寛正五 是より先、諏訪信満父子等、佐久郡大井某と共に、甲斐に攻入る、、、、

寛正五 是より先、遣明正使伊那郡法全寺住持清啓、天与、信濃より上洛、、、

寛正五 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木郷等に充つ、

寛正五 是より先、建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、相国寺鹿苑院大塔造営料足を寄進、、、

寛正五 相国寺鹿苑院蔭凉軒主真蘂、季瓊、遣明正使清啓天与、等の入明用意の細目、、、

寛正五 諏訪社上社遷宮、並に御宝殿立始、

寛正五 幕府、遣明正使清啓天与、等京都発軫の日を定む、

寛正五 遣明正使建仁寺禅居庵塔主清啓天与、等、足利義政に渡海出発の礼を致す、

寛正五 山城万寿寺住持梵嘏天佑、同寺の寺記を撰す、、、

寛正五 将軍足利義政、遣明正使清啓天与、に明国に求むべき書籍目録を付す、

寛正五 幕府、元派を伊那郡開善寺住持となす、

寛正五 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、水内郡赤沼郷等に充つ、

寛正五 幕府、建昭を諏訪郡慈雲寺住持となす、

寛正五 皇大神宮祢宜荒木田永量、所領筑摩郡会田・麻績両御厨等を、、、、

寛正五 諏訪社上社、社殿を造営し、是日、上棟式を行ふ、

寛正五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正五 佐久郡桑山左衛門三郎大夫、二所参詣先達職を加賀房に譲る、

寛正五 幕府、芳泉を諏訪郡慈雲寺住持、梵通を同郡安国寺住持となす、

寛正六 幕府奉人伊勢貞親、高梨政高の馬を贈るを謝し、併せて訴訟のことにつき、、、

寛正六 諏訪社上社に神異あり、

寛正六 幕府、等益を伊那郡開善寺住持となす、

寛正六 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡松岡郷等に充つ、

寛正六 幕府、佐久郡伴野貞棟の請に依り、貞棟を上総介に推挙す、

寛正六 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、小県郡青木郷等に充つ、

寛正六 伊勢貞親、大井刑部少輔の馬を贈るを謝し、、、

寛正六 幕府、仁科持盛をして、若狭入道の、その姪堀内七郎知行分安曇郡矢原庄、、、

寛正六 小笠原持清、闕所地拝領に就きて、礼物を幕府に贈る、

寛正六 幕府、小笠原光康をして、上杉房定と共に、村上兵部少輔・高梨政高等を、、、

寛正六 佐久郡法華堂源宗等、二所・熊野参詣先達職を出羽公秀光に譲る、

寛正六 諏訪信満、甲斐に戦ふ、尋で、帰国す、

寛正六 僧尭恵、越後より信濃に入る、尋で、善光寺・戸隠山奥院等に詣づ、

寛正六 水内郡長沼争興寺周観、寂す、

寛正六 諏訪社上社大祝諏訪信満、神長満実と隙あるに依りてその出仕を停む、、、

寛正六 諏訪社上社、同社明年御射山頭役を、埴科郡船山郷等に充つ、

寛正六 長野市葛山落合神社社殿、成る、

寛正六 善光寺堂供養あり、

寛正六 大風あり、諏訪社上社の社木、多く損ず、

寛正六 小県郡祢津定津院僧某、諏訪安国寺住持となり、是日、入院す、

寛正六 諏訪信満、病む、

寛正六 諏訪社上社、桂立、北角の柱立たず、

寛正六 是より先、遣明正使建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、発軫遅滞について、、、

寛正六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

寛正六 諏訪社上社大祝諏訪頼長、同社大宮上坊に卒す、

寛正六 諏訪社上社神使御頭、精進始、

寛正六 小笠原政貞、足利義政に謝礼を言上す、

寛正六 幕府、宗隆を佐久郡慈寿寺住持となす、

寛正六 諏訪の兵、甲斐の兵と同国御行原に戦ひ、之を破る、

文正元 諏訪社上社、同社の神使御頭を定む、

文正元 山城醐醍寺理性院に太元修法あり、伊那郡文永寺住持宗詢、伴僧に列す、

文正元 諏訪信満の兵、甲斐の兵と同国六河に戦ひ、敗る、尋で、信満、兵を引く、

文正元 遣明正使清啓、天与、筑前聖福寺にありて、同寺の徒自南の請に応じて、、、

文正元 諏訪社上社、狩始、

文正元 諏訪社上社神使御頭諏訪信満等、精進始、

文正元 幕府の遣明船、肥前呼子浦に颶風に遇ふ、、、

文正元 諏訪継満、諏訪社上社大祝の位に即く、尋で、位次の神事を行ふ、

文正元 僧宗詢、山城醍醐寺普賢院に於て、理上抄目録を書写す、

文正元 幕府、正玖瑤林、を伊那郡西岸寺住持となす、尋で、正玖、入院す、

文正元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡河田郷等に充つ、

文正元 幕府、五山の僧徒をして、清啓天与、等の乗船せる遣明船の航行安全を、、、

文正元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、伊那郡飯嶋郷等に充つ、

文正元 諏訪貞郷、幕府祐筆を免ぜられ、信濃使節を命ぜらる、、、

文正元 遣明正使清啓天与、等、悪風の為め小豆島に留る、是日、その報京都に至る、、、

文正元 僧真海、小県郡富士山の石仏を造立す、

文正元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡平賀郷等に充つ、

文正元 足利義政、山城東福寺海蔵院をして、同寺領水内郡太田庄等を安堵せしむ、

文正元 僧尭深、諏訪郡栗林五日市場に於て、大塔物語を書写す、

文正元 木曽家豊、木曽興禅寺に梵鐘を寄進す、

文正元 幕府、斎藤豊基等を、東山山荘料美濃国材木見分使節となす、

文正元 諏訪社上社神使等、精進始、 諏訪社上社物忌令

文正元 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての後とあり、、、

文正元 諏訪社上社神使御頭虎岩某、卒す、

文正元 高井郡井上満貞、村上某と合戦し、尋で、卒す、

応仁元 諏訪社上社、同社の神使御頭を定む、

応仁元 禁中に、太元師法を修す、宗詢、その伴僧役を勤む、

応仁元 諏訪社上社神使等、精進始、

応仁元 諏訪社上社外県神使等、伊那廻湛のため発す、、、

応仁元 惟宗惟冬、信濃権守に任ぜらる、

応仁元 信濃矢嶋氏等十二氏、出羽由利郡に移住す、

応仁元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、小県郡大石村等に充つ、

応仁元 高井郡本誓寺八世性善、寂す、

応仁元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡高梨本郷等に充つ、

応仁元 小笠原氏の京都の邸火く、

応仁元 小笠原政貞、伊那郡伊賀良より筑摩郡府中に入り、小笠原宗清を攻む、

応仁元 是より先、小県郡定津院の徒宗穆、悦堂、同寺前住持宗英拈笑、の会下に、、、

応仁元 諏訪社上社、同社明年御射山頭役を、伊那郡飯沼郷等に充つ、

応仁元 村上頼清、海野氏幸と小県郡海野に戦ひ、氏幸、敗死す、

応仁元 諏訪社上社神使等、精進始、

応仁元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

応仁元 海野満幸、小県郡海野に戦ひ、敗死す、

応仁元 足利義政、京都禅林寺若王子社忠雅をして、同社別当職並に同社領高井郡、、、

応仁元 遣明正使清啓天与、等、明国杭州寧波府に著岸す、

巻九 応仁二年(1468)~

応仁二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

応仁二 木曽定勝寺中興開山恵厳、香林、寂す、

応仁二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、佐久郡安原郷等に充つ、

応仁二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡須田郷等に充つ、

応仁二 伊那郡文永寺僧宗詢、知久氏、山城醍醐寺理性院宗典より、、、

応仁二 井上某、高井郡須田郷に須田雅政と戦ひて、敗る、

応仁二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡宮田郷等に充つ、

応仁二 京都東山の小笠原長清の廟所、兵乱のために焼失す、

応仁二 遣明正使清啓天与、等、日本国内の騒乱の故を以て、、、

応仁二 遣明正使清啓天与、等、明国憲宗皇帝に謁見し、足利義政の表を呈す、

応仁二 是より先、遣明使の随員又三郎、人を傷害す、明国、之を治罰せんとす、、、

応仁二 小笠原宗清、卒す、

応仁二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

応仁二 遣明正使清啓天与、等、帰国乗船用意の諸件を注す、

応仁二 是より先、遣明正使清啓、天与、進貢品の価直について明国官僚と争論、、、

応仁二 遣明正使清啓、天与、帰国せんとす、、、

応仁二 善光寺住持善峯、朝鮮に使節を送らんとし、対馬の宗貞国を以て、、、

応仁二 海野某、千葉城を囲む、

文明元 明国僧録司左覚義北京大興隆寺住持文淳、質庵、遣明正使清啓天与、の、、、

文明元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡小柳郷等に充つ、

文明元 小諸市柏木の地蔵菩薩像、成る、、、

文明元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、小県郡上田郷等に充つ、

文明元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡大嶋・名子郷等に充つ、

文明元 興福寺大乗院尋尊、遣明正使清啓天与、等の一行、土佐に著岸せる由を伝聞、、、

文明元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明元 善光寺塔供養あり、、

文明二 佐久郡大井法華堂源宗、平賀の玉蔵坊に、大神宮並に熊野社参詣の先達職を、、、

文明二 諏訪社上社神使等精進始、

文明二 相国寺常徳院小補軒主景三、横川、小笠原長清の墓誌銘を書す、

文明二 諏訪社上社外県神使、伊那郡廻湛神事に発す、、、

文明二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡安嶋郷等に充つ、

文明二 佐久郡東小諸の左馬大夫信吉、熊野社・富士浅間社先達の檀那職を、、、

文明二 佐久郡望月月輪寺前住某、寂す、

文明二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、小県郡田中郷等に充つ、

文明二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、水内郡高田郷等に充つ、

文明二 足利義政、諏訪社上社に神剣を納め、子息の息災延命を祈願す、

文明二 諏訪社上社神使等精進始、

文明二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明二 諏訪社上社、同社の社殿を造営し、是日、上棟の儀を行ふ、

文明三 諏訪社上社、神使御頭を定む、 諏訪大明神、神長守矢満実に夢想の異を、、、

文明三 諏訪社上社神使等精進始、

文明三 信濃の僧相模禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、甲斐安国寺栖碧庵主善叔の、、、

文明三 諏訪社上社外県神使、廻湛神事に発す、、、

文明三 信濃大沼堂塔供養あり、

文明三 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、小県郡深井郷等に充つ、

文明三 将軍足利義政、上杉房定をして、信濃のことを措き、再び関東に出陣せしむ、、、

文明三 諏訪社上社大宮蓮池に異変あり、、、

文明三 諏訪社上社守矢満実、信濃守に任ぜらる、

文明三 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡捧庄等に充つ、

文明三 是より先、伴野貞棟、太刀等を将軍足利義政に進む、、、

文明三 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、水内郡市村郷等に充つ、

文明三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、梵宙洪源、芳樹茂春、祖養賢輔、、、

文明三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明三 諏訪社上社神使等精進始、

文明三 信濃の僧愚底、経誉、聖観音誉より浄土宗血脈を授与せらる、

文明三 朝鮮の申叔舟、日本の沿革及び通交の事等を記述し、海東諸国記といふ、、、

文明四 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明四 諏訪社上社神使等精進始、

文明四 伊那郡文永寺僧宗詢、近江善業寺に除災教令を書写し、その伝授を受く、

文明四 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡河野郷等に充つ、

文明四 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡江部郷等に充つ、

文明四 佐久郡大井某、甲斐花取山に戦ふ、

文明四 伊那郡文永寺僧宗詢、紀伊高野山悉地院に於て、諏方大明神画詞を書写す、

文明四 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡桜井郷等に充つ、

文明四 是より先、伊那郡文永寺僧宗詢、上洛して山城醍醐寺理性院宗典より、、、

文明四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明五 将軍足利義政、小笠原家長をして、同政秀政貞、と議し、美濃に進発し、、、、

文明五 将軍足利義政、小笠原定基をして、木曽家豊の土岐成頼討伐に合力せしむ、

文明五 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、佐久郡矢嶋郷等に充つ、

文明五 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木郷等に充つ、

文明五 是より先、信濃の人諏訪某、白鷹を細川勝元に贈る、、、

文明五 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、更級郡河井郷等に充つ、

文明五 管領畠山義勝、義統、先に朝鮮王より得て能登天徳寺に納めし大蔵経の、、、

文明五 畠山義勝義統、の遣鮮使照隣・良心等、礼曹の饋餉に与る、、、

文明五 遣鮮使照隣・良心等、宣政殿に於て成宗に見え、爵及び物を与へらる、

文明五 遣鮮使良心、神応経を齎し、八処灸法を朝鮮に伝ふ、

文明五 是より先、小笠原家長、子定基及び小笠原一族と共に美濃大井・荻嶋両城を、、、

文明五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明五 将軍足利義尚、父義政と共に始めて参内す、小笠原長朝等、之に供奉す、

文明六 諏訪上社、同社明年花会頭役を、水内郡古野郷等に充つ、

文明六 佐久郡前山貞祥寺開山徳忠、節香、生る、

文明六 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を伊那郡赤須郷等に充つ、

文明六 興福寺大乗院泰増等、善光寺に参詣せんことを同院尋尊に申入る、

文明六 善光寺焼く、

文明六 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、小県郡塩田庄等に充つ、

文明六 相国寺常徳院小補軒主景三、横川、佐久郡大井政光の請に応じて、、、

文明六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明六 信濃の僧一音、梅岑、佐久郡大井政光の使節として、上洛す、、、

文明七 諸国闕官を注す、信濃国、権守・介・大掾・小掾・大目・小目等を闕く、、、

文明七 小県郡定津院住持宗英、拈笑、その徒宗穆悦堂、の請に応じて、、、

文明七 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡村井郷等に充つ、

文明七 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡亘里郷等に充つ、

文明七 是より先、遠江雲林寺住持覚証、明室、高井郡厳松院を開く、、、

文明七 筑摩郡山家光政、同郡和田へ奔る、尋で、守矢満実に頼る、

文明七 是より先、小笠原家長・木曽家豊等、兵を率ゐて、美濃を侵す、、、

文明七 諏訪社上社社叢 、焼く、宝殿・神輿・神宝等、難を免る、

文明七 後土御門天皇、三条西実隆を召し、善光寺縁起絵詞を読ましむ、、、

文明七 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、小県郡海野庄等に充つ、

文明七 足利義政、小笠原家長をして、延暦寺僧徒等の近江守護六角高頼討伐に合力、、、

文明七 伊那郡文永寺僧宗詢、先師宗済十三回忌に先立ち、、、

文明七 将軍足利義尚、犬追物を催す、小笠原某等、射手を勤む、

文明七 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て伝法灌頂を行ふ、

文明七 是より先、山家光政、諏訪信満に太刀を贈り、山家郷還住の斡旋を請ふ、、、

文明七 沙弥覚寿、姓闕く、伊那郡文永寺に於て、両部曼荼羅供養を行ふ

文明七 諏訪社上社、神使御頭等精進始、

文明七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明八 是より先、幕府奉行人諏訪貞通、諏訪社不断大般若経転読再興の綸旨を申請、、、

文明八 後土御門天皇、三条西実隆をして、善光寺縁起絵詞を書写せしむ、

文明八 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡片切郷等に充つ、

文明八 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡深志郷等に充つ、

文明八 仁科盛直、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

文明八 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡鷹野郷等に充つ、

文明八 筑摩郡熊野社社殿、成る、

文明八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明八 諏訪社下社、造営あり、安曇郡住吉庄、同社春宮の四之御柱造営を勤む、

文明九 後土御門天皇、甘露寺親長を召し、善光寺縁起絵詞を読ましむ、

文明九 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡大岩郷等に充つ、

文明九 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、伊那郡大草郷等に充つ、

文明九 信濃善光寺、焼く、

文明九 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡宮田郷等に充つ、

文明九 水内郡栗田某、同郡漆田秀豊を攻めて之を破る、

文明九 後土御門天皇、山科言国をして、信濃五箇庄及び安曇郡住吉庄を安堵せしむ、、、

文明九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明九 興福寺大乗院尋尊、諸国守護人を注す、、、

文明一〇 高梨政盛、蜷川親元に物を贈る、

文明一〇 水内郡長沼淨興寺巧観、同寺前住持周観筆写の法然上人法語に奥書を加ふ、、、

文明一〇 伊那郡文永寺僧宗詢、山城醍醐寺理性院宗典を請じ、、、

文明一〇 信濃の尼妙音、紀伊高野山慈尊院に参詣す、

文明一〇 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡河野郷等に充つ、

文明一〇 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て、金剛界略念誦次第を書す、

文明一〇 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺僧宗詢をして、諸尊法を書写せしむ、、、

文明一〇 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木郷等に充つ、

文明一〇 足利義政、遠山加藤左衛門尉を、姉小路基綱の所領、、、

文明一〇 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡大嶋・名子郷等に充つ、

文明一〇 伊那郡文永寺僧宗詢、同寺に於て、撿秘鈔を注書す、

文明一〇 諏訪社上社、埴科郡坂木郷の、同社五月会頭役指符祝銭を定む、

文明一〇 小笠原清宗、卒す、

文明一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一〇 是より先、美濃斉藤妙純、利国、織田敏春を援けて、、、

文明一一 伏見宮王子某、甲斐より信濃に入り、諏訪に逗留す、

文明一一 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡内田・埴原郷等に充つ、

文明一一 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、更級郡桑原郷等に充つ、

文明一一 三朝浄土七高僧の画像成る、、、

文明一一 小県郡法住寺什誓、宝篋印塔を造立す、

文明一一 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡飯田郷等に充つ、

文明一一 佐久郡伴野某、大井某と合戦し、之を虜る、尋で、之を許す、

文明一一 諏訪社上社大祝諏訪継満等、伊那郡嶋田に兵を出して、、、

文明一一 諏訪社上社大祝諏訪継満、伊那郡嶋田より諏訪に帰り、、、

文明一一 諏訪社上社神長満実、筑摩郡坂西光維をして、同郡白姫・白河郷の、、、

文明一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一一 諏訪社上社神使等精進始、

文明一二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一二 諏訪社上社外県神使精進始、尋で、内県・大県神使等精進始、

文明一二 諏訪社下社金刺興春等、同上社神原に火を放ち、、、

文明一二 諏訪社上社花会、触穢に依りて、頭役を闕く、

文明一二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、小県郡柴生田郷等に充つ、

文明一二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡捧庄等に充つ、

文明一二 小笠原政秀、政貞、伊那郡伊賀良に諏訪継宗を攻む、

文明一二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡藤沢庄等に充つ、

文明一二 諏訪社上社大祝諏訪継満、小笠原政秀、政貞、と共に、同家長を、、、

文明一二 小笠原長朝、仁科盛直を安曇郡穂高に攻めて、之を破る、

文明一二 諏訪社上社大祝諏訪継満の室、卒す、

文明一二 信濃守護小笠原政秀、の代官一宮正久、山城相国寺常徳院萬松軒の、、、

文明一二 諏訪社上社大祝諏訪継満、伊那郡伊賀良より諏訪に帰り、、、

文明一二 是より先、山家光家、仁科盛直等と共に、小笠原長朝に叛す、、、

文明一二 諏訪社上社神使西牧満兼の館、焼く、

文明一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一二 某、信濃国分寺牛頭天王祭文を書写す、

文明一二 足利義政、山城東福寺海蔵院に、同院領水内郡太田庄等を、、、

文明一二 西筑摩郡読書村の十一面観音像、成る、

文明一三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一三 諏訪社上社外県神使等精進始、尋で、内県・大県神使等精進始、

文明一三 諏訪社上社外県神使、伊那郡廻湛神事に発す、、、

文明一三 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡松岡郷等に充つ、

文明一三 小笠原長朝、山家光家と兵を構ふ、是日、諏訪政満、光家を援けて、、、

文明一三 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡高梨庄等に充つ、

文明一三 小笠原政秀、政貞、諏訪社上社に詣ず、

文明一三 二木重明、卒す、

文明一三 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡伊賀良庄等に充つ、

文明一三 諏訪継宗、山田有盛と合戦す、是日、小笠原長朝、継宗を援け、、、

文明一三 小笠原政秀、政貞、遠江に出陣し、疵を被る、

文明一三 是より先、幕府、信濃国人に奉書を下す、、、

文明一三 香坂諏宗、諏訪社上社に詣ず、

文明一三 小笠原政秀、政貞、遠江に戦ふに依り、保安寺宮知行分遠江村櫛庄の年貢、、、

文明一三 諏訪社上社神使御頭等精進始、

文明一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一四 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一四 諏訪社上社神使等精進始、尋で、内県・大県神使等精進始、

文明一四 諏訪社上社外県神使、伊那郡廻湛神事に発す、、、

文明一四 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡片切郷等に充つ、

文明一四 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、出山釈迦像に賛す、

文明一四 諏訪社上社、御柱立神事を行ふ、諏訪政満御柱引を懈怠す、

文明一四 海野氏幸等、諏訪社上社神長守矢満実に太刀及び銭を贈る、

文明一四 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、伊那郡大草郷等に充つ、

文明一四 諏訪社上社、遷宮を行ふ、

文明一四 千野某・保科貞親等、高遠の諏訪継宗と兵を構ふ、、、

文明一四 後土御門天皇、諏方大明神縁起画詞を叡覧せらる、

文明一四 諏訪社上社御射山祭上増、

文明一四 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡小諸郷等に充つ、

文明一四 是より先、小笠原長朝、諏訪継宗を援けんとして、、、

文明一四 是より先、山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に下向し、、、

文明一四 小県郡定津院開山宗英、拈笑、丹波永沢寺に寂す、尋で、定津院に葬る、

文明一四 諏訪社上社神使等精進始、

文明一四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一四 さきに上洛せる越後守護上杉房定の使節同国円通寺住持徳林、岳英、、、

文明一四 諏訪郡内、夜討物取横行し、また、大水害あり、

文明一五 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一五 諏訪社上社大祝諏訪継満、惣領同政満・宮若丸父子等を同社神殿に殺し、、、

文明一五 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、和歌三尊の像に賛す、

文明一五 諏訪社上社外県神使精進始、尋で、内県並に大県神使等精進始、

文明一五 安曇郡穂高社大檀那大伴盛知、同社式年造宮課役を、同郡諸郷に充つ、

文明一五 木曽家盛、木曽定勝寺をして、同寺造営関を安堵せしむ、

文明一五 矢崎政継等、諏訪政満の讎を報ぜんがため、兵を率ヰて、、、

文明一五 諏訪社下社金刺興春、諏訪継満を援けんとして、兵を出して、、、

文明一五 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、水内郡今井・石渡戸郷等に充つ、

文明一五 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木郷等に充つ、

文明一五 某、木曽定勝寺に禁制を掲ぐ、

文明一五 伊那郡文永寺僧宗詢、同寺密乗院に於て、秘伝を書写す、、、

文明一五 諏訪社上社御射山祭神事行はれず、

文明一五 諏訪社上社、同社明年御謝山祭頭役を、水内郡漆田郷等に充つ、

文明一五 宗穆、悦堂、小県郡祢津定津院に住す、、、

文明一五 對本願寺兼寿、蓮如、親鸞・浄興寺開祖善性対座の画像、、、、

文明一五 伊那郡文永寺僧宗詢、聖教を書写す、

文明一五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一五 上野長源寺住持祥貞、天英、同寺を退院し、佐久郡龍雲寺住持となる、

文明一六 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一六 木曽家盛、同家豊供養のため、十三仏木像を造立し、、、

文明一六 諏訪社上社神使、御左口神降の儀なし、

文明一六 佐久郡大井城陥り、龍雲寺大破す、仍りて、同寺住持祥貞、天英、、、、

文明一六 諏訪社上社外県神使立増なし、尋で、内県介神使の立増もなし、

文明一六 是より先、信濃の僧喜江、その所居の斎を図して、関東禅林の諸尊宿に、、、

文明一六 諏訪社上社、本年花会なし、

文明一六 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、水内郡北高田郷等に充つ、

文明一六 諏訪継満、小笠原政秀政貞、等の援を得て、片山城を修築して之に拠る、、、

文明一六 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、更級郡桑原郷等に充つ、

文明一六 高梨政盛、高井郡山田城に同高朝を攻めて同城を奪ふ、、、

文明一六 筑摩郡西光寺の阿弥陀如来像の修理、成る、

文明一六 高梨政盛、同治部少輔をして、高井郡江部村を、知行せしむ、

文明一六 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡野沢郷等に充つ、

文明一六 伊那郡法全寺住持智云、古雲、商霖の請に応じて、、、

文明一六 埴科郡弥勒寺の薬師如来像、成る、

文明一六 信濃の僧瑞知客、和泉海会寺に同寺住持大叔季弘、を訪ひ、、、

文明一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一六 諏訪宮法師丸、頼満、諏訪社上社大祝の位に即く、

文明一七 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一七 諏訪社上社神宮寺の大日如来像、成る、

文明一七 浅完、諏訪社上社大祝即位十三所御社参次第を注す、

文明一七 信濃の僧、相摸禅興寺の徒輝卿、信濃に帰らんとす、、、

文明一七 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、更級郡四宮庄等に充つ

文明一七 是より先、建仁寺禅居庵十竹軒主智云、古雲、伊那郡法全寺より上洛す、、、

文明一七 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡須田郷等に充つ、

文明一七 相国寺雲頂院松泉軒主集証、亀泉、建仁寺禅居庵塔主智云古雲、を訪ふ、

文明一七 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、水内郡赤沼郷等に充つ、

文明一七 今清水秀儀、子孫のため、水内郡富倉在家知行につき、置文を書す、

文明一七 是より先、建仁寺禅居庵塔主智云、古雲、相国寺大徳院宜竹軒主周麟、、、

文明一七 幕府、僧寿祥玉麟、を伊那郡開善寺住持となす、

文明一七 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、肥後清源寺を諸山に列せんことを、、、

文明一七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一七 建仁寺住持竜沢、天隠、上堂す、、、

文明一八 諏訪社上社、神使御頭を定む、

文明一八 守矢継実、宮内少丞に任ぜらる、

文明一八 平繁則、小県郡法住寺虚空蔵堂を建立す、

文明一八 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡殿嶋郷等に充つ、

文明一八 前信濃守護小笠原光康、卒す、

文明一八 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡内田・埴原郷等に充つ、

文明一八 安曇郡霊松寺前住持侑松、雪巌、寂す、

文明一八 幕府、僧等訓習之、を信濃西光寺住持となす、

文明一八 山城常光院尭恵、善光寺に詣づ、、、

文明一八 長野市大門町出土の五輪塔、成る、、、

文明一八 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、水内郡赤沼郷等に充つ、

文明一八 伊那郡文永寺真偵、除災教令を書写す、

文明一八 伊那郡文永寺僧宗詢、六大等大事を書写す、

文明一八 美濃梅花無尽蔵主人集九、萬里、相摸禅興寺明月院に同院塔主英璵、、、

文明一八 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、美濃梅花無尽蔵主人集九萬里、を、、、

文明一八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文明一八 信濃の人常田光房、美濃梅花無尽蔵主人集九萬里、を、、、

文明一八 信濃の僧徳忠、節香、出家す、

長享元 諏訪社上社、神使御頭を定む、

長享元 円覚寺の徒器朴、下野足利学校に遊学し、雪の詩を作りて、、、

長享元 相国寺崇寿院塔主景三横川、等、同院に於て聯句す、、、

長享元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡飯嶋郷等に充つ、

長享元 幕府、信濃の僧明閦東牧、を山城興聖寺住持となす、

長享元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、伊那郡大草郷等に充つ、

長享元 諏訪社上社神長守矢満実、上原賢家に、同社の神秘のことを書送る、、、

長享元 下伊那郡上村程野薬師堂の薬師如来像、成る、

長享元 将軍足利義尚・近衛政家等、幕府奉行人諏訪貞通の勧進により、、、

長享元 伊那郡高遠諏訪継宗、諏訪郡有賀を攻む、尋で、同郡福嶋を奪ふ、

長享元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、伊那郡藤沢庄等に充つ、

長享元 伊那郡文永寺僧宗詢、理上抄目録を書写せしむ、

長享元 建仁寺禅居庵十竹軒主智云、古雲、山城等持寺に、同寺住持周麟景除、を、、、

長享元 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、某人の請に応じて、扇面に題詩す、

長享元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

長享元 足利義政、建仁寺禅居庵十竹軒主智云古雲、を官寺住持に瑞世せしめんとす、、、

長享元 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、詩を作りて、、、

長享二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

長享二 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、建仁寺禅居庵十竹軒主智云古雲、を、、、

長享二 伊那郡文永寺僧宗詢、山城醍醐寺理性院に於て、修法次第を書写す、

長享二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡片切郷等に充つ、

長享二 建仁寺禅居庵十竹軒主智云、古雲、同寺住持竜沢天隠、会下に結制秉払を、、、

長享二 幕府、建仁寺禅居庵十竹軒主智云古雲、を、山城興聖寺住持となす、

長享二 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木庄等に充つ、

長享二 相国寺雲頂院松泉軒主集証、亀泉、近江西教寺真盛の善光寺に参詣、、、

長享二 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、山城興聖寺住持智云古雲、を、、、

長享二 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、建仁寺禅居庵十竹軒主智云古雲、を、、、

長享二 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、佐久郡桜井郷等に充つ、

長享二 諏訪社下社、春秋之宮造宮之次第を注す、

長享二 信濃の僧、前伊那郡法全寺・山城興聖寺住持、建仁寺禅居庵十竹軒主智云、、、

長享二 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、同寺禅居庵十竹軒主智云古雲、に、、、

長享二 水内郡大安寺の宝篋院塔、成る、

長享二 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、秀雲居士姓闕く、の点茶仏事を勤む、

長享二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

延徳元 諏訪社上社、神使御頭を定む、

延徳元 安曇郡穂高社大檀那大伴盛知、同社式年造宮課役を、同郡諸郷に充つ、

延徳元 信濃の僧下総東漸寺開山愚底、経誉、同寺を弟子透誉に譲る、

延徳元 伊那郡文永寺僧宗詢、雑口伝を校合す、

延徳元 相国寺常徳院の徒承棟、季材、同寺鹿苑院蔭凉軒主集証亀泉、に、、、

延徳元 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、脚疾あり、同国箱根湯本に湯治す、

延徳元 伴野了然、光信、卒す、

延徳元 東福寺退畊庵塔主永誠、明之、その祖前南禅・東福両寺住持霊見性海、の、、、

延徳元 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、水内郡南高田郷等に充つ、

延徳元 諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡捧庄等に充つ、

延徳元 相国寺常徳院の徒承棟、季材、建仁寺禅居庵の徒明閦東牧、を、、、

延徳元 相国寺常徳院の徒承棟、季材、建仁寺禅居庵静光軒主明閦東牧、に、、、

延徳元 三条西実隆、幕府奉行人諏訪貞通及び上原賢家等の勧進により、、、

延徳元 諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、筑摩郡浅間郷等に充つ、

延徳元 香坂某、小笠原長朝に合力せんがため、筑摩郡府中に出陣す、

延徳元 伊那郡文永寺僧宗詢、先妣七回忌供養を行ふ、

延徳元 相国寺鹿苑院塔主周鏡、月翁、五山十刹諸山新命住持の書立を、、、

延徳元 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、建仁寺禅居庵静光軒主明閦東牧、を、、、

延徳元 相国寺鹿苑院蔭凉軒主集証、亀泉、同寺常徳院の徒承棟季材、を招きて、、、

延徳元 幕府、故山城興聖寺前住持建仁寺禅居庵十竹軒主智云古雲、に公帖を追贈す、、、

延徳元 建仁寺禅居庵静光軒主前山城興聖寺住持明閦、東牧、、、

延徳元 伊那郡文永寺に於て、天竜橋の橋供養を行ふ、

延徳元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

延徳二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

延徳二 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、某人の請に応じて、北野天神の像に賛す、、、

延徳二 佐久郡大井法華堂源祐、檀那職を上野房に譲る、

延徳二 相摸円覚寺の諸僧、同寺に円覚経談義を行ひ、満散に当つて、偈を作りて、、、

延徳二 諏訪社上社、同社明年花会頭役を、更級郡四宮郷等に充つ

延徳二 知久満俊、先考俊範の三年忌法要を修す、

延徳二 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、詩を作りて、建長寺の徒祖心の、、、

延徳二 相国寺鹿苑院塔主景文、錦江、守猷雪航、を伊那郡建福寺住持と、、、

延徳二 小笠原家長、卒す、

延徳二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

延徳二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

延徳二 小県郡定津院住持宗穆、悦堂、相摸最乗寺住持となりて、同寺に赴任す、

延徳三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

延徳三 木曽義定、木曽定勝寺をして、関を設けて税を徴し、同寺造営料に充てしむ、、、

延徳三 筑摩郡の住人三村幸親・三沢道梅等、摂津禅通寺旧蔵の元版五燈会元を、、、

延徳三 鎌倉府執事上杉顕定、長尾平五、実名闕く、に命じ、、、

延徳三 望月光重、佐久郡八幡社を再建し、是日、遷宮を行ふ、

延徳三 山城南禅寺大雲庵侍真良演、叔雅、同寺の末寺を注す、、、

延徳三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

延徳三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、建長寺の徒叔愚の韻を和して、、、

明応元 諏訪社上社、神使御頭を定む、

明応元 幕府、僧建昭を諏訪郡慈雲寺住持となす、

明応元 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、遠江の繁田宗治の請に応じて、、、

明応元 是より先、幕府、前相国寺住持等恩天沢、を遣明正使となす、、、

明応元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応元 北佐久郡立科村藤原田の石幢、成る、

明応二 伊那郡松尾小笠原定基、同郡鈴岡小笠原政秀政貞、父子を誘殺し、、、

明応二 是より先、清勤古川、等遣明使一行、和泉堺を出港す、、、

明応二 大井康光、佐久郡成身院に金幢幡を寄進す、

明応二 水内郡長沼浄興寺了周、本願寺兼寿蓮如、より、自筆裏書の寿像を授与、、、

明応二 後柏原天皇、諏訪社の奉加に太刀を寄進せらる、

明応二 小諸市十二社社殿の修造、成る、

明応二 依田長久、佐久郡茂沢・山口等の檀那職を、同郡大井法華堂に譲る、

明応二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

巻十 明応三年(1494)~

明応三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、円覚寺帰源庵塔主禅懌叔悦、の、、、

明応三 岡谷市照光寺の大日如来像、成る、

明応三 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、伊那郡法全寺の僧全竜梅渚、の請に応じ、、、

明応三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応三 水内郡長沼淨興寺巧観、本願寺兼寿蓮如、より、和歌を与へらる、

明応三 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、上野長源寺を退き、同寺に再住す、

明応四 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、建長寺宝珠庵の徒演蔵主義栄、の、、、

明応四 前筑摩郡広沢寺・伊那郡竜勝寺住持梵清、天宙、広沢寺に寂す、

明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、信濃に下向せんとし、是日、三条西実隆を訪ふ、

明応四 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、某人の請に応じて、荏柄天満宮神像の、、、

明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、亡母の十三回忌法要を行ふ、

明応四 鎌倉風水の災あり、相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、之を慨歎し、、、

明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、金剛界念誦私記を抄写す、

明応四 祖正、心伝、木曽定勝寺大般若経の音義を書写す、

明応四 冬至、信濃の僧古心、相国寺住持周麟景徐、の会下に於て、秉払を勤む、

明応四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応五 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、建長寺竜華院塔主顕騰竺雲、に招かれ、、、

明応五 恵芳右春、等、木曽興禅寺仏殿を建立す、

明応五 仁科明盛、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

明応五 美濃愚渓寺大心院塔主玄密、希庵、前妙心寺住持英朝東陽、手沢の、、、

明応五 木曽義清、木曽定勝寺に太鼓を寄進す、 木曽義清並に同義元の書状

明応五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応五 幕府、古心を諏訪郡安国寺住持となす、

明応六 幕府、伊那郡開善寺前住持建仁寺禅居庵静光軒主明閦東牧、を建仁寺住持と、、、

明応六 木曽長福寺の徒天沢、淨智寺に掛搭して、後堂首座を勤む、、、

明応六 是より先、武蔵岩槻正等、その所居の斎の図を画かしめ、、、

明応六 諏訪社下社大祝金刺昌春、同社に神鏡を寄進す、

明応六 高梨政盛、同高秀をして高井郡計見郷内の地を安堵せしむ、

明応六 紀伊興国寺西方寺、住持得胤覚窓、・同寺思遠庵塔主善甫、同寺開山覚心、、、

明応六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応六 諏訪小太郎の子頼員、諏訪社上社大祝の位に即く、

明応七 周防保寿寺の徒守竹、帰郷せんとす、建長・円覚両寺の諸尊宿、詩を作りて、、、

明応七 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を、、、

明応七 筑摩郡広沢寺住持玄固、雪江、越前慈眼寺住持となつて、同寺に赴任し、、、

明応七 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、柿本人麻呂の像に賛す、

明応七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応七 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、同国清淨光寺其阿弥陀仏の請により、、、

明応八 諏訪社下社大祝金刺昌春、諏訪郡山田の地を伊勢大神宮に寄進す、

明応八 相摸清淨光寺其阿弥陀仏、同国禅興寺明月院塔主英璵玉隠、に数珠を贈る、、、

明応八 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、薩摩大願寺の徒璵上人の請に応じて、、、

明応八 伊那郡文永寺僧宗詢、牛王根本印明を書写す、

明応八 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、法燈無本覚心、派下の諸尊宿の請に応じ、、、

明応八 是より先、幕府、相摸禅興寺明月院塔主英璵玉隠、を建長寺住持となす、、、

明応八 後土御門天皇、信濃の僧前寿福寺住持祖杲旭海、に正続朝宗禅師の号を諡す、、、

明応八 上杉朝良、相摸建徳寺に祖父持朝の三十三回忌仏事を行ひ、、、

明応八 松本市瀬黒王徳寺の不動明王像、成る、

明応八 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、同寺禅居庵永元軒主清光月甫、の請に応じて、、、

明応八 是より先、円覚寺の徒皓采、建長寺宝珠庵の徒祥啓、賢江、をして、、、

明応八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応九 諏訪照月の子、頼種、諏訪社上社大祝の位に即く、

明応九 本願寺光兼、実如、聖徳太子画像の裏書を書し、之を高井郡本誓寺性善に、、、

明応九 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、その徒如麟瑞翁、に仏祖正伝菩薩戒作法を、、、

明応九 諏訪社下社造宮あり、河中嶋小嶋田郷等、同社春宮三之御柱造宮料を、、、

明応九 建長寺西来院塔主英璵、玉隠、済淵の請に応じて、その師、、、

明応九 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺僧宗詢に理性院流聖教等の披見を許す、、、

明応九 南佐久郡中込町の宝篋印塔、成る、

明応九 高梨政盛、夜交景国をして、高井郡下上条等の所領を安堵せしむ、

明応九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

明応九 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、同寺を如麟瑞翁、に譲り、下野成高寺に遷る、、、

文亀元 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

文亀元 伊那郡立石寺の僧天海、遠江引佐郡安楽寺より梵鐘を購ふ、

文亀元 是より先、足利義尹、義植、周防に逃れ、大内義興の援によりて上洛の機を、、、

文亀元 筑摩郡須々岐宮の馬頭観世音像の修理、成る、

文亀元 伊勢宗瑞、早雲庵、甲斐攻略のため、諏訪社上社大祝諏訪頼満に、、、

文亀元 尾張守護斯波義寛、遠江鎮定のため同寛元、同義雄等を出陣せしむ、、、

文亀元 伊那郡藤宝寺僧賢宗、仁王像を造立し、毘沙門天・持国天の両像を修理す、

文亀元 小笠原長朝、卒す、

文亀元 伊勢大神宮、豊受大神宮神領更級郡藤長御厨をして、毎年上分並に、、、

文亀元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文亀元 木曽定勝寺住持慧珍、貴山、同寺々領及び常住什物等の目録を注す、

文亀元 木曽白山権現の修造、成る、

文亀二 連歌師飯尾宗祇、宗長と共に越後より信濃路を経て、是日、上野草津に到る、、、

文亀二 伊那郡文永寺僧宗詢、山城東寺執事頭となる、

文亀二 埴科郡桑井大明神社殿、成る、

文亀二 原豊前守、伊那郡遠照寺の釈迦堂多宝塔を造立す、

文亀二 水内郡長沼淨興寺九世巧観、寂す、

文亀二 鎌倉府執事上杉顕定、亡母妙皓禅尼の三回忌仏事を上野海竜寺に行ひ、、、

文亀二 是より先、仁科盛直、安曇郡に大沢寺を開創し、祖奝絶方、を請じて開山と、、、

文亀二 南佐久郡南相木村新開神社の鰐口、成る、、、

文亀二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

文亀三 小県郡生嶋足嶋神社の鰐口、成る、

文亀三 三条西実隆、松田頼亮に、諏訪社法楽和歌の詠題を送る、

文亀三 是より先、三条西実隆、高梨政盛の為めに古今集を書写す、、、

文亀三 木曽御岳権現の祢宜彦五郎、姓闕く、王御岳登山清女行法巻を書す、

文亀三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正元 建長寺住持英璵、玉隠、元旦に上堂説法す、

永正元 伊那郡知久頼為、卒す、 知久宗旭、俗名闕く、宗休大休、より道号を受く、、、

永正元 望月昌頼・同昌純等、佐久郡釈尊寺を修理す、

永正元 高梨政盛、三条西実隆に音信を通ず、

永正元 後柏原天皇、信濃の僧紹允信叔、を山城妙心寺住持となす、

永正元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

永正二 木曽御岳権現の滝神主、土公祭文を改書す、

永正二 高井郡興国寺の梵鐘、成る、

永正二 伊那郡蟠竜院住持瑞秀、雪岫、同郡関郷の三十三所巡礼観音像の、、、

永正二 木曽御岳権現の滝神主、御榊祭文を書す、

永正二 信濃の僧武蔵岩槻淨安寺開山了聞、天誉、寂す、

永正二 高梨政盛、三条西実隆に礼物を贈る、

永正二 諏訪頼満の子、頼隆、諏訪社上社大祝の位に即く、、、

永正二 伊那郡文永寺僧宗詢、雲州往来を同寺密乗院に書写す、

永正二 諏訪湖上に、諏訪大明神の御渡なし、

永正三 駿河守護今川氏親、小笠原定基に書を遺り、三河戸田憲光兄弟の、、、

永正三 小諸市平原の阿弥陀如来廿五菩薩来迎縁起勧進帳、成る、

永正三 知久頼為の三年忌、是より先、その子某、仏事を伊那郡広福寺に修し、、、

永正三 諏訪社下社造宮あり、小県郡常田庄等、同社春宮御柱造宮料を課せらる、

永正三 伊那郡了聖寺の徒慶祐、その亡母妙高松岳、禅尼の三十三年忌仏事を修し、、、

永正三 鎌倉府執事上杉顕定、可諄、その亡母妙皓大姉月山、の七周忌仏事を、、、

永正三 是より先、伊豆伊勢宗瑞、早雲庵、駿河守護今川氏親と共に、、、

永正三 是より先、伊勢宗瑞、使者大井宗菊を遣はし、小笠原定基に協力を求めんと、、、

永正三 是より先、小笠原定基、伊勢宗瑞の請により、三河横林に兵を出す、、、

永正三 三条西実隆、高梨政盛に音信を通ず、

永正三 建仁寺清住院塔主弘稽、古桂、信濃の僧木曽定勝寺の徒聖贇の請に応じて、、、

永正三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正三 美濃土岐尚益、小笠原定基に佐竹基房のことを謝す、、、

永正三 下伊那郡富草村八幡神社の神像、成る、

永正三 是より先、宗清、南浦、佐久郡に城光院を開創す、是日、宗清、寂す、

永正三 小笠原定基、亡父家長の十七周忌仏事を修し、伊那郡蟠竜院住持瑞秀雪岫、、、

永正四 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

永正四 木曽定勝寺住持慧珍、貴山、寂す、

永正四 是より先、甲斐武田信縄、諏訪社上社の玉会並に守符を贈れるを謝す、、、

永正四 祝家吉、埴科郡大日寺の大日如来像並に阿弥陀如来像・弥勒菩薩像等を造立、、、

永正四 建仁寺祥雲院塔主以信、義海、木曽定勝寺住持聖贇玉林、の請に応じて、、、

永正四 木曽御岳権現の神主某、散供祝詞を書す、

永正四 佐竹宗三、小笠原定基に京都の変事を報じ、併せて子基房の修行を依頼す、、、

永正四 駿河観勝院住持玄俊、雲鷹、小県郡定津院住持となる、

永正四 諏訪湖上に、諏訪大明神の御渡なし、尋で、永正十一年に至るまで、、、

永正五 佐久郡自成寺住持麟英、俊庵、同寺に壁書を掲ぐ、

永正五 伊那郡文永寺僧宗詢、三条西実隆に音信を通ず、

永正五 善光寺僧戒順、和泉堺にて新造せる善光寺前立阿弥陀如来像を信濃に、、、

永正五 相摸建長寺住持英璵、玉隠、南禅寺の徒瑞元乾翁、の請に応じて、、、

永正五 前大徳寺住持宗珉、玉浦、信濃の僧瑞郁文叔、を印可す、

永正五 是より先、大内義興、小笠原定基に馬を所望す、、、

永正六 幕府、佐竹基房に命じ、小笠原定基をして、忠節を尽さしむ、

永正六 石見小笠原長隆、京都より、小笠原定基に音信を通ず、尋で、また通ず、

永正六 幕府犬追物、小笠原六郎等、射手を勤む、、、

永正六 信濃の僧大弐宗印、山城醍醐寺理性院に於て得度す、

永正六 前南禅寺住持梵寿、叔彭、寂す、、、

永正六 将軍足利義尹、上杉顕定・同憲房をして、佐久郡伴野貞憲と大井行満との、、、

永正六 伊那郡文永寺僧宗詢、寂す、尋で、山城醍醐寺五智院宗典、信濃に下向す、、、

永正六 世尊寺行季、信濃の人某の請に依り、善明院の額を書す、

永正六 伊那郡文永寺僧仙耀、その師宗詢の尽七日忌の供養を修す、

永正六 是より先、関東管領上杉憲房、越後守護上杉定実・長尾為景を討たんとして、、、

永正六 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て、太元伝法大事を書写す、

永正六 伊那郡文永寺僧仙耀、その師宗詢の百箇日法会を修す、

永正六 飯田市白山社奥社本殿、成る、

永正六 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て、表白文を書す、

永正六 足利政氏、相摸禅興寺を再興せんとし、寺領を同寺に還附し、、、

永正六 越後守護上杉定実、越中より築地忠基に書を遺り、信濃・越中等の諸士と、、、

永正六 安曇郡大沢寺住持禅亨、乾叟、寂す、

永正六 信濃の人麻生某、使を京都に遣り、将軍足利義尹の復職を賀す、、、

永正六 諏訪郡の僧神応・紹憲等、千仏名経を書写して、同郡仏法寺常住に備ふ、

永正六 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、能登総持寺輪住服勤のため、同寺に赴任す、

永正七 知久頼尚、亡父同頼為の七年忌仏事を伊那郡法全寺に修し、、、

永正七 是より先、高梨政盛等、上杉定実・長尾為景に応じて越後に入り、、、

永正七 幕府犬追物、小笠原六郎等、射手を勤む、

永正七 長尾為景・高梨政盛、上杉可諄顕定、を越後長森原に攻めて、之を敗死、、、

永正七 是より先、高梨政盛等、長尾為景を援けて、上杉可諄顕定、の残党を、、、

永正七 三条西実隆、諏訪信祐の請に依り、諏訪社法楽三十首和歌の題を書して贈る、、、

永正七 関東管領上杉憲房、上乗院公済を介し、長尾為景・高梨政盛等の追伐を、、、

永正七 坂西頼国、その私第に亡父の十七年忌仏事を修し、、、

永正七 醍醐寺五智院宗典、伊那郡文永寺より上洛す、

永正七 建仁寺住持寿桂、月舟、除夜小参説法す、、、

永正八 伊那郡文永寺僧厳詢、禁中太元護摩修法の伴僧を勤む、

永正八 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来・親鸞画像に裏書を書し、、、

永正八 水内郡長沼淨興寺僧了周、寂す、 光兼、了周の病むに依り、書を遺る、

永正八 更級郡興禅寺・高井郡興国寺等開山、佐久郡竜雲寺中興山祥貞、天英、、、

永正八 諏訪満継、伊那郡鉾持社祢宜某に所役を免ず、

永正八 長野市福生院の五輪塔、成る、 上水内郡牟礼村長谷寺所蔵の五輪塔銘、

永正八 伊那郡松尾の小笠原定基、卒す、、、

永正八 筑摩郡広沢寺・伊那郡竜勝寺住持玄固、雪江、寂す、 玄固の書状

永正八 幕府、信濃の僧建仁寺青松庵の徒徳益謙室、を、伊那郡建福寺住持となす、

永正八 是より先、駿河今川氏親、将軍足利義尹に馬を献ぜんとし、、、

永正九 越後守護上杉定実、宇佐美房忠を信濃に遣はし、信濃調略の事に、、、

永正九 幕府、建仁寺禅居庵塔主全竜梅渚、を能登安国寺住持となす、 全竜の事蹟

永正九 筑摩郡法善寺開山宗俊、賢甫、同寺出家略作法を書す、

永正九 小県郡定津院住持宗穆、悦堂、寂す、

永正九 伴野貞守、釈迦如来像を造立す、

永正九 建仁寺住持寿桂、月舟、上堂説法す、信濃の僧瑞嘉、瑞芝、維那として、、、

永正九 高梨政盛、夜交景国をして、その所領を安堵せしむ、、、

永正九 高梨澄頼、同孫次郎をして高井郡中村郷を安堵せしむ、

永正九 幕府、建仁寺祥雲院塔主以信義海、を同寺住持となす、尋で、以信、入院す、、、

永正一〇 是より先、遠江大河内貞綱、尾張守護斯波義達の援を得て、、、

永正一〇 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実に叛す、、、

永正一〇 嶋津貞忠等信濃の諸士、越後守護上杉定実を援けんがため、越後に乱入、、、

永正一〇 安曇郡泉福寺の金剛力士像の修理、成る、

永正一〇 諏訪満継、伊那郡鉾持社祢宜等をして、同心して神事を勤めしむ、

永正一〇 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実を越後府中の自邸に、、、

永正一〇 某、佐久郡某社に神領を寄進す、

永正一一 是より先、関東管領上杉憲定、信濃勢と共に、宇佐美房忠を援けて、、、

永正一一 佐久郡城光院の宝篋印塔、成る、 城光院の宝篋印塔銘

永正一一 小諸市大久保十二社の社殿、成る、

永正一一 安曇郡観勝院開山、同郡大沢寺住持玄策、功巌、寂す、

永正一一 諏訪頼満の子、頼熈、諏訪社上社大祝の位に即く、

永正一一 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、同寺開山宗英拈笑、の三十三回忌仏事を、、、

永正一一 松本市筑摩神社の梵鐘、成る、

永正一二 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、、、

永正一二 是より先、美濃竜泰寺住持祖圭、大質、安曇郡大沢寺に住す、、、

永正一二 伊那郡文永寺僧仙耀、上洛す、

永正一二 小笠原貞朝、卒す、

永正一二 信濃の僧、能登総持寺前住持駿河大祥寺開山正順、行之、寂す、

永正一二 建長寺住持英璵、玉隠、同寺開山塔西来庵修造勧進状の草案を作る、

永正一二 後柏原天皇、瑞郁文叔、を山城妙心寺住持となす、

永正一二 星科善昌等、佐久郡田口神宮寺の三重塔を造立す、

永正一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正一二 醍醐寺五智院長典、同寺理性院宗済十三回忌追薦文永寺結縁潅頂記録を、、、

永正一三 伊那郡文永寺僧仙耀、禁中太元護摩修法の伴僧を勤む、

永正一三 信濃の僧山城妙心寺前住持瑞郁、文叔、その俗弟正英居士の請に応じて、、、

永正一三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、先に草案を成せる、、、

永正一三 仁科盛国、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

永正一三 諏訪郡仏法寺尊純、下野宇都宮大日院経蔵版木を以て、仁王護国般若経を、、、

永正一三 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、寂す、

永正一三 是より先、玄岱、海秀、佐久郡に正安寺を開創す、、、

永正一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

永正一三 幕府、前建仁寺住持以信義海、を南禅寺住持となす、

永正一四 小名七郎右衛門、佐久郡新海明神に鰐口を寄進す、

永正一四 熊野三山検校山城聖護院道增、佐久郡大井法華堂源春の入峯にあたり、、、

永正一四 信濃の僧、下総小金東漸寺開山愚底、経誉、寂す、

永正一四 是より先、遠江大河内貞綱、尾張守護斯波義達と共に、信濃国人を催し、、、

永正一四 熊野三山検校山城聖護院道增、新泉をして、佐久郡大井法華堂檀那、、、

永正一四 是より先、熊野三山検校山城聖護院道增、諸国の修験者等に役銭を課す、、、

永正一四 佐久郡大井法華堂源春、僧都に任ぜらる、

永正一四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正一五 後柏原天皇、信濃の僧日向大慈寺開山玄提玉山、に仏智大通禅師の諡号を、、、

永正一五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正一五 諏訪社上社大祝諏訪頼満、同下社大祝金刺昌春を、諏訪郡萩倉城に攻めて、、、

永正一六 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、浄円居士の請に応じて、道号を与へ、、、

永正一六 是より先、嶋津貞忠、越後守護代長尾為景に和を請ふ、、、

永正一六 南安曇郡堀金村薬師堂の厨子、成る、

永正一六 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、叔上人の需めに応じて、春遊の詩を、、、

永正一六 将軍足利義稙、義尹、高井郡高梨澄頼の馬を贈れるを謝す、

永正一六 伊勢宗瑞、早雲庵、卒す、某人、その私第に、追悼大会を修す、、、

永正一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正一七 大井玄岑・同隆景、佐久郡大井法華堂源春をして、同郡瀬渡の内の所領を、、、

永正一七 佐久郡自成寺開山麟英、俊庵、同寺寺記を撰す、

永正一七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

永正一七 諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位に即く、

永正一七 伊那郡文永寺僧仙耀、法華経摺本を亮信に与ふ、

大永元 木曽御岳権現の滝神主、土公祭文を書す、

大永元 伊那郡文永寺僧仙耀、宗信を携へて上洛し、是日、山城醍醐寺理性院に於て、、、

大永元 伊那郡文永寺僧仙耀、三条西実隆を訪ふ、尋で、信濃に帰らんとす、仍つて、、、

大永元 諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位を退く、尋で、また大祝の位に復す、、、

大永元 山城妙心寺、同寺開山慧玄関山、の二百年忌仏事を修し、、、

大永元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

大永元 将軍足利義晴、乗馬始を行ふ、小笠原六郎、之に供奉す、

大永元 佐久郡伴野貞祥、祖父光利追福のために同郡に貞祥寺を創め、、、

大永二 神祇伯雅業王、信濃権守に、下冷泉為豊、同介に任ぜらる、

大永二 伊那郡文永寺に於て、大般若経の転読あり、

大永二 小笠原定基、伊那郡立石寺本堂を造立す、

大永二 佐久郡大井貞隆、三郎右衛門姓闕く、に所領を宛行ふ、

大永二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

大永三 筑摩郡鉢伏権現の再建、成る、

大永三 水内郡長沼浄興寺住持巧周、寂す、

大永三 佐久郡大井貞隆、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、、、

大永三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、印藤氏の女某のために安名し、、、

大永三 甲斐武田信虎、善光寺に参詣す、

大永三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、佐野忠成に法名・道号を授け、、、

大永三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

大永四 諏訪社上社、同社磯並宝殿及び前宮三之御柱造宮料を伊那郡藍田等に徴す、

大永四 戸隠山顕光寺僧栄快、彦山霊山寺大先達即伝より、入峯印証を受く、

大永四 越後守護代長尾為景・諏訪社上社に神鷹・神馬を奉納す、、、

大永四 長野市小市称名寺の宝篋印塔、成る、

大永四 木曽興禅寺中興開山良演、叔雅、寂す、

大永四 信濃の僧前建長寺住持英璵、玉隠、寂す、

大永四 是より先、下野能延寺、諏訪郡仏法寺の秘密道具を移し置かんことを請ふ、、、

大永四 佐久郡新海三社明神の再建、成る、

大永四 是より先、長尾為景、信濃の乱を鎮定し、高梨政頼をして、帰郷せしむ、、、

大永四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

大永五 小県郡丸子町荻窪観音堂の厨子、成る、

大永五 諏訪某、武田信虎を頼りて、甲斐府中に赴く、

大永五 安曇郡大沢寺住持祖綱、巨海、寂す、

大永五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

大永六 ゑもと左近将監、佐久郡小諸の修験者惣馬大夫檀那職を、、、

大永六 将軍足利義晴、甲斐武田信虎をして上洛せしめんとするに依り、、、

大永六 佐久郡慈寿寺光世庵塔主宗慈、鰐口を同寺に寄進す、

大永六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

大永六 伊那郡蟠竜院住持瑞秀、雪岫、偈を作りて、その徒興春東渓、の典座を、、、

大永七 海野棟綱、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、

大永七 是より先、佐久郡乱るるに依り、伴野貞慶、甲斐武田信虎に援を乞ふ、、、

大永七 甲斐武田信虎、善光寺に詣づ、尋で、帰国す、

大永七 佐久郡追分諏訪社の大般若経の修補、成る、

大永七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

享禄元 諏訪社上社、神使御頭を定む、

享禄元 甲斐武田信虎、諏訪郡に攻め入り、諏訪頼満と神戸・堺川に合戦して敗る、

享禄元 熊野三山検校山城聖護院道增、諸国の修験者等に役銭を課す、、、

享禄元 美濃大智寺住持瑞秀、雪岫、伊那郡竜岳寺の徒興春東渓、の請に応じて、、、

享禄元 関春光、子の追善のため、梵鐘を鋳造して伊那郡瑞光院に寄進す、

享禄元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

享禄元 伊那郡天沢寺・玉川寺開山同郡蟠竜院前住持瑞秀、雪岫、寂す、

享禄二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

享禄二 福泉坊直栄、佐久郡福王寺の大黒天を造立す、

享禄二 本願寺光兼、実如、水内郡長沼浄興寺に於て、円兼存如、筆の安心決定鈔を、、、

享禄二 関春仲、伊那郡新野に瑞光院を開創し、舜玉光国、を請じて開山となす、

享禄二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

享禄二 諏訪宮若丸、頼寛、諏訪社上社大祝の位に即く、、、

享禄三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

享禄三 諏訪社下社造宮あり、水内郡常磐郷、同社秋宮二之御柱造宮料を課せらる、

享禄三 僧宗春、東渓、興春、伊那郡長久寺を開創し、同寺の諷経規式を定む、

享禄三 諏訪社上社御柱引あり、是日、之を行ふ、、、

享禄三 後奈良天皇、信濃の僧某に禅師号を授く、

享禄三 伴野貞慶、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、

享禄三 佐久郡津金寺憲存、紀伊高野山蓮華定院を同寺住僧等の宿坊と定む、

享禄三 村上顕胤、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、

享禄三 某、佐久郡原宮新海三社に、社領を寄進す、

享禄三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

享禄三 小県郡定津院住持玄岱、海秀、相摸最乗寺輪住服勤のため同寺に赴任す、

享禄三 僧宗長、年室、小県郡嶺南山の某寺に庵居す、

享禄四 諏訪社上社、神使御頭を定む、

享禄四 甲斐浦信本・栗原某等、武田信虎に叛し、諏訪頼満の援を得て、、、

享禄四 信濃の人坂西政満、紀伊高野山参詣の帰途、三条西実隆を訪ひ、、、

享禄四 諏訪頼満、甲斐に入り、武田信虎の兵と、同国塩河に戦ひ、之を破る、

享禄四 伊那郡瑞光院住持舜玉、光国、遠江大洞院に遷る、

享禄四 小県郡上洗馬郷堀内松兵衛等、諏訪明神を同郷に勧請す、

享禄四 小県郡定津院住持玄岱、海秀、同寺開山宗英拈笑、の五十年忌を修す、

享禄四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

巻十一 天文元年(1532)~

天文元 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文元 善光寺十穀僧某、山科言継を訪ひ、同寺仮名書勧進帳を真名書に、、、

天文元 甲斐浦信本、諏訪勢を頼み、武田信虎に叛す、、、

天文元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文二 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に赴かんとし、是日、京都を発す、

天文二 理性院厳助、伊那郡飯田に至る、尋で、天竜川洪水のため、同地に滞留す、

天文二 理性院厳助、文永寺に至り、同寺に滞留す、

天文二 理性院厳助、文永寺密乗院に僧宗詢書写の和歌を写す、

天文二 知久頼元、文永寺に到り、理性院厳助の下向を謝す、

天文二 理性院厳助、文永寺に於て、護摩供を始む、尋で、聖天供を始む、

天文二 文永寺宗信、理性院厳助より印可を受く、

天文二 理性院厳助、文永寺宗信の請により、御影供を行ふ、

天文二 能登瑞源寺住持韻薫、竜門、安曇郡霊松寺に住し、是日、寂す、

天文二 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実の将宇佐美四郎右衛門尉、、、

天文二 理性院厳助、伊那郡神峯に赴く、

天文二 文永寺普門坊、寂す、

天文二 理性院厳助、文永寺に当座連歌会を行ふ、

天文二 井上尼公、文永寺に於て、玄春の追善供養を修す、

天文二 文永寺に於て、法華懺法あり、

天文二 府中小笠原長棟の軍、伊那郡に攻入り、是日、知久頼元の軍と対陣す、

天文二 理性院厳助の従者慶心善光寺参詣のため、文永持を発す、

天文二 知久頼元・高遠諏訪頼継の軍、府中小笠原長棟の軍と戦ふ、、、

天文二 諏訪頼満・同瀬継、神峯に到り、知久頼元に合力を謝す、

天文二 理性院厳助、諏訪頼継の請に依り、手蹟を与ふ、

天文二 伊那郡座光寺遊阿弥陀仏、神峯に知久頼元を訪ふ、

天文二 小笠原長棟の軍、再び伊那郡に攻入り、是日、知久頼元の軍と天龍川に対峙、、、

天文二 理性院厳助、知久頼元の請に依り、新図の歌仙絵に賛歌を書き与ふ、

天文二 文永寺、法会のため、職衆の声明稽古を始む、尋で、結縁潅頂の準備を進む、、、

天文二 理性院厳助、諏訪郡仏法寺住持某等の需に依り、手蹟を与ふ、

天文二 文永寺、先師頼椿の忌日法会を修す、

天文二 関守氏、伊那郡伊賀良庄関郷に二善寺を再興す、

天文二 理性院厳助、伊那郡安養寺に遊ぶ、

天文二 理性院厳助、知久修理進の需に依り、三社託宣を書し与ふ、

天文二 伊那郡に大洪水あり、

天文二 知久頼元・同頼氏、文永寺に、理性院厳助を訪ふ、

天文二 理性院厳助、大河闍梨となり、文永寺に結縁潅頂を行ふ、

天文二 文永寺宗信の母、理性院厳助に斎を進む、

天文二 理性院厳助の帰洛に先立ち、文永寺宗信等、厳助に物を贈る、、、

天文二 理性院厳助、帰洛のため、文永寺を発し、伊那郡下条に到る、、、

天文二 理性院厳助、伊那郡波合を発ち、美濃上村多聞坊に着す、尋で、京都に帰着、、、

天文二 諏訪社上社神長守矢頼真の嫡子犬太郎、信実、生る、

天文二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文三 本願寺光教、証如、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡浄専坊浄賢に、、、

天文三 伊那郡文永寺伝法潅頂会を行ひ、仙耀、大阿闍梨となる、

天文三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文三 諏訪頼満、出家す、

天文四 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文四 佐久郡正安寺住持慶参、玄室、寂す、尋で、英文、月舟、同寺住持となる、

天文四 山城東福寺住持善叢、茂彦、木曽定勝寺住持聖贇玉林、の請に応じて、、、

天文四 佐久郡追分諏訪社大般若経の修補、成る、

天文四 諏訪郡慈雲寺・木曽長福寺・同興禅寺住持宗最、一機、寂す、

天文四 伴野貞秀、紀伊高野山蓮華定院を、その宿坊と定む、

天文四 武田信虎、諏訪碧雲斎頼満、と堺川北岸に会し、和睦す、

天文四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文四 伊那郡竜門寺開山・前妙心寺住持瑞郁、文叔、寂す、

天文四 信濃の僧源順、越後魚沼郡に、法華経巻を埋納す、

天文五 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文五 佐久郡追分諏訪社大般若経の修補、成る、、、

天文五 前東福寺住持善叢、茂彦、木曽義元の画像に賛す、

天文五 山城醍醐寺理性院厳助、文永寺結縁潅頂雑記を書写す、

天文五 木曽二子荷百姓等、定勝寺より年貢を減ぜられ、以後懈怠なく納むべきこと、、、

天文五 後奈良天皇、禅愉亀年、を山城妙心寺住持となす、、、

天文五 了尊、亡父清林の十七年忌の為めに、経巻を埋納す、

天文五 諏訪社上社御柱引、

天文五 諏訪社上社前宮造宮あり、水内郡北高田郷等、同社四之御柱造宮料を、、、

天文五 仁科盛能、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

天文五 某、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡の僧明円に授く、

天文五 是より先、三河全久院住持舜玉、光国、伊那郡瑞光院を開創す、、、、

天文五 本願寺光教、証如、康楽寺僧某に托し、水内郡長沼浄興寺了恵に書を遣り、、、

天文五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文六 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文六 諏訪頼重、小笠原長棟の兵を筑摩郡塩尻城に攻め、同郡赤木・吉田に放火す、、、

天文六 近江円満院門跡、山城聖護院門跡道増来秋の入峯につき、、、

天文六 伊那郡文永寺住持仙耀、竹恩院、寂す、

天文六 諏訪頼重、再び筑摩郡塩尻城を攻め、是日、之を陥る、

天文六 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、三条西公条に経書写を送り、、、

天文六 某、井口新四郎をして、給分・問屋役等を安堵せしむ、、、

天文六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、、、

天文六 埴科郡満照寺開山総田、夫山、前竜興寺住持英鑑機曇、に嗣法す、

天文七 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文七 諏訪豊増丸、頼実、諏訪社上社大祝の位に即く、神長守矢頼真指合に依り、、、

天文七 信濃の僧宥清、頼善房、性霊集を書写す、

天文七 伊那郡文永寺堅純、山城醍醐寺理性院厳助に謝礼のため上洛す、

天文七 本願寺光教、証如、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡静間の僧某に、、、

天文七 諏訪社下社、法楽能を行ふ、

天文七 大井源昌、佐久郡青沼八幡宮に、鰐口を寄進す、、、、

天文七 諏訪社上社神長守矢頼真、同社弥宜矢嶋満清と和す、

天文七 小笠原長棟、諏訪社上社に神鷹を奉納す、

天文七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文七 信濃の人浄久、卒す、

天文七 諏訪社上社神長守矢頼真、同社に天下泰平を祈る、

天文七 本願寺光教、証如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を富倉村僧道尊に授く、、、

天文八 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文八 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、古河公方足利晴氏に守符・剣を贈る、、、

天文八 是より先、諏訪頼重、病む、是日、守矢頼真、その平癒を諏訪社上社に祈る、、、

天文八 諏訪頼重、古田山の巣鷹を下し、諏訪社上社に献ず、

天文八 諏訪頼重、小笠原長棟と和す、

天文八 諏訪社下社、法楽能を行ふ、

天文八 佐久郡の人隠岐虎清、卒す、

天文八 諏訪頼満、卒す、

天文八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文九 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文九 諏訪頼重、再び病む、尋で、守矢頼真、その平癒を諏訪社上社に祈る、

天文九 前建仁寺住持山城妙光寺歳寒庵塔主宗璨、希三、同寺開山覚心無本、、、

天文九 武田信虎、佐久郡に攻入り、諸城を陥る、

天文九 是より先、板屋藤九郎、信濃の市河氏を越後松山城等に攻めて、之を陥る、、、

天文九 諏訪頼重、小県郡長窪城を領す、

天文九 武田信虎、佐久郡海之口に令して、朱印状を帯せざる者に夫伝馬を出すを、、、

天文九 大風雨により、諏訪社上社の鉄塔・社木、破損す、

天文九 諏訪社上社、法楽能を行ふ、

天文九 妙安、惟高、相国寺住持となり入院す、、、

天文九 諏訪社上社々殿、鳴動す、

天文九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文九 甲斐武田信虎の息女祢々、諏訪頼重に嫁し、是日、諏訪に入る、

天文一〇 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一〇 諏訪社上社 蛙狩、

天文一〇 諏訪社上社上坊の立石、鳴動す、

天文一〇 水内郡長沼浄興寺了恵、寂す、

天文一〇 武田信虎、諏訪頼重・村上義清を誘ひ、海野棟綱を小県郡海野平に攻めて、、、

天文一〇 是より先、武田信虎、佐久郡竜雲寺祖昌徳翁、に、音信を通ず、、、

天文一〇 是より先、関東管領上杉憲政、海野棟綱の請に依り、小県郡に村上義清を、、、

天文一〇 佐久郡志賀の笠原新三郎、雲興寺を創建し、徳忠節香、を請じて開山と、、、

天文一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一一 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一一 本願寺光教、証如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を真宗寺祐顕に授く、、、

天文一一 諏訪頼重の嫡子虎王、生まる、

天文一一 諏訪社上社御柱引、

天文一一 諏訪社上社遷宮、諏訪頼重の子虎王、初めて同社に参詣す、

天文一一 武田晴信、高遠の諏訪頼継と共に、諏訪頼重を諏訪郡上原城に攻めて、、、

天文一一 是より先、武田晴信、諏訪頼重を桑原城に攻めて之を降す、、、

天文一一 佐久郡雲興寺住持徳忠、節香、埴科郡禅透院を開く、

天文一一 武田晴信、諏訪社上社に、灯明田並に社僧領を寄進す、

天文一一 武田晴信、古田七郎をして、諏訪郡金子・栗沢の地を安堵せしむ、

天文一一 高遠の諏訪頼継、同頼重の遺領を領す、

天文一一 武田晴信、諏訪頼継を討たんとし、諏訪社上社に戦勝を祈る、

天文一一 武田晴信、諏訪頼重の遺子虎王を擁して、諏訪頼継・矢嶋満清等を、、、

天文一一 武田晴信の将高白斎、伊那郡高遠に入り、藤沢に放火し、藤沢頼親を降す、、、

天文一一 諏訪社上社神長守矢頼真、同社祢宜職を兼ぬ、

天文一一 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真に所役を免ず、

天文一一 板垣信方、諏訪郡尾口郷をして千野靭負尉に、年貢を進済せしむ、

天文一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一一 祢津元直の女、甲斐武田氏に嫁す、

天文一一 泉六郎次郎、元服し、高梨政頼より政親の名を授けらる、

天文一一 諏訪社下社御造宮あり、高井郡木嶋上下郷等、同社秋宮四之御柱の造宮を、、、

天文一二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一二 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文一二 相国寺鹿苑院塔主法霖、梅叔、同寺雲頂院雲沢軒主集尭仁如、に、、、

天文一二 板垣信方、佐久郡北沢の地を、井出縫殿尉に宛行ふ、

天文一二 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺年預となる、

天文一二 板垣信方、諏訪在城を命ぜらる、尋で、信方、諏訪郡上原城の普請を行ふ、、、

天文一二 賢諄、大痴、東福寺住持となり入院す、、、

天文一二 諏訪社上社神長守矢頼真、同社に天下泰平を祈る、

天文一二 武田晴信、諏訪郡下宮の城の普請を行ふ、

天文一二 板垣信方、諏訪社上社権祝をして、諏訪郡下桑原の御射山神田を安堵、、、

天文一二 幕府、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、を、同寺住持となす、

天文一二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、足利義澄三十三年忌仏事に役者を勤め、、、

天文一二 武田晴信、千野靭負尉をして、諏訪郡尾口の地を安堵せしむ、

天文一二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺山内の諸尊宿を斎会に招きて、、、

天文一二 武田晴信、大井貞隆を小県郡長窪に攻めて之を擒る、尋で、之を甲府に、、、

天文一二 田口長能、佐久郡新海社神宮寺に、梵鐘を寄進す、

天文一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一二 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺に四度加行を行ひ、是月、結願す、

天文一二 小県郡定津院住持玄岱、海秀、同院の仏殿・僧堂・厨庫を再建し、、、

天文一三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一三 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文一三 諏訪郡上原城の普請、成る、

天文一三 後奈良天皇、高梨政頼をして、禁裏御所修理科を進献せしむ、

天文一三 伊那郡文永寺宗信、山城勧修寺に於て、同寺門主寛欽より伝法潅頂を受く、、、

天文一三 伊勢御師榎倉武棟、同新九郎に、小笠原長時並に同名分の檀伊職等を譲る、、、

天文一三 小県郡福沢顕昌、伊勢大神宮に、同郡奈良本等の地を寄進す、、、

天文一三 高梨政頼、禁裏御所修理科献進の功に依り、従四位上に叙せらる、、、

天文一三 板垣信方、諏訪に屋敷を建つ、

天文一三 伊那郡文永寺宗信、上洛す、

天文一三 武田晴信、兵を伊那郡荒神山に進め、同郡箕輪藤沢頼親の軍と戦ふ、

天文一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一三 伊那郡高遠諏訪頼継の兵、諏訪郡に攻入り、諏訪社上社神長守矢頼真の、、、

天文一三 幕府、再び相国寺雲頂院雲沢軒主集尭仁如、を、同寺住持となす、

天文一三 伊那郡文永寺堅純等、上洛す、

天文一四 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一四 伊那郡文永寺宗信・同宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文一四 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺に再住し、入院開堂の式を行ふ、

天文一四 某、佐久郡修験の座列を定む、

天文一四 禁裏能楽、信濃に関する曲紅葉狩等、上演せらる、、、

天文一四 武田晴信、杖突峠より伊那郡に攻入り、諏訪頼継を同郡高遠に攻めて、、、

天文一四 伊那郡文永寺宗信等、山城醍醐寺より信濃へ帰る、

天文一四 是より先、小笠原長時、伊那郡竜ヶ崎城に拠りて藤沢頼親を援く、、、

天文一四 武田晴信、筑摩郡塩尻に陣を進む、

天文一四 山城醍醐寺に、岩間八講あり、伊那郡文永寺宗然、之に列す、

天文一四 塩田真興、紀伊高野山蓮華定院に月牌料を送る、、、

天文一四 是より先、藤沢頼親、武田晴信に随ひ、駿河に出陣す、是日、頼親、帰陣、、、

天文一四 某、南安曇郡梓川村氷室の三大師画像に裏書を書す、

天文一四 武田晴信、守矢神平に遍諱を与ふ、

天文一四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一五 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一五 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文一五 諏訪社上社神長守矢頼真、諏訪郡大熊より、同郡高部へ帰る、

天文一五 諏訪満茂、善六姓闕く、に所領を宛行ひ、併せて、諏訪頼継に、、、

天文一五 武田晴信、諏訪郡安国寺の内応を誘ふ、

天文一五 是より先、武田晴信、佐久郡内山城を攻む、是日、城主大井貞清、破れて、、、

天文一五 武田晴信の将上原昌辰、佐久郡内山城に入る、

天文一五 小県郡定津院の宝篋印塔、成る、

天文一五 高井郡笠原本誓寺性祐、寂す、

天文一五 武田晴信、保科掃部丞に、伊那郡内伝馬五疋分を免許す、

天文一五 武田晴信、三条西実澄等に、明年より信濃に於て、禁裏料所一万疋を、、、

天文一五 諏訪満隆、自害す、

天文一五 高井郡小菅権現社の脇立、成る、 小菅権現社の木造龕の銘

天文一五 武田晴信、諏訪社上社に、伊那郡内の地を寄進す、

天文一五 是より先、諏訪社上社神使千野宗光、同社三月御左口神付の費を懈怠、、、

天文一五 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺を退く、尋で、また、同寺に帰住す、

天文一六 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一六 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文一六 諏訪社上社大祝諏訪頼忠、去年諏訪大明神御渡なきことを、幕府に注進す、、、

天文一六 幕府、前相国寺住持集尭仁如、を、南禅寺住持となす、

天文一六 武田晴信、伊那郡高遠城の鍬立を行ふ、

天文一六 是より先、諏訪社上社神使御頭松嶋満清、乱後に依り、役料の減免を、、、

天文一六 佐久郡岩村田僧祐尊、涅槃経を書写す、 岩村田善珠院僧某、大宝績経を、、、

天文一六 武田晴信、佐久郡大井貞清父子の出仕を促す、尋で、同父子、甲府に到る、、、

天文一六 武田晴信、その家法を定め、甲斐・信濃等に公布す、

天文一六 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同門疏を作りて、玄津月航、の、、、

天文一六 武田晴信、佐久郡正安寺に、制札を掲ぐ、

天文一六 武田晴信、佐久郡志賀城を攻めて之を陥る、、、

天文一六 水内郡葛山落合神社本殿の修理、成る、 伊那郡遠照寺釈迦堂の墨書銘、

天文一六 武田晴信、保科正俊に諏訪郡栗林の地を宛行ふ、

天文一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一六 伊那郡文永寺宗信、寂す、

天文一七 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一七 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、また、同寺賢純、壇所に、、、

天文一七 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺理性院に入る、

天文一七 諏訪社上社前神長守矢頼真、従三位に叙せらる、

天文一七 武田晴信、村上義清と小県郡上田原に戦ひて敗る、晴信傷き、、、

天文一七 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺上衆年預に、同厳詢、三昧堂年預となる、

天文一七 諏訪社上社精進始なし、

天文一七 小県郡定津院住持玄岱、海秀、寂す、

天文一七 室住玄蕃允、兄板垣信方に代り、諏訪郡上原城に在城す、

天文一七 諏訪頼継、甲府より伊那郡高遠に帰る、

天文一七 小笠原長時、村上義清等と共に、諏訪郡下宮を侵す、尋で、また侵す、

天文一七 諏訪社上社御柱引、

天文一七 武田晴信、佐久郡松原社をして、同社領を安堵せしめ、祭礼を、、、

天文一七 村上義清の兵、佐久郡内山城に放火す、

天文一七 伊那郡高遠の諏訪頼継、保科因幡をして、所領を安堵せしむ、

天文一七 武田晴信、佐久郡布引城の鍬立を行ふ、

天文一七 武田晴信、依田宮内大輔に、佐久郡田口の地を宛行ふ、

天文一七 是より先、諏訪郡西方衆矢嶋・花岡等、小笠原長時に通じ、武田晴信に叛、、、

天文一七 山城醍醐寺行樹院に於て、澄恵卅三回忌曼茶羅供あり、、、

天文一七 武田晴信、諏訪社上社に、太刀を奉納し、武運を祈る、

天文一七 武田晴信、市川右馬助等に、佐久郡瀬戸の地を宛行ふ、

天文一七 武田晴信、長坂虎房をして、諏訪郡上原に在城せしむ、

天文一七 武田晴信、佐久郡田口領内に、制札を掲ぐ、 晴信、某地に制札を掲ぐ、

天文一七 佐久郡依田春賢、紀伊高野山蓮華定院に音信を通ず、、、

天文一七 諏訪社上社の宝鈴、盗まる、

天文一七 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真をして、同社神長職を安堵せしむ、

天文一七 伊那郡文永寺厳詢等、山城醍醐寺神人の役を勤む、

天文一七 是より先、武田晴信の将小山田信有、佐久郡田口城を攻めんとし、却つて、、、

天文一七 武田晴信、筑摩郡村井城の普請を始む、

天文一七 武田晴信、某に、筑摩郡内田・小池両大宮祢宜職を宛行ふ、

天文一七 武田晴信、千石帯刀左衛門尉をして、その本領を安堵せしむ、、、

天文一七 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺を逐電し、同国清水寺に隠る、

天文一七 武田晴廉、千野左兵衛尉をして、諏訪郡西方衆を追放し、その所領を、、、

天文一七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一七 諏訪社下社造宮あり、水内郡尾崎郷等、同社秋宮一之御柱造宮を勤む、

天文一八 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一八 長坂虎房、諏訪郡高嶋城に入る、

天文一八 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

天文一八 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

天文一八 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺理性院厳助より、伝法潅頂を受く、

天文一八 武田晴信、佐久郡望月源三郎に、所領を宛行ふ、

天文一八 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裡聖天法楽和漢聯句会に列す、

天文一八 武田晴信、千野靭負尉をして、諏訪右衛門尉の本領諏訪郡尾口郷を同人に、、、

天文一八 僧舜栄、王室、小県郡定津院住持となる、

天文一八 武田晴信の軍、佐久郡春日城を攻めて之を破る、

天文一八 佐久郡望月新六、武田晴信に属し、是日、晴信に出仕す、

天文一八 佐久郡伴野信豊、武田晴信に出仕す、

天文一八 武田晴信、望月信雅をして、望月氏の惣領たらしむ、

天文一八 諏訪郡仏法寺尊朝、真言秘密の印の次第等を註す、

天文一八 武田晴信、甲府を発し、諏訪郡高嶋城に入る、尋で、伊那郡箕輪城に到り、、、

天文一八 武田晴信、浜右近進に、諏訪郡真志野の地を宛行ふ、

天文一八 武田晴信、伊那郡箕輪より、諏訪郡高嶋・上原を経て、、、

天文一八 武田晴信、佐久郡平原城に放火す、尋で、甲府に帰陣す、

天文一八 伊那郡藤沢頼親、甲府に到る、

天文一八 武田晴信、諏訪清三の、去年小笠原長時に与せる罪を許し、、、

天文一八 小笠原長棟、卒す、

天文一八 是より先、木曽定勝寺、洪鐘を鋳る、、、

天文一八 諏訪社上社神長守矢頼真、諏訪郡高嶋城々将長坂虎房に、乱中につき、、、

天文一八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一八 佐久郡伴野信豊、武田晴信に出仕す、

天文一八 小笠原信貴、宗販遅伝、を伊那郡開善寺住持に請じ、同寺を中興せしむ、

天文一九 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文一九 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

天文一九 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、丹波山国庄北村某邸に於て、仏事を修す、

天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、永原重隆の葬礼に、起龕仏事を勤む、

天文一九 宗忍、埴科郡福徳寺に於て、九条錫杖略注を書写す、

天文一九 仁科某、安曇郡等々力郷内の地を、井口帯刀に宛行ふ、

天文一九 先に盗難に遭ひし諏訪社上社御宝鈴、同社に還る、

天文一九 武田晴信の将高白斎、諏訪郡高嶋城に到る、

天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裏和漢聯句会に列す、

天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裏和漢聯句会及び当座和歌会に列す、、、

天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に下向のため、村上坂木衆と共に、、、

天文一九 諏訪社下社、同社明年常楽会頭役を、筑摩郡洗馬郷に充つ、

天文一九 是より先、将軍足利義晴薨ず、是日、山城慈照寺に葬礼を行ふ、、、

天文一九 幕府、足利義晴の七々日忌を相国寺に営み、、、

天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺密乗院に於て、僧宗然に、、、

天文一九 木曽義在、木曽若宮社に、長野志ゝごの内の地を寄進す、 飛騨三木直頼、、、

天文一九 某、伊那郡文永寺密乗院に於て、頼真の書状を書写す、 某、密乗院に、、、

天文一九 武田晴信、真田幸隆に、小県郡諏訪形等の地を宛行ふ、

天文一九 小笠原長時、将軍足利義輝の代替を賀し、太刀・馬等を贈る、、、

天文一九 武田晴信、信濃府中に攻入り、小笠原長時を筑摩郡林城に破る、

天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に結縁潅頂を行ふ、

天文一九 武田晴信、村上義清を、小県郡砥石城に攻めて敗績す、、、

天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺を発して帰洛の途につく、

天文一九 是より先、小笠原長時、村上義清の援を得て、安曇郡平瀬に兵を進む、、、

天文一九 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、頭首五座のうち、、、

天文一九 相国寺住持集尭、仁如、上堂して、同寺冬至秉払の頭首同寺勝定院大梅軒、、、

天文一九 村上義清、佐久郡桜井城を攻めて、之を焼く

天文一九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文一九 武田晴信、存弁をして、佐久郡安養寺を、董せしむ、

天文一九 武田晴信の将、高白斎筑摩郡深志城に入る、

天文一九 僧徳忠、節香、佐久郡常源寺を開く、

天文二〇 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文二〇 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

天文二〇 武田晴信、甲斐一宮に信濃府中攻略の成れるを謝し、社領を寄進す、

天文二〇 下諏訪の某、甲府に到る、

天文二〇 仁科某、大厩兵五をして、白荷の通過を取締らしむ、

天文二〇 武田晴信、本郷孫三郎に、板垣惣領分内の地等を宛行ふ、

天文二〇 武田晴信、大井貞清をして、佐久郡内山城を守らしむ、是日、貞清着城す、、、

天文二〇 真田幸隆、小県郡砥石城を陥る、

天文二〇 武田晴信、恩賞を以て、保科正俊の参陣を誘ふ、

天文二〇 相国寺兵燬に焼く、同寺住持集尭、仁如、詩を賦して之を嗟歎す、

天文二〇 佐久郡岩尾行吉、甲斐若神子に到り、武田晴信に出仕す、

天文二〇 更級郡布施郷の僧秀弘、山城上醍醐寂静院谷内に浄光坊を開き、、、

天文二〇 諏訪社上社、佐久郡田口郷を、同社明年御射山祭頭役に定む、

天文二〇 武田晴信、佐久郡桜井山城に陣を進む、尋で、同寺岩村田城を普請す、

天文二〇 武田晴信、上原昌辰小山田備中守、をして、大井貞清に替り、、、

天文二〇 長坂虎房、千野靭負尉をして、諏訪郡有賀郷内の年貢を領せしむ、、、

天文二〇 望月信雅、佐久郡矢嶋並に蓬田の内の地を、紀伊高野山蓮華定院に寄進す、、、

天文二〇 武田晴信、安曇郡平瀬城を攻めて、之を陥る、

天文二〇 武田晴信の兵、安曇郡小岩岳城を攻めて放火す、、、

天文二〇 武田晴信の将飯富藤蔵、村上義清の被官東条某を討捕る、

天文二〇 伊那郡高遠諏訪頼継、一瀬市村に同郡宮所の内一瀬の地を宛行ふ、

天文二〇 武田晴信の伊那郡攻略に先だち、その将原虎頭、佐久郡松原社に、、、

天文二一 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文二一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文二一 望月信雅、村田新九郎に偏諱を与ふ、

天文二一 武田晴信、伊那郡高遠諏訪頼継をして、甲府に自刃せしむ、

天文二一 武田晴信、諏訪頼継の遺臣高遠近習衆をして、知行を安堵せしむ、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、相国寺より、播磨盛厳寺に遷居す、

天文二一 長尾景虎、本誓寺超賢をして、加賀等の一向宗門徒を諭し、北陸の通路を、、、

天文二一 佐久郡金剛寿院〓永、紀伊高野山蓮華定院を、同郡の宿坊と定む、

天文二一 本願寺光寿、証如、親鸞の木像に銘を書し、水内郡長沼西厳寺に授く、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、井上房永の請に応じて、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺の徒真賢明甫、に道号を、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺の徒宗久良叔、の請に応じ、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺住持真香梅心、の請に応じ、、、

天文二一 武田晴信、筑摩郡熊井城の鍬立を行ふ、

天文二一 矢嶋重綱・同政綱、諏訪社上社今年御射山祭神事の御穀の免除を、、、

天文二一 小笠原長時、山城建仁寺禅居庵の摩利支天に、戦勝を祈る、

天文二一 荻原豊前、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨慈済庵住持竜岫雲甫、の請に応じ、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、有玄以三、の請に応じて、之に道号を、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨光明寺住持善策亀渓、の請に応じ、、、

天文二一 武田晴信、大日方讃岐入道に、安曇郡青具等の地を宛行ふ、

天文二一 武田晴信、安曇郡小岩岳城を攻めて、之を破る、尋で、筑摩郡深志城に、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺より同国三枝寺に寄寓せる、、、

天文二一 諏訪社下社、同社明年常楽会臨時頭役を、佐久郡田口郷地頭に充つ、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨雲興寺住持集倫等叔、及びその徒、、、

天文二一 武田晴信、諏訪郡慈雲寺住持玄長天桂、をして、同寺領を安堵せしむ、

天文二一 武田晴信の臣長坂虎房、諏訪頼重の月忌料として諏訪郡来迎寺に、寺領を、、、

天文二一 武田晴信、某をして、甲府より諏訪への道路橋梁を攻修せしむ、

天文二一 伊那郡知久頼康、同郡阿嶋安養寺の堂舎を造立す、

天文二一 是より先、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺住持真香梅心、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨植田光範善祝、の請に応じて、、、

天文二一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨徳岩寺住持宗永貞嶽、の請に応じ、、、

天文二一 某、高井郡下木嶋郷等の、夫役を注す、

天文二一 周防法泉寺住持宗栄、春芳、上洛す、尋で、宗栄帰郷せんとす、京都、、、

天文二二 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文二二 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

天文二二 武田晴信・同義信父子、信濃に兵を出さんとし、是日、小山田昌辰に之を、、、

天文二二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、

天文二二 仁科盛康、武田晴信に出仕す、

天文二二 武田晴信、依田春賢をして、小県郡中丸子等の地を安堵せしむ、

天文二二 武田晴信、筑摩郡法善寺に制札を掲ぐ、

天文二二 武田晴信、飯嶋与兵衛に所領を宛行ふ、

天文二二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨比延貞房善保、に安名し、、、

天文二二 武田晴信、筑摩郡苅屋原城を陥れ、城主太田長門守を生捕る、、、

天文二二 是より先、武田晴信、諸将をして、埴科郡葛尾城に、村上義清を攻めしむ、、、

天文二二 山城醍醐寺俊聡、伊那郡文永寺宗然に伝法許可の印信を授く、

天文二二 小県郡慈済寺、涅槃画像の箱を調製す、

天文二二 武田晴信の兵、越後長尾景虎の兵と、更級郡八幡に戦ふ、尋で、晴信、、、

天文二二 佐久郡正安寺住持英文、月舟、寂す、

天文二二 是より先、武田晴信、筑摩郡海野下野守に、同郡苅屋原の地を宛行はんと、、、

天文二二 埴科郡屋代政国、紀伊高野山蓮華定院を、その領民の宿坊と定む、

天文二二 武田晴信、大須賀久兵衛尉に、所領を宛行ふ、

天文二二 播磨赤松晴政、亡父義村の三十三年忌仏事を同国安養寺に修し、、、

天文二二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、餞偈を賦して、その侍者宗詔文鳳、の、、、

天文二二 僧宗察、知庵、佐久郡正安寺住持となる、

天文二二 武田晴信、村山義清を小県郡塩田城に攻めんとし、是日、甲府を発して、、、

天文二二 武田晴信、小県郡和田城を陥る、

天文二二 武田晴信、小県郡塩田城を陥る、尋で、飯富虎昌をして、同城を守らしむ、、、

天文二二 武田晴信、大日方美作入道等に条目を送り、村上義清の軍に備へしむ、

天文二二 武田晴信、真田幸隆に、小県郡秋和の地を宛行ふ、尋で、小県郡の諸士に、、、

天文二二 武田晴信、小県郡下之郷上下社をして、社領等を安堵せしむ、

天文二二 武田晴信、更級郡村上庄内の地等を祢津某等に、宛行ふ、

天文二二 後奈良天皇、宸筆般若心経を諏訪社上社に奉納して、天下泰平を祈らる、、、

天文二二 是より先、越後長尾景虎の軍、村上義清を援けんがため信濃に攻入り、、、

天文二二 武田晴信、曲尾越前守に小県郡松本郷の地を宛行ふ、

天文二二 武田晴信の兵、筑摩郡麻績・更級郡荒邸両城に放火す、

天文二二 長尾景虎の兵、埴科郡坂城南条に放火するにより、武田晴信兵を出す、、、

天文二二 武田晴信、飯嶋源助に、伊那郡市田郷内の地を宛行ふ、尋で、之を安堵、、、

天文二二 武田晴信、小県郡塩田より、筑摩郡深志城に入る、尋で、甲府へ帰陣す、

天文二二 僧宗長、年室、小県郡定津院舜栄王室、の法を嗣ぐ、

天文二二 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、山城般舟院三昧院友空を介して、、、

天文二二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、

天文二二 建仁寺住持景秀、鉄叟、同寺禅居庵の徒隆喝食の請に応じて、、、

天文二二 武田晴信、信濃に出陣せんとし、山城清水寺成就院の、観音像並に、、、

天文二二 長尾景虎の将本庄実乃、上野家成に書を遺り、景虎の兵の京都よりの、、、

天文二二 仁科某、安曇郡大町年寄衆に、丹生子・大町両関の津料を免ず、

天文二二 諏訪社上社大祝諏訪頼忠、信濃国一宮諏訪本社上宮御鎮座秘伝記を書す、、、

巻十二 天文二三年(1554)~

天文二三 諏訪社上社、神使御頭を定む、

天文二三 伊那郡文永寺宗然・同厳詢禁中太元護摩に参仕す、

天文二三 武田晴信、山家松寿をして、その父左馬允の所領筑摩郡大村の地を安堵、、、

天文二三 後奈良天皇、信濃の僧玄瑠宗瑠、南豊、を妙心寺住持となす、、、

天文二三 筑摩郡青柳某、同郡麻績神明宮神主等の所領を注す、

天文二三 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺中坊の弟子少納言の入壇するにあたり、、、

天文二三 武田晴信、大日方美作守等に令して、その領民の移住を禁ず、

天文二三 是より先、高井郡笠原本誓寺超賢、長尾景虎の上洛に際し、北陸の通路の、、、

天文二三 筑摩郡青柳小四郎、所領目録を注し、同近江守に差出す、

天文二三 諏訪社上社、秋宮外の籬拾壱間の造宮料を、水内郡落合領内の諸郷に課す、、、

天文二三 小県郡福沢昌景、紀伊高野山蓮華定院に、戦乱により、賛銭弁済の、、、

天文二三 佐久郡龍雲寺住持清嫩、桂室、同寺歴代譜を書す、

天文二三 佐久郡龍雲寺孝順〓に仏祖正伝菩薩戒作法を伝ふ、

天文二三 前妙心寺住持紹化、南溟、信濃の僧玄瑠南豊、の請に応じて、、、

天文二三 武田晴信、臼田六郎右衛門尉に、佐久郡岩村田の地を宛行ふ、

天文二三 木曽義在・同義康父子、木曽黒沢安気大菩薩に、鰐口を寄進す、

天文二三 伊那郡長久寺住持興春、東渓、同郡興禅寺住持玄瑠南豊、の請に応じて、、、

天文二三 武田晴信、兵を信濃に進む、尋いで、晴信、知久頼元を伊那郡知久郷に、、、

天文二三 相国寺住持集尭、仁如、越前雲龍寺の徒宗寅春岳、の請に応じて、、、

天文二三 武田晴信の子義信、佐久郡に攻め入り、同郡の諸城相ついで陥る、

天文二三 諏訪郡仏法寺尊朝、聖教を書写し、その伝授を受く、 尊朝、聖教を書写、、、

天文二三 武田晴信、大日方主税助の協力を賞し、尋いで、また、明春の信濃奥郡へ、、、

天文二三 是より先、武田晴信、伊那郡攻略のため、御謝山大明神に武運長久を祈る、、、

天文二三 武田晴信、大日方上総助の請により、二木重高一族の還住を赦す、

天文二三 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺密教院の伝法潅頂にあたり、職衆として、、、

天文二三 武田晴信、大須賀久兵衛尉をして、小県郡塩尻南方の地を安堵せしむ、

天文二三 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、筑前聖福寺住持某竜華老人、集尭に、、、

天文二三 諏訪湖上に、諏訪大名神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、

天文二三 武田晴信、川手右衛門尉の母尼に、伊那郡長岡の地を宛行ふ、

天文二三 某、安曇郡丹生子・大町関の代物を受取る、

天文二三 武田晴信、下条兵庫助をして、伊那郡知久平の地を所務せしむ、

天文二三 某、高井郡温泉寺を開創し、佐久郡貞祥寺・埴科郡禅透院開山徳忠節香、、、

天文二三 小県郡定津院住持舜栄、王室、病む、依つて、その師同院前住甲斐慧運院、、、

弘治元 知久四郎左衛門尉等、窂浪して、山城醍醐寺三宝院に逗留し、是日、京都に、、、

弘治元 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

弘治元 是より先、筑摩郡三村某、武田晴信の将馬場信房を同郡深志城に攻む、、、

弘治元 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒主妙安惟高、の試筆十題の詩の、、、

弘治元 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

弘治元 武田晴信、諏訪郡八剣社に、同郡上原の地を寄進す、

弘治元 武田晴信、諏訪社上社の神鷹・神馬の分配の法を定む、

弘治元 武田晴信、筑摩郡慶弘寺に、制札を掲ぐ、

弘治元 武田晴信、大日方主税助の戦功を賞す、

弘治元 佐久郡龍雲寺住持清嫩、桂室、同寺の置文を書す、

弘治元 武田晴信、内田監物をして更級郡佐野山に在城せしむ、

弘治元 全林、旃室、佐久郡自成寺を中興し、その師徳忠節香、を開山に勧請す、

弘治元 知久頼元等、甲斐船津に於いて害せらる、

弘治元 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺より、信濃に下国す、

弘治元 是より先、長尾景虎、村上義清・高梨政頼等の請に依り武田晴信を討たんと、、、

弘治元 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真に、戦勝祈願を依頼す、

弘治元 武田晴信、諏訪社上社をして、水内郡漆田郷内の同社領を安堵せしむ、

弘治元 伊那郡文永寺厳詢、入壇のため山城醍醐寺に至る、

弘治元 武田晴信、小嶋修理亮に高井郡高梨の地を宛行ふ、

弘治元 柴河内守、伊那郡大手大明神宝殿を建立す、

弘治元 東福寺住持守仙、彭叔、寂す、相国寺大智院広徳軒主妙安、惟高、詩を、、、

弘治元 武田晴信、大須賀久兵衛の忠節を賞す、

弘治元 長尾景虎、信濃在陣の諸将に誓紙を徴す、

弘治元 武田晴信、大日方山城守・春日駿河守の俵物の諸関通行を許す、

弘治元 武田晴信、駿河今川義元の斡旋により、長尾宗心景虎、と和し、互に兵を、、、

弘治元 武田晴信、某をして、筑摩郡八幡宮別当職を安堵せしむ、

弘治元 諏訪湖上凝結せざるにより、諏訪大明神御渡なし、、、

弘治元 相国寺住持集尭、仁如、東福寺龍吟庵塔主龍喜煕春、の請に応じて、、、

弘治二 武田晴信、甲斐浅間社並びに同国美和社に、筑摩郡小松郷の地を寄進す、

弘治二 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

弘治二 元宵、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

弘治二 某、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、

弘治二 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒の詩会に列す、

弘治二 武田晴信、水内郡静松寺住持をして、落合一族の忠節を賞せしむ、

弘治二 武田晴信、諏訪郡三精寺をして、寺領の山を安堵せしむ、

弘治二 相国寺住持集尭、仁如、東福寺永明院の徒永哲惟杏、の請に応じて、、、

弘治二 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺御影堂に、上米分を寄進す、

弘治二 高野山定慶院、故諏訪頼継の室のために逆修供養を行ふ、

弘治二 是より先、東福寺永明院の徒永哲、惟杏、五山諸尊宿の古文真宝の注釈を、、、

弘治二 武田晴信、香坂筑前守に、埴科郡八郎丸郷内の地を宛行ふ、

弘治二 武田晴信、井上左衛門尉に、高井郡綿内領内の地を宛行ふ、、、

弘治二 武田晴信、大須賀久兵衛尉をして、その被官人の闕落せる者を召還さしむ、

弘治二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺住持妙安惟高、の韻を和して詩を、、、

弘治二 武田晴信、高井郡市川信房に、安田遺跡を宛行ふ、

弘治二 高梨政頼、今清水六郎次郎の戦功を賞す、

弘治二 武田晴信、諏訪郡神洞院に、以後五箇年間の寺領沽却を許す、

弘治二 伊那郡光明寺住持仙智、伝授のため上洛し、山城醍醐寺に宿す、

弘治二 仁科盛康、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、、、

弘治二 是より先、真田幸隆、埴科郡雨飾城を攻む、是日、武田晴信、幸隆に、、、

弘治二 僧正佶、楽翁、高井郡泉龍寺住持徳忠節香、に嗣法す、

弘治二 相国寺住持集尭、仁如、送別の詩をつくりて、山城妙智院周良策彦、の、、、

弘治二 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、その問答法語をつくる、

弘治二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

弘治二 相国寺住持集尭、仁如、医師半井驢庵より、青甕の花瓶を贈らる、、、

弘治二 相国寺住持集尭、仁如、明人詹僖の筆蹟に跋す、

弘治二 武田晴信、岩波八郎右衛門尉に、諏訪郡金子・栗林の地を宛行ふ、

弘治二 是より先、武田晴信、西条治部少輔をして、水内郡小田切方川北の本領を、、、

弘治二 武田晴信、市河右馬助に、兵糧米の保管を保証す、、、

弘治二 伊那郡長石寺の聖観音菩薩像、成る、

弘治二 駿河清見寺前住持宗淳、棘庵、再び山城妙心寺住持となり、入院す、、、

弘治二 安曇郡満願寺僧某、同寺再興の勧進状を書す、

弘治三 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

弘治三 長尾景虎、更級郡八幡宮に武田晴信の討滅を祈願す、

弘治三 武田晴信、伊那郡諸郷に夫役を課す、

弘治三 武田晴信の兵、長尾景虎の属城水内郡葛山城を攻めて、之を陥る、、、

弘治三 仏涅槃日、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

弘治三 後奈良天皇、伊那郡文永寺再興のことにつき、山城醍醐寺理性院へ仰出さる、、、

弘治三 木曽御嶽権現社の神主滝某、御土祭文を改書す、

弘治三 山城妙心寺、その開山慧玄関山、の二百年忌を預修す、、、

弘治三 是より先、木島出雲守等、長尾景虎の兵の信濃に入るを、武田晴信に報ず、、、

弘治三 是より先、武田晴信の軍、高梨政頼を水内郡飯山城に攻むるにより、、、

弘治三 武田晴信、水内郡飯縄権現神主仁科千日をして、同所務を安堵せしむ、

弘治三 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

弘治三 仏誕生日、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

弘治三 結制、是より先、相国寺住持集尭、仁如、小参説法す、是日、相国寺秉払を、、、

弘治三 是より先、長尾景虎、善光寺に兵を進め、高井郡山田要害・福島等を鎮定す、、、

弘治三 相国寺開基足利義満忌日、同寺住持集尭、仁如、拈香仏事を修す、

弘治三 長尾景虎、武田晴信と信濃に決戦せんとし、高井郡元隆寺に戦勝を祈る、

弘治三 長尾景虎、埴科郡香坂城を攻めて、之を焼く、尋いで、同郡坂木岩鼻を攻め、、、

弘治三 是より先、水内郡飯山城将高梨政頼、越後春日山城将直江実綱を音問す、、、

弘治三 武田晴信の軍、安曇郡小谷に長尾景虎の軍と戦ふ、尋いで、晴信、諸士の、、、

弘治三 武田晴信、大須賀久兵衛尉に、埴科郡坂木南条内の地を宛行ふ、

弘治三 是より先、播磨法雲寺住持永杲、東明、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、、、

弘治三 武田晴信、安曇郡山田左近をして、本領を安堵せしむ、

弘治三 是より先、長尾景虎・同政景、武田晴信と水内郡上野原に戦ふ、是日、景虎、、、

弘治三 六角義賢、その父定頼の七周忌仏事を相国寺に預修し、、、

弘治三 武田晴信、軍勢等の安曇郡千国谷中に乱妨するを停止せしむ、

弘治三 源棟満、伊那郡二善寺を修造す、

弘治三 篠原吉忠、諏訪郡極楽寺を造立し、是日、入仏供養を行ふ、

弘治三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、

弘治三 依田長繁、佐久郡湯原大明神に鰐口を寄進す、

永禄元 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、山城三聖寺妙徳院松月軒主聖澄月渓、の請に、、、

永禄元 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、

永禄元 正親町天皇、武田晴信に綸旨を下し、伊那郡文永寺・同郡阿島安養寺再興の、、、

永禄元 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺に頼母子銭を寄進し、上洛の時の宿坊の、、、

永禄元 伊那郡文永寺厳詢、律師に任ぜらる、 文永寺中納言房、律師に任ぜらる、、、

永禄元 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺を辞して、帰国せんとす、

永禄元 是より先、将軍足利義輝、長尾景虎及び武田晴信に諭して、和睦せしめんと、、、

永禄元 望月信雅、佐久郡釈尊寺を修理す、

永禄元 佐久郡貞祥寺住持徳忠、節香、同寺の規式を定む、

永禄元 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄元 武田晴信、大日方主税助に、その父山城守の遺領を宛行ふ、

永禄元 武田晴信、水内郡柏鉢城等篭城衆の番手結番を定む、

永禄元 伊那郡大井弖二所権現の社殿、成る、

永禄元 木曽義康、木曽鹿嶋社の鳥居を造立す、

永禄元 山城醍醐寺理性院、僧宗然を伊那郡文永寺に遣はし、同寺法流等を再興、、、

永禄元 武田晴信、山城醍醐寺理性院の伊那郡文永寺・安養寺再興の訴願について、、、

永禄元 是より先、前山城真如寺住持瑞桂、湖月、寂す、、、

永禄元 武田晴信、安曇郡金松寺住持職を、常徳寺年室に預く、

永禄元 武田晴信、長尾景虎と決戦せんとし、水内郡戸隠社に修理料を寄進して、、、

永禄元 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、木曽定勝寺の徒東福寺海蔵院守塔侍者宗球、、、

永禄元 武田晴信、大日方主税助に、水内郡中条の地を宛行ふ、

永禄元 小兵衛、姓を闕く、伊那郡二善寺舞殿を造立す、

永禄元 武田晴信、信濃善光寺阿弥陀如来像を甲府に移す、尋いで、甲斐板垣に、、、

永禄元 佐久郡諏訪社社殿、成る、

永禄元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、

永禄元 某、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、

永禄元 是より先、将軍足利義輝、武田晴信の越後及び信濃を侵すを責め、晴信を、、、

永禄元 諏訪郡慈雲寺住持玄長、天桂、木曽義在に道号を与へ、その頌をつくり、、、

永禄元 駿河臨済寺の徒玄洪、景筠、妙心寺住持となり入院す、、、

永禄元 佐久郡自成寺住持徳忠、節香、埴科郡禅透院に還住し、上京して、宮中に、、、

永禄二 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

永禄二 小笠原長時、年頭の祝儀として、幕府に馬・太刀を贈る、

永禄二 是より先、武田晴信、大日方山城守等諸士・商人等に分国内往還の諸役を、、、

永禄二 武田晴信、諏訪社上社九頭井の祭礼を再興せしめんがため、諏訪郡栗林郷内、、、

永禄二 佐久郡伴野貞祥、死す、

永禄二 相国寺住持集尭、仁如、庭田重親の室真智鏡室、大姉の秉火仏事を勤む、

永禄二 是より先、善学院日鏡、埴科郡蓮乗寺を中興す、是日、日鏡、死す、

永禄二 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、東福寺桂昌庵の徒昌徳の請に応じて、、、

永禄二 武田信玄、晴信、長尾景虎の上洛の機に乗じ、信濃奥郡並びに越後境に、、、

永禄二 将軍足利義輝、長尾景虎をして、信濃の諸将に命じ、戦闘を停止せしむ、

永禄二 是より先、僧義隆、徳翁、佐久郡海翁寺を開く、是月、芳隆、聞立を印可、、、

永禄二 諏訪社上社神長守矢信真、従五位下に叙せらる、

永禄二 屋代政国、諏訪社上社寄進地の年貢を定め、之を諏訪宮内左衛門尉に通告す、、、

永禄二 武田信玄、長尾景虎と決戦せんとして、小県郡下郷諏訪社に戦勝を祈る、、、

永禄二 武田信玄、中牧伊勢守に、更級郡内の地を宛行ふ、

永禄二 達磨忌、相国寺住持集尭、仁如、拈香仏事を勤む、

永禄二 是より先、長尾景虎、関東管領に任ぜられ、京都より帰国す、是日、信濃の、、、

永禄二 冬至、前日、相国寺住持集尭、仁如、小参説法し、是日、上堂説法す、、、

永禄二 武田信玄、屋代政国に、埴科・更級郡内の地を宛行ふことを約す、

永禄二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄二 某、松原社社人に神馬銭を渡す、

永禄二 秋山善右衛門、伊那郡赤須昌為と草刈場のことにつき契約す、

永禄二 佐久郡相木常喜、同郡常源寺・新海明神社等に、所領を寄進す、

永禄二 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒主妙安惟高、に小壺を贈る、、、

永禄三 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄三 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

永禄三 相国寺住持集尭、仁如、山城大光明寺の徒承兌西笑、の試筆の詩を和韻す、

永禄三 武田信玄、諏訪社上社をして、信濃国中に所役を課し、造営を努めしむ、

永禄三 諏訪社上社権祝矢嶋卜心、基綱、伊那郡小田切某に、同社上社磯並神事、、、

永禄三 武田信玄、伊那郡小野郷に令して、罪人を隠匿するを禁ず、

永禄三 是より先、能登神保良春等、武田信玄に応じ、長尾景虎の信濃進攻に乗じて、、、

永禄三 前妙心寺住持紹化、南溟、伊那郡玉川寺住持智精梅室、の請に応じて、、、

永禄三 西村和泉守、高井郡寺久保観音堂に鉦鼓を寄進す、

永禄三 結制、相国寺、秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、その問禅法語を代作す、

永禄三 是より先、伊那郡赤須・上穂両郷、南山の境界につき争論す、是日、片桐、、、

永禄三 武田信玄、市川右馬介・同右近助に、佐久郡内の諸地を宛行ふ、 武田信玄、、、

永禄三 神宮寺某、法華経を諏訪社下社に奉納す、

永禄三 前建長寺住持雪庵、南禅寺住持となる、相国寺住持集尭、仁如、山門の疏を、、、

永禄三 武田信玄、諏訪社上社権祝矢嶋某をして、旧領を安堵せしむ、

永禄三 木曽長政、御岳権現に百箇日精進を行ひ、是日、成就す、

永禄三 武田信玄、香坂筑前守に、更級郡内横田の地を宛行ふ、

永禄三 是より先、僧善海、佐久郡津金寺の本堂を再興す、是日、寂す、

永禄三 筑摩郡千鹿頭社神主志賀木工助、同社の神秘を書す、

永禄三 下伊那郡喬木村韓郷神社旧蔵の板絵、成る、

永禄三 相国寺住持集尭、仁如、筑前聖福寺の徒玄旦希周、の請に応じ、その詩藁、、、

永禄三 長尾景虎、関東出陣にあたり、同政景をして春日山を守らしめ、緊急の際は、、、

永禄三 武田信廉、伊那郡小井弖藤四郎に、所領を宛行ふ、

永禄三 長尾景虎、関東出陣にあたり、留守の諸将の掟を定め 高梨政頼に輪番合力、、、

永禄三 山城聖護院道澄、佐久郡不動院秀栄を法印に任ず、

永禄三 諏訪郡神宮寺の僧周仁、紀伊根来寺に於いて、百法問答補闕抄を書写し、、、

永禄三 幕府、前相国寺住持同寺雲頂院塔主集尭仁如、を同寺鹿苑院塔主となし、、、

永禄三 武田信玄、信濃奥郡に攻入らんとし、戦勝を佐久郡松原社に祈る、

永禄三 武田信玄、大井左馬允をして、小諸城定普請及び小諸より出陣の際の兵粮、、、

永禄三 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺法堂造営料足のための建仁寺坐公文を、、、

永禄三 僧深忠、伊那郡文永寺最勝坊に於いて、両界念誦次第私記を書写す、

永禄三 佐久郡自成寺住持全林、旃室、埴科郡禅透院に再住す、

永禄三 相国寺住持集尭、仁如、播磨室津の医師村尾久以景賛、の請に応じて、、、

永禄四 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

永禄四 諏訪湖上に、諏訪大明御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄四 木曽義康、木曽定勝寺をして、寺領野尻郷林在家を安堵せしむ、、、

永禄四 武田信玄、原彦八郎に太刀を与ふ、

永禄四 長尾景虎の将直江実綱、関東出陣に際し、書を高梨政頼に送りて、留守中の、、、

永禄四 武田信玄、小井弖某を左衛門尉に推挙す、

永禄四 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

永禄四 武田信玄、諏訪社上社の宝鈴銭の事を定む、 信玄、穴山信君等を諏訪社、、、

永禄四 武田信玄、伊那郡小野社御柱の年たるにより、小野南方及び飯沼に普請役等、、、

永禄四 諏訪社上社三月会、

永禄四 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、山城三聖寺妙徳庵松月軒主聖澄月渓、の請に、、、

永禄四 長尾景虎、関東管領上杉憲政を奉じ、信濃・越後及び関東の将士を率ヰて、、、

永禄四 武田信玄、甲斐・信濃両国の軍勢の、吉田諏訪森の木を伐採することを禁ず、、、

永禄四 将軍足利義輝、長尾景虎をして、小笠原長時の信濃帰国を援けしむ、、、

永禄四 諏訪社上社四月会、

永禄四 武田信玄の兵、碓氷峠を越へて上野松井田に陣を進め、尋いで、借宿に放火、、、

永禄四 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄四 武田信玄、市川右馬助等に、佐久郡瀬戸内の地等を宛行ふ、

永禄四 相国寺開基足利義満忌日、同寺住持集尭、仁如、拈香仏事を勤む、

永禄四 武田信玄、筑摩郡長興寺に制札を掲ぐ、 信玄、長興寺をして、寺領を安堵、、、

永禄四 武田信玄、桃井六郎次郎に、筑摩郡内田及び二子の地を宛行ふ、

永禄四 是より先、大森掃部助、武田信玄に属し、水内郡鰐ヶ嶽城を攻む、是日、、、

永禄四 正親町天皇、光新春国、を妙心寺住持となす、相国寺住持集尭、仁如、同門、、、

永禄四 武田信玄、伊那郡高遠の新衆に、知行を宛行ひ、戦功を励ましむ、

永禄四 前伊那郡瑞光院住持舜玉、光国、美濃明知安住寺に寂す、

永禄四 泰宗、姓闕く、更級郡かはら大明神に、同郡小島田郷の地を寄進す、

永禄四 木曽定勝寺聖贇、玉林、後住宗球天心、に什宝等を譲与す、

永禄四 上杉政虎、景虎、信濃に出陣せんとし、後事を長尾政景に依頼す、

永禄四 上杉政虎、武田信玄の軍と更級郡川中島に戦ふ、信玄の弟信繁等討死す、

永禄四 武田信玄、山城清水寺成就院に伊那郡面木郷を寄進し、併せて上杉政虎の、、、

永禄四 武田信玄、北条氏康を援けんがため、上野に兵を出さんとして、佐久郡松原、、、

永禄四 冬至、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄四 武田信玄、小県郡長窪・大門両宿をして、朱印状によらずして、伝馬を出す、、、

永禄四 水内郡戸隠山中院某、修験問答を著す、

永禄四 小県郡定津院住持舜栄、王室、甲斐清光寺鷲嶺をして、能登総持寺輪住を、、、

永禄五 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄五 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

永禄五 武田信玄、大井左馬允入道をして、その被官人等の、陣中より闕落し、或は、、、

永禄五 諏訪社上社三月会、

永禄五 武田信玄、大須賀久兵衛尉をして、被官人の他所を徘徊するものを召返、、、

永禄五 武田信玄、上野鎌原重澄に信濃移住をすすめ、小県郡海野の内に所領を宛行、、、

永禄五 木曽御嶽社祢宜滝某、同社に日本国内一宮の諸神を勧請す、

永禄五 諏訪社上社花会

永禄五 木曽定勝寺、同寺仏殿の葺替を始む、

永禄五 足利義輝、亡父義晴の十三回忌仏事を相国寺萬松院に修し、同寺鹿苑院塔主、、、

永禄五 諏訪社上社五月会、

永禄五 海舜、筑摩郡海岸寺に光明真言法一千座を勤修す、

永禄五 是より先、小県郡定津院住持舜栄、王室、門弟宗長年室、に同寺住持職及び、、、

永禄五 真田幸隆・同信綱・小県郡白山社宮殿を修造す、

永禄五 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、周防国清寺を十刹に列すべき書立を幕府に呈、、、

永禄五 諏訪社上社御射山祭、

永禄五 武田信玄、高井郡夜交千世松をして、亡父の遺領を安堵せしむ、

永禄五 小県郡定津院住持宗長、年室、丹波永沢寺輪住の任に赴き、正親町天皇、、、

永禄五 是より先、伊那郡飯田城主坂西長忠の兵、松尾小笠原信嶺の所領を侵す、、、

永禄五 是より先、武田信玄、信濃の士等を率ヰて上野に入り、また信濃に還る、、、

永禄五 武田勝頼、埋橋弥次郎をして、保科源六郎知行分伊那郡埋橋の年貢を納め、、、

永禄五 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、安芸安国寺住持恵心竺雲、の請に応じて、、、

永禄五 武田信玄、埴科郡東条・寺尾両郷をして、諏訪社上社頭役を勤仕せしむ、

永禄五 武田信玄、大井左馬允の軍役を定む、尋いで、また之を定む、

永禄五 武田信玄、小県郡開善寺をして所務を安堵せしめ、所願成就の後、さらに、、、

永禄五 武田信玄、埴科郡阿弥陀堂に制札を掲ぐ、

永禄五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄五 武田信玄、保科八郎左衛門に、伊那郡殿島・藤沢の地を宛行ふ、

永禄五 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、

永禄六 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、

永禄六 是より先、武田信玄、北条氏康と共に武蔵松山城に上杉憲勝を攻め、信濃、、、

永禄六 諏訪社上社三月会、

永禄六 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、細川春元の闍維に鎖龕仏事を勤む、

永禄六 木曽夜敷観音像、成る、

永禄六 武田信玄、筑摩郡塩尻宿の伝馬条規を定む、

永禄六 佐久郡西念寺の阿弥陀如来像の修理、成る、

永禄六 諏訪社上社四月会、

永禄六 是より先、上杉輝虎、政虎、北条氏康の党佐野昌綱を下野に攻む、武田信玄、、、

永禄六 上杉輝虎、上倉下総守等の水内郡飯山口守備の失態を誡め、この後その備を、、、

永禄六 諏訪社上社五月会、

永禄六 武田信玄、井上新左衛門尉に、寺内釆女分等の所領を宛行ふ、

永禄六 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、陸奥某寺住持の請に赴く、美濃大円寺住持、、、

永禄六 細川藤賢、亡父尹賢の三十三回忌仏事を山城禅昌院に修し、相国寺鹿、、、

永禄六 諏訪社上社御射山祭、

永禄六 武田信玄、小県郡開善寺に、同寺旧領を還付す、

永禄六 是より先、伊那郡赤須郷、同郡菅沼郷と川並びに草間のことにつき争論す、、、

永禄六 武田信玄、嶋津尾張守をして、水内郡長沼の地下人等を還住せしむ、

永禄六 正覚坊重盛、武田信玄と北条氏康の上杉輝虎の呪咀依頼を受けしを分疏し、、、

永禄六 木曽義昌、原平左衛門尉に、筑摩郡洗馬の地を宛行ふ、

永禄六 上杉輝虎、桃井義孝等を飯山城代となし、泉弥七郎等を援けて、備を固め、、、

永禄六 武田信玄、境豊後守等をして、謀叛・殺害以下の犯科人を糺明し、佐久郡、、、

永禄六 是より先、伊勢豊受大神宮、式年造宮用木を木曽御杣に於いて伐る、是日、、、

永禄六 相国寺慧林院冷香軒主周寅、曇叔、寂す、同寺鹿苑院塔主集尭、仁如、、、

永禄六 伴野信是、佐久郡薬師寺に鰐口を寄進す、

永禄六 常陸の人愛珍、伊那郡小川に於いて、卜部神道の秘伝を書写す、

永禄六 是より先、上野吾妻郡の諸士等、同郡岩櫃城に上杉輝虎の党斎藤越前入道、、、

永禄六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄六 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、

永禄六 祢津昌綱、意卜斎に小県郡大平寺領の地を宛行ふ、

永禄六 小県郡定津院住持宗長、年室、同寺の大慈院輪住の所務を甲斐東林院に、、、

永禄六 佐久郡貞祥寺住持竜鶴、松山、同寺を正佶楽翁、に譲りて、住持せしむ、

永禄七 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄七 相国寺住持集尭、仁如、前山城真如寺住持法玉智岳、の秉火仏事を勤む、

永禄七 是より先、諏訪社上社権祝矢島某、玉会を武田信玄に贈る、是日、信玄し、、、

永禄七 是より先、武田信玄、諏訪郡薬王寺・慈眼寺をして、諏訪社の神鬮を取、、、

永禄七 武田信玄、先に鎌原重澄に与へし小県郡海野の地を改替し、重澄をして、、、

永禄七 佐久郡内山城将小山田玄怡、昌行、同郡内山の地を、高野山蓮華定院、、、

永禄七 臼田勝興、その知行地百姓中の畠の山手の代を木曽定勝寺に寄進す、

永禄七 佐久郡正安寺住持宗察、知庵、寂す、

永禄七 武田信玄、信濃諸役所をして、梶山与三次郎の荷物を勘過せしむ、

永禄七 武田信玄、伊那郡飯島為方をして、上野に闕落せる為方知行の百姓を還住、、、

永禄七 武田信玄、筑摩郡百瀬某を佐渡守に任ず、

永禄七 武田信玄、某をして、鉄砲の玉薬・矢・兵糧を小県郡和田に届けしむ、

永禄七 是より先、清野刑部左衛門尉、武田信玄に属し、奥信濃に戦ひて帰陣す、、、

永禄七 諏訪社上社三月会、

永禄七 武田信玄の兵、水内郡野尻城を攻めて之を陥る、尋いで、上杉輝虎の兵、、、

永禄七 周真、実照、佐久郡正安寺住持となる、

永禄七 上杉輝虎、長尾政景に書を送り、信濃境の無事を悦び、近日越後に帰陣、、、

永禄七 諏訪社上社四月会、

永禄七 結制、前日、相国寺住持集尭、仁如、小参説法し、是日、上堂説法す、、、

永禄七 相国寺、同寺開基足利義満忌日仏事を預修し、同寺住持集尭、仁如、拈香、、、

永禄七 諏訪社上社五月会、

永禄七 是より先、武田信玄、上野に兵を進め、武蔵本庄等に放火す、是日、信玄、、、

永禄七 武田信玄、大井左馬允入道の軍役を定む、

永禄七 上杉輝虎、兵を信濃に出さんとし、諸将に触る、是日、上野倉賀野直行、、、

永禄七 上杉輝虎、看経所及び越後弥彦社に願文を捧げ、武田信玄・北条氏康を討、、、

永禄七 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺玉竜庵の徒永東春輝、の請に応じ、、、

永禄七 小県郡定津院宗長、年室、同寺住持職を玄忠大休、に譲り、同郡全芳院、、、

永禄七 是より先、飛騨江馬時盛、武田信玄を恃みて、子輝盛・三木良頼等を討たん、、、

永禄七 諏訪社上社御射山祭、

永禄七 上杉輝虎、更級郡八幡社に願文を納め、武田信玄の撃滅を祈る、

永禄七 武田信玄、佐久郡貞祥寺をして、同寺領伴野庄の地を安堵せしめ、併せて、、、

永禄七 是より先、上杉輝虎、武田信玄と戦はんとし、更級郡川中島に着陣す、是日、、、

永禄七 武田信玄、高井郡温泉寺をして、同寺領同郡横湯の地を安堵せしむ、

永禄七 是より先、武田信玄、更級郡塩崎に兵を進め、上杉輝虎、之と対時す、是日、、、

永禄七 相国時雲頂院塔主集尭、仁如、茶湯数寄者村田宗朱の午松庵の詩会に列席す、、、

永禄七 木曽定勝寺前住持聖贇、玉林、同寺住持宗球天心、の請に応じて、その頂相、、、

永禄七 直江実綱、堀江宗親・岩船長忠をして武田信玄の軍に備へしめ、併せて水内、、、

永禄七 上杉輝虎、水内郡飯山城の普請を終へ、越後春日山城に帰る、翌日、輝虎、、、

永禄七 前妙心寺住持紹喜、快川、木曽玉林院住持玄朴淳巌、の請に応じて、、、

永禄七 武田信玄、上杉輝虎の兵の上野沼田に移るとの報に依り、小諸城将小山田、、、

永禄七 武田信玄、上杉輝虎の飯山に移るとの風聞に依り、真田幸隆をして、上野、、、

永禄七 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺雲頂院塔主集尭、仁如、頭首同寺玉竜庵の、、、

永禄七 高井郡温泉寺住持徳忠、節香、埴科郡豊泉寺を開創し、是日、入院す、

永禄七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄七 武田勝頼、筑摩郡小野社の銅鐘を鋳る、諏訪郡慈雲寺住持玄長、天桂、その、、、

永禄七 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、

永禄七 武田信玄、西条美作守に、更級郡原・今里の替地として、高井郡高梨領新保、、、

永禄八 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄八 是より先、武田信玄、兵を信濃より上野岩櫃に進め、同国沼田城を窺ふ、、、

永禄八 相国寺住持集尭、仁如、赤松晴政の秉炬仏事を播磨置塩村に修す、

永禄八 武田信玄、上野箕輪城を攻略せんとし、諏訪社上社及び佐久郡新海明神に願、、、

永禄八 諏訪社下社、明年常楽会頭役を、安曇郡小谷郷に充つ、

永禄八 諏訪社上社三月会、

永禄八 上伊那郡高遠町荊口薬師堂の修造、成る、

永禄八 諏訪社上社四月会、

永禄八 埴科郡豊泉寺住持徳忠、節香、同郡禅透院に住持となる、

永禄八 武田信玄・北条氏康の兵、上野に攻入るに依り、上杉輝虎、越後柏崎に兵を、、、

永禄八 諏訪社上社五月会

永禄八 相国寺住持集尭、仁如、足利義輝の秉炬仏事を山城等持院に修す、

永禄八 上杉輝虎、越後愛宕社に願文を納め、武田信玄の討滅を祈る、

永禄八 是より先、武田信玄、信濃より上野に入り、同国倉賀野城を陥れ、更に長野、、、

永禄八 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、幕府の意を承けて、等循如環、を山城臨川寺、、、

永禄八 上杉輝虎、上野小泉城主富岡重朝に書を送り、武田信玄牽制のため、明日、、、

永禄八 諏訪社上社御射山祭、

永禄八 埴科郡禅透院住持徳忠、節香、再び同寺住持を全林旃室、に譲る、

永禄八 山城醍醐寺理性院尭雅、伊那郡文永寺宗然に伝法秘密を伝授す、

永禄八 木曽義昌、木曽定勝寺如意庵をして、同庵領を安堵せしむ、

永禄八 是より先、埴科郡禅透院住持全林、旃室、埴科郡豊泉寺住持となり、、、

永禄八 木曽黒沢若宮社の三十六歌仙板絵、成る、

永禄八 武田信玄、諏訪社下社をして、祭礼を再興せしむ、 千野信氏の書状及び某、、、

永禄八 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、秀忠姓闕く、の請に応じて、その母宗智勝琳、、、

永禄八 是より先、上野池田佐渡守、真田幸隆を介して、武田信玄に属さんことを請、、、

永禄八 武田信玄、日向是吉をして、上杉輝虎の上野出陣に備へ、上野岩櫃城に赴き、、、

永禄八 武田信玄、筑摩郡西福寺の造営にあたり、同寺住持総芸才翁、に寺領を寄進、、、

永禄八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

永禄八 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、

永禄八 木曽定勝寺、東福寺開山円尓三百年忌仏事奉加銭を同寺に納む、

巻十三 永禄九年(1566)~

永禄九 諏訪社上社代官矢島定綱、同社前宮大鳥居造宮につき、料物の事を注す、

永禄九 武田信玄、千野孫九郎をして、諏訪社上社前宮御柱造宮銭を督徴せしむ、

永禄九 武田信玄、小山田藤四郎に、佐久郡中込郷を宛行ふ、

永禄九 諏訪社上社、同社玉垣造宮につき、課役の執手を注す、

永禄九 足利義秋、義昭、大覚寺門跡義俊を上杉輝虎の許に遣はし、北条氏康と和し、、、

永禄九 諏訪社上社権祝代官矢嶋卜心、基綱、等、伊那郡駄科郷より、同社前宮一の、、、

永禄九 諏訪社上社三月会、

永禄九 諏訪社上社花会、

永禄九 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄九 諏訪社上社権祝矢嶋忠綱等、常葉弥六郎等の請に依り、同社前宮一の御柱、、、

永禄九 足利義秋、義昭、亡父義晴の十七回忌仏事を相国寺萬松院に修し、同寺住持、、、

永禄九 諏訪社上社五月会、

永禄九 上杉輝虎、看経所に願文を捧げ、信濃・甲斐両国を平定し、上洛して、天下、、、

永禄九 高井郡須田信頼、伊勢大神宮に願文を捧げ、武田信玄より同郡八重森の地を、、、

永禄九 是より先、諏訪社上社大宮御柱立、是日、同社遷宮あり、

永禄九 埴科郡清野満秀、伊勢大神宮に二百疋の地を寄進す、

永禄九 某、伊那郡平沢藤左衛門尉拘分同郡虎岩内の田地の年貢を定む、 平沢豊前、、、

永禄九 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、大徳寺の徒宗園春屋、の請に応じて、和泉、、、

永禄九 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、東福寺竜吟庵の徒永哲惟杏、同寺正覚庵の、、、

永禄九 武田信玄、小平木工助をして忠節を励ましむ、

永禄九 諏訪社上社七月會、

永禄九 武田信玄の臣武藤常昭等、小県郡下之郷大明神生嶋足嶋社、に起請文を捧げ、、、

永禄九 是より先、武田信玄、上杉輝虎加賀出陣の報を得、兵を信濃・越後の国境に、、、

永禄九 小山田信茂、甲斐富士北室浅間社祠官小佐野越後守の守符・巻数等を贈、、、

永禄九 武田信玄、その軍勢の小県郡向源寺内に陣を取るを禁ず、

永禄九 是より先、上杉輝虎の兵、上野沼田に著陣し、更に吾妻郡を攻めんとす、、、

永禄九 武田信玄、高井郡仁礼口をして、鎌原重澄の荷物を勘過せしむ、

永禄九 武田信玄、神尾房友に、小県郡染屋の内の地等を宛行ふ、

永禄九 武田信玄、諏訪郡中村郷等六箇郷の民に命じ、諏訪社上社御射山祭の大祝、、、

永禄九 武田信玄、吉田信生をして、船役を以つて、諏訪郡八剣社造替料に充てしむ、、、

永禄九 武田信玄、諏訪社上社九頭井社をして、諏訪郡上原の田役を徴し、同社瑞籬、、、

永禄九 武田信玄、中牧越中守等をして、更級郡牧山中の地を知行せしむ、

永禄九 武田信玄、諏訪社上社をして、同社社領更級郡小島田の地を安堵せしむ、

永禄九 武田信玄、諏訪社上社九頭井社に、神事料として、諏訪郡小口の田役を寄進、、、

永禄九 武田信玄、千野出雲をして、給所諏訪郡武居の内の地を、同郡酒室神主に、、、

永禄九 武田信玄、諏訪刑部右衛門尉等に諏訪社上社三月御室祭料を渡付し、併せて、、、

永禄九 正親町天皇、宗韓泰室、を山城妙心寺住持となす、相国寺雲頂院塔主集尭、、、

永禄九 武田信玄、中牧越中守を更級郡中牧の地の代官となす、

永禄九 水内郡臥雲院住持受頓、南室、正策に付法す、

永禄九 諏訪社上社、同社造宮のため、諏訪郡下桑原衆等をして、大持柱を曳かしむ、、、

永禄九 冬至、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄九 是より先、宮下新左衛門、藤四郎姓を闕く、と質地伊那郡川野郷内藤四郎、、、

永禄九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

永禄九 武田信玄、武蔵浅草三社権現に願書を納め、所願成就の上は、伊那郡、、、

永禄九 伊那郡弥彦社神主等、某に同社造宮関を設置せんことを請ふて許さる、

永禄一〇 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、

永禄一〇 足利義秋、義昭、上杉輝虎に書を送り、武田・北条二氏と和し、上洛して、、、

永禄一〇 武田信玄、田畠不作に依り、佐久郡海口郷に本年分の伝馬役を免除す、

永禄一〇 武田信玄、諏訪社上社をして、同社神使伊那廻神事を再興せしむ、

永禄一〇 諏訪社上社三月会、

永禄一〇 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、伊那郡善福寺の徒徳貞高節、の請に、、、

永禄一〇 南佐久郡佐久町諏訪神社の太鼓、成る、

永禄一〇 諏訪社上社四月会、

永禄一〇 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺行樹院に於いて、深応より伝法潅頂を受く、、、

永禄一〇 武田信玄、信濃の人浦野宮内左衛門尉・同能化丸に、上野三島等の地を、、、

永禄一〇 伊那郡興禅寺住持玄瑠、宗瑠、南豊、その徒の請により、頂相に自賛を、、、

永禄一〇 諏訪社上社五月会、

永禄一〇 武田信玄、瀬下豊後守に、佐久郡釈尊寺分等の地を宛行ふ、

永禄一〇 武田信玄、佐久郡竜雲寺をして、上野箕輪長純寺を支配せしむ、

永禄一〇 武田信玄、関屋備後守等に、高井郡苅田郷等の地を宛行ふ、

永禄一〇 武田信玄、高井郡市川信房をして、信濃・越後に於ける旧領を安堵せしめ、、、

永禄一〇 武田信玄、佐久郡根々井右馬充に、同郡依田源次郎跡の地を宛行ふ、

永禄一〇 諏訪社上社七月會、

永禄一〇 安曇郡仁科盛政等、小県郡下之郷大明神生嶋足嶋社、に起請文を捧げ、、、、

永禄一〇 中秋、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄一〇 某、安曇郡住吉社造宮料として、その所領住吉郷棟別銭を寄進す、

永禄一〇 武田信玄、小県郡長窪等の社人・百姓に命して、祭祀勤仕等を励ましむ、

永禄一〇 武田信玄、佐久郡矢島重勝に、上野西牧の内の地を宛行ふ、

永禄一〇 武田信玄、上野一宮をして、同社造替のため、更級・埴科・佐久・小県四、、、

永禄一〇 武田信玄、水内郡飯縄社に長刀を寄進す、尋いで、佐久郡松原諏訪社に、、、

永禄一〇 武田信玄、諏訪社上社に、諏訪郡田辺郷内の地を寄進す、

永禄一〇 武田信玄、諏訪社上社如法院をして、諏訪郡上桑原郷備進の籾を同社、、、

永禄一〇 武田信玄、諏訪郡三精寺に寺領を還付す、

永禄一〇 冬至、相国寺秉払を行ふ、前日、相国寺住持集尭、仁如、小参説法し、、、

永禄一〇 武田信玄、大須賀佐渡守に、更級郡村上庄内佐渡守知行分の堰役等を、、、

永禄一〇 武田信玄、祢津元直の、上野箕輪に在城するに依り、同国小鼻郷等の、、、

永禄一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

永禄一〇 武田信玄、大井高政・同満安の上野箕輪に在城するに依り、信濃本領の、、、

永禄一〇 前南禅寺・相国寺住持妙安、惟高、寂す、相国寺住持集尭、仁如、掩土、、、

永禄一〇 武田信玄、樋口与三左衛門に、諏訪郡観照寺分の替地として、同郡、、、

永禄一〇 武田信玄、小井弖越前守に諏訪郡荻原神田を附し、その徳分を以つて、、、

永禄一〇 筑摩郡牛伏寺の追儺面、成る、

永禄一一 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄一一 武田信玄、埴科郡本誓寺をして、同寺寺領を安堵せしめ、併せて、同寺、、、

永禄一一 武田信玄、篠原讃岐守等に命じて、当頭人及び役者以外の者の、諏訪社、、、

永禄一一 跡部勝忠、平沢豊前守をして、伊那郡虎岩郷内の逐電せる百姓の田畠を、、、

永禄一一 相国寺住持集尭、仁如、畠山政光の請に応じて、所持の盆石に命名し、、、

永禄一一 武田信玄、水内郡長沼にあり、是日、越後に攻入らんとし、甲斐法善寺等、、、

永禄一一 武田信玄、工藤源左衛門尉をして、筑摩郡深志城普請の人足を催促せしむ、、、

永禄一一 諏訪社上社三月会、

永禄一一 依田采女助、佐久郡十二明神社を造立す、

永禄一一 依田長繁等、佐久郡諏訪・浅間二所明神社を造立す、

永禄一一 是より先、信濃の人栗田鶴寿甲斐にあり、是日、武田信玄、同国善光寺、、、

永禄一一 武田信玄、諏訪左衛門尉に、筑摩郡栗林の内の地を宛行ふ、

永禄一一 武田信玄、赤見七郎右衛門尉に、小県郡五十郷内の地を宛行ふ、

永禄一一 諏訪社上社四月会、

永禄一一 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

永禄一一 木曽定勝寺、客殿の葺替を始む、尋いで、山門等の葺替を行ふ、

永禄一一 武田信玄、小県郡塩田諏訪社に社領を寄進し、越後境に於ける築城の、、、

永禄一一 小諸市十二社の社殿、成る、

永禄一一 諏訪社上社五月会、

永禄一一 武田信玄、信濃の工人祢津宮内丞等の細工の奉公を賞し、甲府町次の、、、

永禄一一 諏訪社下社、筑摩郡洗馬郷に同社明年常楽会頭役を充つ、

永禄一一 武田信玄、越後に攻入らんとし、大井弾正忠に出陣を命ず、尋いで、諏訪、、、

永禄一一 武田信玄、更級郡康楽寺に高札を掲ぐ、

永禄一一 武田信玄、上杉輝虎の属城水内郡飯山城を攻めて、之を陥る、

永禄一一 武田信玄、木曽通諸宿をして、相摸海蔵寺の荷物運送のため、伝馬を出、、、

永禄一一 武田信玄、上杉輝虎の軍に備へんがため、芦田五郎兵衛尉等信濃諸士の、、、

永禄一一 武田信玄、千曲・犀両河に渡を作り、明日越後に出陣せんとして、その旨、、、

永禄一一 諏訪社上社御射山祭、

永禄一一 武田信玄、更級郡康楽寺をして、同郡塩崎の地を安堵せしむ、

永禄一一 武田信玄、佐久郡法華堂等佐久・小県両郡修験の普請役を免除す、

永禄一一 水内郡飯山城衆、武田信玄の軍の同郡長沼に在陣し、同城を攻むるを、、、

永禄一一 武田信玄、伊那郡阿嶋安養寺に、同寺の旧領同郡阿嶋郷内の地を還附す、

永禄一一 佐久郡堀米秀俊、従五位下に叙せらる、

永禄一一 東福寺宝勝院松月軒主聖澄、月渓、中秋詩会を同軒に催す、相国寺鹿苑院、、、

永禄一一 是より先、小笠原長時・貞慶父子等、牢浪して摂津芥川の三好長慶を頼る、、、

永禄一一 佐久郡上原筑前の知行地の検地行はる、

永禄一一 武田信玄、埴科郡坂城大宮社に、同社領の替地として、坂城郷内の地を、、、

永禄一一 是より先、織田信長、三好長慶を摂津芥川城に攻むるに依り、小笠原長時、、、

永禄一一 武田信玄、島津孫五郎をして、水内郡夏川等の本領を安堵せしめ、同郡、、、

永禄一一 武田信玄、水内郡西厳寺をして、同寺領長沼の地を安堵せしむ

永禄一一 武田信玄、高井郡勝楽寺等に禁制を掲ぐ、

永禄一一 伊那郡知久遠重、諏訪社上社に灯油料田を寄進す、

永禄一一 武田勝頼、高野山成慶院を、伊那郡高遠領内住民の宿坊と定む、

永禄一一 武田信玄、信濃善光寺大本願をして、甲府善光寺造立の用材を、甲斐八幡、、、

永禄一一 是より先、上杉輝虎、今川氏真に和親を通ず、是日、氏真、之に答ふ、、、

永禄一一 武田信玄、塩原三朗右衛門尉等に、本領の替地として、安曇郡住吉の内の、、、

永禄一一 武田信玄、飯嶋長左衛門に、伊那郡春近領内の地を宛行ひ、新在家役を、、、

永禄一一 尾崎重信、同重歳、水内郡五束の諏訪社に社領を寄進す、

永禄一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

永禄一一 山城聖護院門跡道增、佐久郡大井法華堂祐源に、貝両緒の使用を許す、

永禄一一 是より先、武田信玄、徳川家康と共に、今川氏真を駿河に攻む、是日、、、

永禄一一 相国寺雲頂院雲泉軒主集尭、仁如、里村紹巴の請に応じ、小野小町の伝記、、、

永禄一二 三好長逸等、将軍足利義昭を京都本圀寺に囲む、小笠原信定、長逸方に、、、

永禄一二 北条氏照、使僧を上杉輝虎に遣はし、武田信玄の駿河乱入のことを報じ、、、

永禄一二 是より先、秋山信友、信濃勢を率ヰて遠江に入り、同国見付に陣す、、、

永禄一二 伊那郡藤沢重左衛門、同郡大井弖郷熊野三所権現社を造立す、

永禄一二 今川氏真、上杉輝虎に、北条氏康と和し、信濃に兵を出して、武田信玄を、、、

永禄一二 北条氏康の将遠山康英、氏康父子の旨をうけ、上杉輝虎の将松本景繁等、、、

永禄一二 北条氏康・同氏政、上杉輝虎と和し、輝虎の信濃出兵を求めんとして、、、

永禄一二 上杉輝虎、信濃の人岩船長忠等に命して、武具携帯の地下人を徴せしむ、

永禄一二 是より先、大日方信竜斎、子上総介を駿河興津の武田信玄陣所に参陣、、、

永禄一二 武田信玄、水内郡芋川親正に書を送り、雪解を待ちて、越後に出陣すべき、、、

永禄一二 飛騨三木良頼、上杉輝虎の使者信濃の人村上国清に近況を報ず、

永禄一二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺常徳院小補軒の徒景拾得甫、の請、、、

永禄一二 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、正安禅門・養泉禅門・浄光禅門・春最禅門、、、

永禄一二 北条氏康、上杉輝虎に書を送り、水内郡飯山口に出陣し、武田信玄を牽制、、、

永禄一二 北条氏政、遠山康光を上杉輝虎の許に遣はし、武田信玄との対陣の切迫、、、

永禄一二 諏訪社上社三月会、

永禄一二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、送別の詩をつくりて、東福寺宝勝院松月軒、、、

永禄一二 是より先、将軍足利義昭、甲越の和睦を勤む、武田信玄、北条氏康を討、、、

永禄一二 諏訪社上社四月会、

永禄一二 小県郡東昌寺住持総芸、才応、同寺の法衣を新調す、

永禄一二 武田信玄、北条氏康のため駿河薩埵山に敗れ、兵を甲斐に撤す、氏康、、、

永禄一二 青柳清長、同加賀守に筑摩郡麻績等の地を宛行ふ、

永禄一二 某、伊那郡白山権現社を造立す、

永禄一二 諏訪社上社五月会、

永禄一二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同院領の田地を同寺大智院に沽却す、

永禄一二 是より先、総芸、才応、筑摩郡長興寺・小県郡東昌寺を開く、是日、総芸、、、

永禄一二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、建仁寺十如院の徒永忠文渓、を同寺住持、、、

永禄一二 武田信玄、甲斐・信濃の兵を率ヰて、駿河古沢に迫る、是日、北条氏康、、、

永禄一二 武田信玄、伊那郡小河・牛牧両郷の百姓をして、同郷の堤防を修築せしむ、、、

永禄一二 武田信玄、甲斐・信濃の兵を率ヰて、駿河大宮城を攻め、之を陥る、

永禄一二 諏訪社上社七月會、

永禄一二 上杉輝虎、鮎川盛長に信濃出兵の延期を報じ、信濃口の備を厳にせしむ、

永禄一二 伴野信是、佐久郡野沢郷八幡宮に、鰐口を寄進す、

永禄一二 正親町天皇、旧に依り、諏訪社上社の社官列座の制を定む、

永禄一二 武田信玄、安曇郡曽祢原甚五郎に地を与ふべきを約す、尋いで、浦野重秀、、、

永禄一二 武田信玄、佐久郡大井満安に知行を給し、上野箕輪城在城を命ず、

永禄一二 武田信玄、諏訪左衛門尉等を、筑摩郡北栗林の地頭となす、

永禄一二 是より先、上杉輝虎、越中に攻入り、新庄・金山等の諸城を陥る、是日、、、

永禄一二 武田信玄、信濃等の兵を率ヰて、西上野に入り、是日、武蔵鉢形城に、、、

永禄一二 北条氏康、上杉輝虎に、越中椎名康胤を赦し、信濃・甲斐を攻めしめん、、、

永禄一二 是より先、武田信玄、碓氷峠を越え、上野・武蔵を経て相摸に入り、、、

永禄一二 武田信玄、高井郡市川信房等に軍令を頒つ、

永禄一二 北条氏康、上杉輝虎に武田信玄の相摸退陣を報じ、併せて信濃出兵を求む、、、

永禄一二 須坂市普願寺の聖徳太子像の修理、成る、

永禄一二 是より先、前山城真如寺住持瑞延、祐谷、寂す、是日、闍維仏事あり、、、

永禄一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

永禄一二 武田信玄、駿河に攻入らんとし、駿河・伊豆両国の併呑及び越後の潰乱、、、

永禄一二 北条氏康、同氏政、上杉輝虎に、信濃に出兵し、武田信玄を牽制せん、、、

永禄一二 武田信玄、井口帯刀左衛門尉に、安曇郡仁科領内の地を知行せしむ、

永禄一二 西条祐意、埴科郡西条大国明神本殿を造立す、

永禄一二 武田信玄、駿河蒲原城を陥れ、その旨を真田幸隆・同信綱に報ず、、、

永禄一二 武田信玄、織田信長に属して、上杉輝虎の信濃出兵を中止せしめんと計る、、、

永禄一二 今川氏真、使を上杉輝虎に遣はし、その関東出陣を謝し、併せて甲斐、、、

永禄一二 東筑摩郡麻績神明宮の懸仏、成る、

元亀元 武田信玄、千蔵坊の所領佐久郡阿加留観音堂を同郡神光寺に寄進し、、、

元亀元 是より先、上杉輝虎、佐野昌綱を下野佐野城に攻む、是日、北条氏政の将、、、

元亀元 佐久郡貞祥寺開山徳忠、節香、寂す、

元亀元 北条氏康・同氏政、起請文を上杉輝虎に送りて盟約を誓ひ、且つ兵を信濃、、、

元亀元 武田信玄、筑摩郡深志在城衆をして、祢津紀伊守子息等の人質を返さしむ、

元亀元 武田信玄、諏訪郡河西肥後守の戦功を賞す、

元亀元 小笠原信貴、伊那郡長石寺を創建し文永寺僧宗信、その供養を行ふ、

元亀元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺慈照院梅岑軒の徒周瀑廬英、の秉炬、、、

元亀元 諏訪社上社三月会、

元亀元 色部宮内助等、小県郡東昌寺に法被を寄進す、

元亀元 諏訪社上社四月会、

元亀元 武田信玄、伊豆に侵入せんとし、春日虎綱に、信濃・上野の兵を率ヰて出陣、、、

元亀元 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

元亀元 是より先、諏訪社上社神長守矢信真、小井弖越前・山中藤助の同社御左口神、、、

元亀元 武田信玄、立屋彦四郎をして、水内郡桜郷内の本領を安堵せしめ、更に同地、、、

元亀元 諏訪社上社五月会、

元亀元 伊那郡文永寺宗然、太元師法作法を書写す、

元亀元 前小県郡定津院住持同郡全芳院開山宗長、年室、寂す、

元亀元 諏訪社上社御射山祭、

元亀元 権大僧都法印曽朝、小県郡長命寺に於いて、山城醍醐寺理性院尭雅より、、、

元亀元 相国寺住持集尭、仁如、山城妙心寺霊雲院の徒玄津月航、の請に応じて、、、

元亀元 高井郡玉井某、弾右衛門尉に、水内郡島津孫五郎、左京亮にそれぞれ任、、、

元亀元 是より先、武田信玄、同勝頼と共に、甲斐・信濃等の兵を率ヰて、伊豆韮山、、、

元亀元 是より先、上杉輝虎、山吉豊守をして、北条氏邦と、出兵のことを議せしむ、、、

元亀元 佐久郡安養寺存覚、武田信玄の尋ねに応じ、同寺寺領年貢のことを注進す、

元亀元 武田信玄、安曇郡曽祢原又次郎に、知行を宛行ふ、

元亀元 武田勝頼、信濃の諸士をして、駿河沼津城の普請を勤めしむ、

元亀元 武田信玄、水内郡飯繩社に社領を寄進し、また、鈩与助・立屋勘解由左衛門、、、

元亀元 今川氏真、上杉輝虎の信濃出兵のことを謝す、

元亀元 武田信玄、栗田鶴寿をして本領を安堵せしめ、新知行として、水内郡千田、、、

元亀元 北条高広、上杉輝虎の臣山吉豊守に書を送り、輝虎の上野出陣を謝し、、、

元亀元 武田信玄、安曇郡泉福寺に禁制を掲ぐ、

元亀元 武田信玄、信濃より関東に出陣せんとし、甲斐諏訪社に上杉輝虎撃滅を祈る、、、

元亀元 武田信玄、関大蔵左衛門尉をして、本領水内郡南高田郷内の地を安堵せしむ、、、

元亀元 武田信玄、伊那郡大草郷等をして、明年三月以後の諏訪社上社御頭役を、、、

元亀元 春芳代官惣助等、諏訪社上社神長守矢信真に、その知行地の年貢を進む、

元亀元 武田信玄、小県郡西光寺の、門前百姓三人分の課役を免ず、

元亀元 武田信玄、滝沢四郎左衛門尉に、二百貫文の地を宛行ふ、

元亀元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、諏訪晴長の請に応じて、亡父長俊の肖像、、、

元亀元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、詩をつくりて、前丹波高源寺住持鼎虎嘯岳、、、

元亀元 甲斐永昌院住持大奕謙室、佐久郡竜雲寺住持全祝北高、等、甲斐・信濃、、、

元亀元 徳川家康、武田信玄と絶ち、上杉輝虎と盟約す、また、酒井忠次、村上国清、、、

元亀元 冬至、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

元亀元 武田信玄、堤左近丞に、佐久郡中込郷の地を宛行ふ、

元亀元 相国寺住持集尭、仁如、医師吉田牧庵の前相国寺住持妙安惟高、を追憶、、、

元亀元 武田信玄、更級郡東徳寺住持をして、旧に依り、寺務を沙汰せしむ、

元亀元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺慈照院宜竹軒に於いて、同軒主周保有節、、、

元亀元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、里村紹巴第の斎会に臨み、当座の詩をつくる、、、

元亀元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

元亀元 水内郡信叟寺住持豊隆興山、の法衣の調製、成る、

元亀二 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

元亀二 天竜寺妙智院塔主周良、策彦、詩を聖護院門跡道澄法親王に呈す、尋いで、、、

元亀二 武田信玄、伊那郡下伊那宿地下人の、駿河へ参陣せるものに普請役を免除す、、、

元亀二 武田信玄、信濃の人保科善左衛門尉に、諸役を免除す、

元亀二 武田信玄、安曇郡西牧郷等をして、諏訪社上社頭役を勤仕せしむ、

元亀二 肥後磐根木山法印円祐、諏訪社下社春宮平福寺極楽坊快宥に、神道を伝授す、、、

元亀二 諏訪社上社三月会、

元亀二 武田信玄、同信実に、伊那郡今村郷等の地を宛行ひ、また、その子息に民部、、、

元亀二 武田信玄、秋山信友をして、伊那郡飯沼郷等の人足を徴し、同郡大島城の、、、

元亀二 小笠原長時、京都に寓す、是日、長時、山科言継を訪ふ、

元亀二 武田信玄、相摸を侵さんとすとの風説あり、是日、北条氏政、上杉謙信に、、、

元亀二 諏訪社上社四月会、

元亀二 武田信玄・同勝頼父子、信濃より三河に入り、鈴木重直を足助城に攻めて、、、

元亀二 北条氏康、甲・相和議の訛伝を上杉謙信に弁疏し、麦秋を期して西上野或、、、

元亀二 是より先、山県昌景、小笠原信嶺等と共に三河野田城を攻落す、是日、昌景、、、

元亀二 相国寺住持集尭、仁如、同寺を退院して、同寺鹿苑院塔主となる、

元亀二 諏訪社上社五月会、

元亀二 足利義昭、亡兄義輝の七周忌仏事を相国寺光源院に修し、同寺鹿苑院塔主、、、

元亀二 武田信玄、分国中諸関をして、安曇郡小谷衆十八人を勘過せしむ、

元亀二 武田信玄、加藤与五右衛門尉の本領佐久郡田口郷を収め、替地として、上野、、、

元亀二 武田信玄、信濃の人千野某に遠江の戦況を報じ、併せて近日越後出陣の意、、、

元亀二 諏訪社上社御射山祭、

元亀二 山城聖護院門跡道澄、佐久郡法華堂祐源に、金襴地袈裟の着用を許す、

元亀二 諏訪社下社、同社明年五月会頭役を、安曇郡大輪田郷に充つ、

元亀二 正親町天皇、鼎韺茂林、を丹波高源寺住持となす、相国寺鹿苑院塔主集尭、、、

元亀二 村上国清、松平親乗に書を送り、謙信と家康との和親の渝ることなからん、、、

元亀二 伊那郡光明寺鎮守六所権現の社殿、成る、

元亀二 真田昌幸、上野白井城の長尾憲景を攻めて、之を奔らす、是日、信玄、その、、、

元亀二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、南禅寺帰雲院塔主正稷華渓、の徒智瑛滑清、、、

元亀二 安曇郡満願寺尊応、同寺に於いて、日天法を修す、

元亀二 武田信玄、諏訪社上社明年頭役を、伊那郡山田等の諸郷に充つ、

元亀二 冬至、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、 集尭、東福寺冬至秉払の頭首、、、

元亀二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

元亀二 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、同郡の栄受用戩、大姉俗姓名闕く、の為に、、、

元亀二 宗右衛門、姓闕く、宮下新左衛門に、田地屋敷を売渡す、

元亀二 北条氏政、上杉謙信と絶ち、武田信玄と和す、

元亀三 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

元亀三 武田信玄、浦野中務少輔の年賀に答へ、近く上野厩橋に出陣すべきを告ぐ、

元亀三 相国寺鹿苑院塔主集尭仁如、等、幕府に歳首を賀す、

元亀三 信濃の僧補陀寺住持全致、大州、寂す、

元亀三 武田信玄、佐久郡岩村田御家人衆に命じ、宿中の人をして、同郡竜雲寺僧、、、

元亀三 相国寺住持集尭、仁如、詩をつくりて、石見安国寺住持源閲の徒源周郁英、、、

元亀三 武田信玄、佐久郡竜雲寺を、信玄分国の曹洞宗僧録となす、

元亀三 是より先、上杉謙信、徳川家康を存問す、是日、家康、之に答謝し、且つ、、、

元亀三 武田信玄、真田一徳斎幸隆、の上野白井城を攻略せるを嘉し、同国箕輪城、、、

元亀三 諏訪社上社三月会、

元亀三 木曽定勝寺の風呂、成る、

元亀三 更級郡唯念寺門徒衆、大坂本願寺に篭城し、織田信長の軍と戦ふべきを誓ふ、、、

元亀三 諏訪社上社四月会、

元亀三 武田信玄、諏訪郡北大塩・上桑原両郷をして、諏訪社上社一の御柱引を、、、

元亀三 佐久郡竜雲寺全祝、北高、武田信玄の請により、同寺二千衆結制を行はんと、、、

元亀三 諏訪社上社大宮の御柱立、

元亀三 諏訪社上社五月会、

元亀三 武田信玄、諏訪社下社神宮寺井坊の同社千手堂建立を励むにより、徳役を、、、

元亀三 武田信玄、甲斐長禅寺より小県郡塩田に至る間の諸宿に命じて、瑞雲院の、、、

元亀三 武田信玄、筑摩郡長興寺をして、寺領を安堵せしむ、 信玄、長興寺をして、、、

元亀三 武田信玄、諏訪社上社神長守矢信真に、分国中一月に馬壱疋分の通過を許す、、、

元亀三 上杉謙信、願文を看経所に納め、加賀・越中一向一揆の鎮定・信濃等、、、

元亀三 諏訪社上社神長守矢信真、同社本年神使御頭の費用を市川昌房に注進す、

元亀三 小県郡信綱寺開山・同郡安楽寺中興開山順京、高山、高井郡興国寺開山、、、

元亀三 武田信玄、筑摩郡正行寺・極楽寺・安養寺等大坂本願寺門徒坊主衆に、同郡、、、

元亀三 是より先、武田信玄、山城曼殊院覚恕の斡旋により、権僧正に任ぜらる、、、

元亀三 諏訪社上社御射山祭、

元亀三 一向一揆、村上国清の加賀の営を襲ふ、尋いで、河田長親、国清を援け、、、

元亀三 武田信玄、祢津松鷂軒信直、等に令して、分国より追放せる百姓等の徘徊、、、

元亀三 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、建仁寺永源庵塔主永宋玉峯、の請に応じて、、、

元亀三 武田信玄、高井郡大滝宮内左衛門尉に、駿河加島の内の地を宛行ふ、

元亀三 上泉信綱、諏訪郡千野昌房に、武技を伝授す、

元亀三 武田信玄、佐久郡津金寺の天台宗を改宗するを停止せしむ、

元亀三 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、伏見宮貞敦親王の掩土仏事を修す、

元亀三 武田信玄、北条氏政と協力して、関東に出陣せんとし、水内郡葛山衆の軍役、、、

元亀三 伊那郡知久頼氏、香坂右近介に、伊那郡下村・毛呂窪の地を宛行ふ、

元亀三 飛騨江馬輝盛、越中の上杉謙信の陣に到り、村上国清に迎へらる、

元亀三 武田信玄の信濃より越後に攻入らんとすとの風聞あるに依り、上杉謙信、、、

元亀三 是より先、木曽山村良利、武田信玄に応じ、飛騨の調略を励む、是日、、、

元亀三 武田信玄、遠藤胤勝に、信濃に於いて知行を宛行ふ、

元亀三 武田信玄、伊那郡文永寺に同郡南原の地を寄進し、且つ同寺宗然をして、、、

元亀三 武田信玄、神尾宗大夫をして、遠江の本領を安堵せしむ、

元亀三 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、諏訪晴長の請に応じて、扇面に賛す、

元亀三 武田信玄の将秋山信友、伊那の軍勢を率ヰて、美濃岩村城を陥る、、、

元亀三 諏訪社上社大宮御柱引、

元亀三 織田信長、上杉謙信の請を容れ、協力して武田信玄を信濃に攻めて討滅、、、

元亀三 是より先、武田信玄、美濃岩村大円寺住持玄密希庵、を甲斐恵林寺住持に、、、

元亀三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

元亀三 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、

元亀三 武田信玄、信濃・甲斐の兵を率ヰ、遠江三方原に、徳川家康の軍を破る、

元亀三 武田勝頼、遠江二俣城の条目を定め、筑摩郡山家某等をして、同城に、、、

元亀三 埴科郡豊泉寺住持全林、旃室、同寺を退き、佐久郡貞祥寺に帰院し、、、

元亀三 小県郡定津院住持玄忠、大休、甲斐大慈院に遷住す、

元亀三 本願寺光佐、顕如、埴科郡本誓寺顕智に、親鸞上人の書せる名号に裏書、、、

元亀三 是より先、相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、東福寺宝勝院松月軒主聖澄月渓、、、

天正元 武田信玄、筑摩郡山家左馬允の戦功を賞す、 山家頼広の書状

天正元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、前東福寺住持光秀蘭圃、の門弟等の請に、、、

天正元 仁科盛棟、安曇郡諸郷に命じて、同郡穂高社の造宮を勤めしむ、

天正元 是より先、武田信玄、三河野田城を攻め、城将菅沼定盈等を生捕りて、、、

天正元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、医師吉田牧庵の寿像に賛す、

天正元 諏訪社上社三月会、

天正元 上野沼田・厩橋の兵、上杉謙信に加勢して、同国白井城を陥る、上杉憲景、、、

天正元 諏訪社上社四月会、

天正元 是より先、武田信玄、三河陣中に病み、信濃に兵を納めんとす、是日、、、

天正元 上杉謙信、越中より、越後に帰り、越中在陣の諸将に信濃方面等の情報、、、

天正元 河上富信、上杉謙信の将河田長親に、武田信玄死去の風聞を報ず、

天正元 筑摩郡千鹿頭社御柱立、

天正元 諏訪社上社五月会、

天正元 武田信綱、千野忠隆の戦功により、舎弟忠清を還俗せしめ、その名跡を、、、

天正元 信濃の住人御鳥某、不動講を書写す、

天正元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、前山城等持寺住持相国寺鹿苑院蔭涼軒主、、、

天正元 武田勝頼、小笠原信嶺に、遠江井伊谷の地を宛行ふ、

天正元 是より先、上杉謙信、徳川家康に信濃・甲斐出兵を求む、是日、家康、之を、、、

天正元 高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に付法す、

天正元 安曇郡満願寺住持尊応、二世求願の修法を行ふ、

天正元 村上国清、越中にありて、上杉謙信の臣吉江資堅に書を送り、武田信玄の、、、

天正元 諏訪社上社御射山祭、

天正元 是より先、小県郡室賀信俊、三河長篠に篭城す、是日、壱叶等、信俊の、、、

天正元 武田勝頼、大日方佐渡守をして、所領を安堵せしむ、 武田勝頼、河西、、、

天正元 木曽義昌、原平左衛門尉に、美濃坂下の地を宛行ふ、

天正元 前山城妙心寺住持宗休大休、廿五年忌、その徒同寺住持玄津、月航、、、

天正元 是より先、幕府、前相摸禅興寺住持顕良籌叔、を建長寺住持となす、、、

天正元 是より先、徳川家康、三河に入り、室賀信俊等を、同国長篠城に攻む、、、

天正元 武田勝頼、文永寺宝幢院の条規を定む、

天正元 是より先、正親町天皇、宗陳古渓、を山城大徳寺住持となす、是日、、、

天正元 武田勝頼、佐久郡正安寺を小山田昌辰の位牌所とし、同寺をして所領を、、、

天正元 是より先、三河作手城主奥平貞能・信昌父子、武田勝頼背きて徳川家康、、、

天正元 武田勝頼、奈良井治部少輔をして、木曽谷中の闕落せる百姓を召還さしむ、

天正元 武田勝頼、赤見昌泰に、佐久郡内の地を宛行ふ、

天正元 真田信綱、河原又次郎に、綱家の名乗を許す、

天正元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

天正元 是より先、佐久郡城光院住持玄琳、大圭、同寺に江湖会を催し、諸方雲衲、、、

天正元 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、

天正元 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、永厳首座の需に応じ、道号を与へ、その頌、、、

天正元 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、常陸正宗寺の徒玄茂騰甫、の請に応じて、、、

巻十四 天正二年(1574)~

天正二 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、

天正二 上杉謙信、西上野を経略せんとし、徳川家康に、織田信長と共に信濃、、、、

天正二 武田勝頼、諏訪郡下桑原等の諸郷をして、諏訪社上社御頭を勤仕せしむ、

天正二 伊那郡竹村久左衛門尉、同郡河野筑前守に米を借り、田地を質物に出す、

天正二 武田勝頼、菅沼新兵衛及びその被官・馬等の諸関通過を許す、

天正二 是より先、武田勝頼、美濃を侵し、また、信濃等の兵をして、遠江を攻め、、、

天正二 木曽定勝寺、同寺仏殿等の修理を始む、

天正二 武田勝頼、祖父信虎の葬礼を甲斐大泉寺に営まんとし、佐久郡竜雲寺、、、

天正二 徳川家康、村上国清に書を送り、上杉謙信の上野出兵を謝し、併せて、、、

天正二 武田勝頼、木曽山村良利・良候父子をして、知行を安堵せしむ、

天正二 渡辺玄忠斎、佐久大井氏由緒を書す、 佐久郡大井庄由来 伴野十二郷、、、

天正二 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺常徳院の徒等芳蘭秀、の請に応じて、、、

天正二 木曽義昌、島崎監物に、木曽馬篭坂下の地を宛行ふ、

天正二 結制、相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、石見安国寺の徒恵周西岩、の請に、、、

天正二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、詩を作りて、豫て上京中の常陸正宗寺、、、

天正二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、天竜寺妙智院の徒令彰三章、の請に、、、

天正二 伊那郡新野の瑞光院永歳、万休、寂す、

天正二 武田勝頼、諏訪社上社神長守矢信真等をして、同社に輪番参篭せしむ、

天正二 小県郡真田一徳斎、幸隆、卒す、

天正二 武田勝頼、遠江高天神城に、徳川家康の将小笠原長忠を囲み、その戦況を、、、

天正二 伊那郡文永寺宗然、弁才天一印法を全栄に授く、

天正二 武田勝頼の将今井信仲、遠江高天神城の落城を諏訪社上社某に報じ、、、

天正二 織田信長、上杉謙信に書を送り、今秋を期して信濃・甲斐に攻入り、武田、、、、

天正二 正親町天皇、玄旦希周、を丹波高源寺住持となす、相国寺雲頂院雲沢軒主、、、

天正二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、三聖寺妙徳庵松月軒主聖澄月渓、、、

天正二 上杉謙信、高橋又五郎をして、高井郡内の所領を安堵せしむ、

天正二 前南禅・相国両寺住持集尭、仁如、寂す、

天正二 東筑摩郡波田村旧若沢寺の石造閻魔法王像、成る、

天正二 是より先、保科八郎左衛門尉、板山孫左衛門尉に・玉泉坊と、孫左衛門尉、、、

天正二 武田勝頼、諏訪郡林安右衛門尉に、諸役を免ず、

天正二 本願寺光佐、顕如、光教証如、の画像に裏書を書し、之を水内郡真浄寺明勝、、、

天正二 宗冨、春芳、諏訪社下社千手堂を造立し、上棟を行ふ、

天正二 下水内郡北野天満宮の鰐口、成る、

天正二 某、平沢藤左衛門尉に、伊那郡富田郷の闕落せる百姓跡の夫田を給し、、、

天正二 武田勝頼、信濃金堀衆に、駿河榛原郡に於いて所領を宛行はんことを約す、

天正二 信濃小野社大祝源満昌、遠江鴨江寺の鰐口を、同社に寄進す、

天正二 慈恩寺権大僧都甚円、山城醍醐寺理性院尭雅より、諏訪郡仏法寺に於いて、、、

天正二 武田信豊、波合備前守の音問に応へ、徳川家康・北条氏政の徹退等により、、、

天正二 武田勝頼、更級郡出浦主水佐をして、闕落せる被官人を召還せしむ、

天正二 武田勝頼の将日向虎頭、伊那郡阿嶋安養寺の毘沙門堂を修覆す、

天正二 武田勝頼、深山宗三をして、佐久郡依田信蕃と共に、遠江二俣城に在城、、、

天正二 真田信綱、小県郡蓮華童子院をして、同郡四阿山別当職を安堵せしむ、

天正二 武田勝頼、諏訪社上社神長守矢真をして、闕落せる被官人を召還せしむ、

天正二 是より先、諏訪社上社祢宜大夫某、武田勝頼に玉会及び馬を贈る、是日、、、

天正二 諏訪社上社神長守矢信真、同社祢宜大夫某と、同社参篭の座次につきて、、、

天正二 武田勝頼、木曽義昌に、美濃国平定の後、所領を宛行ふべきを約す、

天正二 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、

天正二 武田勝頼、甲府より伊那郡高遠に至る諸宿をして、某のため伝馬を出さしむ、、、

天正二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、

天正二 武田勝頼、保科八郎左衛門に、伊那郡殿嶋等の地を宛行ふ、

天正二 武田勝頼、木工允某をして、郷次の普請役を免じ、分国中に於いて、狩猟、、、

天正二 武田勝頼、佐久郡神津善兵衛尉に、小県郡海野の地を宛行ふべきを約す、

天正三 武田勝頼、筑摩郡長興寺をして、寺領を安堵せしむ、

天正三 武田勝頼、内田監物に、旧の如く、その所領内の普請役を免除す、

天正三 武田勝頼、市川豊後守に、その荷物の諸関通過を許す、

天正三 上杉謙信、村上国清等の軍役を定む、

天正三 是より先、織田信長、小笠原貞慶に書を送り、共に信濃に出陣せんこと、、、

天正三 諏訪郡仏法寺尊朝、同寺に曼茶羅供を修し、また、山城醍醐寺理性院、、、

天正三 諏訪郡仏法寺尊朝、山城醍醐寺理性院尭雅より、伝法潅頂を受く、

天正三 矢沢綱頼、小県郡良泉寺に寺領を寄進す、

天正三 武田勝頼、宗冨春芳、をして、諏訪社下社千手堂を造立せしむ、是日、、、

天正三 是より先、武田勝頼、甲斐・信濃の兵を率ヰて三河に入り、徳川家康、、、

天正三 紀伊の人高円、筑摩郡若沢寺の道供養碑を建つ

天正三 織田信長、秋山信友以下信濃衆の篭れる美濃岩村城を囲む、是日、、、

天正三 是より先、佐久郡依田信守、遠江二俣に存城す、是日、信守、同城に、、、

天正三 是より先、筑摩郡山家近松斎昌実、の子昌矩、三河長篠に討死す、、、

天正三 武田勝頼、木曽山村良候に、手塚の内の地を宛行ふ、

天正三 武田勝頼、小笠原信嶺に、伊那郡山村郷を宛行ふ、

天正三 織田信長、村上国清に書を送り、上杉謙信に信濃出兵を催促せんこと、、、

天正三 武田勝頼、更級郡平林正恒に、同郡牧嶋在城を命じ、水内郡に於いて、、、

天正三 武田勝頼、内田監物に、所領埴科郡坂木南条の内家二軒分の普請役を免ず、

天正三 木曽定勝寺、同寺風呂屋廊下の造作を仏殿等の修理を始む、

天正三 安曇郡雨降宮の造立、成る、

天正三 是より先、真田信綱、河原隆正の子宮内助に、小県郡真田町屋敷年貢、、、

天正三 武田勝頼、安曇郡標葉某を、但馬守とす、

天正三 真田昌幸、頼甚をして、小県郡四阿山別当職を安堵せしむ、

天正三 是より先、望月昌頼、三河長篠に戦死す、仍りて同印月斎、一峯、武田勝頼、、、

天正三 是より先、織田信長の子同信忠、美濃岩村城を囲む、是日、信長・信忠、、、

天正三 武田勝頼、伊那郡建福寺祠堂物の徳役を免除す、

天正三 織田信長、下野小山秀綱に書を送りて、味方せしめんとし、小笠原貞慶、、、

天正三 諏訪郡宗富、春芳、武田勝頼の命に依り、伊那郡宮木諏訪社を再造す、

天正三 諏訪社上社祢、同社明年神使御頭を定む、

天正三 武田勝頼、尾張・美濃・三河・遠江に出陣せんとし、小県郡小泉昌宗等、、、

天正三 武田勝頼、浦野宮内左衛門尉の在陣の労を犒ひ、戦備を調へしむ、

天正三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

天正三 武田勝頼の臣長坂某等、佐久郡法華堂祐源に、その所領同郡根々井の、、、

天正三 武田勝頼、伊那郡瑞光院に、禁制を掲ぐ、

天正三 武田勝頼、遠江二俣城城将依田信蕃をして、同城を徳川家康に渡さしむ、、、

天正三 武田勝頼、諏訪郡の細工人山崎小次郎に、郷次の普請役を免ず、

天正三 武田勝頼、諏訪より甲府に至る諸宿をして、某のために伝馬一疋を出さしむ、、、

天正四 武田勝頼、諏訪郡の細工人式部左衛門等に、郷次の普請役を免ず、

天正四 是より先、海野幸光・同輝幸等、武田勝頼に属し、上杉謙信の属城上野岩櫃、、、

天正四 武田勝頼、伊那郡笠原郷等をして、諏訪社上社御頭を勤仕せしむ、尋いで、、、

天正四 武田勝頼、小田切民部少輔の軍役を定む、

天正四 安曇郡満願寺住持尊応、護摩供を修す、

天正四 村松土佐守、埴科郡桑井社社殿を再興す、

天正四 能登畠山氏の将長綱連等、上杉謙信の将岩井信能等に書を送り、謙信の、、、

天正四 武田勝頼、諏訪郡林源十郎に所領を与へんことを約す、

天正四 武田勝頼、佐久郡竜雲寺をして、末寺佐久郡慈寿寺・上野長純寺領等を安堵、、、

天正四 武田勝頼、佐久郡軽井沢地下人に、普請役等の諸役を免ず、

天正四 千々斎、諏訪社下社の証状目録を注す、

天正四 武田勝頼、小県郡塩入某を喜左衛門尉、また、金沢某を勘左衛門尉とす、、、

天正四 大和善親、諏訪社上社権祝矢嶋某に祈念を依頼す、

天正四 真田昌幸、上野榛名山に、禁制を掲ぐ、

天正四 武田勝頼、筑摩郡西福寺に、同寺門前五間分の諸役を免ず、

天正四 武田勝頼、水内郡大日方佐渡守の軍役を定む、

天正四 木曽定勝寺住持宗球、天心、同寺観音懴法本尊を修補す、

天正四 武田勝頼、甲斐法泉寺をして、筑摩郡苅屋原の内勝因寺分等の寺領を安堵、、、

天正四 武田勝頼、亡父信玄の葬礼を甲斐恵林寺に行ふ、春日虎綱等、之に列し、、、

天正四 武田勝頼、伊那郡池上蓮法等に、郷次の普請役を免じ、鉄砲玉の製造に努、、、

天正四 武田勝頼、高井郡大滝宮内左衛門の軍役を定む、

天正四 武田勝頼、水内郡原出雲守をして、敵を警戒せしむ、

天正四 是より先、本願寺光佐、顕如、織田信長のために、摂津石山城に囲まる、、、

天正四 仁科盛信、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、

天正四 伊那郡熊野三所権現社殿の再興、成る、

天正四 武田勝頼、平林正恒等をして、更級郡牧嶋城等の警備を厳にせしむ、

天正四 武田勝頼、塚原五郎左衛門尉をして、埴科郡坂木蔵番役を安堵せしむ、

天正四 是より先、岩代会津諏訪社大祝某、信濃諏訪社上社に社参し、同社物忌令、、、

天正四 是より先、武田勝頼、依田美濃守に、佐久郡新海大明神の造営を命ず、、、

天正四 三尾将監、木曽定勝寺に寺役勤仕の請文を進む、

天正四 武田勝頼、更級郡牧嶋城代馬場信春同心衆の軍法を定む、

天正四 是より先、真田昌幸、北条氏政の上野に入り、小那淵城を陥るるを武田勝頼、、、

天正四 上杉謙信、越中に在陣し、岩船藤左衛門等を音問す、

天正四 本願寺光佐、顕如、高井郡常敬寺の寺規を定む、

天正四 武田勝頼、祢津信光をして、伯父同松鶏軒信直、の名跡並びに本領を継、、、

天正四 武田勝頼、小県郡神尾惣大夫をして、その闕落せる被官人を召還さしむ、

天正四 武田勝頼、信濃の人大井道質の前非を悔ゆるに依り、その子満安をして、、、

天正四 武田勝頼、林源十郎に、諏訪郡上原古屋敷分の地を宛行ふ、

天正四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社、、、

天正四 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、

天正四 武田勝頼、大須賀小次郎をして、兄久兵衛尉の遺領を嗣がしむ、

天正五 是より先、武田勝頼、高井郡普願寺坊主衆と盟約のことあり、是日、勝頼、、、

天正五 武田勝頼、筑摩郡若沢寺をして、寺領を安堵せしむ、

天正五 武田勝頼、馬場某を淡路守となす、

天正五 武田勝頼、高井郡小柳郷・筑摩郡山家郷等をして、諏訪社上社御頭を勤仕、、、

天正五 某、信濃名義考を書写す、

天正五 武田勝頼、諏訪社上社神宮寺をして、寺領を安堵せしめ、社頭役及び法事等、、、

天正五 是より先、武田勝頼、宗冨春芳、をして、諏訪社下社宝塔を造立せしむ、、、

天正五 武田勝頼、伊那郡文永寺に、禁制を掲ぐ、

天正五 武田勝頼、伊那郡文永寺に、同郡阿嶋安養寺毘沙門領の地を寄進す、

天正五 武田勝頼、池上備前の遺領を井沢与次郎に与ふべきを約し、番匠の奉公を、、、

天正五 武田勝頼、筑摩郡慶弘寺に、禁制を掲ぐ、

天正五 武田勝頼、大井満安に、上野白河郷を知行せしむ、

天正五 是より先、水内郡勝善寺順西、摂津石山城篭城中の本願寺光佐顕如、に金子、、、

天正五 是より先、伊那郡座光寺如来堂坊主等、寺領につき武田信綱に訴ふ、是日、、、

天正五 武田勝頼、下曽根兵部助に、小県郡海野の地を宛行ふ、

天正五 仁科盛信、紀伊高野山遍照光院を宿坊と定め、安曇郡林泉寺屋敷等を同院、、、

天正五 筑摩郡熊野三社権現社殿の造宮、成る、

天正五 武田勝頼、山村良利をして、木曽田立口の市を取締らしむ、

天正五 武田勝頼、林蔵人に、佐久郡手城塚等の地を宛行ふ、

天正五 本願寺光佐、顕如、摂津石山城篭城の状況を、水内郡長沼浄興寺に報じ、、、

天正五 武田勝頼、下曽根岳雲軒賢範、に、信濃より上野松井田に至る外郎紐子の、、、

天正五 武田勝頼、諏訪郡慈雲寺に、禁制を掲ぐ、

天正五 武田勝頼、筑摩郡山家昌実に、同郡中河原の地を宛行ひ、また、同左馬允、、、

天正五 武田勝頼、諏訪社下社に、造営料を寄進す、

天正五 武田勝頼、諏訪郡牛山次郎左衛門に、同郡栗林の地等を宛行ひ、細工の、、、

天正五 武田勝頼、真田昌幸に、織田信長の動静を報ず、

天正五 武田勝頼、信濃の人原半左衛門尉同心衆に、知行を宛行ふ、

天正五 武田勝頼、筑摩郡千手院に、同郡林村の地を寄進す、

天正五 是より先、安曇郡等々力次右衛門尉等、越後境に於いて、仁科盛信のために、、、

天正五 本誓寺超賢、上杉謙信に属し、織田信長の軍と加賀本折口に戦ひ、戦功を、、、

天正五 武田信豊、佐久郡八幡社を造立す、

天正五 是より先、信濃の本頼寺末寺及び門徒等、摂津石山城篭城中の本願寺光佐、、、

天正五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、

天正五 武田勝頼、某をして、諏訪湖上の綱渡を勤仕せしむ、

天正五 武田勝頼、諏訪社上社大祝諏訪頼忠の訴を容れ、諏訪湖に於いて綱を引く、、、、

天正五 武田勝頼、林源十郎に、諏訪郡小城古屋敷の年貢等を宛行ふ、

天正五 武田勝頼、小県郡長命寺の条規を定む、

天正五 是より先、常陸佐竹義重、北条氏政と下野に戦ふ、是日、義重の党梶原政景、、、

天正五 武田勝頼、小県郡海野の新海大明神神主某をして、同社領内の地を安堵、、、

天正六 武田勝頼、水内郡飯縄社次郎大夫の養孫に、仁科甚十郎の名を与ふ、

天正六 佐久郡依田信蕃、紀伊高野山蓮華定に、日牌料として、同郡春日郷内の、、、、

天正六 諏訪社下社、旧例に拠り、同社春秋両宮の造宮所役を注す、

天正六 武田勝頼の将跡部勝資、小県郡西光寺をして、寺領を安堵せしむ、、、

天正六 諏訪社下社、同社春秋造宮の所役を注す、

天正六 諏訪社下社、同社秋宮造宮の所役を注す、

天正六 是より先、武田勝頼、信濃の諸郷をして、諏訪社造宮を勤仕せしむ、、、